時を超えた再会

 黄土の空、足先が浸かるほどの浅い水面。

 異様な圧迫感。

 さらには、世界が死を誘うような、そんな不可解な不安感を内包する空間。

 夜和泉静子が展開した捕縛結界は、そんな異様な空間であった。


「人間よりも、人間だと……?」


 燃え盛る長大な体躯に純白の羽を持つケルビエム・ヤハウエは、その威厳のある体躯とは比例しない恐怖と疑念を内包した声で問う。


「ええ、私は純粋に澄み切っている。ほら、見てよ。私のアストラル、綺麗でしょ?」


 静子は自身の胸に手を当て、言う。


「……確かに、貴様からは悪魔の氣を全く感じない。だが、それは本来ならば『在り得ない』ことだ。貴様たち、現在を生きる人間は『悪魔の子』である以上、必然的に悪魔の氣は残るはず」


 ケルビエム・ヤハウエは自身の言葉で、さらに戸惑う。


「そうだ、やはり貴様が人外でないとこの現象は説明できない。もう一度問おう。貴様は、何者だ?」


 静子はため息をつき、告げる。


「だから、私は人間だって」


「それは、在り得ないことだっ! しらばくれるならば、力づくで教えてもらうっ!」


 ケルビエム・ヤハウエは右腕を水平に、さらに右手を開き、炎と雷を練り、炎雷の剣を創りだそうと試みる。

 が、


「……貴様、何をした?」


 ケルビエム・ヤハウエの右手には剣は発現されなかった。

 それどころか、炎と雷ですら発現されない。


「それは……ひ・み・つ☆」


 静子は微笑し、答える。


「君……何千、いや何万年も生きてるアビスの住民、その中でもとりわけ古参なんでしょう? だったら、自身の過去の経験からもっと推理してみなさいよ」


「ぬう……!」


 ケルビエム・ヤハウエは、一寸の思慮をする。


「いや、待てよ。そうか、貴様は……!」


 そして、ケルビエム・ヤハウエは答えを導き出し、告げようとする。


「ストップ! わかったなら自身の心で呟いてなさい?」


 静子は、扇をケルビエム・ヤハウエへ向け、告げる。


「ここは日本、私は百年以上ここで暮らしている。この捕縛結界。これで、答えはわかったでしょう? つまり、『君如き』は私の相手にならないのよ」


 静子は険の表情となる。


「そう、その女性の言うとおりだ。下がれ、ケルビエム」


 突如、ケルビエム・ヤハウエの後方から、若々しい、しかし威厳のある声が響く。


「その声は……ミカエル様!?」


 ケルビエム・ヤハウエは振り返り、驚嘆の声を上げる。

 そこには、美しい顔立ちの金髪の青年が佇む。


「ここは私に任せろ。この世界での務め、ご苦労だった」


 静子以外のこの場にいる全ての者は、目を釘にしてミカエルを見つめる。

 青年──ミカエルは悠然と歩きながら、ケルビエム・ヤハウエへ告げる。


「……は。では、私は『天界』へと帰らせて頂きます」


 言うと同時、ケルビエム・ヤハウエはその巨躯を凝縮し、赤い閃光へと変貌させる。

 そして、霧散。


「まさか、君の様な存在がこの世界にいるとはね。驚いたよ。僕は、『そうならないため』にこの世界の概念を変えたのに」


 嘆息して、ミカエルは告げる。


「君が、この世界の支配者であり、『最後の管理人』だね。じゃあ、ここで私が君を殺して『この世界の創造神』に四界王のシンボルを献上すれば、『世界を変えられる』のよね?」


 言って、静子の表情は殺気めいたものと変貌する。

 その周囲を黒と紫の禍々しい氣が包む。


「言っておくが、この姿は僕の姿を隠すきぐるみのようなものだ。君の『言葉』で今の僕は殺せないよ」


 苦笑し、ミカエルは言う。


「そう、残念」


 嘆息し、静子は呟く。

 途端、周囲の氣は霧散する。


「全く、恐ろしい『現人神』だ」


 ミカエルはため息を吐く。


「それで、私に何か用?」


「いいや、僕のお気に入りであるケルビエムがいなくなってしまうのは悲しいのでね。助けに入った次第だ」


「ふふ、仲間に対しては慈愛があるのね」


「僕は万物に慈愛を捧げているつもりだけどね?」


「だったら、こんな世界にはなっていないわ」


 静子は目を据わらせ、ミカエルを見つめる。

 その静子の顔をミカエルはしかめ、凝視する。


「……ふふ、ははははははっ!」


 一寸の沈黙の後、ミカエルは笑い出す。


「そうか、そうかそうか! 思い出してきたよ! そうだった、前回の最後の『兄さん』と共にいたのは……君だったね! 君が、そんな存在に……はは、はははははははっ!」


 ミカエルは高笑いを続ける。

 ──そう、まるで狂ったかのように。


「そうか、兄さんっ! あなたは、どこまでも悪運の強いお方だっ!」


 笑い続けるミカエル。

 そのミカエルを静子は卑下するように見下す。


「目障りだよ、その笑い」


「ふ、はは、す、済まない……いや、ここまで上手く巡り合わせできる兄さんが、あまりにも羨ましくて、ね。『呪い』を受けているのに」


 苦笑し、ミカエルは続ける。


「やっぱり、兄さんは今でも、『我が神』の愛に包まれているのかもねぇ」


 そう言った、ミカエルの表情は笑みを浮かべていた。

 しかし、その裏に憎悪が内包されているような、そんな不気味な笑みであった。


「──と、そうだった。そんな君が、何故こんなところへ?」


 笑みをゆっくりと消し、ミカエルは静子へ問う。


「私は、その君のお兄さんに会いにきたのよ」


 静子は答える。

 その表情には決意があった。


「そう。まあ無駄だと思うけどね」


「無駄……?」


 途端、静子は険の表情になる。


「まあ、会えばわかる」


 そう言って、ミカエルは静子に背を向ける。


「では、僕はこの場を去ることにするよ。ああ、そうだ京馬くん」


 ミカエルの周囲に光の粒子が降り積もる。


「何だっ!」


 京馬は、想いの奔流である青白い剣を突き立て、ミカエルの応答に答える。


「君は相当に、『ガブリエル』と馴染んでいるようだね。『夢』でガブリエルに会えたかい?」


「っ!? 何故それをっ!?」


 突然の、ミカエルの問いに京馬は動揺する。


「その反応──どうやら、ちゃんと『対話』できているようだね。予想外だなあ、ガブリエルが君のような人物にそこまで肩入れするなんて」


 ミカエルは苦笑する。


「妬いちゃうよ」


 そして、一言放つとともに、ミカエルは粒子となり、霧散する。




「あれが、ミカエル……! 予知夢で俺を殺した熾天使長!」


 ミカエルが消えたのに関わらず、京馬の険の表情は消えることはなかった。


「俺達アダムの最大の敵、ミカエルか。ケケッ! 俺も見たのは初めてだ!」


「思った以上に圧倒する神々しさを感じられなかったな。部下のケルビエムの方が俺は恐怖したぞ」


 京馬の下へ真田と志藤が近づく。


「当然よ。あれはミカエルの化身の一端。君達のような存在であって、それを天界にいる『本神』であるミカエルが操っている」


 静子は誰ともない問いに答える。


「……で、お前が京馬の言っていた静子か。ケケケッ! あのケルビエムを歯牙にかけないとは、話で聞いていた以上の化け物だな」


「私は、人間よ。訂正しなさい」


 静子は真田を睨みつけ、告げる。


「おお、怖い怖い。了解した」


 真田は苦笑し、応える。


「しかし、この捕縛結界……やけに『重い』。どうも嫌な不安感を煽るのだが、解除してもらっていいか?」


「そう。確かに、『生身』ではそうかもね。いいわ」


 志藤の提案に、静子は首を縦に振り、了承する。

 途端、世界は夕焼けの公園へと変わる。

 そして、先ほどとは異なる穏和な空気が充満する。


「京馬くん! それに真田と志藤!」


 その穏和な空気吸い、安堵の息を吐く京馬達の背後から声。


「桐人さん!」


 京馬は振り返り、声の主へと叫ぶ。


「あと、私もいるわよ」


 京馬が振り返ると、そこには桐人とその後方にエレンがいた。

 その片隅には黄色と黒色で彩どられるバイク──エレンの愛用車がある。


「済まない。もっと早く合流したかったんだが、如何せん捕縛結界の力が強すぎて入れなかった。……あれは、ケルビエムのものでも、京馬くん達のものでもないね? 一体誰の捕縛結界なんだい?」


「それは……」


 京馬は振り返り、静子へと目を向ける。


「あ…あ……!」


 静子は桐人の顔を見て、唖然としていた。

 そして、その目から涙が伝う。


「リ……リチャード、さんっ!」


 突如、静子は桐人に抱きつく。


「なっ……!」


 その行動にエレンは眉をひくつかせる。


「ずっと、ずっと会いたかったんですよ! 静子は、静子はあなたを何年も、何年も待っておりました!」


 桐人の胸に顔を埋め、静子は告げる。


「ちょ、ちょっと待って! 話が見えない! これは、一体どういうことなんだ!?」


 桐人は狼狽える。


「私を、お忘れですか!? 私は、あの初夜のことは今でも忘れておりません……!」



「初……初夜!? いいや、僕は君と寝た覚え何か……!」


「ちょっと、桐人」


 ぎくりと、桐人は体を硬直させる。


「後で話があるけど……時間ある?」


 その桐人の後方、電流を迸りながら、異様な圧力を解放したエレンが問う。


「い、いや、あるけれどもっ! ちょっと待て、色々と整理しよう! おかしいことだらけだろうがっ!」


 焦燥して桐人は叫ぶ。


「何よ、誤解があるならさっさと話しなさい」


 それをジト目で見つめるエレン。


「まず……静子、さんでしたか? 何故、俺がリチャードであったことを知っている? そして、何故今の俺を見てリチャードだと分かった? あと、そもそも……」


 桐人は上目遣いで今にも唇にキスをしそうな静子を必死に静止しながら問いを続ける。


「そもそも、君は何者なんだ?」


 桐人の最後の問いに、静子は沈黙する。

 桐人を抱きしめた手を離し、数歩、後ずさる。

 そして、顔を伏せ、呟く。


「本当に、何も覚えていないようですのね」


「済まない。俺がリチャードであった時の記憶は、おぼろげにしか覚えていないんだ」


 桐人も同様に顔を伏せる。


「そう、なら答えてあげますわ」


 静子は顔を上げ、答える。


「私は、『仲間の裏切り』で負傷したリチャードさんを介抱し、その後、妻になったものです」


 静子の告白は、周囲を硬直させる。


「ちょっと待て、余計頭がこんがらがってきたぞ……? 俺がリチャードだった時、婚約したのはエレンの祖母のサラだったよな?」


 桐人は顔をエレンに向け、同意を求める。


「……おじいちゃんの、浮気者」


 エレンは不貞腐れたような表情でそっぽを向く。


「ちょ、だから冷静に考えてみろって! どう考えたっておかしいだろっ! それに、『仲間の裏切り』ってどういうことだ!? 俺の記憶にもみんなの話からもそんなことは一切聞かされなかったぞ!?」


「それは、恐らく転生後に記憶の欠損が生じたせいです。日本海での戦闘で余程ショックを受けていたようですし、何より……」


 桐人の抗議の問いに静子は口を開く。

 そして、一寸の戸惑いの後、静子は続ける。


「リチャードさんは、私と同士討ちした時、私と出会ったことを後悔していましたから」


「後悔?」


「ええ、私はある日本の神に仕える巫女でした。リチャードさんは神の力に呑み込まれた私の哀れな姿を見て、後悔していました。こんな結末になるなら、最初に出会った日に消えていれば良かったと……そして、互いの全力をかけた一撃で同士討ちとなりました」


 静子の言葉に、周囲は静寂となる。

 それは、自分たちが知っていたリチャードというインカネーターの英雄の知られざる真実に、耳が自然に傾いていたからだった。

 そんな中、桐人は顎に手を当て、口を開く。


「今の話を整理すると……つまり、俺は日本海での戦闘で行方不明となっていたが、実は日本に流れ着いていて、君に出会った。そして、介抱してもらい、恋仲となり、君と婚約をした、と。だが、何らかの原因で仕えていた神の力に呑み込まれた君を止めようと俺が対峙し、同士討ち、というわけか」


「そうです」


 桐人の話の流れからの推理に静子は頷く。


「だったら、君はその神のインカネーター……いいや、君の今の状態から察するに『神そのもの』といったところか」


「はい」


 静子は二文字で答える。


「その神の名は?」


「……今は、教えることはできません。ですが、」


 静子は桐人の瞳を見つめ、続ける


「リチャードさん、もし私と出会ったのを後悔であると思っているのなら、それは間違いです。……静子はあなたの事を想うだけで幸せです。あなたが『明けの明星』であって、数々の人生を渡り歩いてきたことを知ってしまっても、私の気持ちは変わらなかった」


 静子は穏やかな笑みを浮かべる。


「だからこそ、私は『このような存在』となって、あなたと『同等』の存在となって……今、逢いにきたのですから」


 静子は風のようにすらりと前方の桐人の下へ近づく。

 その瞬間、静子以外のものは時が止まったかのように立ち尽くしていた。

 静かに、触れ合う唇。

 細い腕に包まれる桐人の背中。

 閉じた目を見開き、静子は言う。


「私の想いをあなたに伝えました。後は、あなたが思い出してくれるまで待ちます。私の『正体』は、全てをあなたが思い出した後に」


 そして、静子は抱いていた腕を解き、桐人の横を通り抜ける。

 硬直する桐人。


「――待ちなさい」


 静子がエレンの横を通り過ぎようとした時だった。


「あんたが昔、こいつと何があったかは知らない。だけどっ!」


 エレンは静子を見ず、まるで自分に言い聞かせるように言葉を放つ。


「昔は昔。今は今よ。昔はリチャードだけど、今は桐人なの」


 静子はエレンの放った言葉に足を止める。


「そう。でも、私の方がリチャードさんと共にいた時間は長い、絆も深かったと自負できる。何より、」


 静子は振り向く。

 同時、エレンも静子の方へと顔を向ける。

 両者は、対面する。


「私の方が、リチャードさんを愛しているから」


 そう言って微笑し、静子は舞う黒風と共に霧散していった。

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