人の命の天秤
どこまでも、どこまでも拡がる荒野の世界。
その地肌は眩しすぎるぐらいに照りつける、太陽を思わせる光球の日差しに晒される。
その地平線の先には果てがあるのだろうか。
いや、そんなことはどうでもいい。
そんなこと、『この世界』の支配者に問えば、いつでも教えてくれるからだ。
「ガブリエル」
ふうとため息をつき、京馬は自身の宿す化身の本神──『京馬達の世界』では、神に仕える強大な『四大天使』の一人の名を呼ぶ。
「あら、随分とご機嫌斜めね」
晴天の荒野の世界に降り積もる、光の粒子が収束し、人の形を成す。
「当然だ! 何で、あんな絶望的に窮地の状態なのに、『
京馬は叫ぶ。その言葉には激情が含まれる。
が、対面する神性を帯びた美しさを放つ美女は、表情を崩さず、威厳を崩さず、そして口を開く。
「まあ、あの状況なら使用させてもよかったのだけど、ね。私には、静子が来ることが『始めからわかっていた』。だから、あなたの『想いの奔流』の使用を許可しなかった」
「……!」
京馬はガブリエルの問いに対する答えを聞き、後に続こうとした言葉を閉じる。
「そう、『
ガブリエルは京馬の目を見据える。
「──一つ、忠告してあげる。あなた達の住む世界、その住民は所詮は私達、『アビスの住民』の玩具のようなもの。あなた達に力を与えているのは私達で、立場的にはあなた達の方が弱いことを理解してね」
「そんなこと、わかってるけど……!」
京馬は自身のわだかまりを表情に露わする。
「とはいえ、私は京馬くんには協力的なつもりよ? 何て言ったって恩があるんだから」
「恩?」
京馬が首を傾げる。
「あ、ああ……ごめん、今のは忘れて?」
苦笑して、ガブリエルは言う。
「とにかく、私が京馬くんを死なせるようなことは決してしないから、そこだけは安心して」
「『俺を』、死なせることは、か……」
「だから、これからも仲良くいきましょう?」
京馬の疑念の目を無視し、ガブリエルは続けた。
「……ああ。しかし、まさか『こんな夢』でアビスの本神と会話が出来るなんて思いもよらなかったよ」
「京馬くんは『特別』だからね。……理由は教えられないけど」
「まあ良いさ。何が目的かは知らないけど、俺にとっても不利益ではないことは確かなんだろ?」
「ええ。私が望むのは、京馬くんが何を望み、どのように『道』を進むのか。そして、その『道』に多くの人を巻き込み、どのように人の『道』を示すのか。それを、私に見せてくれれば良い。ただそれだけ」
ガブリエルは優しく微笑みかける。
京馬の瞳孔は大きくなる。
その表情は、人を玩具と罵ったものの表情とは思えないほど、慈愛に満ちていたからだ。
「それが、私の目的のために『必要な事』。だから、京馬くんが世界を創造し直して自分の思うままの世界にしても別に私は構わない。むしろそれを望むわ」
「そうか。だったら今まで通りに好き勝手にやらせてもらうよ」
「あ……」
ガブリエルが京馬の右手を見て、呟く。
その右手は半透明に透けていた。
そして、その右手の変化は徐々に体を駆け巡ってゆく。
「そろそろ、夢が覚めるみたいだね。じゃあ、これからもよろしく。信頼してるよ、ガブリエル」
「ええ」
互いが一瞥すると同時、京馬の体は荒野の世界から霧散する。
「夢が覚める、か。この『神の夢』は夢であって夢ではないのだけどね」
京馬の存在がこの荒野の世界から消え去るのを確認し、ガブリエルは呟く。
「他の『四大天使』も、いいえ、神に最も近かったあの人でさえも、逃れられなかった。残ったのは、私だけ」
頭上の輝かしい日差しを見つめ、ガブリエルは呟く。
「巡り巡って、波はうねる。そのうねりはやがて大きくなり、他のうねりさえも巻き込む。京馬くん……あなたは、強くならなくちゃいけない。例え、どんなことがあろうと」
日差しが傾き、落ち始める。時刻を刻む短針は右に平行する。
午後三時頃──天橋高校の坂を下る四人の男女。
その中の一人、坂口京馬は一人会話に入らず、思慮する。
(天使ガブリエルは、俺を絶対に死なせないと言った。そして、美樹がアスモデウスに精神を乗っ取られていた時に桐人さんが言った『神のお導き』。その導きによって、俺は死ぬことはないと言っていた。つまりは、俺がガブリエルに守護されていることを桐人さんは知っていた?)
「でよ! ちょっと抜けてたと思ったら、将太の奴、店員のアドレスゲットしてきてやんの! いくら手の早い俺でもあんな軽やかにできないって!」
「まあ、将太くんって見た目も性格もプレイボーイだしね」
今朝見た『神の夢』を回想し、思慮していた京馬の傍ら、賢司と咲月が談笑している。
「まあ、そういうタイプは警戒されやすいから案外モテたりしないんだけどね」
微笑し、京馬の右隣りに寄り添う美樹が答える。
「ていうか、何でそんなに京馬くんにべったりくっ付いてんの? 誘惑禁止って言わなかったっけ?」
その美樹に対し、眉をくの字に曲げ、咲月が問う。
「あら? 別に誘惑なんてしてないよ。私は京ちゃんの隣りが落ち着くからこの配置にいるだけ。ほら、別にそんな刺激になるもの、くっ付けさせてないよ? 文句ある?」
「ぬ、ぐぐ……」
歯ぎしりする咲月に対し、余裕の笑みで返す美樹。
「ん? どうした、京馬? 難しい顔して」
上の空の状態であった京馬を、首をしかめて賢司が問う。
「あ、ああ……ちょっと考え事をね。別に大したことはないから、気にすんなよ」
その賢司に対し、京馬は苦笑して答える。
ブルルル! ブルルル!
途端、京馬の携帯が振動する。
そして、携帯画面を確認する。
……メール、か。
京馬はその文面を確認すると苦笑して、告げる。
「みんな、悪い。俺、これから寄るとこあるから先に行っててくれ」
「え? ああ、うん。でも……」
その言葉で咲月は戸惑いの表情を露わにする。
「……? ああ、大丈夫だ。多分、すぐ行ける」
咲月の言いたいことを知ってか知らずか、京馬は答える。
「う、うん。じゃあ、またね」
が、咲月の困惑の顔は晴れることはなく、別れの挨拶をする。
「またね、京ちゃん」
「またな!」
そして、美樹と賢司も別れを告げた。
京馬は賢治達と別れた後、駅から離れた細い路地へと足を運んでいた。
「久々に真田さんと会うな……いかんいかん、緊張してきた!」
まだ馴れてないんだな、と京馬は苦笑する。
「しかし、いきなり俺なんかを呼び出して、一体何のようだろう?」
京馬が現状に至ったのは、真田から送られた一通のメールからだった。
文面はこうだ、
『お前に用がある。とりあえず、公園近くの展望台に集合な。たっぷりもてなしてやるから早く来いよ、ケケケッ!』
(何とも、あの人らしいや。しかし、あの笑いは文面でもちゃんと表現するのね。……あれって、意識して使ってんのか?)
そんなどうでもよい事を思慮し、京馬は指定の場所へと辿り着く。
「よう、あれ? 咲月は一緒じゃなかったか、ケケケッ! てっきり、一セットでくるものだと思ったんだがな」
「まあ、咲月ちゃんはお前のことを大層嫌ってたみたいだからな」
京馬の眼前には初夏の季節にも関わらず、厚手のコートを羽織った白い素肌の男と、対してカジュアルな服を着こなしたやや老けた面持ちの男が佇む。
その横には中型のバイク。
色は夕焼けの陽さえも呑み込む漆黒。
「こんにちは、真田さん。……と、志藤さん」
京馬は一瞥する。
そして、辺りを見回す。
「……で、どういった要件何ですか?」
「ああ、ちょっとお前とこうやってじっくり話したい事があってな……お前、こんな風貌の奴に会わなかったか?」
そう言って、真田は手に持った写真を京馬に差し出す。
「こ、こいつは……!」
京馬はその写真を覗き込み、戦慄する。
黒いローブと蒼白の仮面の人間……!
そこに写っていたのは、昨日の夜に京馬達と対峙した黒いローブを羽織り、蒼白の仮面を取り付けた人間であった。
だが、その写真の人間はフードを取っており、その髪型が把握できる。
その髪型は色彩豊かな装飾物を取り付けたドレッドノート。
それは、京馬が対峙した人物とは異なる特徴。
昨日の夜に襲撃した奴とは別の人物であろうと京馬は思慮する。
「……どうやら、ビンゴみたいだな。剛毅の報告でもしやと思ってたが」
真田は、京馬の表情から自身の予想が確実であったと判断する。
「で、お前達と報告にあった和服美女がやった二人は何か言ってなかったか? 例えば、自分の組織のこととか」
「そう、ですね……」
京馬は自身の記憶を辿る。
「特には……なかったです」
「本当にか? どんな些細なことでもいい、教えてくれ」
京馬の答えに納得がいかないのか、後ろに控えていた志藤が身を乗り出し、問う。
「はい、咲月をダシにして俺を誘拐しようとしたことぐらいしか」
「そうか……」
志藤はため息をつき、首を縦に振る。
「それで、どうして真田さん達はこの黒いローブと蒼白の仮面の人間を探しているんですか?」
「こいつが、俺達の復讐の相手だからだ」
真田は何時もの狂気を交えた悠然とした表情とは異なる、険の表情を露わにし、告げる。
「復讐の、相手?」
「ああ、こいつは、俺と隣りにいる志藤がインカネーターとなった原因、その根源……!」
そして、真田の表情は憤怒となる。
その何時もとは異なる真田の表情に京馬はさらに戦慄する。
「君を呼び出したのは、そのことを聞くためだけだ。みんなで楽しんでいるところ悪かった。お詫びに飯を奢るよ」
過去を思い出し、沈黙する真田を傍らに、志藤が口を開く。
「そんな、良いですよ。むしろ力になれず、すいません」
京馬は手を振り、志藤の誘いに遠慮する。
「そんな遠慮するな。それに、君には個人的に興味があるんでね。じっくりと話してみたいと思っていたんだ」
「俺に……ですか?」
「ああ、真田から話を聞いてね。インカネーターはその特性上、過去に訳ありな奴しかいないが、君のインカネーターとして覚醒した理由が何とも興味深くてね」
志藤は顎に手を当て、京馬に目を向ける。
「京馬くん……人の命ってのは、平等だと思うか?」
そして、志藤は京馬に問う。
突然の問いに、京馬は思慮する。
人の命……それは道徳上、平等であると教えられていた。
だが、ニュースなんかで見る孤児や戦争中の人々を見ると、そんな形上で教わってきたものは偶像や理想であるとしか考えられない。
さらに、京馬が対峙した殺人狂の氷室の過去を思い出すと──
「……どうでしょうか。少なくとも、見て、聞いて、体験した、俺の薄っぺらい人生の中では、平等でないと思います。でも……」
「でも?」
志藤は問う。
京馬は一寸の沈黙の後、口を開く。
「でも、平等でなかったとしても……平等にしたいです」
「それは、自身の手で、か?」
「はい。俺は、俺の手にした力で、この世界の皆を、理不尽で苦しんでいる皆を、『絶望』から救いたいです。その中に、平等ではないという『格差』があるのなら、それを無くしたいです」
京馬は言葉を紡ぎ、口にする。
が、その声色には若干の戸惑いがあった。
その自身の言葉は以前の自身では考えられなかったことだったからだ。
否、それは自身が気付いていたことであった。だが、その思考は世の『暗黙』によって封殺されていた。
(この、『ガブリエル』の力が、俺にそんな『暗黙』から目を背けさせず、対峙するように呼びかけている……そんな気がする。少し前の俺なら、鼻で笑ってたのになぁ……)
京馬は微笑する。
「どうした? 自分の言葉が可笑しかったか?」
「ああ、すいません。……そうですね。少し前の俺ならこんなこと言わなかったのになって……」
「そうか、インカネーターってのはその化身に馴染めば馴染むほど、人格が変わるからな。ましてや、君の『ガブリエル』は天使の化身という極めて特殊な化身だ。その変化の振り幅も俺達、普通のインカネーターとは異なるのだろうな」
「それで、何でそんなことを?」
「いや、少し興味本位で聞いてみただけだ」
志藤は苦笑して答える。
「そうですか……ちなみに、志藤さんはどう考えてるんですか?」
人の命は平等か?
そんな問いをした志藤に、京馬も同時に興味が沸き、重ねて問う。
「俺は……平等ではないと考えている。いや、絶対に平等ではないと言いきれる」
その答えには全く迷いはなく、きっぱりと志藤は言う。
「誰にだって、『特別』と思う人はいるだろう? それをただの赤の他人と同列に扱う、即ち、平等と考えるのは俺は可笑しいと思う」
志藤は、険の表情を浮かべ、続ける。
「俺は、俺の妻と子を、他のものと同列に位置付けることなんてできない。できやしない。俺にとっては『創造主』よりも特別な存在なんだ。だから、他の者はそれ以下の存在としか考えられない」
京馬は、志藤の答えを聞き、思慮する。
確かに、自分も美樹に対して、他の人の『命』よりも重視していると考える。
が、それがあんな『絶望』と重なるとしたら──
わからない。
「志藤さんって……奥さんと子供がいたんですか?」
とりあえず、京馬は自身の思慮を中断し、問う。
「ああ。だが、それもさっきの写真の男に殺された」
志藤は、先ほどの真田の憤怒の表情よりも激しい、とてつもなく激しい憎悪の感情を剥き出しにし、続ける。
「そう、奴は、俺の最も大切な物を奪った……! 俺から、根こそぎ、な!」
その威圧に京馬は思わず、たじろぐ。
「──済まないな。思わず、昔を思い出してしまった」
志藤は嘆息し、京馬に告げる。
「ケケケッ! 要するに俺達はその男に尋常じゃなねえ位、殺意が滾ってんだよ!」
傍らの真田は何時もの狂気を含んだ笑いを発して告げる。
「わかりました。それだったら、俺も奴らに狙われているようだし、一緒に犯人の手掛かりを積極的に探します!」
京馬が意気込むと同時、ピシッ!っと後頭部に頭痛が走る。
それは、以前にあった『悪魔の悪意』の反応とは異なったもの。
しかし、その感覚の違和感は、良からぬ気配を漂う。
「どうした、京馬?」
様子のおかしい京馬に真田が問う。
「天……使! 真田さん、志藤さん! こっちです! 人が天使に襲われている!」
そして、突然駆け出す京馬。
真田と志藤は互いの顔を見合わせ、頷くと同時、京馬を追いかけた。
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