悪魔との対話

 京馬達の通う天橋高校。

 その周辺地域である天橋区内は高級住宅が立ち並ぶ、住宅街である。

 その住宅街の中にある一つの屋敷。

 煉瓦造りの防堤、さらにその先の二十メートルはあろう庭を抜け、くたびれた少女は屋敷の玄関へ向かう。

 そして、その扉をゆっくりと開く。


「ただいま……」


 通常の家の三倍以上はあろう広い玄関に足を突き、くたびれた少女──葛野葉美樹は挨拶をする。

 しかし、その挨拶に答えるものはいない。


「お母さん──?」


 美樹は靴を脱ぎ、広間へと足を進める。


「そう……今日も遅いのね」


 美樹が広間の扉を開けようとドアノブへ手を掛けた時、電話越しで会話する母親の声が聞こえた。

 途端、その手を静止する。


「えっ!? 明日から出張? あ、ああ、そうよね、今は会社も大変でしょうし……わかったわ。じゃあ、美樹と先に晩ご飯食べるわね?」


 幾度かの躊躇いの間を置きながら、受話器越しの相手と会話する母。


「お父さん……!」


 その様子から美樹は母が会話する対象が父であることを確信する。

 そして、受話器を置いた音を確認して少し間を置き、美樹は広間へ入室した。


「あら? お帰りなさい、美樹。いつ家に戻ったの? 全然、気付かなかったわ」


 母親は振り返り、美樹を確認すると微笑んだ。

 だが、その笑みは純粋でなく、ややぎこちない。


「ただいま。さっき着いたばかりだよ。お母さんがお話し中だったから、会話が終わるまで待っていたんだ」


「そう……ああ、今日はお父さんは会社の方達と食事をするみたいだから、先に晩ご飯を食べてくれって」


 母親の言葉に、美樹の表情は曇る。


「お母さん……」


「ん……? 何、どうしたの?」


 自身の心情を隠すかのように、微笑して母親が美樹に尋ねる。


「いえ、何でもないよ……それより、晩ご飯だよね!? 今日は何なの?」


「そう? なら良いのだけど……今日はねえ──」




 闇夜の中、華やかに彩りを放つ街の光。

 しかしその光は遠く、薄ぼんやりとしている。

 それは、まるで幻のように、夢のように、現実にあるはずであるのに、そうではないような、希薄な存在に見える。

 そんな景色を二階の自室にある大開きの窓から眺め、美樹はため息をつく。


「久方ぶりの感情だな」


「ええ、そうね」


「『これ』もお前が私を宿した一因であるわけだから、感謝しないとな」


「そして、それは私が世界を『創造』したら、変えたい『闇』の一つでもある」


 美樹は内に宿る悪魔と会話する。


「ねえ……何で、世界はこんなに残酷なんだろう。あの景色は夢想のように美しいのに」


「それを大悪魔である私に聞くか?」


 鼻で笑い、アスモデウスは問う。


「何を今更……この世界は、天使も、悪魔も、神様だって変わりはしないじゃない」


 美樹は嘆息して告げる。


「結局は善も悪も存在しない。私達は、アビスにいるあなた達の玩具みたいなもの。この『感情』でさえも、あなた達の嗜む愉悦の一部にすぎない」


「──よく、わかっているじゃないか。では、何故それを理解しているのに私に問う?」


 ふう、美樹はため息をつき、夜空に一言。


「ただの、愚痴だよ」


 そして窓を閉め、美樹は部屋の灯りを消す。

 自室のベッドに仰向けになり、自身の体に毛布を羽織わせる。


「父さんは、またあの女の人とお泊り、か」


 ぽつりと、美樹は告げる。


「私とこうなる前のお前は、そんな親の血をひいている自分を嫌悪していたな」


「そう、でも抗えない。私はその『色欲』と宿命づけられている。だけど、今はその『色欲』が武器になってる。私の支えになってる。──皮肉ね」


「私としては、非常に喜ばしいことなんだがな」


「そうね」


 聞き流すような相槌を打ち、美樹は体を横に倒す。


「あの和服を着た、静子っていう女、何者なの?」


「さあ、わからん。ただ、あれは『人間であって人間ではない』。私達の様な性質に似ているが、かといって化身と自身の精神が混在しているわけでもなく、極めて特殊な中の、そのまた極めて特殊な類だ」


「あの驚異的な力の根源は何なの?」


「あれは、『神』の力だ。とは言っても、あの咲月の宿す『神の実から生まれ出でるもの』とは違い、世界の破滅を引き起こすようなものではない。……予測だが、地方神の一柱である可能性が高いな」


「だったら、あなたがあの女を超越的な存在と言って驚いていたのは何で?」


「それは単純だ。その力が、精神力の強さが、尋常ではなかったからだ」


「そんなに、凄いの?」


「ああ。凄いなんてものじゃない。普通の化身を宿したものならば察知できないだろうが、『本神』である私ならばそのポテンシャルを把握することができる。あれは、人間であるならば、まず不可能といってよいほどの、脅威的な力を持っている。恐らく、この世界の中でも最たるものであろう」


「そう……じゃあ、厄介なやつに勘付かれたね」


「ああ」


 美樹の表情は険になり、アスモデウスの声色も張り詰める。


「これからの行動は、なるべく慎重にしないとね」


「そうだな」


 そして、険の表情を緩め、美樹は眠りについた。

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