点
○×月七日
バイトを終えてとぼとぼと家に帰ると、社会人になって一人暮らしを始めた兄が実家に帰ってきていた。何で家に帰って来ているのかと思えば、両親の結婚記念日だと言われた。何故、親の結婚記念日を祝う必要があるのかと思えば、
「結婚して三十年だし、少しは祝おうと思ってな」
と兄は笑う。なんとも親孝行するいい子どもを演じているようにしか思えなくて、嫌気を感じる。あくまで模範的な息子を演じる兄の様になりたくないと改めて思った。
話をする中で自分が両親の結婚記念日を忘れている理由を家族は探し始めた。
グダグダと話が続いていくのが気に入らなかった父に、
「人の記念日はおろか、自身の誕生日すら忘れるような人間だぞ」
と、結論付けられた。
ほっとけ。記念日や誕生日など、どうせ意味のないものになるのだから。
何とも賑やかな家族なのだろう。何とも陽気な家族なのだろう。しかし、自分がその輪に入ってないのではないかと感じる。
○×月八日
時計を見ると、午前九時をさしていた。久しぶりに寝坊した。昨日飲まされたアルコールが響いたのだろう。リビングに行くと兄の姿がなかった。もう出勤したと母が寂しがっていた。付け加えて父が朝起きてこなかったから心配していたとか、あんたが寝坊とは珍しいわね。今日は講義ないの? とか、話をしたがっている。
幸運にも今日は午前中の講義は休講で助かった。午後の講義があるが、その前に研究室によって行こうと思い、早い目に家を出る。
研究室に行くと教授が不在で鍵が閉まっていた。珍しいことが、教授を探そうとは思えなく、そのまま図書館に行こうと足を運んだ。
図書館の出入り口で腰を曲げている教授の姿が見えて、引き返そうとしたら、教授に名前を大声で呼ばれた。いつも講義で声を出しているだけあって、声の通りがよい。聞こえなかったと理由を出すことができない状況になってしまった。教授のことを心中で悪魔と呼ぼうと決意した。
教授のほうにとぼとぼと歩いて行くと教授の脇に本の山が見えた。研究室の片づけも終わっていないはずだ。図書館もよく資料を貸し出すものだ。大学でもこの教授の研究室は魔窟だと有名な話なのに、こんな何十冊も貸し出して紛失しないと思っているだろうか。
それよりも教授の微笑みが怖い。先輩でも数えられるぐらいしか見ていない笑みだ。厄介事を押し付けそうだ。運べと言われそうだ。幼馴染ならば華麗にかわしそうな厄介事だ。どうにか逃げられないものか……。
結局、逃げることはできなかった。いやそうな顔をすることはできないのでつくり笑顔で教授の隣を歩く。
研究室のドアを開けると、部屋のいたるところにごみが散乱しており、片付いたといえない状況だ。その状況で大量に本をかりるのは無謀ともとれる。まあ、研究のためならば仕方ないといえるのだろう。自分にはあまり関係のないことだ。
ここで違う問題が発生した。図書館と研究室の階が違う。また、増築を繰り返してできた大学なので段差が多くあり、ブックトラックといった便利なものを使うことはできない。人力で本を運ぶことになる。
図書館から研究室の往復を何度か繰り返したせいで、明日は筋肉痛確定だ。教授は一往復で終わって、研究室で優雅に空を眺めている。そんなに笑顔で、さぞかし楽しいことでしょうね。
まだ、午後の講義が残っているのに、疲れてしまった。講義を受けなくてはならないと使命感に駆られ、重い足取りで教室に向かう。
××月三日
月曜日は何とも憂鬱な気分になる。少しは幼馴染のポジティブなところを見習わなければならないと思ったが、癪に障るので見習うことはしないでおこう。
リビングに行くと母が旅行鞄を出していた。
「明日からお友達と旅行なのよ。とても楽しみだわ」
と言って旅行先のパンフレットを見せつける。大変幸せそうな顔だ。その顔を自分にはできない。この親から生まれた子と思えない子ができたもんだなと、考えたら惨めな気持ちになった。
家を出るときに、少しの躊躇いがあった。また、幼馴染がいる。惨めさをさらに上塗りされるのがわかっているからだ。迷っていても仕方ないと自分を思い込ませて、玄関のドアを開けると予想通り、幼馴染が待っていた。自然とため息が出る。
ドアの鍵を閉め、歩き出すと幼馴染が他愛のない話をしてくる。相槌を打つことやこちらから話しかけることはしないで駅に着いた。ホームには友人数人がいたので近寄ると幼馴染は空気を読み、どこかへと行ってしまった。
幼馴染はポジティブではあるがどこか変わっている。どこが変わっているかと明確に示せといわれたら、答えられるほど観察もしていないし、関わってもいない。結局、その程度の付き合いのだ。
あの厄介な講師の講義を珍しくほとんどの学生が真面目に受けている。前回の課題のようなことを何度かしそうだという噂が流れているせいかはわからないが、人間とは単純だ。
「集団でいると数人は怠けてしまう。それが人間の心理であり、人間の弱さでもある。また、集団でいつも行動していると個人で活動する際に誰かを頼ってしまう。わからなくなったら逃げ出す。それが許されるのは学生までだ。君たちは幸せなのだよ」
講師の哲学が披露されると、学生たちはこそこそと話をする。それを注意する講師ではない。何事もなかったように講義を再開する。
××月三十日
午前中に教授からメールが来て大学に行く羽目になった。午後の講義が休講で、折角の一日丸々休みが返上である。本当に悪魔である。
研究室に行くと昨日、図書館でかりた本が散乱している。
片付けが終わるのはいつになるのだろうとか思っているのは、自分だけではないはずだ。今、思えば教授に幼馴染みの影を重ねているような気がした。何故重ねる必要あるのかはわからないが、それが自然だとも思ってしまった。
今回呼び出しされたのは教授のスケジュール帳が見つかったため、現地調査の日程を決めるとのことだった。何の問題なく、日程が決まった。
付け加えて、研究室の片付けは自分たちの意志でやっているということにしてくれ、と少しの申し訳なさもなく言われた。大学側に研究室を片付けたゴミが多すぎるので、こまめに掃除にするように注意されたらしい。それで表向きは学生の良心で片づけを手伝っていることにするという考えだろう。その思考を持っている段階で片付ける意思を持っていない。
今日は来客の予定があるから、片づけをしなくていいと言われて学生たちは帰っていく。もう帰られるだろうと思ったら、教授に呼び止められる。
「ちょっといいかの?」
避けられない。
「なんですか?」
優しく答えておけば、面倒なことを押し付けられないだろうという考えがあった。その考えは甘かった。この悪魔には通用するものではなかった。わかっていたはずだ。
「この資料をまとめて、それをレポートにして提出してくれないか?」
出かけた言葉を飲む。あくまでも真面目な学生を演じなくては人間関係が崩れていく。理由を聞くと、君のレポートのレイアウトが好きでねと、的外れな答えに怒りがこみあげてくる。何でこの教授のゼミを選んでしまったのだろうと後悔する。
期限は設定しないと言われたが、やる気など微塵もなくいかにやる気を起こすかが問題になってくるのだ。
研究室を出て後悔を背負いながら帰宅することに後悔していると、幼馴染とすれ違った。
「お疲れ様」
幼馴染が発した言葉に驚き、目を大きく開ける。幼馴染がそんな気使いができる人間だとは……。
×月六日
家を出ると幼馴染の笑顔がいつもより眩しい。眩しさのあまり眩暈を起こす。
一昨日の「お疲れ様」がすごく気になってしまっている。話を聞こうかと思ってはいるが切り出すことができない。幼馴染に話しかけたことが一度もなく、どう切り出したらいいか全くわからないのだ。幼馴染との関係は何とも複雑であり、いつ崩れてもおかしくないのだ。
話しかけることができないチキン野郎は、幼馴染の世間話を初めてちゃんと聞いた。大学の友人とは違う話のチョイス。
そこに生まれる違和感。
幼馴染の違和感
●幼馴染の幼い笑顔
●幼馴染の待ち伏せ
●幼馴染の習慣
●幼馴染の人生観
●幼馴染が所属している学部・ゼミ・サークルが不明
そして、自分との関係
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