Vol.4 自室にて

 まさか、授業開始日から学校を休むとは。…まぁ、体調が優れないからしょうがない。


 さて、休むと決めたら体調が幾分かマシになってきた。できる事をやらねば。きっと学校では「歌い手を始めるには」というような事を説明しているのだろう。ここで差をつけられる訳にはいけない。


特にあの前髪野郎には…。



「はぁーー…」


奴を思い出すと深い深いため息が出た。





「ひとりごとうるせぇよ」


「あ、…ぁあ…」


なんと返せばよいのか、言葉が出ない。謝ったら負けだ。ロックじゃない。



「どうしたー?」


 小さな異常を察した吉本がこちらを伺った。合わせて回りの生徒もこちらをチラリと見る。


「ぃ、いえ…」

前髪野郎が何も言わないのでオレが返事をする羽目に。


「ん?オーケー?じゃあ、私の話はこのぐらいにして…」


 …何とか大きな騒ぎにならず済んだ。畜生、なんで初日からこんな目に…。一瞬、声優タレント学科への編入が頭をよぎった。



「今度はみなさんに自己紹介してもらいます。自分の名前…あ、本名の方ね。歌い手としての名前持ってる人は差し支えなければ教えてね。」


 な、名前?


 そういえば決めていなかった。歌い手を始めるにあたりかなり大事な事を…。時間をかけて考えるべきと判断したオレは、今日のところは無しで乗り切ることにした。


「じゃあ、そっちの端からお願いします。」


教室の奥側の男がゆっくりと立ち上がる。中肉中背、短髪にメガネ。モブ感が凄い。これには負けないと一瞬で悟った。


「ぇと、杉野拓巳すぎのたくみと言います。一応歌い手名は"すたんぷ"です。」


 "一応"の意味がよく分からないが、歌い手名のセンスはまぁまぁだ。記念すべき1人目の発表が終わり、バトンは後ろに座っている小太りの男に渡った。


「自分は中田祐一なかたゆういちと言います。歌い手名は"ソライロペンキ"です。よろしくお願いします。」


 名前と見た目のギャップが凄い。だが、歌い手に顔は関係ないはずだ。そこはイラストが何とか補完してくれる。


「初めまして、城ヶ梨美樹じょうがなしみきです。」


先ほどの萌えボイスの番だ。


「"歌小梅うたこうめ"という名前で活動しています。よろしくお願いします。」


 彼女は自分の発表を終えると、胸に手をそえて「ふぅ」と息をついた。皆なかなかな名前のセンスを持っている。


 その瞬間、俺はある事に気付いた。”皆が歌い手名を持っており、発表をしている。”名前が決まっていないのはオレだけかもしれない。すぐに考えろ!自分を追い込む。


松中剛史まつなかたけし、歌い手名は…」


既に前髪野郎が立ち上がり発表を始めている。ヤバイ!ヤバイぞ。考えるんだ、とびきりロックな奴を!


「"Hell-tz《ヘルツ》"です。」


うわ、かっこいいかも…。やられた感がある。それより、いまは自分の名前を!



「はい、じゃあ次。」


吉本に促され、席を立つ。

…覚悟は決めた。


「えっと、自分は…」


オレは…


オレはこの名前で、もう一つの人生を生きる…。つい5秒ほど前に降りてきた名前。


だが、悪くない!



オレに今、もうひとつタグがつけられる。



「ら、"らうど"…です。」





「えーっと、…本名は?」


席に着こうと腰を下ろし始めたオレに、吉本がストップをかける。


 あ、やばい。本名言うのを忘れていた。他の生徒達の口角が上がっているのが鏡ごしに分かる。萌えボイスにいたっては顔を両手で覆っている。


「あ、すいません。阿部優吾です…。」


「はーい、じゃー次。」



ミスった。ロックなイメージ台無し。

ほんとに声優タレント学科に編入しようかな?





昨日の事を思い出すと、全てがイヤになる…。


「はぁー…。」

再びのため息。



 だめだらうど!こんなんじゃ!今から落ち込んでいてどうするんだ!そう自分に言い聞かせる。オレの歌い手ライフは始まったばかり。



そうだ!考え過ぎは体に毒!今日は思いっきり休もう!



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