◆17:葦原の中つ国

 神社というから物静かな雰囲気を想定していたのに、商店街の北端に位置する川見不神社は、近づくにつれ活気を増して行った。十台近い屋台が出店しており、人々がさまざまな機材や什器を持って右往左往している。親について来たらしい子どもたちが集まってだるまさんが転んだをしていた。翌夜のショーに向けて調理販売のリハーサルなのか、カステラを焼く甘いかおりが周囲にちらばり、女子組が歓声を上げる。


お守りを並べている社務所の屋根が一本の木を迂回するように作られていることに気付く。ガサガサと幾層にも縦に避けた浅黒い木肌へ所々ほつれて黄ばんだ太いしめ縄が巻かれている。杉だろうか。どっしりとした根は苔を履いて地面に食い込んで広がり、幹は大人三人が腕を広げてようやく取り囲めそうなくらい太く、また生きてきた年月を物語るようにぼこぼこと膨らみ、また上空で分かれた枝は雄壮にうねり絡まり合っている。


「これ、うちの学校にもあるよね」と舞夏が上空で広がる葉を見上げながら言った。


網のように広がってちらちらと太陽の光を弾いている。風に揺れる度、爽やかな香りが降り注ぎ猛暑で煮立った血管が落ち着く。


「生えてたっけ?」

「あったよ、校門の脇。立ち入り禁止になってる芝生の奥」

「へえ」

「でもあれは杉じゃなくて、ええと、」


「それは神籬(ひもろぎ)ですよ」


 五人が振り返ると、顔面に逆三角形のひげを、腹部にどっしりと脂肪を蓄えた男性がカジュアルな服装に身をまとって立っていた。ポロシャツにスラックスというかなり砕けた、作業着のような格好だ。


倭はここに屋台を出す人か、地元の商店街の人だろうと見当をつける。中央がよく膨らんだ紡錘形の体格を締支える足元は黒い運動靴だ。


「あっ、竹辻さん。今日はお忙しい中お時間いただいてしまってありがとうございます」


 隣で突然鷹来が腰を九十度曲げたから取り残された四人は信じがたいという面持ちで鷹来と竹辻を見比べた。


「この人神主さんなの?」


 亜樹が口元を覆って倭に確認をとるが、倭だって初めて知ったことだ、肩をすくめて首を振るしかない。いち早く正気に戻った舞夏に腕をつねられて、亜樹と一緒にぎこちなく挨拶した。


 竹辻は落ち着いたにこやかさのある、低い声で語る。


「この杉はこの神社が作られる前からずっとこの土地の信仰の対象でした。神の依り代として、そして常世と現世の垣として、奉られてきました。そうですか。前坂君たちの高校にもこの木が植わっているんですね。そう言えば川見不高校だと言っていたましたね」


「そうっす。榎水です」


「なるほど。都市開発で施設の敷地内に移動した神木がある高校でしたね。そうそう、川見不高校のある辺りとこの神社は深い関係があるんですよ。ほら、地形的にも――」


 境内の奥を振り返り、それから西方、おそらく榎水高校のある方角だ、へ視線を送る。


「いや、これは時間があれば話してあげましょう。ついておいで」



 境内で作業する人の合間を縫って奥へと付いていくと、五人は拝殿の中に通された。


「ここって入っていいところだったのか?」


 倭は疑問を提示して拝殿を内から見渡す。


よく磨きこまれた松の柱に板張りの壁、そして三角形の切り妻屋根を内側から見あげられる吹き抜けの構造だ。柱は朱塗りの一間春日造りで、天井には幾本もの垂木縦横に走り、ぐっと内側へ大胆にたわむ屋根を支えている。正面には大きな神棚があり、その手前には供物代が置かれている。朱塗りの皿や簡素な削り出汁の椀に杯が乗せられ、中には塩や魚、五穀米、そしてどっさりと溢れんばかりの果物。脇にあるのはさっき社務所のそばで見た榊の枝だ。和紙を短冊形に切った物が結びつけられている。これは玉串というのだと、竹辻は説明する。


対して壁には提灯や毎年の夏祭りを額に納めた写真、生きるための智を描いた書等が安価な額に飾られており、夏祭りの時だけ立ち入り可能になるのだろうと見当が付いた。



「ああ、巫女さんとかよく持ってるイメージあります」

 倭は説明を受けてしかつめらしく頷いて見せる。


「きれい。なんだかおごそかな気分になるね」

 倭にすり寄るようにして舞夏が玉串を覗き込む。


しかし倭が気になるのは、さっきからどういうつもりかその舞夏の陰に隠れるようにして縮こまっているスナオだ。舞夏の陰によると必然、倭との距離も近くなる。



「なあ、何か言いたいことでもあるのか」

 小声で尋ねると、スナオは思いっきり手の甲をつねって来た。話しかけるなという意思表示らしいが、その無言の主張はあっさりと時期を逃す。


「おや、君は何度か見たことがあるような気がしますね」

 竹辻が舞夏のそばで不審な動きをするスナオを見とがめて言う。

「そう、ですか?」

 人違いということで済ませたいのがありありとわかる不自然に糊塗された笑顔で、しらばっくれるが、どちらにせよ竹辻には明確に正解と言えるカードが記憶の中になかったらしい。


首をひねって

「神社の前でよく歌をうたっている子に似ているけども、髪型も雰囲気も全然違いますね。あの子がいると神社が明るくなっていいんですよ。たいてい土日にここに来てくれてるみたいです」

 とあごひげを梳かしつつ追求を諦めた。


 こいつ、こんなところで一人路上ミュージシャンをしていたのかと呆れて振り返ると、良いと言われたことが相当うれしいのか、うつむいて隠した顔がにやけそうなむずがゆい表情になっていた。百点を取って褒めて貰った小学生みたいに耳を赤らめている。


なんだこいつ、普通に喜ぶのか。初めて見る表情に驚くと同時、何かがちくりと胸に刺さった。多分これは、嫉妬だ。



「いびっち」

「うん?」

「後で絵馬に願いごと書こ」

「おう。絵馬なんてあった?」

「入ってきた方向と反対の方にあったよ。ここ座って」


 舞夏が倭の袖を引く力には加減のない必死さが宿っていたが、彼はその無言の訴えには気づかなかった。



 学生たち五人がめいめい座布団の上に腰をおろしたのを確認し、竹辻は川見不神社の成り立ちや、それと関連してどのように下の商店が発展したのかを説明したが、教科書をなぞるかのように典型的な門前町あるいは鳥居前町としての成り立ちをしており、おおよそ退屈なものだった。語られる歴史はミリメートルも教科書の域を出ない。


商店街の発展と衰退、東西の都との関係、商品の流通ルート、近代から現代における商店街の不遇などなど、時系列に沿って話が進む。興味を持って訪れた子どもたちに聞かせるためちゃんとワントピックずつ簡潔に内容がまとめられ、理解のしやすい構成になっていたが、逆にその竹辻の好意が倭の思考する努力を奪う。睡眠不足がたたっている彼は申し訳ないと思いつつも、あくびを噛み殺しながらメモをとるふりをしていた。



「まあ、これはみんな知っていることだろうから少しつまらなかったかも知れませんね。しかし、この川見不神社は少し独特な土地の関わり方をしています。ここで質問ですが、川見不神社では何を奉っているか分かりますか? 土地神はどの神様かわかりますか」


 竹辻は神棚を見遣りつつ問う。


「前者はアラハバキ神で、後者は天照大神です」


 誰からも答えが出る気配がないことを感知して彼は早々に言葉を繋ぐ。


「アラハバキ神はそれほどメジャーな神様ではないのでみんな知らないかも知れません。謎の多い神様ですが非常に昔から崇められて来た神様なんですよ。アラハバキの姿や由来には諸説ありまして、この商店の中でもアラハバキ神の事を代々マロウド神――客人神ですねと呼ばれる方もいらっしゃいます。製鉄の神様だとしたり、布の神様だとしたり蛇神だとする地方もあるようです。この神社では主に足腰の神様や、外界の邪なるものから内を守る境界神としての役割を求められることが多い神様です。この境界は今私達がいる拝殿や本殿、社務所のある"目に見える神社としての場"だけではなく、山の東西南の斜面に沿って張り巡らされています」


 地図があればわかりやすいのですが、と言う竹辻の説明を聞きながら、倭は上水八杜を中心とした地形について考える。


この町の地形は、京都盆地にも例えられる内陸盆地で、山の字を書いて考えると分かり易い。山の一が北側、開けている方が南側である。今居る上水八社があるのが中央で一番長く伸びる山脈の麓である。この山脈はあまり標高は高くないが、周囲を取り囲む東西北の山脈はおおかた標高八百メートルを超える。西山の麓に川見不高校があり、東山の麓にこの前高来達といった女子大がある。南は比較的なだらかで周辺都市部へ繋がる交通が発達した地域となっていた。



「あ、オレ地図持ってますよ」


 前坂はワンショルダーバッグの中から、市役所で入手した地図を取り出す。折りたたまれた縮尺の大きい地図と小さい地図数種類から一つを選び、広げて見せた。


「ほお」


 感心したように竹辻は顎鬚を撫で、「アラハバキ神の守る境界は、このぐるりですね」と地図を取り囲む山の中腹よりやや低い位置を指でたどる。等高線を追いかけているらしく、同じ高さの個所を探すと川見不高校と件の女子大学が該当することが分かった。


「もしかして、俺たちの高校とこの女子大も境界なのか?」


 ぽつりと漏らした独り言を拾って竹辻は「よく気付きましたね」と面白そうに大きく頷いた。


「そうです。そこがおおよそ境界の端になります。以前は野辺に小さな祠がありわかりやすい道祖神という感じでしたが、今は高校と大学が近くに立って周囲も整備されてしまったので、知らない人も多いでしょう。取り壊したり撤去したりするものではありませんので、高校と大学の近くを探してみればまだなにがしかの形で残っているはずです。神木が校内に生えているとさっき言われましたが、そうなると、あなたたちの校内に道祖神は奉られているかもしれませんね」


「そうなんだー」

 舞夏と亜紀が感心の声を上げ、

「なんかかっこいいな。こんな広い空間を使って結界を張るなんて」

 前坂はしきりとかっこいいとつぶやく。


 竹辻はそんな子どもたちに対し苦笑いを浮かべて、説明を続ける。


「今より科学の発達していなかった時代ですから、アニミズム、自然信仰や呪術的な部分も生活の大きな一部だったのだと思いますよ。今では科学的に証明されることも昔は神や妖怪変化の仕業とされ恐れられたり、あがめられたりしていました。


ところでみなさん、毎年お盆の翌日に京都で行われる五山の送り火は知っていますよね。これは仏教色の強い行事ですが、その起源を探ってみるとけっして神道と無関係の物ではありません。そもそもこの五山の送り火も存外由来が謎に包まれているものでもありますね。昔は山奥を黄泉の国とする風習があったため、山奥に死者の霊を送るための道しるべとして始まった行事ともされています。


川見不は客人神ですので外界からの悪いものから内を守るためにある神社ですね。黄泉の国からこちらの世界、我々がいるのは葦原中国と呼ばれる世界ですが、この葦原中国の境になるのがこの一帯の山々になるとされています」



 聞き入る学生たちを前にちらりと腕時計で時間を確認した後、竹辻は、ですが、と秘密を共有する者の笑みを細めた目尻に滲ませる。


「私は山の向こうにあるのは黄泉の国ではなく神々の住まう高天原ではないかと思っています」


 前坂が手を上げる。

「どうしてですか?」


「そもそも民間伝承や宗教行事といったものは太古よりあるものです。文字のない頃は口頭で全ての行事や物語、決まり事などを伝承していたことでしょう。山の向こうにあるものが何であるのか。あの山の向こうから来て帰って行くものは何者であるのか。全ては長い時代を経て行われた伝言ゲームの内に葬られ、真実が何であったのかはわかりません。


ですが、先ほど申しました土地神としての天照大神が統治されていらっしゃるのが、高天原です。だから、境界の向こうには山の中には今でも天照大神のための依り代としてたくさん神籬や岩境が点在しています。大昔から禁足地とされていますから、もうほとんど自然に還ってしまっているでしょう。なにより私は、神主として、この川見不神社に訪れるものは良い神様であればと願っています」


 倭はほとんど何もメモを取っていないノートを閉じて竹辻を見上げる。


「願っているから、そうだと思うのですか?」


「そうです。人々が昔より願ってきたから川見不神社もここにあるのです。あなたは、願うことが現実を変えて行く力になると思いませんか?」


 倭は思わず竹辻をねめつけ鼻をひくつかせた。何とか前歯を剥き出しにせずに耐えられたが、そうでもしなければかなり大きな音で舌打ちをしていただろう。下手くそな咳払いをして誤魔化す。竹辻の意見に、倭は到底同意出来ない。



「他に、質問はありませんか?」


「はい」


 肘を曲げて手を上げた舞夏を竹辻は呼ぶ。



「入川さん」

「天照大神って何の神様ですか?」

「面白い質問をしますね」

 竹辻は柔らかく相好を崩す。

「天照大神は日本書紀や古事記を参照しますと豊饒の神様、身体や死体から食物を生む農耕の神、地母神としての側面を持っていると記されています」


「地母神はイザナギじゃないんですか?」

 亜樹が負けじと突っ込んだ。

「イザナギは国や神を生む大地母神としての側面が強いのですよ。豊かさの神としてはやはり、天照大神となるでしょう」

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