◆13:終業式の後

 秀英の安否を確認することが出来たのは、終業式の後だった。


 半田が秀英の家に電話を掛けた所、叔母と名乗る女性が出て朝から熱中症で医者に掛かっていたそうだ。一時嘔吐と体力の低下で立ち上がることすらままならなかったらしい。叔母は大事を取って今は自室で寝かせているのだと事情を説明し、最後に浅岡秀英本人と交代した。



「先生、ずるい! 浅岡君が休みだって知ってたんならどうして言ってくれなかったんですか?」


 電話越しに秀英のまあまあ元気そうな声を聞いて安堵した萌々が噛み付いていたが、あの下手につつけば蛇どころか大蛇が出そうな空間で半田も情報開示をする気にはなれなかったのだろうと倭は想像する。黒板の犯罪予告は半田にとって、初めて知った事態だ、把握するのにも時間がかかるし、時系列的に考えて、消えた人影が浅岡秀英でないとは言い切れない。現状を確かめねば手が打てなかったのだ。


 前坂も終業式を済ませて皆がゾロゾロと教室に帰還した時には既に席に座っていて、机に伏せる姿勢で新聞を読んでいた。何とものん気な彼の姿に倭は拍子抜けする。近寄って「秀英は?」と尋ねると、「いたいた。普通に風邪だって。今朝熱中症ってメール貰ってたけど、まさかと思ったよ。まさかだったけどな」


 廊下からはまだぎゃあぎゃあ半田を責める萌々の声が近付いて来ていて、彼は前坂に「風邪って知ってたなんて言ったら殺されるぞ」と耳打ちする。


「それはヤバイ」


 新聞を乱暴にまるめ鞄へ突っ込み、前坂はにやける。


「前坂君!」


 教室の扉をくぐった萌々は彼を見つけるとリノリウムの床を踏み鳴らして近寄ってきた。まるでサイが角を振り回して突進してくるような勢いに押され、倭は一歩退く。


「前坂君、知ってたでしょ!」

「どうしてそう思うのかなあ」


 胸倉につかみかかられているのに彼はにやにやとした顔を崩さない。


「私が浅岡君がいないって言ったとき、教室を確かめなかったよね。知ってたなら確かめる必要もないもんね」

「わあ、動転してそうだったのにすごい洞察力」

「なんで嬉しそうなのよ、真剣に考えてるの? どれだけ心配したか怖かったか! ちょっと、聞いてるの?」

「わかってるって。ゴメンって」


 前坂が胸倉を引かれるまましゃがみ込むと、萌々も床にへたり込んでしまった。


「お前マジB級グルメ」


 彼女に謝る彼の机に両腕をついて倭は言う。顔がにやついて仕方ない彼の心理はわからなかったが、さっきまでの切羽詰まった様子が瓦解して落ち着いているのは良いことだ。


「伊比君、B級ってどういう意味?」


 ギロリと萌々が蛇の目で倭を睨んだ。さっきまでさんざん精神をひっかきまわされた反動か、やたらと攻撃的になっている。


「おお、怖」

 と言い残して倭はその場を離れた。



 消えた人影が誰だったのか、黒板に書き連ねられたメッセージの意味は何なのか。浅岡秀英の安否が確認でき橋本萌々の怒りが爆発し学期最終日という変則カリキュラムの混乱の中でそれらの疑問は最重要案件から下ろされ、皆の口にも上らなくなった。


 これからクラスという輪の外で個人として過ごさなくてはならない夏休み。


 胸の内にこの事件は荷が重すぎた。煩わしいことにはノータッチで射られればそれに越したことはないのだ。夏休みへの期待と、成績への怨嗟と、こなさなくてはならない大掃除の退屈さに高校生達の移り気な心はさらわれて、事件はうやむやにされたまま夏休みが始まる。





 視界に赤いものが広がった。バリバリとたわんで音が鳴る。


「これどうかなー」


 赤いセロハンの向こうからひょっこりと舞夏が顔を出した。


「使い道なさそう」


 ダメ出しをしつつ、倭は文房具が並んだ棚の最下段に収納されている青いセロハンを引きずり出す。色を変えてみても有効利用の方法は思いつかなかった。


 彼らが持つカゴの中には画用紙や色紙、マーカー、クレヨン、セロハンテープなどの文房具がどっさり入っている。かわいいもので揃えたいらしい舞夏のせいで文具選びは予想外の迷走を見せていた。柄付きのメンディングテープや動物型のクリップなど倭なら余計と感じるものが半分以上混じっている。



 ふたりは買出し班としての使命を全うすべく家電量販店に来ていた。効き過ぎなのではと思えるほど強力な空調設備と、意識を向ければ聞こえる程度のBGM。ワンフロア全てを活用した文房具コーナーにはカラフルで目新しい文具がずらりと並び、細々したものが好きな女子らしく舞夏は目を輝かせた。


 倭は彼女が選ぶ文具の書き味や使いやすさ、有用性が気になったが、次から次へとカゴに放り込む作戦を実行する彼女を前に早々白旗を上げ悩むことをやめた。舞夏に任せておけば勝手に必要なものは揃うだろう。レジに行く前に検閲をかけて不要物はふるい落とせば良い。



「市役所、前坂君だけで行ってくれてるんだよね。亜紀にも行くよう頼めば良かったかな」


 あ、これかわいー、と使い勝手の悪そうなA5ノートをカゴに入れる。既にウィンドウショッピング気分だ。


「あいつだけで十分だろ」

「しっかりしてるしね。でも、亜紀について行ってもらえば良かったかな。なんだか悪い気がする」

「どうだろ」


 彼は首をかしげ売り場を見渡した。どうやら買うべきものはほとんどカゴに入ってしまったようだ。


「浅岡君熱中症なんでしょ?」

「あれだけきっちりシャツ着てたら誰だってぶっ倒れるんじゃねぇの? 汗かかないのが変なんだよ」

「大丈夫かな」

「医者には行くらしいけど、大丈夫だといいな」

「近原さんも、今日お休みだったじゃない?」

「ああ」


 それでも明日以降の夏休み課題スケジュールが変更にならないのは、既に神水八社の神主にアポイントメントをとってしまったこと、スナオの怪我の回復を待っていたらかなりスケジュールが後倒しになってしまうだろうことが大きい。


 前坂は昨日保健室でスナオを目撃しているのもあり、怪我の状態も知っている。参加の是非は彼女の意思次第だと思っているのだろう。メンバーがメンバーであるだけに、スナオの参加は実際怪我よりも気持ちのほうが障害として大きい。



「なんか、小学校出された夏休みの宿題思い出すな」


 舞夏から取り上げたカゴの中身を分別しつつ倭は回想する。


「そうだね。夏休みの宿題にもこういうのあったよね。自由研究でしょ?」

「そう」


 分別したノートが再びカゴに戻されたが、倭は折れずに再度分別する。


「ちょっと待ってちょっと待って。それ、私買うから入れておいて」

「了解」

「それでね、自由研究ーって言って無理やり水族館連れて行ってもらったり」

「どうだった?」

「きれいだったよ。魚がいっぱいで、きらきらしてて。でも、ラッコとかペンギンのほうがかわいかったかな。親子連れだけじゃなくてカップルもいていいなあって思っちゃった」

「小学生だったんだろ?」

「そうだよ」


 目も口もU字にした顔が倭を下方から覗き込んだ。にこにこという擬音が聞こえてきそうな舞夏の顔はじっと倭にフォーカスオンしたまま離れない。


「はいはい、今度な。今度行こうな」


 甘ったるい砂利を噛むような感覚が奥歯に残ったが、「やったー」と舞夏が小さめのハイタッチを求めてきたので深く考えないことにした。倭は別に彼女が嫌いなわけではないし、むしろ好き嫌いのはっきりした性格に好感を抱いているから、彼女が楽しそうであれば嬉しいことに変わりはない。



「いびっちは何か無いの?」

「何って?」

「自由研究の思い出」


 彼は問われて、顎に親指を添えて考え、少し息を吸って答えた。


「あるよ」

「どんな?」

「自殺」

「自殺?」


 舞夏は目に見えて引いた態度をとった。しゃがんでいた姿勢からわざわざ半分立ち上がって一歩背後へ下がる。


「くらっ。小学生でそんなこと考えてたの?」

「うーん、なんていうかな、そういう環境だったんだよ」


 彼はカゴに腕をかけて当時のことを思い返した。自分の肉体と精神の、他者への優位性について尽きず直面し飽かず考えさせられていた頃。


「双子ってわかるか?」

「わかるよ、双子でしょ。顔とか背格好とか考え方とかそっくりってよく言うよね。不思議だよね。いびっちって双子なの?」

「うん、双子で片割れの名前は世界」

「どんな子?」

「外見は同じなのに、俺よりかっこよくてはるかにパーフェクトな奴だよ。俺は双子の兄として形無し」

「そうなの? 弟さんに会ったら好きになっちゃうかも」


 倭は自分の表情をうかがう舞夏の視線に気付かず、長い前髪の下にある目をやや丸くした。浅く噴き出して「有り得る」と肯定する。



「有り得ない」



 きっぱりとした声を出して、彼女はカゴの縁を叩き起立する。当然のように自分を劣等腫として扱う彼の態度が悔しかった。そのままレジへ数歩向かい、くるりとスカートを回転させる。


「ねえ、お昼にしよ。私美味しいクロワッサンが食べたい」

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