第20話 答えの先に

 洋介達の声が聞こえなくなりここにいる理由はもうないのだが、なんとなく下に降りづらいものを感じていつもの部室で体を休めていた。


 窓の外を見ながら、机に肘を乗せて頬ずえを付く。

 体がダルい。

 まるで長時間労働のあとにサビ残を強いられたようなダルさ。実際はサビ残などしたことないのだが、世で働く人達の気持が少しわかった気がする。

 思い通りに事を運び、成果を出すって難しい。

 なんか思いがけず将来役に立つか立たないかわからない無駄知識が増えてしまった。別にそれが知りたくて依頼を受けたわけじゃないんだけどなあ…


 窓の外を眺めながら、俄然ぼうーとしいると、廊下から誰かが歩く音が聞こえてきて、部室の前で止まる。

 どうやら、ここに用があるみたい。

 というより私にか。


「…こんな所にい」「連絡するまで下にいてって言わなかった?」


 ここに来る時点で、誰かわかっていたので被せるように声をかける。今思えば、ちょっとした八つ当たりに近かったかもしれない。


「…もう終わったんだから問題ないだろ」


 嫌味で先制でも考えていたのか、出鼻をくじかれ半睨みでこちらを見据えると、何事もなかったかのようにいつもの席へと座る。

 整った顔立ちに、ちょっとキツめの表情。涼だ。


「結局どうなったんだ?傍から盗み見る分には、洋介に別れるつもりがないのは良くわかった。罵詈雑言で罵る女を全力で助けてたからな。———でだ。わからないのは一体何があってそんな風になったかなんだが……」


 頬杖を付きながら目だけを動かして涼を見る。

 適当な感じで聞く気なら、こちらも適当に流そうかとも考えたのだが、そんな思いは無駄骨に終わった。なぜなら、真剣な眼差しがこちらを向いていたから。


 私は、仕方がないともう何度目かの溜息混じりに、

「……簡単に言うとね、見誤っていたのよ…私も、あなたも……もっと言えば篠田さんもね」

「見誤っていた…だと?」

「そう。私は表面しか見ていない洋介君だからこそ、篠田真澄の本性を知れば、利用されてるって知れば、さすがに嫌いになって別れると思ってた。彼が思い描いていた理想像とはかけ離れているから尚更にね。でも———彼は違ったの。私達が思ってるより何倍も彼女のことしか見てなかったのよ」

「……彼女の裏表を見抜いていたということか?」

「ううん、そこまではわからないけど……多分わかってないと思う。ただ、わかったのは良くも悪くも篠田真澄のことしか見えてないということ。洋介くんにとって彼女が見せた姿は、裏でも表でもなんでもないの。関係ないのよ。だって洋介くんはだから。裏切られるとか理想とか……そんなのはなから関係なかったの。言ってしまえばそれも、篠田真澄本人なのだから。……まあ、ようするにそのへんをね……私達は大きく見誤ってたってわけ」


 当初、変われと言われた私は、自ら変わろうとする洋介を見て、自分と彼を重ねて見ていた。

 でも、彼は理想と違い裏切られても利用されても全然気にしていなかった。いや…正確には、それすらも受け止めてしまっていた。

 それこそ変わらない真っ直ぐな気持ちで。


 「私には、理解できないけどね……」


 理由を聞いても理解しかねる彼の答え。

 根本から違いすぎて、理解どころか重ねることさえ憚られる。


「………」


 最後まで聞いた涼は、大きなリアクションも無く何も口にしない。

 それでも、口に出すか出さないべきかを悩んでいるのは直ぐに見てわかった。


「……なにか思うところがあるんでしょ?」


 涼が眉根を潜める。

 なぜわかったって言いたいんでしょうけど、そんなの簡単。超能力でもなんでもなく、私自身もその事実に思うところがあるからだ。


「多分だけど…別段悪くない関係だな、って思ってるんでしょ?」

「……ああ」


 それは彼の、洋介の行動の強さを間近で見て感じたことだった。

 もちろんのこと、それは結果論であって見抜けなかった私達が手放しで喜べることではない。だからこそ、涼は口に出すのを迷い、肯定も躊躇ったのだろう。


 だが、事実は事実としてしか見ることは出来ない。


 洋介は、好きな人の表も裏も、良い所も悪い所もすべてを受け入れる。篠田真澄の事なら彼はどんなことでも受け止めてしまう。

 その思い続けてくれる気持ちは純粋で、いつだって新鮮味に溢れてるはずだ。

 追いかけて、追いかけて、彼女は嫌がるかもしれないが付き合う以上、どちらかが追いかけなければ恋は始まらない。


 そんな彼らはまさに、理想の体現と言えるのではないだろうか。


「結果論ではあるけど、ここが良い感じの落としどころかもね」


 現状、二人の様子はわからない。だが、これ以上の介入は出来ないし、仮にしても野暮以外の何物でもないだろう。

 彼女の本性を知っても受け入れる洋介の心には、もうなにもかも邪魔でしかないのだから。


 ここから先は、二人の問題。

 利用されるのか、はたまた本物になるのか…それは、私にはわからない。ただ———以前とは違う、新しい関係がスタートしたのは間違いないだろう。


「しかし…存外というか意外というか…案外あっけない幕切れではあったけどな」

「そう?私としては納得できない部分はもちろんあるけど、それでも結果的に落ち着いて良かったけどなあ…」


 座りながら、ぐうっと体を伸ばす。

 話したからなのか、終わった実感が強くなりさっきまでの疲れがどっと押し寄せてくる。伸びぐらいしないと、うたた寝してしまいそうだった。


「落ち着いたとは言っても、残念ながら及第点だけどな」


 私は、腕前交差のストレッチに切り替えながら、

「ホンット、何様なわけ?いい加減挑発止めてくれる?今日は言い合いする気力ないんだけど…」

「僕だってするつもりはないさ。ただ…これで終わりと言うなら最後に聞いておきたいことがある」

「相変わらず回りくどい…なに、聞きたいことって?」


 疲れきっていたので顔も見ずに適当に先を促す。ぶっちゃけ興味ないし。


「興味ないといっても君のことなんだが……まあいい。実はな、君が入った直後に大澤先生から君のことを少しだけ聞いていたんだ。なにやら仮入部する際、今のままの君で解決できるならやってみろ的なことを言われたそうじゃないか」

「そうだけど……それがどうしたのよ?」 


 進路希望調査で呼び出された日のことだろう。一ヶ月も経っていないのに大分昔のように感じる。 


「聞きたいのはそこだ。実際どうだった、やってみて?」

「感想ってこと……?」

「感想……そうだな。それでもいいが、君が感じたことならなんでもいい」

「なんでもいいって言われても……んー……ん?アレ?ちょっと待って…」


 なんでもいいが一番困る聞き方なのだが、考えてる内に違うことに勘付いてしまい一旦思考を止める。

 先生から話を聞いたって言ってたけど、それって洋介が来る前に事情を知ってたってことだよね……


「…ねえ、まさかとは思うけど、それで一人でやれみたいなこと言ったの?」

「…………」


 涼はおもむろにメガネを外すと、裾でメガネを拭く。

 なにかを考えてるようで、その実、なにも考えていないような答えがすぐに返ってきた。


「……珍しく気づくのが遅かったな」

「なにその間!!?ってゆうかなんで始めっから教えてくれなかったの!?アレめちゃくちゃ腹立ったんだから!!それと、関係ないけど毎回メガネ外すの止めて!!」


 激高する私をよそに、涼はめんどくさいなあというような顔をすると、訝しむような目つきで、

「いや、言わないだろ普通……もし言ったら君は“今の自分”とやらを無駄に意識してたと思うし、なにより先生になるべく手を貸すなと言われていたからな」

「……あのエセ教師め…」


 胡散臭い胡散臭いとは思ってはいたが、ここまで人を小馬鹿にしたようなことをしてくれるとは……今度、学食奢らせてやる。


「ほどほどにな。で———どうだったんだ?まだ、答えてもらってないんだが?」

「わかってるって。どうせ、それも聞いてこいって言われてるんでしょ……」


 私としては思うところもあっての入部ではあったが、先生側からしたらそんなことは知らない上に、変化というのが課題だった。話の流れからいって、先生から頼まれたのは明白だ。


「なければ無いでいいんだが……そういうからには、思うところがあったのか?」

「…………うん」


 先生が求めたのは変化。単刀直入に言って今の私を変えて欲しいと。だが、涼にどこまで話ているのかは知らないが、どうやらその答えに行き着くのは難しい。

 なぜなら、私がこの依頼で得たものは原点回帰ともいうべきもの。根本をなすべきものだったから。


「…まあそうね……あったといえばあったかな……実際やってみて感じた…というよりもって言った方が正確なんだろうけど。思い出して…痛感したっていうかさ……」

「思い出した?なんのことだ」


 涼が首をひねる。わからないのは当然だった。


「昔の話よ。私……昔はスッゴイ明るい子だったの、今では考えられないくらいにさ…でね、いろいろあって今の性格になっちゃったんだけど、その時にもう気づいていたはずなんだ……人は思い通りにならない、勘違いして期待しちゃいけないって……。それを今回のことで思い出して、思い知らされたの」


 篠田真澄はもちろん洋介すらも見抜けていなかった。なんとかなると思っていたのは洋介だけではなく、私も一緒だったのだ。一つですら思い通りに事をはこぶことなど出来なかったのに。


 勘違いしていたのだろう。相手に———そして、なにより自分自身に。思い通りにいかないことなど、とっくにわかっていたはずなのに。


「それが、君の得たものなのか?」

「うん…そう……かな。だけど……」


 わかっていたはず。思い知っていたはず。それを今回思い出した。


「………………」

「……洋介のことか?」


 そう———それだけのはずなのに言い切るのに躊躇ったのは、無視できない見なかったことになど出来はしない結果も同時に見せられたからだった。


「……うん。さっきも言ったけど理解したわけじゃないよ。でも……」


 いってしまえば、洋介は真逆だった。

 期待して、信用して、真っ直ぐ意思を貫いた。

 それはわたしとは真逆の考え。私には到底理解出来ないもの。

 私が出した答えとは真逆の答えを目の前で見せられても、理解出来るはずがない。納得出来るはずがない。ましてや、それを全肯定して変わることなんて……。


 しかし、あんな結果を見せられては無視出来ないのも、また事実。だからこそ言い切るのを躊躇った。


「……ごめん、やっぱり私にはわかんないや。目の前で結果は見たけど…でも、私が納得出来なきゃ得たものとは言わないでしょ?自分自身のことなんだからさ……」


 理解出来ない、納得出来ない。こんなのばかりで嫌になるが、これが私自身だからしょうがない。本当にめんどくさい性格だ。


「……そうだな」


 それだけ言って、涼はその後、なにも言い出しはしなかった。聞くことがなくなったというよりも、空気を読んでくれたみたいに感じる。

 こちらとしても昔の話を根掘り葉掘り聞かれるのは抵抗があるし、その気遣いは素直に嬉しいので、その好意に甘えさてもらおう。嫌な奴と思っていたけど、それもあのエセ教師が原因だったみたいだし、案外良い奴なのかもしれない。

 

 しばし無言のあと、涼がゆっくりと腰を上げる。


「帰るの?」

「ああ。だが、その前に依頼が終了したことを先生に伝えに行ってくる。これも僕の仕事だからな」

「そう」

「そういえば、洋介から連絡はあったのか?なにもないならそれでいいが、一応なにかあれば依頼が終了したことと一緒に報告に行ってこようと思ったんだが」


 カバンを掴んで帰り仕度をしながら聞いてくるあたり、本当に一応なのだろう。私にとって、その件は一応ではないんだが…そういえば言ってなかった。


「そのことなんだけど…実は篠田さんのことで洋介君と喧嘩みたいになっちゃって……」


 みたいではなく、完全に喧嘩になっていたのだが、思い出したくないのと聞かれたくないのが同時進行して曖昧な表現になる。

 気まずいし、明日学校休もうかな。


「なにを馬鹿なことを言っとるんだ。なにがあったか知らんが、直ぐ元通りになるさ」

「なにを根拠にそんなことを……」

「あの時、助けたいと思った気持ちは偽物じゃないんだろ?『偽りはないよ。キリッ』みたいな感じで言ってたじゃないか。その言葉をだけだ」

 「っっんな!///」


 以前に口走ってしまった言葉を真似され、顔が熱くなっていく。

 少し弱みを見せたらこれである。人知れず嫌な奴から普通ぐらいには評価していたのに残念ですね。今日でまた格下げです。


「言ってろ。帰らないなら鍵はちゃんと返しておいてくれよ」


 部室から去ろうとする涼に、はいはい、と手の平をひらひらさせ答える。

 一緒に出た方が面倒くさくないのは百も承知だが、今はまだここから動く気にはなれなかった。


「じゃあ、俺は先に帰るとするよ……と、最後にすまん。一つだけ聞き忘れたことがあるんだが…」

「もうまたあ?忘れすぎでしょ、今度はなに?」


 不機嫌な態度をお首も隠すことなどせず答えたのだが、涼は特に気にしていないのか扉に手を掛けたままこちらを見ようとはせずに、そのまま続けた。


「覚えてるかどうか知らんが、一応君の立場は仮入部ということになっている。もし正式に入部するならだが……先生の所に行くついでだ、伝えてこようと思ってな」

「ああ……確かに言われてみればそんなこと言ってた気がする…」


 その返答に、半ば呆れているのが後ろからでも見て取れる。その態度がちょっと腹立つけど自分が悪いからしょうがない。


 確か、うろ覚えだけど、お試しという形で仮入部にしたんだっけ。

 どういうことをするかもわからなかったし、いきなり推薦の話を持ち出されて思考が鈍っていたのもあるかもしれない。

 ただ、鈍っていても“仮入部”という逃げやすい道に収まっているのは、さすが私、自分に感心する。まあちょっぴり情けないとも思うけど…


でも、そっか。


今の私って、もうここにいる理由ないんだ。



「どうするんだ?二択なんだから迷うほどの事でもないだろ、早く答えないか」


 相変わらず、こちらに背を向けたまま答えを迫ってくる。

背中越しだから確信は持てないが、なんだか若干焦っているようにも見えた。


「………うーん……」


 もしそうなら、待たせるのも悪いので、私は早速入部するか否かについて思考を巡らせることにした。




 —————といっても、答えは決まってるんだけどね。



 変われと言われたこと。逃げるなと言われたこと。

 依頼を通じて、私が出した答えが正解だったのか間違いだったのか————それがわかるかもと思ったが、結局、私には答えどころか余計にわからなくなった。


 昔の自分と今の自分。

 比べることなど出来はしないが、それでもどちらが正しいのかは知ることが出来るはず。


 そして、もしかしたら…別の答えも。

 その答え次第では、変わることも、変わらないこともあるかもしれない。


 いまだ旅の途中で———

 まだ、問題は山済みなのだ。


 ————なら


 ————もう答えはわかるでしょ?



「明日もいつも通りで良い、涼?」

その問いに、涼はどこか安堵したような声色で、

「ああ、それでかまわない」

そう言って、後ろ手に扉を閉めるのだった。


                                          

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