第一章

第1話 もう、帰って来なくていいです。

四月下旬。


入学式から約一ヶ月が経とうとしている今日この頃。

このぐらいの時期になると新入生達も、“新”というレッテルが剥がれ落ちて、クラスや部活でもそれなりのポジションを形成し始める。先生との関係や先輩との立ち位置、果てはクラスの中でのカーストだったりと…大変多忙な毎日を過ごしてきたことだろう。私にも経験があるから良くわかる。ウソつけと思うかもしれないが、本当だ。この時はまだ良く話しかけられていたから、それをやんわり断るので大変だった。…呆れているかもしれないが、面倒臭いからしょうがない。


しかし、そんな大変な毎日を予想して出来たのか、はたまた何かの陰謀なのかわからないが、四月下旬といえば学生のみならず社会人までも浮き足立ってしまうイベントみたいなものがある。


そう―――ゴールデンウィークだ。


年に一度、誰もが待ちどうしくなる長期休暇。

その使い道は様々で家族旅行に行ったり友人と買い物したり、恋人とのデートだったり。例え意味の無いことだと分かっていても、十人十色の妄想を働かせるだけで楽しくなる。ここまでの疲れもそれだけで吹っ飛ぶというものだ。浮き足立つのも無理はない。



そんな―――誰もが待ち望むゴールデンウィークを前にして、学校全体に騒がしい雰囲気が戻りつつある今日。私は部活を終え、閑散とした放課後の職員室へと出向いていた。



「やってくれましたね…」

「やってくれたって…そんな大袈裟な……」


 近くの先生の椅子を借りて座り、呼び出した張本人と対面同士。言い訳をしつつも、バツの悪さからあさっての方向を向いてやり過ごす。

 いつもニコニコ、作り笑いが完璧な、このなんちゃって教師――大沢に私は例のごとく呼び出されて、ここまで出向いたのだ。


「大袈裟じゃありませんよ…涼君からすべて聞きました。どうしてあんなやり方を選んだんですか…?もう本っ当に疲れたんですからね……」

「……………」



肩を落とす大澤。

また嫌味を言われる――と、そんなことを思いながら職員室に足を運んだのだが、今日に限っては違ったみたいで本気で頭を抱えているようだった。口の端が電流を流されたみたいにヒクヒクしている。やだ、気持ち悪い。



「大変だったみたいですね」

「他人事のように言ってますけど、あなた当事者ですからね!!?」

「唾飛ばさないでよ…。わかってますから…私も、そのことは涼から話し聞きましたし」

 

 

あの後―――篠田真澄は洋介に連れられて保健室へと駆け込んだらしい。

幸い…というか当然、怪我等はなかったのだが、問題はそこでは無く、安全を考慮した上での打撃練習で生徒を危険に晒させたというのが問題となった。その結果、この問題は直ぐに職員会議の議題に取り上げられ、早急な改善が成されたのだ。篠田真澄が危険に晒された事を例とし“もしも”があってはならないということで、学校での打撃練習は禁止となった。まあ、実際のところ校舎に打つなど見た目も悪いし時間の問題だったとも思うが、これからは近くのグラウンドを借りてやるらしい。お金が掛かってしまいそうだが、学校側からしたら安全には代えられないのだろう。


「“だろう”じゃないですよ。頭涌いてるんですか?」

「私も責任の一端があったのは認めますけど…どうしたんですか?今日に限って対応が冷た過ぎじゃないですか?」


湧いてるって…人をウジ虫みたいに……。


「気のせいです。気のせいですけど、如月さんがやらかしてくれた後に、職員会議があったんですけど……」

「知ってますって。なんですか、怒られたんですか?」

「いえ…それは大丈夫だったんですが、理事長が『鍵を閉めた犯人を探しだせ!』と言うんで内心冷や汗ものでした…」

「ああー…ハハッ……なるほど…」


 その時の緊張感を思い出したのか、大沢は細くシックなメガネを外すと、額の汗を拭った。

 自ら命令しておいてなんだが、涼の顔を思い浮かべると心中察する思いだった。“人助け”を謳っている部活で女性一人を危険な目に合わせたのだ。バレたら私も推薦どころの話じゃないし、その顧問となっては、目も当てられない事態になっていただろう。遅ればせながら、申し訳なくなってくる。篠田真澄も悪いとはいえ、ちょっとやりすぎた。


「ご迷惑おかけしました…すいません」

「……まあ、変にけし掛けた私も悪いですし責めるのは私の趣味じゃありませんので、今回のことは大目に見ます」

「……怒らないんですか?」

「もちろん庇護は出来ませんけど…実は涼君から彼女の話も聞いてるんです。それを考えると、多少の荒事はしょうがなかったかもって思いますしね…」

「まあ…はい……。そうですね…?」


篠田真澄が洋介を利用しようとしていた話でも聞いたのだろうか、やけにあっさりとした物分りの良さに、つい首を傾げてしまう。もっと別のやり方があったんじゃないかといったようなキツイ説教を食らうと思っていただけに、拍子抜けした感じ。なーんだ身構えて損した。説教無しならもう帰って良いですよね?お疲れ様でした。


「まだ話しは終わりじゃありませんよ、如月さん」

「……チッ」


これ幸いと帰ろうとするところを手で抑えられ、寸での差で遮られる。


大沢は私を再度座らせると、咳払いをし、二ヤッと嫌な笑みを浮かべて聞いてきた。


「なんだか知りませんが、洋介くんとケンカしたそうですね?」

「待って下さい!なんで、そんなことまで知ってるんですか!?」


言った覚えはないし言うつもりもなかった出来事に思わず憤慨して聞き返す。まさか、見てたということもないだろう。


「涼君から聞きました」

「またアイツか……!」


小刻みに震えながら拳を握る。仕事だから仕方ないとは言え余計なことを…別に言わなくても差し支えないでしょうが。馬鹿正直過ぎる。


「で、如月さん。本当なんですか?」

「……………」


コイツはコイツで、よくそんなサラッと聞けるなーと、私が少しの間、黙って不服を訴えていると、大沢が頭に?マークをつけて確認してくる。


「アレ?違ったんですか?」


 違わない、違わないけどさ。元々そういう期待は先生にはしてませんし。


「いえ、そうじゃないです。相変わらず性格悪いなって改めて思っただけです」


先生じゃなかったら張っ倒してるところであるが、それが出来ないから非常にもどかしい。ある意味パワハラなんじゃなかろうか。


「言ってくれますね、如月さん。私がそんな意地汚く見えますか?」

「見えます」


顔ニッコニコじゃん。どう見ても楽しんでるし、この顔をされて今までに気分が良かった試しは一度もない。


「それこそ大袈裟ですよ、私はただ、どうなったかを聞いているだけなんですから」

「そうやって簡単に言ってくれますけどね……」


私は視線を泳がせると、忘れた記憶を思い出すように後頭部を撫でた。答える物があったかなと。でも……


「……実際、答える程のことなんて何もないんですよね」

「と、言いますと?」

「……無視されてますから。洋介くんとケンカしてから会話はもちろん、目も合わせてないんです」


 あれから幾日が経過したが、依然として、洋介は私を無視し続けている。廊下ですれ違うたび、知らない振りをしてやり過ごしている。怒りと悔しさと悲しみを押し殺しているかのように唇を歪ませて。

その今までにない態度に、こうなるだろうと考えてはいたが、目の前で実際に見せられて気分が良いわけもなく、奥歯を噛み締めたのを覚えている。


「…………」


 だが、不思議とショックの念はそこまで強くはなかった。

それは強がっている訳でも、意地を張っている訳でも決してない。

すれ違うたび私自身もまた、洋介を気にかける様子を見せずに、その場をやり過ごす毎日が続いていたから。洋介の方を見向きもせず、ただ淡々と通り過ぎる毎日。

それはあえて、そういう態度を取っているのではなく、自然と出た態度。そのことについては自分でも驚いているが、これが私だった。

いつの日か、“友達になりたい”と洋介に言われたことがあるが、やはり叶わぬ夢だったのだろう。洋介を助けたいと思った気持ちは本物だが、それとこれとは話が別。私にとっては別のこと。目の前で人が溺れていれば助けるが、そうじゃなければ関わらない。関わりたいと思わない。

それが私の出した答えであり、私達の関係の終着点だった。


「……寂しい限りですね」


大沢は大きく息を吸い込むと、悪い物を吟味しているかのようにそれをゆっくりと吐き出した。


大沢も思っているのかもしれない。こんなはずじゃなかったと。もっと上手くいくはずだったと。簡単じゃないと知りながら。


「……わかりました。まあでも、部活には入ってくれましたし、今後に期待することにします」

「どうなるかはわかりませんけどね」

「それはもちろんわかってますよ。では――最後にこれを」


大沢は椅子ごと後ろへと回転させると、デスクから何か一枚の紙を取って渡してくる。


見ると、そこにはいつか見た日と同じ、総務部依頼書と書かれていた。


「ええぇ…まさかゴールデンウィークも部活するんですかあ……?」

「当然です」


大沢は誰の目にもわかるように大きく頷くと詐欺師みたいな笑顔を見せる。答えてもらって何ですが、私が知りたいのは、やる理由だ。

総務部が運動部ならゴールデンウィーク中の活動も納得出来るが、総務部は思いっきり文科系である。試合も無ければ練習も当然ないので、やる必要が全くもってわからないのだ。やるにしても学校が始まってから活動すればいい。それに休みに生徒がいないのに何をするというのか全然理解出来ない上、ぶっちゃけ休みに来たくない。


「そうは言っても依頼が来ているので仕方がないでしょう…このことは涼君にも伝えてあるので、ゴールデンウィーク中もしっかり働いて下さい」

「……サボって良いですか?」

「バカですか?良いわけ無いでしょう。如月さんも、もう総務部の一員なんですから、しっかりして下さいよ」

「………はい」

「良い返事です。では、期待してます」


私は最低限の抗議のつもりで、あからさまに唇を尖らせて返事をしたのだが、あまり効果は得られず、それどころか大沢はポンっと手を叩いて話を閉めた。あれ?おかしい、この流れだと先生は来ないの?まさか自分だけ長期休暇を満喫するなんてありえないですよね?


「ああっと…そのことなんですが……久しぶりに金沢の両親の所に行こうと思ってまして…」


……なるほど、そういうことですか。


「へー意外です。遊びに行かないで、顔を見せに行くわけですね?なら、引き止めるわけには行きませんね。ご両親もきっと喜びますよ」


どうせ遊び放けの怠け放題だと思っていただけに、はからずも私の中で大沢の好感度が大幅に上がる。不良が子犬を助けているところを目撃して好感度が上がるなんて話しは良くあるが、もしかしたらこんな感じなのかも知れない。


「別に顔を見せに行くわけじゃありません」


 だがそんな私の考えは全くの見当違いだったらしく、大沢は珍しくも眉根を潜めた。


「財布の中身が空っぽなんで、金をせびりに行くんです」

「最っっっ低な理由ですね!!もうホント死んで下さい!」


えへへじゃねーよ。その年でお金せびるとかありえないでしょ。不良に例えたのに不良の方がよっぽどマシだ。


「もう、帰って来なくていいです。あと、この紙はお返しします」


割りと本気で呆れながら、依頼書を渡す。まだ、中身は見ていないが涼に話したのなら、後で聞いておけば済む話だからだ。

大沢は静かに紙を受け取ると、受け取った手をこちらに振る。


「じゃあ、私もこれから仕事があるんで、今日はこれまでにしましょう。涼君にも、よろしく言っておいて下さい」

「はいはい、りょーかい」


私は、軽い感じで返事を返すと、鞄を両手に持って振り向きもせずに職員室を後にする。


何もしないが唯一の予定だったのになあ……とか何とか。そんなことを考えながら。













 






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