第19話 結末
————後日
「ごめん、待った?」
「全然…それより篠田さんのことなんだけど……来てくれるって?」
「ああ、うん、大丈夫だと思うよ!時間通り来てくれると思う」
「そう…なら良いんだけどね」
「にしても、何でわざわざあんな所に篠田さんを呼んだの?しかも僕はココだし…」
言いながら、窓の外を眺める。
ここは、いつもの部室…ではなく、今日に限っては部室の前の廊下に集まっている。
私は、洋介に、当初の作戦通りあるお願いをしていた。
それは彼女を、とある場所、とある時間帯に呼んで貰うお願い。 無論、私のことを言っては怪しまれる為、洋介が呼んだ事にしてもらって。
ちなみに、内容は一切話してはいないから、彼の疑問はもっとも。だけどその疑問もほんの数分後には解かれることになる。
「まあ、時期にわかるよ」
「わかるなら詳しくは聞かないけどさ……あっ、アレ!篠田さんじゃない!?」
さっきからじっと眺めていた窓の外、正確には一階の小庭に向かって指を刺す。
下を見ると、一人の女性が目に入る。
左右均等に束ねた髪、人を魅了し可愛らしいという単語が真っ先に思い浮かぶ繊細な顔。肢体の整った身体付きは、まるでどこかのモデルのようだ。
「……来たわね。しかも、きっちり五分前」
篠田真澄、その人だった。
時間通りに来た彼女は中へと入ると、何かを探すようにキョロキョロと周りに視線を巡らせる。
「見てよ如月さん、篠田さん…きっと僕を探してるんじゃないのかな…」
下を見ながら伺うように聞いてくる洋介。
降りてもいい?と聞いてくることを予想し、一旦手で制した。 ここから動かれてはすべてがパーになる。だから、もう少しだけ我慢してほしい。
「…わかったよ……でも、後でちゃんと説明してよ?」
不満気に疑問符を浮かべながら聞いてくる洋介に、私は何も答えなかった。
説明するもなにも、それは彼が判断することだから。洋介自身が現実をどう受け止めるかの問題。
「なんか上から覗いてるのって変な感じだね、バレたら文句言われそうだよ」
「そうね、じゃあ次いでに言うけど、バレるし危ないから窓は開けないでね」
「えっ、危ない?……まあいいけど。あれ?そういえば涼くんは?」
今更ながらに違和感を感じたのか廊下や部室の中を見渡す。が、当然彼はここにはいない為、見つからない。
「トイレにでも行ってるのかな…」
「どこにもいないよ。今日は珍しく用事があるから帰った」
そうなんだあ、とわかったのかわかってないのか曖昧な返事をして、再び窓の方へと視線を巡らせる。聞いてはみたが、それほど気になったというわけではないらしい。
「気になってないわけじゃないけど…でも、如月さんがいなかったら戸惑うかも。今までも如月さんと行動することが多かったしさ」
今までのことを思い返してるのか、はにかんだ様な照れた笑いを見せる。
今日までの数週間、実際いろいろな事があった。
「そうだね…涼と話しているより、私と話すことの方が多かったものね」
それは、彼だけが感じていることでは無く私もそう。
「…………」
だからこそ、考え深い物がある。
そこだけはきっと、洋介とは違う思いが。
「…そろそろ時間ね」
眼下にいる篠田真澄から、奥のグラウンドを見やる。
「あれ、みんなどこ行くんだろ?」
洋介もその異常に気づいたのか、グラウンドの方を指差して呟く。
そこには丁度、野球部以外の運動部が掃けていくところだった。
「なんか急に他の運動部がいなくなっちゃったんだけど…」
散々部活で汗を流していた所を、急に野球部以外の運動部が姿を消したのだ。事情を知らない人間にとってその光景は異様な光景に写ったことだろう。
「これを僕に見せたかったとか…では、ないよね……」
そのとおり。そういうわけではない。
私が見せたかったもの。
わざわざ時間まで指定して見せたかったもの。
それは、私がたまたま一度経験したもので、部活もせず家へと直帰する彼女は知る由もないこと。
そして、知らないだろうということが、この案を思いついた一番の理由でもある。
これなら本来の自分をさらけ出すはず。
最前線に立たされたなら彼女も取り繕う余裕を失うはず。
それぐらいの恐怖を十二分に与えてくれる。
「来るよ、一応大丈夫だとは思うけど気を付けてね」
「ん?なにを?」
「今にわかるよ」
残された野球部が縦二列で投手とバッターに別れ整列を始める。
しばらくして、掛け声とともに対面に立つ投手がボールを投げた。すると、おもいっきり振りかぶって振ったバットがそれを捉え、グラウンドから小気味良い金属音が次々と鳴り響く。
「うわっ凄い!」
しかし、その関心も束の間だろう。
なぜなら————
「えっ……ウソでしょ?」
————無数の打球が、こちら目掛けて飛んでくるのだから。
「うわああああああああああああっっ!!!!?」
それを見た洋介が、悲鳴にならない声を上げ、その場に伏せる。
洋介に手を差し伸べながら、私は淡々と彼に告げた。
「やっぱり洋介君も知らなかった?見ての通り野球部の打撃練習よ」
頭を抱えながら伏せる洋介に、大丈夫だよと言って手を差し伸べる。
言わずもがな、私の狙いはコレだった。
「聞いた話によると、この練習は甲子園に向けての取り組みなんだって。もちろん、他の部活の事もあるし一時的な物なんだけど…それでも今だけこの練習体形を取ってるみたい」
「そうなの…?全然知らなかったよそんなこと……」
「苦肉の策ってやつかもね」
それを聞いた洋介が、おくびもなく困惑の表情を浮かべる。
「いや、それにしても窓目掛けて打つなんて頭おかしくない……?」
「そこは安心して。強化ガラスだし当たっても平気なボールらしいから」
「いやそこじゃないから!感覚おかしくなってきてるよ!?」
そうは言っても違うやり方が思いつかなかったんだろう。
グラウンドを広げるより、こっちの方が遥かに安上がりなのは言うまでもないし。
「……事情はなんとなく理解したけど、それより如月さん…怖くないの?いくら窓が丈夫だからといっても、ココにいるのは流石に恐いんだけど…」
「実は私もまだちょっと恐いんだよね……」
言って、打球を見つめながら頬を掻く。
私も経験があると言っても、今日を入れてまだ二度目。慣れていると強がるにはあまりにもウソくさい数字だ。
正直に言えば、どこかに避難したい気持ちもある。しかし、だからといってココから逃げるわけにはいかなかった。
最大の目的は、ここからだから。
「あれ…ちょっと待って……そういえば篠田さん、篠田さんは!?篠田さんは大丈夫なの!!?」
自分のことで手一杯だったのか、ようやく彼女のことを思い出して、小庭へと顔を向ける。
「…ウソ……さっきまで下にいたのに、何処にもいない……」
「違う。いるよ、あそこ見て」
指で指し示す方には、小庭から出るためだろう、ドアの前まで走っていく彼女の姿があった。
「良かったあ………これなら上手く逃げれそうだね」
ドアに手をかける彼女の様子を見て、洋介が安堵の表情を浮かべる。
―――が、それも数秒。すぐに様子がおかしい事に気づく。
「あれ…?でも、なんか様子が変だよ……なんで校舎に入ろうとしないんだろ…?」
洋介は明らかに様子がおかしい彼女を見て呆然としている。
当然だ。中に入らない理由が一つもない。普通の人だったら真っ先に校舎の中に避難するだろう。だが、彼女はいくら待っても入ろうとはしない。
何故か?
その理由を——私は誰よりも知っている。
「……!違う…まさか……」
そう———そのまさかだった。
「あのね、洋介くん……篠田さんは校舎の中に入らないんじゃなくて、入れないのよ……内側から鍵が掛けられててね……」
そう、入らないではなく入れなくしているのだ。
それは誰あろう、涼の手によって行われ、そして同時に一度は断られた案件でもある。
直撃を受けても怪我をしにくいとはいえ一つ間違えれば犯罪にもなりかねない。この事実が学校に知れれば当然のことながら悪ふざけどころの騒ぎではない。良くて停学、悪ければ退学だってありえる。そしてなにより部活としての定をなしていないのではないか?そんな疑問が頭をよぎり、いくら洋介の為とはいえ彼が頑なに嫌がった理由は、まさにここだろう。
「…………」
今考えても、本当にひどいやり方だ。
自分で考えた作戦とはいえ、本当に非人道的だと思う。もっと他のやり方があるんじゃないかとも思う。篠田真澄と比べても、なんの遜色もない最低なやり方だとも思う。
—————だが
最低最悪な行為だけに、その威力だけは一級品だ。
「なんだよコレ!?ふざけんじゃねーぞ!誰だよここのカギ閉めたの、まだ中にいるだろうがよ!!つーか洋介の奴どこにいやがんだマジで!!アイツがおせーからこんなことになってんだろうが!!マジ早く開けろよ!!!オイ!!」
力任せにドアを殴りつけ、暴言を吐く彼女。
いつもの可愛らしい表情は奥へと引っ込み恐怖と怒りの入り混じった表情。頬は上へと吊り上がり、彼女がキレる度に口元がゆがみ、目元が変わる。
それは紛れもない、私しか見たことがない本来の篠田真澄。
私が彼に見せたかった彼女本来の姿だった。
「篠田………さん………?」
その光景を前にして、ただ呆然と立ち尽くす洋介を尻目に私は口火を切った。
「ごめんね、こんなやり方で。薄々気づいてるかもしれないけど、これは全部私が仕組んだことなんだ」
隣に並び、淡々と目的のすべてを語りかける。
「……どう?彼女のあの姿を見て…どう思う?」
「…どう、って………」
「……信じられないんでしょ?」
「…………」
洋介は言葉を発しない。
それもそのはず。
彼は今、目の前の現実を相手に必死になって戦っているのだから。
降り注ぐ打球の中、冷静さを保てず暴言を吐き、怒りを顔中に張り巡らせて怒り狂う彼女の姿はもはや彼の知る篠田真澄ではないだろう。
取り繕うことも忘れ、鉄仮面を外した彼女の姿は、まるで別人のように写っているはず。
優しかった篠田真澄。
助けてくれた篠田真澄。
綺麗で憧れだった篠田真澄。
初めての彼女になってくれた篠田真澄。
この光景を目の当たりにし、その姿がフラッシュバックしてそれが偽りだったと知
る。
—————それは耐え難い苦痛
一年間思い描いた篠田真澄という理想像が自分の勝手な理想でしかなかったと気づかされ、見てきた物すべてを否定される。
そこにはどんな思い違いも存在しない。すべてが本物。すべてが現実だ。
「私が彼女と初めて話した日あるでしょ?ホントはあの時からわかってたの。彼女が見た目通りの人じゃないってことは…でも、まさか付き合うとは思ってなくって……だから、今回、コレを仕組んで、洋介くんに見てもらったの。正しい判断をしてもらうために」
「判断って…それに……どうしてこんなことを……」
「直接見ないと説得力にかけるでしょ?」
直接話してもダメなら、直接見てもらう。百聞は一見に如かずと言うが、実際コレほど分かりやすい説明もないだろう。
「前にも言ったけど洋介君は彼女の表面しか見てなかった。今の様子を見ればわかるけど内面までは読みきれていなかったのよ。それにね……言いにくいけど、洋介君は利用されてたの。端的に言えば彼女の評判が上がるようにね。付き合えたのはそれが理由だよ」
ドアを殴り、ついには蹴飛ばし始める彼女を見て言う。
実際説明だけならいつでも出来た。だが、こうして彼女を目の当たりにしながら聞く説明では、その信憑性も一味も二味も変わってくる。
普段なら冗談だと思って受け流されてたかもしれない話も、この状況を見ればそんな事も思いつかない。
間違えようもない事実として受け止めるしかないのだ。
「当初の見解が甘かったし、もっと早くに気づくべきだったと反省してる。でも、今からでも遅くない。裏切られたようで許せない気持ちもわかるけど、彼女のことは早く忘れた方がいい。このまま付き合っても利用されるだけだよ」
「……………」
私の問いには答えない。
洋介は終始無言だった。
当たり前だ。
ずっと好きだった人と付き合えたのに、実は利用されていただけだと知ったのだ。
悲しみも、悔しさも、驚きもあれば、怒りもあるだろう。
その証拠に拳は強く握られ体が打ち震えている。
「…………くっ…」
信じさせるにはこのやり方が一番だし、コレしかないと思ってる。だけど…それでも違う方法もあったのではないかと考えてしまい胸の奥に靄がかかる。
気付けば、意識することなく胸をさすっていた。
現実を直接洋介に見せるやり方は、やはり彼には酷に思えたのだ。
「…そっか……ねえ如月さん…如月さんってさ、好きな人とかっているの?」
「……えっ…なに、好きな人?」
突然、降って沸いたように質問され、問い直す。
質問の意味が理解出来なかったのではなく、今ここで質問される意味がわからなかったからだ。
「うん、好きな人」
「いないけど……どうして、急にそんなことを?」
訝しげに聞く私に、洋介は下で叫び続ける彼女を見据え、続きを答えた。
「僕もね、前まで好きな人とか付き合うとか…ピンときたことなかったんだ。可愛いなとは思っても、それ以上の感情はなくって、良くて友達。それでも遊びに行ったりはなかったし一緒にどこかに行きたいとも思ってなかった。でもね……」
窓に手をやる。しかし、視線は今だに変わり果てた篠田真澄を捉えたままだった。
「彼女に出会って僕は変わったんだ」
私も下を見る。
本性をさらけ出す彼女の姿を見ながら、洋介の話を聞いた。
「彼女に出会ってから…助けられてから僕は変わった。彼女に出会って初めて人を好きって感情を理解できたし、付き合いたいって思った。誰にも渡したくないって、今度は僕が守ってあげたいって、心の底から感じたんだ」
出会う前…まだ彼女の本性を知らなかったあの時のことを思い出しているのだろうか、彼は小さく、しかし、どこか残念そうに笑みをこぼす。
誰も知らない土地で、素敵な女性に助けられれば洋介ならずとも、誰だって恋をするかも知れない。
でも、それだけに…それが偽りだと知ってしまったら……
その気持ちを思い、胸中を口に出さずにはいられなかった。
「許せない…よね……」
裏切られ、利用され、すべてが偽りだと知ったとき、変わるのか、絶望するか、相手を恨んで復讐するか。
そういえば、昔の自分は絶望して泣いてしまったっけ。
間違えて、絶望して…やっと今の私が出来上がった。周囲の目は冷ややかだが、今の自分は嫌いじゃない。
「…………っ!」
だが—————そうなった切っ掛けは明らかに間違ったやり方だった。恥ずべき汚点以外の何者でもない。
だから、もしも…洋介が同じような過ちを犯すようなら————
「洋介君、許せない気持ちもわかるけど…落ち着いて」
拳を強く握りわなわな怒りに震える洋介を見て、急に不安が胸を襲う。
裏切られ、利用されていたと知った今の洋介はどうするのか?そう思ったら、声をかけずにはいられなかった。
「気持ちはわかる…けど、それじゃあ彼女の思うツボだよ」
私は、強く握られた手を開放しようと、洋介の手を取ろうとする。だが、洋介はそれを強く拒否するように、自分の手を引き寄せた。
「……洋介くん?」
その手を胸のあたりで抱えながら、洋介は私へと向き直り、言った。
「……大丈夫、気にしないで。それよりさ…さっき、許せないよねって言ったけど…それってどっちのこと?」
「どっちって……どういうこと?」
考えても意味がわからず聞き返す。
どっちもなにも話の流れからして、篠田真澄以外にいるはずがないのだが……。
「……今日のことはさ…僕が篠田さんの事を考えるように、如月さんも僕の事を考えてやってくれたんだよね?」
こちらの問には答えることはしない。
しかし、そのことよりも暗く沈んだ顔が今までの洋介とは違うように見えて戸惑った。
「……依頼されたんだし、このままだと良いように利用されてるだけだから当然だと思うんだけど…それがどうしたの?」
「…そうだよね。依頼したのは僕だし、如月さんはそれに答えてくれただけ、助けようとしてくれただけ……そんなことはわかってる……わかってるのに……筋違いだってわかってるのに……でも………でも…………」
泣いているのか、俯きながら身体を震わせ、それ以上の言葉が出てこない。しかし、先程まで胸に収められていた手は、再び拳を作り上げていた。
私はいいし得ない不安に襲われ、泣いている洋介の顔を覗き込んだ。
覗き込むと、彼の目を一瞬だけ捉え、私の視線と交差する。
「—————!!」
その瞬間———私はそこで、ようやく気づいたのだ。
彼が泣いてなどいないことに。
身体を震わせていたのは篠田真澄に対する怒りではなかったことに。
自分自身でも————ましてや涼に対して怒っているわけでもなったことに。
その怒りの矛先は————私に対するものだということに。
「なん、で……」
それに気づいた瞬間、何かが私の顳かみを掠め、同時に打球とは違う窓を殴る音が私の鼓膜を叩く。
見ると————洋介が握った拳を窓に叩きつけていた。
身体を震わせ顔中真っ赤にし、キレた洋介の姿が、そこにはあった。
「よう、すけ…くん……?」
窓を叩いた拳をそのままに、親の敵を見るかのような目を向けてくる。
その顔は今までずっと溜め込んでいた怒りを前面に押し出しているかのようだった。
「僕の事を考えてくれたのは単純に嬉しい、でも…でも……こんな、こんなやり方ってないよ!彼女を傷つけるようなこんなやり方!」
怒る洋介に圧倒されながらも、一旦落ち着かせようと正面で向き合う。
「なん、で……?」
しかし、現状が飲み込めていない私には、ろくな事が言えるはずもなく、言葉は霧散し、さらに洋介の怒りを買うだけだった。
「なんでって…はじめに言ったよね!?僕は篠田さんが…篠田真澄が好きなんだ!事実はどうあれ僕が彼女を好きなことに変わりはない!いくら如月さんが僕の為にしてくれたと言っても、彼女を傷つける人を僕は許さない!!」
睨み、震えながらなりふり構わず怒鳴る洋介。もう、きっと何も見えていないのだろう。篠田真澄の敵である、私以外は。
「何よそれ……」
私も、その怒気に煽られたのか冷静さを失い、気付けば現状把握など忘れ口調が強くなっていた。
「……彼女を傷つけるって…傷つけられてるのは洋介くんでしょ!?」
「傷つけられてるって…そんなの勝手に決め付けないでよ!僕はなんとも思ってないんだから!!」
「さっき話したでしょ!?ちゃんと現実を見て———」
「そんなのは関係ない!騙されたとか利用されたとか…そんなのは僕には関係ないんだよ!」
「なに…言って……」
その答えに言葉を失う。
なにが関係ないなのか。騙され、利用され、良いように使われる未来になにがあるのか。好きになる理由がどこにあるのか。
私には、まったく理解出来ない領域、したくもない領域だった。
「…………ッ!」
口の中で血の味が広がる。無意識のうち唇を噛んでいた。
「なんで……なんで彼女を庇うの?あなた騙されてたのよ!?あなたを助けたのも自分の為、優しくしてくれたのだって全部演出なの、利用されただけなんだよ!!?それで彼女を信じる理由がどこにあるの!!?」
最後に答えを託したのは私。どんな結果になろうとも、それは洋介の答えであってこっちが口を出すことではない。
そんなのはわかってる。
でも、この答えだけは別。
どう考えても納得できない。
絶望するでも、復讐するでもなく受け入れる。
その事実が当初の目的を私から忘れさせた。
単純にムカついたのだ。
—————私は、変わった。
それは裏切られ、利用された現実から出した答えだった。
その答えがすべてだとは私も思ってない。
だが、否定もさせない。
ムカついたのは洋介の答えが、まるであの時の答えを否定してるような、対極で下卑た答えだったからだ。
だから、理由を聞かずにはいられなかった。
—————でも
返ってきたのは予想だにしない答え————いや、もっと言えば予想通り、それはある意味洋介らしい答えだったのかもしれない。
洋介は窓に叩きつけた拳をしまい、片方の手でそれを包むと、こともなげに答えたのだ。
「如月さんの言ってることはわかるよ。でも、例え彼女が僕を利用するために助けたのだとしても、その事実は変わらない、変わらないんだよ。だって僕はあの時、確かに助けられたんだから。だから今度は僕の番。僕が彼女を助けるんだ」
そう言って、後ろを向くと振り返ることなく階段の方へと走って行く。
その仕草に迷いはなく、言いたい事を言った為か怒りのピークも過ぎたように見えた。
「ちょっ…待って!」
私は、思わずそのまま見送ろうとしてしまう所を思い止まり、慌てて声をかける。
「洋介君!話はまだ…」
「…ごめん。今すぐ篠田さんを助けに行きたいんだ。それに……今は如月さんの顔、見たくない」
それだけ答えると彼はそのまま走って階段を下りて行き、すぐにその後ろ姿は見えなくなった。
「……………」
私は、その後ろ姿を黙って見ている事しか出来ず、追いかけもしないで、ただぼうっと突っ立つ。
洋介に判断をゆだねたが、こんな予定じゃなかったと。どこで狂ったと。そんなことを考えながら。
この結果が洋介にとって最善なのか、篠田真澄にとって好都合なのかはわからない。いろいろな答えがあったにしろ、こんな結末は想像すらしていなかったから。
気が付けば、誰だろう二人の喧騒が廊下を通じて聞こえてくる。
きっと洋介と篠田真澄だ。
一階まで行き、洋介がカギを開けたのだろう。
聞こえてくる話の内容が断片過ぎて細かいことはわからないが、あの打球の中、彼女を助けたのだ。少なくとも険悪ではないと思う。なんとなくだが、保健室に引っ張って行こうとする洋介の姿が目に浮かぶ。
「はあ………」
私は額に手をやり軽い溜息を付いた。
それは誰が見ても、なんの溜息だったのかはわからない。だって、私にすらわからないんだから。
—————ただ、わかっていることがあるとすれば一つだけ。
洋介の依頼もこの関係も、今日で終わりになるということだけだった。
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