第16話 仮面
「見届けてとは言ったけどさあ…」
授業は終わり生徒は帰宅するか部活へ行くかの二択になるのだが、しかし、あいにくと私達はそのどれにも当てはまってはいなかった。
そんな様子を目の前に洋介はめずらしく愚痴をこぼす。
「いなかったじゃないよもう…帰ってくれて良かったのに……」
不満たらたらといった感じだが、見届けてと言ったのは洋介だ。なら、そんな酷い言い方をされてはこっちとしては心外である。
「いや、言ったけどさあ…そういう意味じゃなくって……」
尚も、愚痴をこぼす洋介。
現在、私達は放課後に屋上へと集まっていた。もう説明するまでもないだろうが、洋介の告白を見守るために。しかし、洋介としては、どうしてもそこが気になるらしい。
「それは結果を見届けてねって意味であって、告白そのものを見届けてって言ったわけじゃなかったんだけど……」
「わかってるってそんなことは。でも、洋介君って案外行動力あるよね、連絡もらってからホントにすぐだったもん」
洋介から連絡をもらってから数日、気持ちが固まった洋介の行動は思いのほか早かった。
こっちからなにか言うのもはばかれるような勢いに、告白の場所も内容もすべて洋介の案。一体どういう考えで屋上なのかはわからないが、そこは信頼を示すということで、口を出すことはしなかった。
篠田真澄との出会いから約一年。あとは、告白するだけだ。
「…っ~~にしても屋上って寒いね。カーディガンぐらい羽織ってくれば良かった」
元来、四月の夕方は寒い。屋上というのもあるのだろうがやたらと風が強く、体感温度が低いのだ。このままだと風邪引きそうである。
「しらないよもう…寒いなら帰ってていいんだよ……涼君も」
ちらっと私の横を窺う。
その先にはコートに身をまとい、マフラーに顔を埋めて、両手をポケットに突っ込んだ涼が何食わぬ表情で突っ立っていた。
「心配無用だ。見ての通り防寒対策はちゃんとしてきた。見てみろ」
ポケットに突っ込んだまま、どこか得意気に両手を上げて見せる。
その的外れな言動にイラッときたのか洋介がちっさく地団駄を踏んだ。
「違うから!?そういう意味じゃないから、遠まわしに帰ってって言ってるんだから気づいてよ!」
「……そうは言ってもねえ」
そうは言ってもそこは人間、気になるものは気になるのだ。
告白するとわかっていて、場所も日にちもわかってるんだから尚更でしょ。それに、見届けたい気持ちと相反するようだけど、不安めいた落ち着かない気持ちがまだ残っている。それを払拭したいがために、結果は早めに知りたかった。
「じゃあもう静かにしててよ、篠田さんも誰かに見られてると知ったら良い気分じゃないと思うからさ」
「それは同意、って、まあ言われるまでもなく邪魔するつもりなんかないから、そこは安心してよ。で、篠田さんは何時に来る予定なの?」
「一応17時半に声をかけたよ。遅いかなとも思ったけど誰もいない時間帯が良かったからね」
涼が時計を確認する。時計を見ながら少しだけ考えて、私に声をかけた。
「ちょっと早いが、早めに隠れておいた方が良いかもな」
「そうね。鉢合わせでもしたらここに居られないもの」
予定は17時半との事だが、彼女の表向きの性格上遅刻は絶対ない。時間よりも早く来ることを予想して動いた方が、懸命な判断といえる。
「じゃあ、洋介君。私達、上の貯水槽の所にいるから」
「うん、じゃあ……よろしくね?」
その言葉に思わず吹いてしまった。なにが“よろしく”なのか。
「ふふっ…緊張してるの?言動がおかしなことになってるよ?」
「揚げ足取らないでよ!緊張してるに決まってるだろ!?もう、早く上に行って!」
ハイハイと、軽く手を振って返事をしてから、回れ右をして後ろの梯子のあるところまで歩く。
梯子の高さは約5メートルくらいで、それなりに高い場所に貯水槽が設置されてるから十分隠れられる。正直、話し声が聞こえるかまでは微妙だが贅沢は言ってられない。
梯子を上り、上に着くと洋介が見えるか見えないかぐらいの頭の位置で伏せる。
こっちから見えるということは向こうからも見えるためここは特に用心が必要。……なのだが、下がコンクリートで思いのほか冷たかった。どうしよう…このままじゃあ、お腹が冷える…。
ちょっと試しに腰だけもぞもぞ動いてみようか。そうすれば向こうからは見えないし、こっちは冷えることもないかも。
では、さっそく———もぞもぞもぞもぞもぞ………
「なにをやっとるんだ君は」
もぞもぞ動きながら肩ごしで振り返ると、後から登ってきた涼が呆れまじりで見つめていた。
「いや、見つめてなどいない見下してるんだ。なんだ、その気持ちの悪い動きは」
「うるさい。冷たいんだからしょうがないでしょ、アンタも伏せてみたらわかるわよ」
「例えやっても、そんな気持ち悪い動きをするつもりはない。———ほら」
涼は呆れ交じりにつぶやくと、おもむろにコートを脱ぐ。
「これを下にひけば多少は違うだろ」
コートを脱ぐと、それをコンクリートに拡げる。確かにこれなら直に接することがないから、多少どころか、かなり楽になるけど…良いの?この上に乗っちゃって。
「別にかまわんさ。それにこれは君の為というよりも洋介の為といった方が正しい。変な動きをされてバレるわけにはいかんからな。だから変な勘違いはしないでくれよ」
「…まあ、私はどっちでもいいんだけどさ」
どこぞのツンデレキャラかと思うくらいの変な言い訳だったが、真意はどうあれ助かったのは事実。一応お礼を言っておくのが筋だろう。
「助かった。ありがとね」
「…………」
「なに?」
「……なんでもない」
「そう……?」
なんだかよくわからないが、涼の顔が若干赤い。
さっきまでコートを着てて急に脱いだもんだから体が冷えたのだろうか。相当な寒がりみたいだ。
涼がコートを拡げた場所に伏せると、私もそれに習ってその横へと伏せる。涼がそれを待っていたかのように、話しかけてきた。
「さすがに緊張してたみたいだな」
「…そりゃそうでしょ。今まで準備してきて、想い続けてきて…今日がその集大成だもん。緊張するなって言う方が無理な話しでしょ」
入学式で助けられて約一年。知り合いのいない、この学校での出会いはまさに、運命めいた物を感じたことだろう。
篠田真澄という人物に、篠田真澄という仮初の姿に。
「君の話しが正しかったのなら、やはりあの場で嘘を付いたのは正解だったかもしれないな」
私達が見つめる視線の先で、洋介が明らかに不安そうな表情をしてるのが見て取れる。自信がないのか、緊張なのか、はたまたそのどちらもか…どちらにせよ見ていて気持ちのいい顔ではない。
「そうね、洋介くんは何回も告白すると言ってたけど、今の顔を見る限り正解だったみたい。あんな顔するぐらいなら、篠田さんに気がない分、早めに諦めた方がよっぽど良い。それに洋介くんが考えてるような甘い女じゃないしね。ただ……」
「……ただ、なんだ?」
「……ううん、なんでもない」
涼がこちらを伺うように見ていたが、気づかないふりをして私はその場をやり過ごす。
———今だ続くこの胸の不安はなんなのか?
…そんな無駄に相手の不安を煽るようなこと、言っても意味はないし言えるわけがなかった。なんども言うようだが、これ以上はないし今日で終わり。あとは見届けるだけ。
「———!来たぞ」
待機している真下から扉が開く音が聞こえてくる。
私は声と音に反射して伏せつつも、下を覗き見る。
扉が閉まる音と同時に見えたのは、二つに束ねた長く綺麗な明るい髪だった。茶髪の女性は洋介まで歩み寄ると、女の私でも見惚れてしまいそうな笑顔で楽しそうに挨拶を交わしている。
間違いない、篠田真澄だ。
「あれか…はっきりとは見えないが別段綺麗とは思わんな」
初めて見る彼女の容姿に涼が思わず感想を漏らす。
いったいどんなのを想像してたのかはわからないが、随分と切り捨てた言い方だ。
「そういうわけじゃないさ。ただ…もっとこう人を引き付けるというか、オーラみたいのがあるんじゃないかと思ってな」
「っへ~…珍しく抽象的な言い回しをするのね。まさか、あなたの口からオーラなんて言葉が出ようとは、それこそ想像してなかった」
そんなリアクションが些か不満だったのか、ぶっきらぼうに続ける。
「一つの例えをそんな大げさに受け止めるな。普通に考えて一年で何回も告白を受けるなど異常だと思わんか?それ相応の訳があるんじゃないかと思っただけだ」
「そういうこと。まあ話してみればわかるけど、彼女、周囲の人には丁度良い感じでツボを押してくるのよ。最近は色々言われてるみたいだけど、なんだかんだで魅力を感じてる人は多い。それに容姿も良いと思うけど?それこそ芸能人並にね。そう見えないのは、あなたのメガネの度が合ってないからじゃないの」
「バカか君は。両目とも1.5は見えている」
「ウソだあ、ていうかバカって…」
言い過ぎじゃない?
腹が立ったので、これだよこれと手を動かしてメガネの節をツンツンしてやった。
案の定、あからさまに嫌そうな顔をされたが、なんだかそれが思いのほか楽しい。
つんつんつんつん…………
「やめんか、こら。…ん?おい、見ろ!」
嫌がる涼を楽しんでると、急に目の前を指差し、声を荒らげる。
下まで聞こえたらどうするんだと思いながら、前へと視線を向けると、洋介達が話しながら奥へと移動している最中だった。
「ちょっと、あれだけ離れちゃうと何にもわかんないじゃない!?洋介君なに考えて…」
「……それはそうなんだがもう少し静かに出来ないのか?下に聞こえるだろ」
「アンタに言われたくないわ!ってああ、また…」
くだらないやり取りをやってる間にも洋介達はさらに奥へと行ってしまう。
追いかけようにも、ここから降りて行くわけにもいかないしどうすればいいのか。正直、どうすればいいのかと言いつつも梯子を降りた時点で嫌でも目につくだろうから出来ることなど皆無に等しい。だが、それでも考えることを止めることは出来なかった。
「さすがに洋介も見られるのは許容できても、告白を聞かれるのは嫌だったみたいだな」
「そんな冷静な分析はいいから!ここからじゃ状況が把握できないじゃない」
「状況だと?」
「そうよ、何のためにここまで来たと思ってるわけ?」
「……………」
涼はこちらを見据えると、肩をすくめ頭を振った。メガネの柄を抑えると、呆れたような諦めたような言葉が聞こえてくる。
「そんなもの……別に構わんだろ」
「構わんって……!」
その、あえて物言わない態度に、一瞬にしてこちらの怒りに火が着きそうになる。
私は、下に聞こえる事を恐れ声を荒げることはしなかったが、しかし、それでも文句だけは言わざる得なかった。
「そんなわけないでしょ……なによそれ………もしかして見捨てる気なの?」
こういう奴だとわかってはいたが目の前で突き放したような態度を取られて無視できるほど人間できちゃいない。大層なことを言うつもりもないが噛み付かずにはいられなかった。
「……じゃあ言うが、君は状況を把握した上でどうしたいんだ?」
「どうしたいって…そんなの……」
「前も言ったがね、ここまで来たら僕等にしてやれる事はもうなにもない。これ以上無駄に干渉を続けても、君の不安が払拭されることはないぞ」
「———っ!」
言い返そうと思った。反論そようと思っていた。しかし———まるで世間話をするかのように発せられたその事実が、私から次いで出るはずだった言葉を奪っていた。
涼は感付いていたのだろう。
意地も。焦りも。不安も。それらからくる八つ当たりに近い理不尽な怒りもすべて。
「…………」
そんな自分の恥ずべき行為を突き付けられ、冷水を浴びせられたように冷静になっていく自分がいた。
「…なんか……焦ってたかも。…ごめん」
下を向く。バツの悪さが、涼の顔を真っ直ぐ見るのを妨げた。
「落ち着かない気持ちもわかるが、そう気に病むな。実際、何かあったところで俺達がここから動くことなど出来ない。どちらにせよ待つしかないんだ」
そう言って、落ち着いた表情で俄然として会話を続ける洋介の方へと向き直る。
二人がどんな話をしているか、もうここからでは知ることができない。
不安に苛まれる胸の内を抑え、しょうがないと自分を納得させるしかなかった。
「にしても、だ……」
篠田真澄が到着してしばらくたった後、なにかが気になるのか涼が時計を見ながら呟いた。
「どうかした?」
「いや…まあ別にどうでもいいんだが……」
つい口に出てしまったのか、しまったという風な顔を造り続きを話そうとはしない。
その珍しい反応に苦笑いしつつ、
「明らかになんでもなくないでしょ。なんなの?」
「無駄に不安を煽ってすまないが、たいしたことじゃないから気にしないで良い」
「煽り過ぎなくらい煽ってるから……言ってよ、その方が安心するし」
「…………」
涼は言うか言わないか逡巡してから、“少し気になっただけなんだが”と前置きをして、ようやく続きを話してくれた。
「…告白するにしては長すぎないかと思ってな」
「えっ?」
言われ、こちらも時計を確認する。篠田真澄がここへ来てから、おおよそ10分近くが経過しているところだった。
「言われてみればそうかもしれないけど…昔話でもしてるんじゃないの?入学式以来そこまで面識なかったみたいだし」
洋介が入学式以降の出会いから、クラスも違い会話もする機会事態なかったと言っていたのを思い出す。
昔話に花が咲いても不思議ではないと思うのだが、涼の中では違うのか納得していない様子だ。
「じゃあ聞くが、そんな風に見えたか?」
「なにがよ?」
「洋介が昔話に花を咲かせるように見えたのかと聞いてるんだ……少なくとも僕には、そんな風には見えなかったがね」
「———!」
上に登り、洋介の顔を見ていた時のことを思い出す。
確かに、あの時の洋介はそんな昔話をするような余裕のある感じではなかった。顔は固まり、目は沈んで、緊張と不安で押しつぶされそうな悲痛な表情をしていた。
「言われてみればそうかもしれないけど……いや……でもまさか………そんなこと………」
嫌な考えに悪寒が走る。
涼の言いたいことが理解できない訳じゃない。だが、できるからこそ、簡単に肯定する訳にはいかなかった。
前を向いていた涼がゆっくりと頭を低くする。
「……ようやく終わったみたいだ」
なにが終わったのか、主語が無くともすぐにそれを察した私は反射的に伏せつつも下を覗き見る。
「………!」
予想通り、洋介がこちらへと戻ってきているところだったのだが、一つだけ予想とは違い、思わず息を呑む。
「どういうこと…どうして洋介君だけが帰ってるの?」
洋介はこちらに顔を向けることなく歩いてくると、扉を開け階段を下りて行く。夕日が雲で隠れて暗く、表情で図ることは出来なかったが、どうやら告白は終わったらしい。
「わからん…だが、女の方はまだ残ってるから、こちらからは確認に行けん。洋介もそれがわかってるからだろうから、直ぐに連絡してくると思うのだがな…」
涼が言うとほぼ同時。あらかじめバイブ機能にしておいた携帯がスカートの中で激しく揺らいだ。
携帯を取り出して液晶を見る。案の定、洋介からだった。
「………まさか……嘘でしょ…?」
息が詰まる。
今まで抱えてるだけだった不安が、大きな胸の鼓動となって押し寄せたのだ。
予期していても、決して見ないようにしていた不安が現実となって押し寄せてきていた。
洋介のメールには一文だけ、
『よろしくお願いしますって言われたよ!篠田さんが恥ずかしいって言うから今は一人で帰ったけど、もうなんかとにかく夢みたい!これも如月さん達のおかげだよ!』
「……付き合うってこと………?」
固まっていた。
振られるでも、保留でもなく付き合う。
そんな事実を受け入れるのに時間がかかりそうだった。
「なんで……」
こうなる確率はゼロだったわけではない。ぜロではないが…洋介が好きだったなんてことはなかったはずだ。自分を偽っているような奴が他人に幻想を抱くなどありえないから。
「こんなことって……」
イラついていた。少なくとも、そこだけは信用してたから。しかし、その事実がまた自分を腹立たせる原因でもあった。
「……このままにしておくのか?」
伺うように問うてくる涼に返事はせず、じっと携帯を眺める。
こうなることを予期してなかった訳じゃない。どちらかといえば、あえて考えてこなかった。
だから、もし……涼が問うように、このままにしておくとしたら、篠田真澄に対する印象が、彼女本来の姿が、私の杞憂であった場合。勘違いであった場合だけだ。
しかし―――
「女が帰るみたいだぞ」
奥から一人、歩いてくる姿が見える。
すると、それを待っていたかのように隠れていた夕日が一瞬だけ顔を出して、彼女を照らした。
それを見た涼が、メガネを直し一言だけ呟いた。
「……このままって訳にはいかないみたいだな……」
夕日に照らされ、いつもなら、愛嬌のある表情を見せるはずだった彼女の顔。
万人に愛され、誰しもが羨む美貌の顔。
だから、私は始め、それが誰かわかるまで時間がかかった。
両端の広角が顔中に釣り上がり、皮肉げに笑うその顔が…彼女だということを。
———それが篠田真澄だということを。
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