第15話 不穏な空気

ダメだ…眠い…

いつも登校時に使う道を歩きながら欠伸を噛みしめる。


 予想通りというか何というか、起きてからシャワーを浴びて朝食を食べに行くと、テーブルの上に数限りなく並ぶ料理(昨日の夕飯も含む)の向かい側で、笑顔を貼り付かせた楓が待っていた。夕飯を食べなかったのは流石にまずかったみたいだ。


ここで、朝練は良いの?とか余計なことをいうと、さらにお説教が伸びるため、ここは素直に怒られた。説教に反応しながら朝食を食べたので味がイマイチわからなかったのが唯一の心残りだ。


 さて———出来ることは限られてるとはいえ、これからどうしようか?


とりあえず、今やれる事といえば喫茶店での会話から察した印象をある程度の説明する。どう説明するかは置いといて、それぐらいしかできることはない。


 「でもなあ……」


 誰に聞かすでもなく、一人ごちる。

 今更だが、そもそも内容からしてダメ元過ぎた。問題がありすぎて、このままポイッと投げ出したい気分。人間には向き不向きというものがある。私にはやはり、こういうことは向いていないのだ。


 まあでも……実際、そうはいかないのが現実だ。


 部活の根底は人助けにある。私のやり方が彼に取っての一番であろうはずがないが、最大の目的だった、恋人関係が篠田真澄の発言から誰ともないとわかった以上、それなりのは必要だ。ここで、『告白は無駄』と、見放してはその定義すら怪しくなる。


 なら、その前提がある以上ここで投げ出すわけにはいかなかった。


「ハア……」


 深い溜息と共に、上手くいくかの不安と軽はずみの発言をした過去の自分を憂いた。


 甘かった考え。適当にするつもりじゃないし、まだ結果はでてないが、それでも気落ちせずにはいられない。


「……やっぱり休めば良かったなあ」


 心のモヤを吐き出すように吐いた呟きも、いつの間にか着いた学校のチャイムに押し返され、結局消されることなく心に残り続けた。






 授業を終えると誰よりも早く教室を出る。


 素早く教室から出て行く所を見たことがないクラスメイトからは奇異の目で見られたりもしたが、とりあえず無視。いつも無視だけどさらに無視。


 今日だけは早めに部室に行く必要性がある。といっても、さっき思いついたことなんだけど、涼には昨日のこと全部話した方が良いと考えたのだ。洋介に話せないこと全部。話したうえで、私の考えを理解して貰った方が良いと思うから。それに、洋介と話してる最中に横槍を入れられても困るしね。ちなみに、洋介には少し遅れてくるように伝えてある。


 階段を上がり、いつもの部室の前まで来ると一応ノックをしてから中に入る。


「お疲れ様。ねえ、今からちょっと良い?」


 挨拶もそこそこに話しかける。向こうも今付いた所なのか、机にはパソコンのみで本は鞄から出すところだった。


「なんだ、来て早々いきなり話しかけてくるなんて珍しいな」

「そうね、ここに来てから初めてのことかも。でも、今はそんなことどうだっていいの。昨日私が何をしてたか知ってるよね?」

「当たり前だ。彼女と話していたんだろ?」


 鞄から本を出しながら、訝しむような視線をおくってくる。席へ付くと、さも興味ないと本を広げて視線をそちらへと移した。


「話しっていうのはそのことか?じゃあ、洋介が来てからでも良いだろう?」

「察しがいいのは助かるけど、今日はそうじゃないの。その洋介君がいると話せないから今こうして、あなたに話しておきたいの」


 私の声から幾分真面目な話になると気づいたのか、本を開いたまま机に置くと、こちらに会話を諭した。


「わかった、聞こう」

「助かる」


 私は、席へと着くと昨日あったこと、今後についてを、こと細かく説明した。途中、こちらの言い分にも言いたい事があったと思うが、何故か話を遮らないで聞いてくれた。そのこともあり、それなりに時間が掛かると思ったが、思った以上に時間は掛からず説明することができた。


 話が終わると、涼は腕組みしながら背もたれに体重をかけて、天井を見上げた。


「……なるほどな」

「うん…どう、やっぱり反対?」


 別にこれに拘ってる訳じゃないし、反対されても出せる札がこちらにはない。反対なら反対で邪魔はしないで欲しいだけ。しかし、涼はそういうわけではないらしく、


「いや、君に任せると言ったのは僕だから反対はしない。ただ、一つ聞きたいことがある」

「なによ?あらたまって」

「何故、そのことを洋介に説明しないんだ?告白もそうだが、そもそも昨日の偵察はどういう人物かを見極める為の物だっただろ。アイツは胡散臭い女で洋介を助けたのもきっとなにかの間違いだと言ってやればいいんじゃないか」

「………」


 あの女も大概だと思うけど、コイツも大概だと思う。よくさっきの話だけでそこまで言えるよね。


「君は曲がった先見で人を見てるからな。だから君の人の裏を見る観察能力だけは信用している」

「そんなこと言われても全然嬉しくないんだよなあ…」


 曲がった先見ってなにそれ?日本語あってるのかも疑問なんだけど。

 まあ、いいや。話を戻す。


「言わない理由だっけ?そんなの簡単。洋介くんが私の言うことを信用するわけないからよ」


 涼はなにも言わない。私はさらに話を続けた。


「彼の今までの発言聞いてたでしょ?洋介くんは篠田真澄の表面しか見てないの。洋介くんの中では助けられたこともあるんだろうけど、まるで聖人君子みたいになってる。仮に、昨日あった事を洋介くんに話した所で私の言葉より彼女を取ることは明白じゃない」


 それまで、ずっと聞いていた涼が今日始めて話の途中で相づちを打つ。


「一理あるな。確かに洋介は録に会話すらないのに彼女を信じきってるところがある」

「でしょ?だから言えないの。言ってしまえばこちらの信用も失くしかねないし」


 そう、言わないじゃなく言えないのだ。


 私が万の言葉を用いても、彼女の一言があればきっとそちらを信じてしまう。そしたら、私の言葉が悪意のウソになってしまう。

 こちらも建前上、見て見ぬフリはできないし、ここまできたらするつもりもない。だから、真実は言えなかった。


「良い落しどころとまでは言えないが、悪くもない。ただ…」


 どこか納得いかないところがあるのか口に手をあて視線を外す。なにかを伺ってるみたいだ。

 こっちも言いたいこと全部話したから、そっちも言ってくれると逆に助かるんだけど。


「じゃあ言うが……そんなに上手くいくのか?」


 先程までとは違う眼差しがこちらを向く。

 その先になにを見据えてるのかまでは理解できないが、それでも真っ直ぐに見つめ返す。


「そうね、このまま上手くやるのは難しいと思う。でも———やるしかないでしょ?」


 今はやるだけ。


 やってみてどうなるかは誰にもわからない。完璧な作戦なんてありはしない。やってみてなにかあれば、そこからまた判断すればいい。


 涼は虚をつかれたようにびっくりした表情を浮かべたのも一瞬、伏せていた本を掲げると、口の端だけで器用に笑って見せ、言った。


「そのとおりだな」


 そう言うとそれ以上なにも言うつもりもないのか、いつもどおり黙って本に集中する。

 口に出してはいないが、納得してくれたみたいだ。


「さてと……」


その姿を見て安堵すると、さっそく洋介にメールを打った。



 連絡してから待つこと数分。

 廊下側からバタバタと人が走ってくる音が聞こえてくる。その音がドアの前で止まったと思いきや、入ってくる男が一人。言わずもがな、洋介だ。


「はあはあ……昨日…篠田さんと話してきたんだよね、どうだった!?」


 相当走ったのか、息を切らせて額には汗が滲んでいる。

 思うに昨日からずっと気になっていたに違いない。目の下にクマが見える。


「だって如月さん、連絡ぐらいくれると思ったのに、いっさい送ってくれないんだもん。気になって眠れないよ」

「寝てないってうそ、ホントに?」


 私には、まだわからないが好きな相手のことなら眠気を惜しんでも気になるものなのだろうか。


「それはそうだよ、で!どうだった?僕の言ったとおり素敵な人だったでしょ!?」


 目をキラキラさせながら聞いてくるその姿は、さながら宝を目の前にした子供のようだ。


 もし期待しか写ってないその瞳に、宝箱がパンドラの箱だったと伝えたらどんな瞳で返すのだろうか。絶望して現実逃避か、はたまた大人に成長した目を見せるのか。その答えはわからない。


「あのね…洋介君……」


 でも、お互いにとって悔いのない結末ならそれで十分だ。


 私は、口火を切ると涼に話した内容を極力言葉を選んで説明した。


言っても大丈夫なことと言ってはいけないことをわけて。そこには真実もあればウソもある。


「残念だけど告白は一回。でも、昨日話した感じだと付き合うのは正直言って難しいと思う。好きな人はいないって言ってたけど、それで希望を持つのはおかしな話だしね」


 これがウソの一つ。

 篠田真澄はストーカー行為はともかく諦めないでいてくれる姿勢は好きだといった。

 もし、仮にこれをそのまま洋介に伝えたらどうだろう。答えは明白、ずっと彼女のことを好きなままだ。


 しかし、それは幻想であり空想に近い。


 叶わない夢ならゴミ以下の価値しかない。それでもいいと容認してしまったら、こちらがやってきたことすべてを否定することになる。だから、伝えるわけにはいかなかった。


 「ありだと思ったんだけどなあ…でも、好きな人はいないって言ってるみたいだし…うーん、どうすればいいんだろ…」


 実際彼女の話もどこまでが真実でどこまでがウソなのかはわからない。だが、それでも好きな人はいないっていうのは真実だと思う。他人どころか自分をも騙しているような奴が、上っ面の会話で本気で相手を信用して好きになるなんて考えられないからだ。


 篠田真澄は信用できない女だけど、だからこそ信用できる部分がある。


 「あなたこの前、友達が告白して焦ったって言ってなかったっけ?だったら万が一もあるし、さっさと告白した方が良いと思うんだけど」


 洋介は、驚いたように顔を上げると、逡巡して、その後すぐに机に突っ伏して弱音を吐いた。


 「そうだよねえ…そうなんだけど、僕としては当初の予定と大分変わっちゃったから、どうしても戸惑っちゃうっていうか…」


 言いながら、机の表面をカリカリ爪でなぞる。


 「…ああ、そう……」


 本気でストーカー作戦を決行しようと考えてました発言が気持ち悪くてちょっとゲンナリする。ここまできて一番困るのは、洋介との思考のギャップかもしれない。


 だが、その煮え切らない態度は理解出来ないわけじゃない。

 ようするに洋介は怖いのだ。良い意味でも悪い意味でも結果が見えてきて足踏みしている。初めから一回では無理だと考えてたみたいだし無理もないかも知れない。


 私としては、あの女に告白しないで別の人を好きなった方が良いというのが本音だけど、それは今の彼を見る限りかなわない。かといって、洋介が考えてるような人じゃないと説明したところで洋介は信用したりはしない、他の人を好きになったりはしない。それぐらい、彼女に幻想を抱いてる。


 だから、私から提案できるものがあるとしたら、一つしかなかった。


「もう、明日告白しちゃえば?」

「えっ!明日!?」


 予想外だったのか机から跳ね起きるようにして体を起こす。涼に至っては口を開けっ放しだ。あれ、アナタには話してなかったっけ?それより、口から垂れた涎早く拭きなさいよ。


 「そう、もしくは今週中ね」


 きっと告白は失敗する。

 それは洋介がとかじゃなく、誰がしても結果は一緒。なら、早く告白させて結果を見せる。


 どうせ叶わぬ夢ならば、叶ったところで偽りの夢ならば、早めに覚まさせてあげた方が彼のためだ。そのあとに諦めきれるかはわからないが、それはまた後で考えればいいし、時間が解決してくれることもある。


「ちょ…ちょっと待ってよ如月さん、いくらなんでも急過ぎない?」

「そう?じゃあ逆に聞くけど、いつなら良いタイミングなの?この先、出来ることは少ないし、その間に他の男と付き合う可能性だってある。だったら先手を打った方が良いと思わない?」


 自分で言ってて卑怯な言い方だなって思う。こんな言い方されては焦るだけだし、攻める口調もそれを助長させる。


 だけど、今はこうするしかない。ウソでも詭弁でも、洋介を納得させるだけの理由を。


 「急過ぎるって言うけど、誰かに告られるよりマシって思わない?なんだったら二年になって初めての告白だろうから喜んでくれるかもしれないよ」

 「…そりゃあ先延ばしする理由なんかないけどさ……でも、うーん…でもなあ……」


 あの前向きな自信はどこにいったのか。

 

 告白にあまり抵抗を感じていないみたいだったけど案外というか、やっぱりというか、そこは普通の男の子みたいだ。


 「当たり前だよ…如月さん、僕のことなんだと思ってるの?」

 「ごめん、ごめんね。そりゃあ、いざ告るってなったら誰だって弱気になるよね。もうなにも言わないからゆっくり考えなよ」


 洋介はまだなにか言いたそうな感じだったが結局なにも言わず、手元に置いてある鞄からスマホを取り出す。


 こちらからはよく見えないが、なんだろう『ストーカー 告白 成功』とでもググっているのだろうか。


 「君は応援してるのかしてないのかどっちなんだ」


 今まで一貫して話に入ってこなかった涼が割って入る。確かに言いそびれた部分はあるけど文句はないって言ってたよね?


 「君のやろうとしていることに文句は無いさ。だが、目に余る行動には文句も言いたくなる」

 「目に余るって…おかしなこと言ったつもりはないんだけど?」

 「そんなこと一言も言ってないだろ。俺が気なったのは君のその態度だ。俺にはどこか浮ついてるように見えるのだが…気のせいか?」

 「…………………」

 「なんだ?なぜ黙る?」

 「……ううん、別になんでもない」


 咄嗟の詭弁で誤魔化したものの、ホントは違う。

 洋介の前というのもあるが、それよりも涼にそこまで見抜かれていたのが驚きで、思わずウソをついてしまったのだ。


 正直な話、実際のところは涼の言うとおり、浮わついてる…というよりなんだか気持ちが落ち着かないといった感覚が強い。


 無理にでも話を先に進めないと、この感覚に押しつぶされそうになる。そんな、言い知れない不安みたいなものが、漠然と心のどこかで蠢いているのだ。


 黙々とスマホでなにかを検索している洋介を横目に涼は続ける。


「…そうか。だがな、やはりそういうのは良くない。不安なのか、自身がないのかわからないが、それはみんな一緒だ。君だけじゃない」

「……そうね」

「いたたまれない気持ちもわかるがね、今後どうするかは彼の返答を待ってからにしよう。僕等にしてやれることも、もう、そう多くない」


 涼の言う通り不安や焦燥に駆られたところで出来ることは、もうそう多くない。

 お膳立て…といっても振られるのがほぼわかっているから無駄になってしまったが、ここから先の未来は洋介次第。

 立ち直りも早ければ、きっと彼なら良い人が見つかると思う。


胸の不安を抱えたまま、瞳の横済で今だスマホをいじる彼を映しながらそんなことを考えた。


 ふと、窓を見ると、夕暮れに染まった木漏れ日が部屋へと差し込まれている。それは放課後の終わりが近いことを示していた。


 なんだかそれが追い込まれ、急かされてるみたいで、これで良かったのかと尋問されてるみたいで、


「……………」


 ———なぜだか凄く、腹立たしかった。




 結局、答えの出ないままに部活を終えると———晩、一通のメールが届く。

「○日に篠田さんに告白するよ。最後まで見届けてくれたら嬉しいです。詳しい話はまた明日します。おやすみなさい」

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