第4話 もう少し早く言ってくれる?

 部室まで続く階段を、いつの間にか目を瞑っても歩けるようになるぐらいに慣れてきたのは、入部から数日後のことだった。


 入部すらもまともに考えていなかっただけに、この変化に戸惑わないかと言われればウソになるが、人間案外なれるものだと自分に関心すら覚えるのも、また事実。初日から心折れそうになったことなどすっかり忘れ、私は何事もなく部活動を続けていた。


 ふと、続けられている要因はなんなのかと考えてみれば、一概には言えないものの、土屋涼の存在が大きいだろう。


 なぜなら意外や意外、毎日嫌味を言ってくると考えていた部長、こと、土屋涼が然程…というより、全くと言っていいほど何も言ってこないのだ。


 仕事が無いというのも理由の一つだろうが、事実の方が圧倒的に大事で、おかげで重かった足取りも、今では陸上選手ばりに軽やかになっている。人間ポジティブ過ぎるのも良くないが悪い方にばかり考えても良くないに決まっているのだ。


 階段を上り教室がある廊下へと出る。

 そこには、いつも通り人影が無く、若干の不気味さを醸し出す薄暗い廊下が顔を出した。ここに来る足取りは軽くなったが、この廊下の不気味さにはまだ慣れない。


 幽霊なんて者を信じてはいないが、この人気の無さをこう毎日見てしまっては、何かしらの云く付きなのかと疑ってしまう。


不安を胸に押し込めながら、いたって平常ですよと、いつもどおりを装いつつ歩いて部室へと向かう。


 今日まで、ツッコミ所もなくうまくやってきたのだ。


 下手にからかわれない為にも弱さを見せるわけにはいかない。仲良くなんてしたくはないが、ただ一緒にいて不快な思いはさせず、させられずに、上手くやっていく必要はある。


 ここだけの関係。いわば仕事仲間だ。


 せっかくだから、これを良い機会と捉え仕事での付き合いというものを練習をしておくのも悪くはないだろう。


 部室の前にやってくる。両手を広げて、一度だけ深呼吸。自分に気合を入れドアを開けた。


 「お疲れ様。いつも早いわね」

 「ああ」


 昨日と同じ場所で読書に励む彼は目だけをこちらに向けて挨拶を返すと、何事もなかったかのように視線を本へと戻す。


 「………」


 挨拶だけ交わすと、設置されている手近な椅子に座り鞄を机の上に置いた。

 先に座ってしまったが、一応ここに座って良いか聞こうと涼の方を見ると、こっちには目もくれず本に没頭している。


 突っかかって来ないだけありがたいが、この部屋に入るまでそれなりに自分を誤魔化しただけに、なんだか非常に面白くない。


 ここ数日、初日みたいに絡んでこないし…もしかして重い病気ですか?


 「いきなり何を言ってるんだ君は。そんな訳ないだろう」


 じゃあ、何故おとなしいのか。鬱?


 「それも違う」


 じゃあ、なんなの? 気味悪いんだけど。


 「……見てみろ」


 彼は渋々といった感じで扉の方を指差す。


 「君はわかってないんだろうが結構見えるんだよ。ただ部屋に入るだけで両手を伸ばして深呼吸なんぞしてるのを見せられたら、さすがに気を使う」


 言われ、指された扉の方を見る。

 学校の扉は基本スライド式で、木材を使用した扉なのだが、顔の部分、つまり中央上部はモザイクのかかったガラスで出来ていて、その前に立つと人の存在がわかるようになっている。


 つまり、私とはわからないものの誰かがドアの前で深呼吸やら、両手を広げてたりしてたのは丸わかりだろう。


 「うっ……!?」


 最悪だ……妙な想像を膨らましていた自分がバカらしくなる。今更、こんなことに気付くだなんて。


 手を額にかざし、隠すように下を向く。


 気まずい…気まず過ぎる。それこそ深呼吸でもして心を落ち着かせたい気分だ。口の上手い人ならいざ知らず、私がここでなにか言えば、墓穴を掘るのは目に見えてるし…いや、もう掘ってるんだけどこれ以上の醜態をさらしたくないというか…


 「こ…今度から気をつけます」


 何故か敬語でそれだけ告げると、カバンから今日の課題を取り出した。


 気にしていませんよアピール? もあるが、決してそれだけではない。というより、私がここへ通うようになってからは、ここで課題をやってしまうのが通常業務になっている。


 仕事がない日はなにをやっても良いと言われているし、涼も特になにも言わない。それは今日も変わらなかった。雰囲気から察するに今日も仕事がある気配は皆無である。


 他人がいる空間で勉強するなど集中できないので基本は自分の部屋でこもってやるのだが、学校から出る課題ならたいした時間をかけることなく解くことができるし、この空いた時間を無駄にすることもない。さらにいうなら、さっきまでの醜態を早く忘れたい。


 気まずい空気を押しのけるように課題を広げると、ミスが無いよう盤面に集中する。


 推薦を貰えたとしても自力がなければついていけないし、無駄にできる時間は少ない。私は天才でもなければ、読書を続ける誰かさんとも違うのだ。アイツが頭良いかは知らないが。


 「…………」


 無言の空間の中でシャーペンの音と本を捲る音だけが響く。


 「…………」


 ———集中できない


 そう思い、何年も誰かと一緒の空間で勉強することなどなかった。


 だから、自分に驚いた。たった数日でしっくりきていることに。


 気を使わない。気にならない。無言でも気まづくならない。


 ここだけ切り取れば、確かに楓の言う通り、この男には私に触れる何かがあるのかもしれない。


「……まぁ、どうでも良いんだけどね」


 だが、だからといってこれがなんなのかなど考えはしない。恋愛などはありえないし、仲間意識が芽生えたわけでもない。


 同じ部活のメンバー———


今はそれだけが、はっきりしてれば問題など微塵もないのだ。





 


 全体の八割を終わらしたところで時間を確認する。いつのまにか時刻は18時前になっていた。


 グラウンドから聞こえていた部活の声は少なくなり、代わりに四月特有の真っ赤な夕日が教室に差し込んできていた。


 「もうこんな時間か」


 ちょうど読み終わったのか本を閉じて、涼が時計を見る。 私は、涼を一目見ると、課題をカバンの中へとしまった。


 「なんだ、なんか用事でもあるのか?」


 聞かれ、手を止める。別に用事という程のことでもないが、夕飯を作れるなら作ってあげたいだけだ。無論、部活を始めたのは親にも報告済みなので遅れても問題はないのだが。


 「では、もう少しだけここにいたまえ」

 「なんでよ、もう終わりなんでしょ?」

 「違う、まだ終わってはいない———ほら」

 「ん?」


 私の疑問に答えぬまま、涼は自分の鞄を漁ると中から一枚の紙を取り出した。

 そこには、総務部活動依頼書と書かれたプリントが一枚。


 「見たまえ、これが依頼書だ。脈絡なく依頼人が来る時もあるが、こうして依頼書を通じて来る時もある」

 「へーそうなんだ、っていきなりなに?」


 とりあえず読んでみろと言われ依頼書を手渡される

 そこには、今日の日付と時間が示され、「よろしくお願いします」とだけ書かれていた。


 「これって……」


 何だか嫌な予感がして変な汗が止まらない。


 「まさか……今日、来るの?」


 涼は無言でメガネを外すと真っ直ぐにこちらに視線を向け、言った。


 「そうだ」

 「はああああああああああああ!?」


 私の手からスルリと落ちた依頼書が踊るように宙を舞う。


 「ちょっと、何で今言うの!! 遅すぎでしょ!? 私が来て何分たったと思ってるのよ! それにこの時間なら、もうすぐ来ちゃうじゃない!」


 相手も多少悪いと思っているのか、外したメガネを掛け直して何も言わずにしらーと横を向く。それメガネ外した意味あったの? つーか謝れよ。


 「遅れたのは悪いと思っているが、言った所で何も変わらない。依頼主から話を聞かないことには我々は動くことが出来ないのだからね」


 いやいやそういう問題じゃない。こっちにも心の準備がある。来ると分かっているのと、いないのとでは心の構え方が全然違うし、なにより、今日の雰囲気から来ないと私の中で確定してしまっている。そりゃあ勝手に思い込んでしまった私も悪いが、文句の一つや二つも言いたくはなる。


 「君の言い分もわかるが、そろそろ席に着きたまえ。もうすぐ依頼主が来る」

 「なにその言い方…あんたのせいで、こっちが余裕なくなってるのに一回ぐらいまともに謝んなさいよ! 話はそれから…」


 なおもまくし立てるように食って掛かろうとすると、不意に扉がノックされ人影が写る。


 多分依頼主だ。


 それを見た涼が、目で訴える私に手の平だけで、あっち行けと合図する。


 煮えくり返る思いを顔で表しつつ、人が来てしまってはもうどうしようもないので椅子に座って姿勢を正す。後で、ちゃんと謝ってもらいますから。


私が席についたのを見計らって涼がノックに返事を返した。すると、ゆっくりと扉を開けながら失礼しますと言って一人の男子が入って来る。


 少し小柄で、メガネをかけた気弱そうな男の子だった。


 「あのう…ここって総務部の部室で良いんですよね?」

 「無論だ、かけたまえ」


 言いながら手元の椅子を勧め、すでに話を聞く体制へと移行している。褒めたくはないが、さすがに慣れている。そして、さっきまでのやり取りを忘れている。


 「ありがとうございます。そういえば、僕のことってわかりますか? 自己紹介した方が良いですよね」


 その質問に対してお互い頷く。見たことぐらいはあるが、一応名前ぐらいは聞いておかないと。


 「萩原洋介と言います。今日はよろしくお願いします」


 座りながらではあるが、深々と礼をする。


 不思議なもので、これだけで彼の純朴さを多いに表しており、会って間もないというのに勝手に私の中で良い人として解釈される。これが、生まれ持っての人柄というものなのだろうか。どっかの誰かさんとはえらい違いである。


 「どっかの誰かさんとは違い、君は偉く礼儀正しいんだな。で、依頼内容は何かね?」

 「誰のことですかーそれ誰のことですかー!!」

 「安心したまえ。君ではない」

 「じゃあ、誰のこと言ったわけ?」

 「………………」

 「いや、黙るなよ!? つーかやっぱり私じゃん!」


 椅子から立ち上がり言い返そうと詰め寄ると、横から笑い声が聞こえてくる。


 「ハハッ…と、ゴメンゴメン。つい笑っちゃった。仲良いんだね…えっと…」

 「涼だ、土屋涼。涼でいい。で、こっちは如月だ」

 「じゃあ、涼くん。仲良いんだね、如月さんと」

 「冗談はよしてくれ。仲良くした覚えなんて微塵もない。君もそうだろう?」

 「当たり前。洋介君、冗談はやめてくれる? それとも、良い人だって思ったのは私の勘違いで、洋介くんは悪い人か何か?」

 「ち、違う違う。気分を悪くさせたのなら謝るよ。ゴメン…」


 冷静に考えれば悪いのはこっちなのだが、この謝りよう。なんだか申し訳なくなってくるが、こっちも多少は腹が立ったので、お互い様だ。


 「別に怒ってないよ。で、話って?」

 「あ、うん。その…その前に、一つお願いがあるんだけど……良いかな?」


 聞くまでもなく、それを聞く為の私達なのだが、そこに確認を取るあたりが彼の性格なのだろうか。頷いて続きを促す。


 「このことは、ここだけの秘密で協力して欲しいんだけど、ダメかな? もちろん、協力してくれたらって話だけど、あまり人に知られると恥ずかしいっていうか…」


 少し気が抜ける。何を言われるのかと思えばそんなことか。


 友達や親に頼めない内容だからここに来ることぐらいは、私にも察することができる。そんなこと言いふらすつもりもなければ、いちいち言う友達もいない。それはアイツも一緒なのか、


 「元よりそのつもりだが承知した。我々だけで対処しよう。で、その内容は?」

 「………」


 よほど恥ずかしいのか、下を向いて言いよどむ。


 正直、私は私で少し緊張していた。何を言われるかわからないし、なにより初仕事。しかもこれが上手くいけば推薦も難しくないのだ。緊張するなという方が無理がある。


 「あの、その……」


 その…何?


 「その………ね?」

 「………」


 あああああああああああ、じれったい! 早く言いなさいよ!! いくらなんでも伸ばしすぎ!!! 大体、必要以上に伸ばす時って大抵たいしたことないんだから。恥かく前に早く言ったほうがいいのよ。


 そんな心の叫びが通じたのか、意を決したのかわからないが洋介の顔つきが変わる。彼の中で決心が付いたようだ。


 緊張の瞬間である。


 「その…あのね……告白を手伝って貰いたいんだけど…いいかな?」

 「…………は?」


 グランドの静けさと比例するように静寂が包みこんでいく教室で、私の間の抜けた声だけが虚しく響き渡った。

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