第4話 逢妻優斗

「はあはあ……ダメだ…もう無理……」


叩くように停止ボタンを押すと、そのままふらふらと歩きながら近くのベンチへと倒れ込んだ。


呼吸を整えつつ時計を確認する。時刻は11時を経過したところだった。ざっとみて一時間ぐらいは走っていたみたい。ちょっと調子に乗って走り過ぎた。貧血起こしたみたいに目の前がくらくらする。


「……全然ダメだ。体力落ち過ぎ」


屋上から受け身をとった時なんかは技術的な衰えを全然感じなかったのに、体力は正直だ。少し走っただけで、こんなにも現実を私に叩き付ける。今日ぐらいのペースでバテる何てありえなかったのに。これからは少しぐらい運動した方が良いのかもしれない。


「まあ、それに気付けただけでも楓に感謝かな…あ、そういえば楓は……」


タオルで顔の汗を拭いつつ、マシンが立ち並ぶ方へと首を伸ばす。筋トレしたいって言ってたし、いるんなら筋トレ中であろう。


「んー…っかしいなあー、何処行ったのよ……」


見渡すが、それらしい姿は見当たらない。男性の利用客が多いだけに、いれば直ぐにでも見つかるはずなんだけど。


私は面倒臭いと思いながらも立ち上がる。楓も子供じゃないし一人でも問題ないだろうが、知らんぷりして一人で行動するのは憚られた。散々一人で走っておいて言うのもなんだけど。


フロアを一周して探そうと隅に設置してあるストレッチマットの方へと向かう。数人の男性が座って身体をほぐしており、やっぱ女性は少ないんだなと考えていると、談笑に励む若い男女二人組が見えた。


一人は茶髪で、もう一人は見慣れたポニーテール───というより間違いなく楓だった。


「………ん?」


うんまあ、別にそれは良いんだが…問題はもう一人の茶髪である。


誰だコイツは? もしかしてナンパだろうか? 困り顔の楓を見るに、もしかしなくともナンパ以外の何物でもないが、しかし、迷惑極まりないなコイツ。公共の場なんですけど。


楓も変なところで人が良いから適当に話を合わせてるんだろうけど遠慮しちゃダメよ。こういうのは最初にガツンと断るのが大事なんだから。 


「おい」

「───ッ!!」


スパァーン! と小気味良い音がフロア中に鳴り響く。


助け船を出すと同時に頭をはたいてやったのだ。上手く加減出来なくて注目の的になっちゃったけど、ナンパ相手ならこれぐらいが丁度良い。さっさとどっか行って下さる? 邪魔なんですけど。


「うわあ…ちょっとお姉ちゃん……」

「大丈夫だった、楓? ごめんね遅くなって。でも、もう大丈夫だから」

「いや、別にそれは良いんだけど……」

「?」


何故か顔が青ざめる楓。何よ…もしかしてナンパされたかったとか?


「そうじゃないって…もう、相手はちゃんと確認しなきゃ…」


楓は溜息交じりに茶髪を指さすと声をかけた。


「大丈夫ですか? ホント、毎回タイミング悪いですよね」

「ってえー……タイミングっていうか乱暴過ぎるんだよ、凛は」

「──はっ!? 凛!!? ちょっと待って何で私の名前知って───て…優斗!?  優斗よね、何してんのこんなところで!!?」

「気付くのおっせえー…」


頭を掻きながらジト目を向けてくる茶髪の男性。


彼の名前は逢妻優斗。


近所に住む同級生で小中高と同じ学校へと通っている。私達姉妹とはいわゆる腐れ縁である。


「お姉ちゃん、同じ学校なのに気づかなかったの? 私でも直ぐ気付いたのに…」


終始、呆れながら言ってくる楓。


毎日、顔合わせてるでしょ? とでも言いたいんでしょうけど、でも、それは間違っている。


「気付かないって、学校に何人いると思ってるのよ。学年に300人もいれば顔を合わせなくたって不思議じゃないでしょ? 私だって、まともに見たの一年振りよ」

「ウソつけ! 顔合わせても凛が無視するだけだろうが!!」


頭を押さえながら激昂する優斗。相変わらず面倒くさい男だなあ…


「冗談でしょ、冗談。いちいち声がデカいのよアンタは」

「凛が突っ込ませるからだろ…いつもはこんなんじゃねーし」

「はあ!? あー…でもそうね。そうかもね」


その言葉に、私は鼻で笑ってしまう。よくそんな事が堂々と言えますね。


「どういう意味だよ…」

「いつもじゃない方がマシだって言ってんの。優斗、いっつもナンパまがいの事して女の子はべらかしてるじゃない。あれで、無視するなって言う方が無理あるでしょ、アンタの彼女から恨み買いたくないし」

「優斗さんって…相変わらず最低なんですねぇ…」


ドン引きですと、楓。


年が二つしか違わない為、楓も知っているのだ。彼の女癖の悪さを。


優斗は背も高いし口も上手い。そして何より顔が良い。そこらへんの芸能人なんかよりもずっと。優斗本人もそれを自覚してるので、尚性質が悪いのだ。将来録な死に方をしないのは確実である。


楓は、恐る恐るといった感じで話しかけた。


「優斗さん、まさかとは思いますけど…流石に中学生には手出してないですよね…?」


間髪入れず、優斗は笑いながら手を振った。


「ないない、そこは安心して良いよ。仮に出しても楓ちゃんだけだから安心して」

「お姉ちゃん、キモイよこの人……」


ニコニコと笑う優斗に口をあんぐりと開け放つ楓。なかなか面白いなこの二人。


「優斗、冗談抜きで楓に手出したら許さないから。それよりどうしたの今日は? せっかくの休みにデートじゃないの」


優斗が幾人の女性と付き合ってるかは知らないが、この男がせっかくのGWにデートしない理由がない。まさか、全員に振られたなんてことはないだろうに。


優斗は不敵な笑みを見せた。


「フフン…凛も気になる?」

「気になるっていうか意外なだけ。優斗がデートより筋トレ優先するだなんて思えないからさ」


私の知る限り、優斗はあまり運動が得意ではない。頭はそこそこ良いのだが、運動神経の方はからっきしで、おまけに根性がない。一人で黙々と自分と闘い続けるウエイトトレーニングなんてものは優斗の性格からしてみれば対極で地獄みたいなものである。


「…まあ、確かにキツいけど。俺にも色々あんだよね」

「何よ色々って…どうせ夏に向けて身体作るとかしょうもない理由でしょ? 隠すほどの事なのそれ」

「ひでえ言い方だなあ…隠すっていうか、どうせ今の俺じゃ何言ったって信じて貰えねーから言わねえだけだよ」

「……あっそ」


優斗は立ち上がるとタオルを肩にかけてから靴を履く。どうやら本気でトレーニングをしに来たらしい。


「喋っててもしょうがねえから、アップがてらちょっと走ってくるわ。二人はもう帰るの?」


楓と顔を見合わせると、何となく二人で頷いてみせる。買い物にも行かないといけないし、時間的にも今が丁度良い。店が混むのは勘弁だ。


「そっか。じゃあまた学校でな、凛」


挨拶を交わすと優斗は私が元来た道、トレッドミルの方へと向かって行く。


アップというからには、走った後もマシンで筋トレでもするつもりだろうか? 一体何が彼を動かすのやら。


「気になるの? お姉ちゃん」


楓が覗き込むように聞いてくる。気になると言えば気になるが…私はそれよりも言い方の方が気になっていた。


「“今の俺じゃあ”ってどういうこと?」


楓の頭をぐりぐりしながら聞いてみる。楓からは、小さなうめき声しか聞こえてこない。


「わっかんないよねえ…気にしてもしょうがないんだけどさ……」


優斗の方に視線を這わせる。


ゆっくりと、それでも確実に走り出す優斗の姿がそこにはあった。


「まったく…何考えてんだか…」


知り合って約10年。


優斗とは小学校高学年ぐらいから付き合いがなくなっていた。


学校ではまず話さないし仮に話しても今日みたいな適当な世間話ぐらい。


空手や性格もそうだけど昔とは違うのだ。


でも────


それが少しでも“寂しい”と感じてしまうのは、どういった心情の変化だろうか?



以前では考えられないことに、私は戸惑いを覚えていた。



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