(4) 風の強い夜に
仕事がなくなった従業員は、秋田駅前までの向かう臨時構内シャトルバスに詰め込まれて退社していき、バックステージからも人の姿が激減していた。
本社D館の屋上緑化の花たちも風にあおられて、開花直前のアメリカンブルーもつぼみを開かずに暴風雨をやりすごそうとしていた。
その強い雨に窓をあらわれている渡り廊下を通って、久保田に引率されフローラとフィギュアの6人は、エンターテイメント棟3階にある仮眠室に案内された。
3階はロッカールームやシャワールームがあり、仮眠室も和室の部屋とカプセルベッドが並んだ部屋が合計で6か所ある。和室は仮眠に使うほか、ミーティングや外部からの関係者の接遇などでも使っている。
さくらたちが使う部屋は和室の中でも小さい方で、中央にある襖を閉めれば2部屋に分けられるようになっていた。畳の敷かれていない廊下部分には冷蔵庫とIHクッキングヒーター、そして小さなキッチンシンクがある。
案内してきた久保田が荷物を置くみんなに説明した。トレーニングウェアにはまだ着替えず、さつき以外はみんな学校の制服のままだった。
「夜のお布団は頼んでおきました。夕食は従業員食堂で一緒にとる予定ですが、夜食などは社内のコンビニなどで各自で用意してくださいね」
はーい、と返事をするみんなに久保田はにっこり笑って続けた。
「みなさん、制服がびしょ濡れですね。イシューオフィスにクリーニングの依頼をしますのでこの袋に制服を入れて、こっちの依頼表に名前を書いておいてください」
やったー、クリーニングしてもらえるんだー、と美咲がさくらに喜んで見せて、さくらも「よかったね」と微笑んで見せた。
わかばの質問に何か答えていた久保田を見ながら、さつきは隣に立っていたいずみに感心したように口を開いた。
「あのおねえさん、事務所でデスクワークだけじゃないんだねぇ 有能?」
「うん、まあ、ね。……でも、怒らせると怖いと思う。なんとなくだけどね」
「ほうほう」
みんなが着替えている間にも窓には大粒の雨が叩きつけられて、パチパチと米粒でも力いっぱい叩きつけているような音が風が吹く度に響いた。みんなが風が強いなぁ~と思っていると、つけていたはずの室内の蛍光灯がふと消えた。
時々唸りを上げていた冷蔵庫も急に沈黙し、空調やどこからか聞こえたテレビの音なんかも一斉にきえて急に静かになった。
わかばが、不安そうな顔をして佐竹に顔を向けた。
「て、停電でしょうか~」
「うん、多分ね」
部屋には薄暗いながらも外の明かりが差し込んでいるので、みんなは一瞬あたりを見渡した後、気にしないで着替えを続けた。廊下はオレンジ色の小さい非常灯で照らされて真っ暗にはならなかったが、なんとなく薄暗く空気が重くなったように感じられた。
しばらくして、館内の放送設備から場違いなほど明るいぴんぽんぱ~んというチャイムが流れ、ガコっという雑音の後におじさんの声が響いた。
「え~、こちらはCEP配電室です。ただ今バックステージの一部で停電が発生しています。原因を調査しますのでしばらくお待ちください」
停電しているとはっきりわかると人間は安心するようにできているのか、その放送の後、「停電ならしかたない」という空気が漂って、さくらたちも雑談したり、鏡をみて髪を直したりし始めた。
予定していた時間に間に合わせるようにとりあえずトレーナールームに行くと、電池式の壁掛け時計はいつも通り動いていて、消えた照明の代わりにトレーナーが電気ランタンをいくつか床や机に置いて待っていた。
非常用の小さな照明はついているのでは真っ暗ではないが、いつもと違う柔らかな電球色の光が室内を照らして不思議な空気を作っていた。
トレーナーは腰に手を当てて、おっきなお胸を張って、いつもと全く同じような表情を浮かべていた。
「電気がなくてもダンスは踊れる! さぁ、早速いくぞ」
いつものCDプレイヤーではなく、スピーカー音量を最大にしたタブレットPCを机の上において曲をかけた。メトロノームと連動するアプリを使っているようで、音楽が流れると、ちゃんとリズムを刻んでいた。おかげで、いつもより音が若干小さいぐらいで問題なくダンスレッスンが続いた。
さくらたちがいるエンターテイメント棟から渡り廊下を渡ったお隣のビル。警察署と消防署が合体したようなセキュリティー棟の2階にあるオペレーション・カンファレンスルームでは、パークの各部署の責任者などが集まって会議を開いていた。部屋の名称はずいぶんと大げさだが、実のところ大きなプロジェクターとパイプ椅子などが並んでいる大きな会議室というところで、名称に釣られてSFチックなものを期待するとがっかりするだろう。すくなくともつばさはがっかりしていた。
2時間ごとの天気図を貼ったホワイトボードには「20時以降 鉄道:運休の見込」と書かれ、県道の新屋大橋も風速により閉鎖される可能性があることを警察から通知されたことが書かれている。
前の方に座っているパークオペレーションのデューティー(責任者)が、持ち込まれた資料やタブレットPCでの気象情報、そして、各部署から報告を得て結論を下すことにした。
「よし、結論を出そうか。16時時点のインパークは1000人以下で、おそらく今はもっと少ないだろう。ウェザーによるとこれからさらに天候は悪化して暴風になるようだ。電車が止まる前にゲストの安全のためにアーリークローズ(閉園時刻前倒し)としたい。どうかな?」
特に反対論もなく、急遽アーリークローズが決まった。結論が下ったので各部署の社員たちはそれぞれがロケーションに向かい、悪天候対応の作業に向かった。セキュリティ棟ではあわただしくクロージングの準備が始まる。レインギアを着たセキュリティー・オフィサーが誘導灯片手に駐車場のクローズのために青い回転灯を点けたパトカーにのって本社ゲートに向かっていった。
そのカンファレンスルームに隣接する無線と防災指令を担当するコミュニケーションセンターに城野がグリーティングで使う無線機を返却にきたのはその時だった。セキュリティ棟のドタドタした動きをみて顔見知りのコミュニケーションセンターのキャストに「アーリークローズになったの?」と尋ねた。セキュリティ・コスチュームを着た女性のキャストが城野に「そうなんですよー」と答えた。その女性キャストはマスクをしていて、コンコンと空咳をしていた。
そのやり取りを見ていたスーツ姿の社員が声をかけた。この社員は城野と同期入社で、城野の事をよく知っていた。
「ちょうどよかった」
「なんですか?」
「その子にスピール頼もうと思ってたんだけど、咳がひどくてね」
「……へ?」
数分後、城野の声がパーク中で流れた。
『アーニメント・スタジオから、ご案内いたします。本日は、悪天候のため……』
放送が終わり、コミュニケーションセンターの非常放送用のマイクを置いた席に座っていた城野に、コミュニケーションセンターのキャスト達から「おお、プロっぽい」と声があがった。マスクをしていた女性キャストは申し訳なさそうな顔をしていた。
「すみません、代わっていただいて……」
「まあ、事情が……ある……し……」
そこまで言うと、城野は我慢していたのか、くしゃみを2連発した。
「うー なんだろう?」
「ひょっとして、うつっちゃいましたか?」
「え? あーいえいえ、さっきからこんな感じで」
両手で口をふさいで城野は、またくしゃみをした。
「今戻りました~」
城野がオフィスにはいり、机に向かっていたSVに声をかけた。
「おつかれさま。さっき聞いたけど、パークワイドのスピール……あれ?」
「なんれす?」
SVは、おやおや? という顔をしながら城野の顔を覗きこんだ。
「城野、あんた顔赤くない?」
「そうれすか……? あー、さっきからなんかふわふわしますねー」
「お薬あったかしら? 確か救急箱に……」
「そういえば、久保田さんが風邪薬切れたから注文するって今朝言ってまひたね」
「じゃあ、健康管理センターいっておいで。風邪薬くらいあるでしょ」
「そうれすね……ちょっといってきまふ それで落ち着いたら帰りまふ」
「そのほうがいいわ」
城野が健康管理センターに向かったちょうどその頃。
さくらたちはトレーナーのタブレットPCから流れる曲に合わせて練習をしていた。ダンスがちょうど終わるタイミングで、天井の照明が復活しいつもの明るさに戻った。
「よし、停電おさまったな。休憩したら、前半の振り付けを集中してやるぞ」
みんなが「はい!」と返事をすると、トレーナーはあとでみんなに自分たちの動きを見てもらうために撮影しておいたビデオカメラを三脚に載せたまま操作した。
動画が取れているか確認するために再生してみると、カメラのビューファインダーでもわかる程度に、フローラとフィギュアの動きが微妙に統一感がなくなっていた。そのことは本人たちも意識しているらしく、表情もさえていない。
トレーナーはその様子をみて、ボールペンで頭をかいていた。
「なにか、かみ合わないな…… 動きは間違ってないんだが」
トレーナーが思案している間、床に座って汗を拭きながら一息ついていた美咲はさくらに顔を近づけて小さく聞いた。
「風 収まったのかな?」
「天気予報だと、夜まで、こんな感じ、て……」
さくらのいう通り、停電は治ったが風が収まる気配はなかった。
その風に直撃されて被害を被ったのは城野だった。
健康管理センターはエンターテイメント棟とセキュリティー棟の間にあり、外側から入らないといけないのだが、雨に打たれて足をひどく濡らしながら城野が玄関にたどり着いた時、その入り口には「悪天候のため休診 緊急時は中央救護室へ」と書かれた紙が貼られて扉が閉じていた。もちろん鍵がかかっている。
「えー……ここからCFAにいくの?」
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