(3) 佐竹の迷い

 金曜日の合宿当日。朝から空は不穏な空気を漂わせ、グレーというより鉛色に近い重苦しい雲が覆っていた。秋田市泉にある井川医院の自宅兼診療所のダイニングでは、さくらが母親と朝食を取っていた。母親は窓の外をみて「大雨になるみたいだけど、大丈夫?」と尋ねた。


 「部屋の中、だから、大丈夫、だよ?」

 「でもほら」


 テレビに目を向けると、天気予報で「全県に大雨洪水・雷・暴風警報」が発令されているという。午後3時ごろまで県内の鉄道各線と新幹線・航空便は全て始発から平常通り運行する、といっているが……


 心配はないかと言えばうそになるが、これでレッスンの時間が減るのも不安だし、明日まで帰ってくる予定はないのだから問題ないはず。さくらはそう判断した。


 


 秋田駅に着くと同じ電車に乗っていたらしく、美咲に後ろから声をかけられた。

 学校まで合宿の荷物を持っていくのも大変なのでコインロッカーに預けよう、ということになった。みどりの窓口に隣接する待合室にコインロッカーがあり、特大サイズのロッカーに2人分の荷物を押しこんだ。

 その待合室にあるテレビには、駅からの案内として「15時以降列車の遅延、運転取りやめの可能性」について表示されていた。


 美咲は「ふぅん」とその表示を見ながらさくらの顔をみた。


 「合宿決まっててよかったねぇ。今出来なかったらあんまり練習できないもんねー」


 さくらはコクンとうなずいて同意した。合宿というのが不安ではあったが、やはり、メインのステージの前列を担当する以上ヘッポコなところを見せるわけにはいかない。


 ロッカーのドアを施錠してさくらが鍵を預かることにすると、二人は足早に学校に向かって歩き出した。駅前の風は夏だというのに冷たく水分を含んでいて、そこを行き交う誰もが東北の夏の短さを実感していた。





 それからしばらく時間がたったころ、案の定雨が降り出した。

 風も少し出てきて、窓ガラスに叩きつけられる雨粒の音が佐竹のいる教室の中にも響いていた。土崎にある県立高校の新しくなった校舎の2階から住宅が並ぶ山側の斜面を見ていた。木々の葉が風にあおられて時々ストレッチでもするかのように緩やかに反り返っていた。ちょうど現代国語の授業の最中で、今日の合宿の事を考えて少しぽけっとしていたが、先生に指名されてあわてて起立して教科書を朗読し始めた。




 天気予報の通り正午過ぎから雨も風も強くなり、時々地面から白い霧のようなしぶきが舞い上がっていた。さくらたちの通勤ルートにあたる電車も、新屋駅に着くまでは通常通り運転していたが、駅のLED案内を見ると新潟から来る特急が途中で運転を休止したと書かれている。


 

 一方佐竹たちは白井プロが用意した車が迎えに来ていて、いったん会社によってから本社D館まで来ることにしていた。ワイパーがせわしなく動いても雨を払いきれず、ハンドルを握るプロデューサーもスピードを落として慎重に走っていた。


 ワゴン車の後ろの席に座っていたさつきが「雨ぇ、すごいねぇー?」とつぶやいていた。さつきは私服だったが、学校から直接乗り込んだ佐竹とわかばは学校の制服姿だった。雄物川にかかる秋田大橋を渡ろうとすると、牛島側の十字路にはすでに県警のパトカーが交通規制の準備に入っているようで、雨合羽をきた警察官がワゴン車から看板や資器材を降ろしていた。 


 交通規制がかかる前に白井プロのワゴンは本社ゲートから、エンターテイメント棟前の駐車区画につくことができた。指定された駐車区画に駐車すると、城野が運転する社有のシティーワゴンが少し遅れてバックしてきた。


 城野は運転席から降りると、そのまま車の右側の後部スライドドアを開けて中からフェアリーリングとみそのを降ろした。揃いのエンターテイメント部の灰色パーカーを羽織って小走りにドアを開けて中に入って行った。

 

 城野がくしゃみしながらトートバックからタオルをだして4人に配った。

 なにやら城野は寒いらしく、何度もくしゃみして、みそのに「城野さん、大丈夫?」と心配されていた。


 広森が(なぜか嬉しそうに)藤森の頭をタオルで拭いていて、みそのは城野から受けとったタオルを舞に渡した。すると、後ろのドアが開いて雨音が聞こえたかと思うと、背中に何か温かいものがボスッと当たった。

 みそのが「ん?」と振り返ると、にっこり笑ったわかばが抱きついていた。


 「わかば! なんだ、今きたの?」

 「うん! おねーちゃん、今日はこれかお仕事?」


 そういうと、舞や藤森に気が付いたのか、ぱっと離れて「おはようございます!」とフェアリーリングに挨拶した。仲良くなっていることもあって笑顔だった。

 

 舞や藤森が挨拶を返すと、みそのは自分の首に巻いたタオルの先をわかばの顔に当てた。顔の左側が雨に当たって濡れていたからだ。

 妹の顔を拭いてあげながら、みそのは先ほどの質問に答えた。


 「むしろ、お仕事おわっちゃった。今日はグリーティングもステージも中止になって戻ってきたの」

 「そうなんだー……あ! じゃあ、おねえちゃんも一緒にトレーニングしよう!?」

 「残念、ボイトレ終わったら今日はもう勤務解消ってことになっててね」


 勤務解消というのは、天候などで仕事がないときに残りの勤務時間分の時給の半分を払う代わりに退社させるという制度で、連発されると専業のキャストにはシビアだが、時として喜んで立候補する者が複数出ることもある仕組みだ。もちろん時給で働いてるキャストだけの制度で、月給制の社員にはあまり意味のある仕組みではない。


 みそのたちの場合、時給のほかステージ出演料の半額分も保障される。

 まあ、有料の休暇みたいな感じでもある。今日はこの悪天候で、エンターテイメントのダンサーたちは軒並みこの勤務解消にかかって帰宅している。天気があまりひどいのでさっさと帰りたいというのが本音のキャストが多く、不満も特に出なかった。


 舞たちも同じように勤務解消が決まっていたが、イベント本番が近いという事で別の場所ですでに予定を早めてボイストレーニングを行うことが決まっている。アニメスタジオにも実は小さいながらもレッスンルームがあり、そこでユニット曲の歌唱指導が行われることになっていた。みそのはイベントMCを務めることになっているので、その打ち合わせもある。そういう理由があるので、フィギュアたちとは一緒に練習できないのだ。


 わかばの後ろから、さつきと佐竹も中に入ってきた。

 さつきはみそのに気が付くと「みそのちゃん~ おっつぅ?」と手を軽く振った。

 みそのは佐竹とさつきに微笑みながら声をかけた。


 「今日から合宿なんだって?」。

 「いずみちゃんたちと一緒だからぁ、ちょっと楽しみなんだぁ~」


 さつきは機嫌がいいようなのだが、さつきに視線を振られた佐竹は「本番も近いですから」と返しただった。佐竹もさつきもプライベートで付き合いがある。佐竹がみそのに敬語なのはいつものことなので、別に他人行儀というわけではない。


 プロデューサーが荷物を持って中に入ってきて、自分のハンカチで顔をふいていると、くしゃみを連発する城野に「大丈夫ですか」と声をかけていた。

 城野は「だいじょうぶれすよ」と手で口を覆いながら答えた。

 

 

 とりあえずオフィスに向かうので、みんなで一団になって階段を上がって渡り廊下を目指した。その途中。一団から少し離れながら、佐竹は遠慮がちにみそののパーカーの裾を引っ張った。


 「ん? どしたの?」

 「いずみさん、プライベートだとどんな感じかわかりますか?」


 みそのは真面目な話だと分かって、歩調を落として他のメンバーとの距離を意図的に離した。佐竹もそれに合わせた。みそのは、「んー」と少し考えてから佐竹に視線を向けた。


 「話とかしてないの?」

 「仕事の話はしますし、それなりに意見交換とかしてますけど……プライドとか高そうですし……」

 「あー、確かにプライド高いからね。でも、基本、いい子だよ? いい人って思われるのなんか嫌がってるけどさ。結構お人よしだし、めったなことじゃ怒らないしね」

 「そうなんですか? なんか、きつそうなイメージが……」

 「心配ないと思うよ?」


 舞たちとは距離が開いたのだが、佐竹は脚を止めて階段の踊り場でみそのと2人きりになった。佐竹は少し回りを気にして声を小さくしながら口を開いた。



 「あの……それで、井川さんなんですけど……」

 「ん? さくらちゃん?」

 「はい……ひょっとして、嫌われてるんじゃないかと……」

 「え? なんで?」

 「この前ちょっとケンカみたいなことがあって……それに、なんかよそよそしいというか……聞いた話だとお嬢様って話ですし……」


 みそのは、佐竹が「お嬢様」というのを大げさに考えてると思ったらしく、小さく手を振って見せた。


 「あははっ 考えすぎ、考えすぎぃ! さくらちゃんはちょっと人見知りなだけで嫌ってるわけじゃないと思うよ?」

 「そうでしょうか」

 「そうだよー。 んー、まあ、どっちかというと……昔の佐竹ちゃんみたいな感じだと思うよ」

 「わ、私ですか?」

 「うん。似てると思うな。だから、佐竹ちゃんがされてうれしい感じで、さくらちゃんと話してみればいいんじゃないかな?」


 佐竹は納得したのかどうか、いまいちわからない表情を浮かべていた。自分に似ているというのをどう解釈すればいいのか悩んでいるように、みそのは思えた。




 アウローラオフィスにみそのと佐竹がはいると、わかばがみそのに抱きつきながら顔を見上げていた。


 「ねえねえ、お姉ちゃん、この後帰っちゃうの? 終わったらいっしょにトレーニングしないの?」

 「ステージが全然違うでしょ? さつきちゃんと佐竹ちゃんと一緒にがんばりな? いずみちゃんもいっしょなんでしょ?」


 わかばは、最後の言葉に反応したらしく、少し顔を赤くした。


 「そうなんだよー ご飯とかも一緒になるのかな……」


 わかばは、ぽわわんと何かを妄想していて、それを見たみそのを苦笑いさせていた。



 みそのは妹が合宿を楽しみにしていることがわかって安心した。白井プロ以外の同世代の女の子との交流は良い刺激になっているようだとみそのは思った。わかばは最年少であり、本来であればここで働くことはない年齢であることが負担になっていないかと思ったが、どちらかというと、佐竹の方が今は心配なみそのだった。フィギュアが結成され、誰も知られていない状態で活動を始めた時から三人を知っているみそのには、佐竹が口にはしないものの、あまり合宿に気乗りしていないという事はすぐにわかったのだ。


 だが、立場上でいえばほとんど部外者の自分が口を出していいのか迷いがあって、結局この場では佐竹にはアドバイスらしき事をみそのは口にしなかった。


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