第8章 変ってゆく、変らないもの
(1) 冷たいタイヤキ
朝の陽射しに空気がまだ白い9時過ぎのオフィス。いずみが美咲の生暖かい視線の中でATRにIDカードをかざして出社の処理を終わらせたころ、オフィスの応接エリアでみんながワイワイとにぎやかに何かを話しているのに二人は気が付いた。
いずみが美咲の肩に手を置き、こまちに話しかけた。
「なにこれ?」
「お揃い!」
「ふーん、みんな同じ奴か……」
よくよくテーブルの上を見ると、どこかの製造メーカーの段ボール箱が開けられていて、そこには「非売品」とプリントされている。同じぬいぐるみストラップがまだ梱包されたまま中に残っていた。そのぬいぐるみは、アンバサダー・パークワイドコスチュームを着たミミのもので、パーク内では売っていないものだった。
出勤してきた舞が「おはようございまぁ~す」と挨拶をしていたが、広森の隣でストラップを見ていた藤森から声をかけられて、興味深そうに近寄ってきた。
「これ、どうしたの? あ! 私たちと同じコスチュームだね!」
「そうなんです! かわいいですよね」
美咲といずみも広森からそれを渡されて、しげしげと眺めていた。
広森がいつもの笑顔で事情を説明してくれた。
「最近、広報さん経由でテレビとか取材とか多かったでしょ? それで、広報部の方が試作品ですが、ってこれを持ってきてくれたの。アンバサダー活動で配るものらしいよ」
さくらと話していた舞がみんなに向けてストラップを見せながら提案した。
「みんなお揃いだから、アウローラユニットの目印になるね」
さくらと美咲はさっそく持っていた鞄につけてみた。
いずみも「まあ、そういうことなら」と特に反論もなくストラップをスマホケースのストラップホルダーに取り付けた。そこにはすでに先客がいて、いずみのスマホにココとミミがカップルで仲良くぶら下がっていた。
**
STARが出演するステージは、パイレーツコースト内にある「フリゲートドック・ステージ」と呼ばれる場所にある。港に停泊する私掠船「トルトゥーガ・フリゲート」号の補給基地という設定になっていて、アドベンチャー・ラグーンとフェアリーガーデンのちょうど間に存在する。周辺は港町のようになっていて、1960年代のアドベンチャー映画とファンタジー映画の要素が混ざり合っていて、少し無国籍なイメージでデザインされている。
7月も半ばを過ぎ、計画されていたさまざまな景観対策の改装も進んでいて、パイレーツコーストの見た目も随分変化した。自動販売機やのぼり、時代背景無視の写真ポスターなどは撤去され、ドリンクスタンドやスタジオの美術部門が制作したクラシカルなポスターや看板に置き換わっている。
そうした変化はスタンバイ中のこまち達も感じていて、水兵のコスチュームを着たこまちが少し背伸びしながら機嫌良さそうに、舞台装置操作室のブラインドを指でずらしながら外を眺めていた。
その視線の先には、空いた時間を利用してSVが監督と話している姿が見え。
SVのシャツの胸ポケットで私物のスマホが震えた。城野からの電話で、SVはゲストから見えないように植栽の裏に移動してからスマホを取り出した。ストラップもケースもついていないスマホは、夏の強い日差しを受けて少し熱をもっていた。
**
音楽が鳴り響き、STARのメンバーがステージに駆け出してゆく。
以前フェアリーリングのメンバーが出演していた"We ARE AdventurerS!"に、今度はSTARが出演している。タイトルは同じだが、夏シーズンを通して行われるイベントステージで、コスチュームが冒険隊ではなく水兵さんであるという点や使用する楽曲やダンスの振りなどの点がいくつ異なる。
そのにぎやかな様子は最近のパークにはなかったもので、ステージ以外の場所にいるゲストからも自然と視線を集めた。
そのステージの正面にある大通りの右側にあるフードスタンドでは、ゲストが屋外のテラス席に陣取り、こまち達のショーに耳を傾けながら少し早目の昼食をとったり、休憩したりしている。
その中のゲストたちに混じり、社会人2年目といった感じの若いカップルが、白いFRP製のテーブル席に腰をおろし購入したコーヒーを飲みながら一休みしていた。彼女の方は店を見渡しながら、少し感心したような顔をしていた。
「なんか、お店もまわりもきれいになってるねぇ。よくわかんないけど、雰囲気よくなってる気がする」
「まあ確かにね。前来た時はもうちょっと遊園地感があったと思ったけどな」
「だよね、新聞で読んだけど、今再建計画とかいうのやってるって。あのショーもそうでしょ?」
「でもなぁ。せっかく見た目がよくなってもさ、メニューがこれじゃね?」
「まあまあ。遊園地ってこんなもんでしょ」
カップルが揃ってフードスタンドに視線を向けた。
そのお店のカウンターの上に掲げられたメニューには
・ラーメン
・からあげ
・たい焼き
といったあか抜けない遊園地にありがちな定番メニューが載っていた。
お店自体は海賊映画のセットのような作りになっていたが、肝心のカウンターのメニューボードにでかでかとラーメンの写真が載っているのは、カップルから見てもやはり場違いに見えたようだった。
**
グリーティングを終え、城野の運転するステーションワゴンで移動するSTARの3人は今日の感想をお互いに口にしていた。少し疲れたからなのか、こまちもつばさも少しぐったりしていた。一番後ろの座席の真ん中に座るつばさが、頭の後ろで手を軽く組みながら左手に座る田澤に愚痴をこぼした。
「せっかくうちらが盛り上げても、目の前のレストランでラーメンすすられてると気分がなぁ」
「一応港町って設定なんだし、中華料理と考えればいいんじゃない?」
「醤油とか味噌のラーメンて中国にあるのかな?」
「うーん……じゃあ、どんなならいいのかな?」
右手の窓側に座るこまちが目を輝かせた。
「カレー!」
田澤とつばさが同時に「ないない」と否定した。
こまちが「えー」と不満そうな顔をした。
つばさが腕を組みながら、こまちに理由を説明した。
「あそこステージに近いじゃん? においがきついと困る」
田澤もうんうんとうなずき、それに続けた口をひらいた。
「カレーのにおいが充満してる場所でステージに立つのは、ちょっとね」
腕を組んだままのつばさが、視線を田澤にむけて頭の中の疑問を言葉にした。
「海賊料理とかってあったけっけ?」
「海賊ねえ……パイレーツ…バイキング……」
こまちがが「バイキング!」と答えたが、つばさは首を傾げた。
「海賊料理ってわけじゃないよね」
「そうだよねぇ……」
田澤が目を天井に向けながら答えていた。
だが、考えてもどうにかなる話でもないし、自分たちが直接関係する話でもないということで、自然と話は別の話題に移動した。こまちとつばさがスマホのリズムゲームのゲーム内イベントの事を話しているうちにエンターテイメント棟の駐車区画に到着した。
**
翌日の日曜日は夏の太陽がより本領を発揮して、陽炎立ち昇る本格的な夏日となった。この日もSTARはグリーティングを行うのだが、この暑さの中をブレイクのためにいちいちアドベンチャー・ラグーンステージの楽屋まで行くのは大変だという事で、SVが店舗運営部のグループマネージャーの同意を得て、「海賊レストラン」の店につながるブレイクエリアを利用することになった。
だが、実際にSTARのメンバーがブレイクエリアに入ると、どうも連絡がうまく伝わっていないようで、キャストたちは何となく遠巻きに様子を窺うような感じだった。その固まりかけた空気をものともせず、こまちが自販機の前で立ったままの若い女性キャストに声をかけた。
「一緒に!」
「え? えーと」
つばさが口にしていたリフレッシュドリンクの紙コップをテーブルに置きながら通訳した。
「あー。"いっしょに休憩しませんか"といってるみたいです」
「そ、そうですか……じゃあお言葉に甘えまして……」
その若い女性キャストは大学生くらいの年齢に見えて、イエローの原色が鮮やかな、それでいてパイレーツコーストの雰囲気には微妙に合わないコックコートを着ていた。そのキャストは椅子に腰を下ろしながら、少し硬い笑顔を田澤にみせた。
「アンバサダーの方ですよね。お邪魔じゃないですか?」
「いやいや、そんなことないですよ。えーと大学生くらいですか?」
「ええ、大学1年で」
「なんだ、私らと変わんないじゃないですか」
「え! あ、そうなんですか!? てっきり社会人かと思って」
「まあ、この子はまだ高校生ですけど」
そう紹介されたこまちは、なぜだか「いやー、むふふ」と照れていた。
田澤が、「いや、別に褒めたわけじゃないし」と冷静にツッコミをいれた。
そのやり取りが面白かったのか、そのキャストの表情が和らいだ。
雑談をしているうちにわかったことは、こまちがいうところの「お姉さん」のキャストは、パークから羽越本線の線路を挟んで反対側にある公立の美術大学の学生さんで、大学の斡旋でバイトに応募したしたという。
しばらく時間がたったころ、店舗につながる通路から白いキッチンコートを着た男性のキャストが業務用の保存容器を持って出てきた。見た目は他のバイトの事は違いいかにも職人みたいな感じで、こまちたちがいたことに気が付かなかったらしく、一瞬ぎょっとしていた。
自販機の前で城野が事情を説明すると「ああ、そんな話を朝聞いたな……」と納得し、みんなの前のテーブルの上に長方形の保存容器を置いた。
「試作品だから食べていいぞ。そっちのお嬢ちゃんたちも」
お姉さんがフタをはずしてくれた。中にはタイヤキが入っていた。焼いたばかりの様で、容器からは白い空気が微かに漂っていた。
3人で「ありがとうございます」といったものの、田澤とつばさは、グリーティングで夏の暑さに体温を急上昇させていたところなので、いまいち手を伸ばす気になれなかったようだった。互いに顔を見合わせてどうしたものかと考えているようだった。
だが、こまちはふふん、と機嫌良さそうな声を上げて容器に手を伸ばした。その様子を見ながらその職人のおじさんは自販機で飲み物を買っていた。こまちは、一口タイヤキを齧ると目を輝かせた。
「すっきり! さわやか!」
つばさが、眉を微妙に曲げて怪訝そうな顔をした。
「タイヤキの感想としておかしくない? 焼きたてほかほか、とかじゃないの?」
「冷たい!」
「へ?」
つばさも容器に手を伸ばし、一つタイヤキを取ろうとした。
「ん? ほんとだ、なんだ、冷たいぞ、これ」
「ホントに? じゃあ、どれ私も……」
田澤も興味を持ったのか一つ手に取った。思った以上に冷たかったらしく、つまんだ指からタイヤキをいったん放し、もう一度つまみなおした。
田澤とつばさが一口齧ってからお互いに驚きの表情を交換し合った。
つばさが口から離したタイヤキの中身を確認すると餡子ではなくバニラアイスだった。湯気に見えた白い空気の流れも、冷気のそれだったらしい。
お姉さんも手を伸ばして一つを口に運んでいた。
そして同じようにタイヤキを口にすると、こまちと視線を交わした。
「これ、おいしいね。冷たいタイヤキなんて初めてだよ」
「びっくり」
お姉さんは、そのキャストたちにタイヤキを配りながら、身をひねらせて職人のおじさんに声をかけた。
「これ、長沼さんが作ったんですか?」
「ああ。俺が焼いたんだ」
「でも、これどうやってこんなに冷やしたんですか?」
「からあげとかの冷凍庫だよ。スペースが少し開いてたからな」
まわりがそんな雑談をしている間にも、こまちはおじさんのタイヤキを気に入ったらしく2つ目のタイヤキに手を伸ばしていた。こっちは中身のアイスがチョコレートアイスだった。
「絶品!」
おじさんが「ん?」とこまちの言葉を理解できてない様子だったので、つばさが通訳した。
「なんか、タイヤキを気に入ったみたいで……」
おじさんは、ははは……と少し笑いながらこまちを見た。
「そうかい。そりゃうれしいね。さすがにこれは手を抜けないからな」
おじさんは早めに休憩を切り上げて厨房に戻っていった。
こまちは満足したのか、あるいはタイヤキとエアコンのおかげで涼しくなったからなのか少し眠そうにしていた。机に突っ伏して、高校生が教室なんかでするように仮眠を取っていた。くしゅんっと小さくくしゃみをしたので、城野が渡してくれたブランケットを田澤がかけてやっていた。
その田澤の様子をお姉さんはうらやましそうに見ていた。
「3人とも仲がいいんですね」
「まあ、同じユニットだしね」
「私もダンサーのオーディション受けようかなって思ってたことがあって」
「受けなかったんですか?」
「うん。受かるとも思わなかったし。だから、正直羨ましいです」
「いやあ、そんなこと……私もなんで受かったのかわかんないし」
「でも、すごいですよ。テレビとかでたり、まるでアイドルみたいですし」
お姉さんは肩をすくめた。
「私たち、キャストとはいっても食堂のバイトだもんね」
別に当てこすりや嫌味で言っているわけではないのは表情でわかる。
ただ、ここでどういう回答が模範解答といえるのか田澤には判断できなかった。田澤はなんとなく、同じキャストという立場でありながら心の中に微妙な高さの壁のようなものが存在するように感じた。
**
グリーティングやショーなどが一段落した17時過ぎ。
エアコンがフル稼働し、ようやく部屋の中が涼しくなってきたアウローラのオフィスでSVはノートPCを使って事務仕事を進めていた。目を閉じて目頭をもんでからもう一度PCのモニターを見ようとすると、左手の肘のあたりに女の子の顔が見えた。
一瞬判断できなくてドキッとしたが、すぐにこまちとわかり、ふーっとため息をついた。田澤とつばさがSVの後ろに集まり、田澤がこまちに「邪魔しちゃだめでしょ」と母親のように注意していた。
こまちがSVのノートPCを覗き込んで、気が付いたことをつばさに教えた。
「海賊! お店!」
「海賊? あーあのお店のことか」
SVは、自分の両サイドからPCを覗き込んでいるこまちとつばさに、特に怒ることもなく話しかけた。
「そうよ。今日、ブレイクで使わせてもらったでしょ?」
2人がうなずくと、SVがPCに視線を戻して話を続けた。
「店舗運営部から改善の提案がいくつかあってね。その中に海賊レストランがあるのよ。まだ何をどうするかは決まってないけど」
こまちはふーんと答えると、ノートPCの画面にしばらく貼りついていた。
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