(7) 私の中の、私らしさ
藤森達の収録が再開されようとしていた。だが、夕食の後には寝るはずの猫たちは、いつもと違う雰囲気に警戒しているのか興味があるのか、狙ったように奥のスペースの引き戸のガラス越しに撮影風景を並んで眺めていた。猫が苦手ではないみそのにとっては面白い光景なのだが、藤森は眉を微妙な角度でピクリと動かしていた。
工房のおばさんがため息をついていた。
「ごめんねぇ。なんだか今日はあの子たち、ご飯食べても全然寝なくてね」
ディレクターが何か藤森に話しかけようとした時、藤森は意を決したのかおばさんに自分から話しかけた。
「あの、あの子たち、いつもはこの時間奥の部屋にいるんですか?」
「え? 普段はあの扉は開けてあるから、こっちの方で遊んだりする子もいるわねぇ」
「そ、それなら、いつも通りでお願いします!」
撮影クルーもみそのも、そして工房の職人さんたちも揃って「え?」という表情を浮かべた。あの大音量の悲鳴を思い出したからだ。おばさんも当然そのことを気にして藤森に確認した。
「猫苦手なんじゃないの? いいのかい?」
「はい。苦手は苦手なんですけど、みそのさんも、SVさんもいますからフォローしてくれます……きっと。それに、テレビを見る人も普段通りの工房が見たいと思います。だから、悲鳴あげちゃったりするかもですけど、いつも通りでお願いします」
SVがディレクターに「どうでしょう?」と確認すると、少し考えた後、ディレクターは答えた。
「わかりました。りさちゃんがそういうなら、その方向で行きましょう」
「ありがとうございます」
「いいわよ、それにバラエティなんだから、絵的に面白ければOKですよ」
引き戸が開けられると、猫たちはいつもそうしているように自由に歩き出した。
長毛種の猫は部屋にある道具の入った箪笥の上に飛び乗ると、そこであくびをして眠り始めた。タービー種の猫は元ヤン風の職人さんの膝に座り込んで眠り始めた。
なかなか寝なかったのはどうやらいつものお気に入りスペースに行けなかったことに原因があるらしい。
収録が再開されカメラが回り始める。藤森達が職人のおじさんから説明を受けているシーンを撮影していると、さっきの子猫がトコトコと藤森達の方にやってきた。
近くまで来ると脚にはすり寄らず、ちょこんとおすまし座りをして様子を見ていた。
その猫に気がついた藤森は、「な、なぜかあの子が見てます……」とみそのに話しかけた。興味深そうな視線を子猫は送ってくるが、最初の時のようにそばに寄ってこようとはしない。まるで、藤森が猫が苦手なのを理解したかのようだった。
作業を進めながら、職人のおじさんは藤森にその子猫の事を教えてくれた。
職人のおじさんが言うには、その子猫は3か月前に一人で震えていたのをおじさんが見つけて連れてきたのだそうだ。親猫とはぐれたのか、あるいは、見捨てられたのか。それはわからないが、おじさんを見つけるとにゃーにゃー鳴きながら突進してきたという。
工房にはすでに猫が何匹もいるということで、母猫もそばにいるだろうと考えて置いていこうとしたのだが、子猫は必死におじさんを追いかけ、その途中なにを思ったのか、配送のトラックやタクシーに何度も"突撃"していき、その度におじさんが拾い上げていたという。
「で、どうにもならなくて、結局工房に連れてきたんだよ」
おじさんは銀線を拡大鏡で確認しながらそう教えてくれた。藤森とみそのがカメラの前で「ひょっとして、そういう運命感じてたのかも」「そうだね」とお互いに話していると、材料の入ったプラスチックの箱を持ってきたおばさんが、その話の続きを始めた。
「その子はね、なんというか、ものすごい人見知りだったんだよ。でね、お店に顔を出したり取引先の人が来たりするのを確認したりするうちに、だんだん、工房に来る人みんなに挨拶するようになってね。自分なりに人に慣れようと努力してるみたいなんだよね」
藤森はその猫が極度の人見知りと知って急に親近感でも感じたのか、子猫に視線を送り、「そうなんですか?」と話しかけた。子猫は返事をする代わりなのか、しっぽを揺らして反応した。
その時、藤森のすぐ後ろを長毛種の猫が横切って行った。
長毛種の猫は「ふんっ」とでも言いたげに藤森に視線を向けると、奥の部屋の方へと向かって歩いていた。驚いた藤森は「ひゃわ!」と変な声を上げて、3歩ほど急いで離れた。
「ほ、本当に自由に行動してるんですね、このお店の猫ちゃん……!」
おじさんが、その様子を見て少し笑った。
「まあ、猫が苦手なお客さんもいるんで、お店の方には出せない時もあるけどね。本物の猫はダメなら、ネコのティアラとかもダメなのかな?」
「えぇ! いえ、むしろ猫ちゃんのキャラとか大好きです」
「そうか、それなら……ん、取材的にはOKなのかな?」
ディレクターにおじさんが顔を向けると、「問題ないです」と答えが返ってきた。
うなずいたおじさんは、立ち上がると藤森についておいでと声をかけた。
おじさんは藤森とみそのを連れて奥の部屋を通り抜け、さらに奥の金庫のある部屋まで案内した。鍵のかかったガラスのケースを開け、豪華な木箱をその中から取り出した。
「例のイベントで使う予定のティアラだよ。猫の耳の形にしてほしいって依頼されてね」
木箱を開けると、そこには銀色に輝くネコミミのティアラが入っていた。繊細な作りで、ネコミミの部分を見るとまるで猫の毛が生えているかのように細かい装飾が施されていた。もちろん、プレスで作ったわけでも削って作ったわけでもない。おじさんたちが銀の線を組み合わせて作った一品ものである。藤森は、その作りと美しさに感動していたようだった。
「これは……かわいいですね! あの、職人さんがこれを作ったんですか?」
「まあね。女の子にかわいいといってもらえてよかったよ」
おじさんは少し得意そうだった。このやり取りはもちろんカメラがしっかり押さえていて、藤森が目を文字通り輝かせてネコミミティアラに魅せられているシーンも映像として収録されている。
「このネコみみ、モデルとかいるんですか?」
みそのがそう訪ねると、うん、と頷いて、藤森達を追いかけてこの部屋までついてきた子猫を指差した。
「全部じゃないけど、毛の表現とか耳の形は、この子をモデルにした部分もあるよ」
藤森は「そうなんですか!?」と驚くと、子猫とティアラを何度も見比べていた。
その後も収録は続き、子猫が見守る中作業体験やインタビューを進めていった。
途中で何度も、SVやみそのから「後ろに猫!」とか「膝に猫いるよ!」とか声をかけられ、腕を伸ばしてマイクを向けたりみそのの後ろに隠れてみたりと、いろいろ忙しそうにしていた。その度に笑い声が起きたり、職人さんたちがいろいろ話してくれたりして、収録自体は休憩前の固まった空気とは一変して和やかな雰囲気の中で進んでいった。
ガスバーナーの燃焼音が微かにひびく作業台で、職人のおじさんは少し太めの銀線を加工して枠を組み始めた。だんだんと花のような形が見えてくる。
目を輝かせる藤森とみそのに、おじさんは説明してくれた。
「この丸い模様になるものを"平戸"というんだ。これをはめ込んでいって、組み立てた部位を真鍮を混ぜた溶液でくっつけていく。手間もかかるから注文から納品まで1か月以上かかるんだが、そのぶん、出来上がったものは繊細で美しいんだ」
藤森がじーっと作業台の木の板の上で組まれた銀線細工を見ているのを、頬をゆるめて見ていたみそのが尋ねた。
「平戸って地名みたいですけど、何か関係あるんですか?」
「もともとは長崎の平戸から伝わったのがこの銀線細工なんだ。それと関係があると思うが……」
「ということは、長崎でも作ってるんですか?」
「それがねぇ、長崎には職人さんはいないんだよ。いや、少しはいたかな? どっちにしても、平戸から伝わったものが秋田で残っているというのも不思議な話ではあるね」
隣の台で作業をしていたおばさんが、あまりにうれしそうに藤森がみているからか、作業の手をいったん止めて2人に話しかけてきた。
「そんなに気に入ったの? サンプルのティアラがあるからつけてみる?」
藤森がうれしそうな笑顔を輝かせた。
「いいんですか!?」
「いいよー。こっちにおいで」
すでに閉店しているお店へ扉を開けて移動すると、おばさんは鍵のかかったガラスケースを開け、中からティアラを取り出した。値札に「見本品:sample」と書かれていた。
花をあしらったデザインで、細かい装飾に光があたって、それは宝石のように輝いて見えた。
鏡の前にすわる藤森に、おばさんがティアラを頭に乗せてあげた。
スタッフから照明が当てられ、カメラのモニターで見るとティアラはより輝いて見えた。ディレクターも「いいじゃない、いいじゃない」と腕を組みながらうなずいていた。
その様子をSVも持参のデジカメで撮影していた。それを脇からみそのが覗き込んだ。
「似合ってるじゃん。いいね、いいねー」
「みそのもつけてもらったら? 似合うと思うわよ?」
「んー、どうしようかなっ ……?」
みそのがSVの腕をつんつんして、窓の外を指差した。
外が暗くて鏡のようになったショーウィンドー越しに、見知った人影が見えていた。
藤森がカメラの前でおばさんからブローチやペンダントなどを見せてもらっているのを撮影されている間、店のドアには鍵がかかっているのでSVとみそのは一度工房に回ってからその人影のもとに歩いて行った。2人とも別に脅かすつもりはなかったが、うしろから声をかけることになって結果的に少し脅かしてしまった。
ショーウィンドーを覗いていた二人が振り向いて、みそのとSVだとわかるとほっとしたような顔をみせた。SVもみそのも驚かせたことをちょっと気にしていた。
「ごめんね、別に驚かすつもりじゃなかったんだけど」
「広森さんと……いずみちゃんだよね?」
ゆるふわ系の私服姿で少し照れたような表情を広森は浮かべていた。
「いえ、すみません、勝手に現場に来ちゃって」
「いいのよ、そんなの全然。心配してくれてた?」
「はい、少し……、ちょっと気になっちゃって」
「ひょっとして、いずみも?」
いずみはスリムジーンズで惜しげもなく脚線美を披露し、7分丈の白いシャツから見える白く美しい手を腰に手を当てて振りむいた。いずみの表情は、ツンとデレの中間ぐらいのもので、なんというか、バツが悪そうだった。
「わ、私は家が近いし、広森さんをついでに案内しただけだから」
「結構距離があると思うけど?」
「やっ! そ、それは、別にこのあたりはランニングで来る範囲だし! 全然遠くないから!」
むー、と口を横に結んで顔を赤くしていた。どうみても照れ隠しで、3人は互いに顔を見合わせて微笑んだ。それに気が付いて、いずみはますます顔を赤くしていた。
店の中でおばさんに説明を受けているうちに、ショーケースの上にあの子猫が飛び乗り、鏡の脇におすまし座りしていた。
ひゃっ! と声を上げた藤森は一瞬固まったが、子猫はじっと藤森を見たまま動かなかった。まるで、ティアラやブローチを身に着けた藤森を見に来たようだった。
おばさんが「こら、降りなさい」と子猫を降ろそうとした。
藤森があわてて「あの、待ってくださいっ」とそれを止めた。
テレビクルーとおばさんが見守っているなか、膝の上で握っていた右手をそっと持ち上げて手を広げた。そして、おずおずと、少しワナワナとふるわせながら子猫の頭に向けて手を伸ばした。子猫はそのまま座ったままでじっとしていた。
藤森の右手が子猫の頭の近くで停止して、中指の先が子猫の額に触れた。
そして、そのまま手をかざして手のひらを子猫の頭に乗せた。
藤森がゆっくりと頭をなでだすと、子猫は目を細めてそれを受け入れた。
子猫の表情を見た藤森も、同じように目を細めた。
「さ、触れた……」
藤森がそうつぶやくと、周囲の大人たちからほっとしたような、安心したような笑みが小さく漏れた。
みそのたちもショーウィンドウからその様子を見守っていた。
広森とみそのがお互いに視線を交わし、微笑んだ。
いずみとSVもほっとしたような顔を互いに見せ合った。
広森がほっとしていたようなので、SVは少し屈んで広森に声をかけた。
「どう? 藤森に声をかけてあげたら?」
広森は少し考えてから、小さく首を振った。その表情には迷いはなかった。
「いえ、今日はこのまま帰ります」
「いいの?」
「はい。藤森さんが上手くいってないようなら何かアドバイスしようって思ってたんですが、私の手助けなんて本当、余計なお世話ですね。だって、ほら、あんなに楽しそうじゃないですか」
広森は店の中で子猫と一緒にカメラの前で楽しそうに収録に臨んでいる藤森に視線を向けた。その視線の先にいる藤森は、本当に楽しそうに笑顔を弾かせていた。
「SVさんは、藤森さんのあの表情をしっていたんですか? だから、この仕事に連れてきたんですね?」
「前に言ったでしょ? あなたたちは、まだ自分たちの魅力に気が付いてないだけだって」
広森は振り向いて、その優しそうな表情でSVに尋ねた。
「私にもありますか? 私の魅力っていえるものが」
「もちろん! ……いずみにもね」
いずみが「へ!?」と驚くような声を出した。
「い、いや、そういうの、私はいいから……」
ショーウィンドウに顔を向けて、その恥ずかしそうな表情を隠そうとしていたが、ガラスにその表情が写り込んでいて、そのことに気が付いた3人は「いずみらしい」とは口にしなかったが、面白そうな表情を浮かべて互いにその感想を交換しあった。
SVとみそのは、工房の前でいずみと広森が店を後にしてゆくのを見送った。
二人が工房の角を曲がって姿が消えると、SVはみそのに声をかけた。
「さて、収録にもどりましょうか…… みその、自分の名前でテレビにでるの、始めだったわよね」
「うん。ダンサーとしては何度も出てるけどね」
「ねえ、アンバサダーになる気はない?」
「私が?」
「そうよ、みそのは経験もあるし、アウローラのみんなも歓迎すると思うわよ?」
みそのは少し考えた後、にこっと笑って見せた。
「私が先輩だからっていろいろ手を出したら、あの子たちのいいところが消えちゃうよ。私は、今のあの子たちがいいなって思えるから」
みそのは、ショーウィンドウから藤森を眺めた。
藤森がみそのに気が付いて、椅子に座ったまま手を振っていた。
笑顔を見せながら、みそのは手を振りかえした。
藤森がスタッフと会話を始めると、みそのはその様子を見守りながら結論をSVに伝えた。
「だから、私は私の道を自分で探してみるよ」
みそのの表情から真剣さを感じたSVは、その言葉にうなずくと、みそのと同じようにショーウィンドウに顔を向けた。
街は夜を迎え、パークの「いばら姫の城」も夏の夜風に身を任せ、ライトアップされたその姿を紺色の空に浮かび上がらせていた。
――― アウローラのメンバーたちがそれぞれに悩み成長していった夏の2日間は街の灯りの中をゆっくりと通り過ぎようとしていた。
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