(6) 変えたい自分
工房の外にある駐車場の一角で、藤森は設置されていた木製のベンチに腰をおろし、そのベンチの隣に設置された自販機でSVが買ってくれたペットボトルの冷たい紅茶を口にしていた。みそのも隣に座りアイスのコーヒー缶を片手に持っていた。冷たいものを口にして、藤森はようやく落ち着いたようだった。
SVがしゃがみこんで、藤森の目線まで顔を降ろした。
そのせいでスーツの膝が少し砂埃で汚れたが意に介さなかった。
「どう? 少しは落ち着けた?」
「はい……ごめんなさい、収録止めちゃって……」
「心配はいらないわ。必要なシーンはこの後からでもちゃんと撮れるから」
コクンと藤森はうなずいたが、車とエアコン室外機の音が響くだけの沈黙がつかのま訪れた。やがて、藤森は顔を上げてSVに目を向けた。
「あの、広森さんか
みそのの缶を握る両手に少し力が加わった。みそのはすぐにフォローしようと「りさちゃ……」までは声を出したが、SVの声がそれを上書きした。
「どうしても? 私は藤森は昨日もちゃんとできたんだから、今日もできると思うわよ?」
「そうでしょうか……」
藤森は膝の上でペットボトルを両手で握り、それに自分の視線を固定していた。
自分に語りかけるように、藤森は話し始めた。
「私、オーディション受けたの時給が良かったからだけじゃなかったんです。私、引っ込み思案で……おどおどしてて……だから、練習すれば、レッスンすればそうじゃなくなるかもって思って……」
話し始めた藤森に、SVは反論もせずに頷きながら話を聞いた。みそのもそれに気が付いて黙って藤森の言葉に耳を傾けた。
「でも、私、全然変わってなくて。広森さんとかさくらちゃんとか、STARのみんなとか、あんな風にできてなくて……」
顔をもう一度SVに向けた藤森は、目が少しうるんでいた。そして、ずっと疑問だったことを口にした。
「なんで私をレポーターにしたんですか? その……私、向いてないと思いますけど」
「それは藤森がレポーターに向いてると思ったからよ? もちろんプロデュース方針もあったけど、向いてないと思ったら提案なんかしなかったわ」
「でも……私、彩音さんとか舞ちゃんとかみたいに、何かできるわけじゃないし。アウローラのみんな、"自分らしさ"みたいなの、ちゃんとあって……でも、私、そういうのなくて……」
言っていて自分の心にいろいろ刺さったのか、藤森の目から溜まっていた涙がぽろぽろ流れ落ちた。
「私の私らしさって、おどおどして、人見知りで、そういうとこです。私、やっぱり向いてないんだと思います……みんなみたいにできません」
一通り涙を流してそれが少し収まりかけたとき、藤森は手で涙をぬぐおうとした。
即座にみそのが私物のポーチからティッシュを取り出し、「こすっちゃだめだよ、トントンして拭こうね」と声をかけた。メイク落ちを防ぐためにみそのが気を利かせたのだ。
みそのに涙を拭いてもらっていると、藤森は頭に暖かい手のひらの感触を感じた。
SVが藤森の頭をそっと撫でていた。
「みんなみたいにする必要なんてないのよ? おどおどして、人見知りで、それが藤森らしさならそれでいいじゃない?」
「でも、それじゃお仕事に……」
SVは藤森の頭から手を戻して、どう説明しようか考えながら口を開いた。
「つまりこういうこと。今日のお仕事は、ティアラとかブローチとか女の子が喜ぶようなものを扱うのよね? 広森やいずみでもレポートはもちろんできると思うし、そうね、多分藤森より上手にできると思うわ」
「そう思います……舞ちゃんとかさくらちゃんでも上手に……」
SVは表情を緩めて、もう一度藤森の頭に手を乗せた。
「でもね、上手にできるだけでも、だめだと思うの。たとえば、広森たちじゃなくても、舞は一生懸命勉強してくるだろうし、さくらは相手にあわせてそつなくコメントできると思う。でも、この収録はね、ゲームの中のアイドルを応援する人たちに見てもらう番組なの。観光PRでもないし、市の広報でもない。一人の女の子としてのコメントが大事だと思うのよ。だってゲームのファンの人たちは藤森みたいな普通の子たちよ、きっと」
みそのもSVの言葉を聞いて、頷いた。
「……そうだね。私はどっちかっていうとギャル系というかそっち系だし、りさちゃんみたいな感じで話すのはできないしね」
「だから二人を組み合わせたのよ。いいと思えること素直に口にできるって結構大事な才能だと思わない? 藤森はそういう点では誰よりも才能あると思ってるんだけど」
みそのはうんうんと頷いた。
藤森は交互に2人を見た。SVもみそのもやさしい表情をしているのに気が付いた。
「私、スケジュールが開いてたからだと思ってて……それで……」
「あら、私、意外とちゃんと見てるのよ? たとえば、藤森がこの前の清掃体験で舞にありがとうって言ってたことだって、ちゃーんと知ってるし」
「えぇ!? そ、それはその……」
藤森が少し恥ずかしそうにしているのを見ると、ベンチの藤森の右側に座った。
正直しゃがみ込んでいて足と腰がメリメリ言い出したからなのだが、何となく目の前で顔を向き合わせるよりは威圧的ではないだろうと直感で判断したからというのもある。
藤森はSVが座るのを待って言葉をつづけた。その表情からは少しずつ迷いが消え始めていた。
「SVさんは、本当に私がこの仕事に向いてると思ったから、提案してくれたんですよね? ……私、まだ、ちょっと自信ないけど、SVさんが、みそのさんが私を見ていてくれるなら、もう一回、頑張ってみます」
藤森の間に挟んで、SVとみそのが視線を交わして微笑んだ。
「それじゃ、藤森。収録に当たってSVとして1つ指導しておくわね」
「はい、なんでしょう?」
「次の収録、頑張っちゃダメ」
「え!? どういうことですか!?」
いまいち事情を呑み込んでいない藤森が、みそのに顔を向けて助言を求めた。
だが、みそのも判断が付きかねているようで、えっと……と視線をそらしてしまった。
藤森がもう一度SVに顔を向けて、次の言葉を求めた。
SVは軽くうなずくと、口を開いた。
「苦手なこと、怖いこと、かわいいと思うこと、楽しいと思うこと。そういう藤森が感じたことを演技でごまかしたり、無難なコメントを出そうと頑張ったりしちゃダメっていうことよ。そういうお上品なコメントが必要な時はそれができる人に頼むから。私は藤森の素直な表情とか感想が聞きたいの。テレビを見る人もそれは同じだと思うな」
あー、そういうことか、という表情を浮かべたみそのが右手の人差指をたてて見せた。
「なるほどね、それが、りさちゃんらしさってことね。なるほど」
それを聞いた藤森は、少しの間考えを頭の中でまとめてると、ベンチからすくっと立ち上がって二人に振り向いた。その顔はさっきまでの涙は消えていた。
「わかりました。私、頑張って頑張らないことを頑張ります!」
――――……あれ? えーと……
明るい笑顔でそう宣言はしたものの、藤森は自分の口にした言葉の意味を考え直したらしく少し混乱しはじめた。
「えっと、今の意味はですね、頑張らないことを頑張って、じゃなくて、頑張らないことで……うええっ どういったら……」
収録の時間が迫り、みそのはベンチから立ち上がると一生懸命説明する藤森の手を握った。
「よーし、それじゃ、この後の収録、頑張らないように頑張ろうか」
「……はい!」
みそのは手にしていた缶を「これ、お願い!」とSVに渡し、藤森も「おねがいします~」と空になったペットボトルを渡した。みそのが藤森の手を引いて工房に向かって手をつないで歩いて行った。残されたSVは渡された缶とペットボトルを数秒間眺め、
「気分転換にはなったようね」
とつぶやいて、藤森のさっきまでの迷いを捨てるようにその二つを自販機脇のごみ箱に落とした。夏とはいえすでに空は紫色で、黒いビルのシルエットが並ぶ街並みに街灯がともり始めていた。
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