(5) これがオーディション!?
バイトの面接というのはこんなに緊張感のあるものなんだろうか?
ここではテーマパークのバイトの面接を、「オーディション」と呼んでいるのはこの前の説明会で聞いて覚えていた。
―― けれど、ここまで本格的に「オーディション」をする必要があるのだろうか?
さくらの頭の周囲を複数の疑問符が衛星のようにぐるぐると公転している。
会議室らしき大広間に集められた候補者全員がパイプ椅子に2人一組で並んで座らされている。偶然なのか、それとも学校で分けたのか、さくらは美咲と組まされていた。どうやら個別面接ではなく集団面接で行われるらしい。その事実だけで胃が痛くなりそうなのだが、候補者たちも何か予想していたものとは違っていた。自己紹介の際に、「ダンスの経歴」とか、「中学校ではダンス部で……」といった、およそ普通のバイトの面接では聞かないフレーズが飛び交っている。
―― ショーの案内をする係りにすらダンスの経験が求められる職場なの!?
こっそりと「緊張するね」とささやく美咲にさくらは全力でうなずくしかなかった。ひそひそと美咲に「飯島さんも経験あるの?」と聞くと、美咲は首を横に小さく振る。美咲にさくらに無言で指をさし、意図を理解したさくらはも小さく首を振った。
さくらと美咲が組まされた理由は面接直前で判明した。順番は最後だったのだが、自分たちの前の組までは全員経験者だった。
ようするに未経験者をまとめたら2人しかいなかった、ということらしい。それに気が付いたさくらは顔が青くなる思いだったが、意外なことに美咲はそれほど気にしていないらしい。すごいなぁ、と感心していると、自分たちの名前が呼ばれた。
面接担当の前に立つ2人。正面の会議用の長机には3人の男性が座っている。
1人は髭が長い人で、さくらも一目でこの人物がテレビで「監督」と呼ばれる有名なアニメ監督だと気が付いた。そんな偉い人が、バイトの面接を? と思うのだが、テーマパークとはそういうものだろうとまたまた納得した。
その左にはNEKOZANEと書かれたネームタグを付けたおじさん、そして右にはIDカードを下げた男性……だと思う若い人物だった。若い男性はやたら綺麗な髪で、顔も肌も整っていて、なんというか、さくらは自分よりもこの人の方が女子力が高いのではないかと思った。
頭に浮かぶのは「オネェ」というものだった。左側の男性と二言ほど言葉を交わし、やがて、監督が口を開いた。
「えーと、二人は未経験みたいだね? 飯島さん、スポーツとかはしてるんだね?」
「はい、スポ少で野球をしてました」
「そうか。そうだな、じゃあ、なんでもいいから何か歌ってみてもらえるかな?」
「わかりました!」
他の候補者が歌の課題を出されると、流行のJ-POPとかアーニメントのアニメの劇中歌を歌っていた。
が、美咲は恥ずかしがることもなく、全く別の曲を歌いだした。
"秀麗無比なーる 鳥海山よ きょおらん 吼え立つ 男鹿半島よぉ~"
さくらは
「え?」
と心で思ったが、あまりに堂々と歌うので立ったまま固まってしまった。
課題を出した監督は面白そうに聞いている。面接の終わった候補者たちからはクスクスと笑い声が聞こえる。真剣に聞いているのは右隣のオネェっぽい人だけだと気が付いた。
"神秘の十和田は 田沢と共に 世界に名を得し 誇の湖水"
さくらは美咲が真剣に歌っていることに気が付いた。けしてウケ狙いではないことも。その美咲の表情にさくらの視線は吸い寄せられた。
"山水 みなこれ 詩の国秋田ぁ~"
県のスポーツ大会などでよく歌われる「秋田県民歌」を美咲はきっちり歌い上げた。そのやりきった美咲の表情を見て思わず拍手してしまったさくらだったが、それが自分一人だと気が付くと顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。
「どうですか!?」
美咲は自信たっぷりに監督に笑顔を向ける。
「元気があって大変よろしい」
と監督は面白がっていた。右のオネェの人は何かをメモしていた。それがどういう意味なのかはさくらには判断できなかった。
「それじゃ、えー、井川さん。君もなにか歌ってもらえるかな?」
…さくらはハっと我に返った。
予想はしていたけれど、いよいよ進退きわまった感が高まってくる。
歌う? なにを? 3人に面接担当者と美咲の視線にさらされながら必死に考えた。
私が失敗したら、ひょっとして飯島さんも巻き添え……?
それはよくない。嫌な汗を自覚しながら考えた。
そういえば、去年、中学の合唱で歌った曲があった。確か、テレビアニメの曲だったような……
ためらいがちに歌いだす。明るい曲調に反して、声が小さい。
監督が小さく眉を動かした。
さくらの歌声が微妙に、本来の音階から半音ばかり下がって聞こえるのが原因だった。後ろの候補者たちからはクスクスと小さな笑い声が聞こえた。
その中の一人、ノンフレームのメガネをかけた大学生ぐらいのセミロングの女性だけは笑うようなことはしなかった。胸で右手をきゅっと握り、心の中で応援しているような様子だった。
さくらは自分でもどう歌っているのか舞い上がって自覚できていない。
歌い終わってから一瞬の後、美咲が
「大丈夫、個性ばっちり!私はよかったと思うよ」
とフォローを入れる。
その気持ちはありがたいのだけど、さくらはますます硬直するだけだった。
監督がおもしろそうに「君の意見はいいんだよ」と諭すと、すいませんと美咲は笑顔で謝った。頬杖をついたまま、監督がさくらに質問した。
「その曲は私が監督したアニメのエンディングテーマだね。知ってて歌ったのかい?」
予想外の質問だ。
「い、いえ、その、去年、学校の合唱コンクルールで、その、……」
また後ろからクスクスと笑い声が聞こえる。もっとも悪気がある笑い声ではない。
「満足に歌えたかしら?」
固まっているさくらに右側のオネェみたいな人が声をかけてきた。
オネェみたいな人は、表情を和らげると学校の教師のような、そんな表情をした。
「もう一度、おちついてやってごらん」
さくらは、すこしためらいながら尋ねた。
「……笑わないんですか、わたし、下手なのに……」と
「あなたが真剣に歌ってくれるなら私は聞きます。それとも、やめておきますか?」
すると、また笑い声が薄く聞こえる。
がんばれーという小さい声も聞こえるが、嫌な汗が流れてくる。
言っている本人に悪気はないのだろう、とは思うのだが。
でも、正面を見るとオネェみたいな人は笑っていない。
どうせ、もう落ちたと思うけど……この人は笑わなかったし……
そう考えていると、心配そうにしている飯島の顔が見えた。
―― うん、二人のために歌おう、
と深呼吸する。
今度は気持ちを入れて、丁寧に歌いだす。
監督と左側の男性、それに美咲が眉をピクリと動かしていた。
さっきとは声色が明らかに違うことに気が付いたからだろう。
"空の蒼は未来のシグナル
いま、君の瞳の すべての輝き
いっぱいの笑顔 勇気に変えて……"
……そのあとどうやって歌ったのか。頭の中は真っ白だった。
歌いきって一息つくと美咲が小さく拍手していた。さくらがしたことと同じことをしていたけれど、美咲は別に恥ずかしいとは思わないらしい。
監督が座り直しながら
「ありがとう。よくわかった」
と答えていた。あのオネェっぽい人が、美咲の時と同じように応募用紙に何かをメモしていた。
「それではそうだな、せっかく歌ってもらったんだ。何か質問があれば先に聞いておこうか」
美咲がさくらに顔を向けた。
「井川さん、なにかある?」
さくらは、このオーディションが始まってからずっと気になっていたことを聞くことにした。では、あの、よろしいいですか、と断りをいれてから、おずおずと聞いた。
――このテストとゲストコントロールの仕事にどんな関係があるんでしょうか?
「え!?」
久保田が驚きの声をあげた。
「井川さん、ゲストコントロールの面接だったの?」とさくらに尋ねる。
さくらが「えと……はい」と答える。
久保田がわたわたと
「ごめんなさい! 私が書類間違えたみたいです!」
と頭を下げた。
笑い声が聞こえた。
さくらの思考が数秒後に再起動すると、なにが起きたのかようやく理解できた。むしろ美咲のほうが何が起きたのか理解できていないようだった。
―― 力が抜けた。
緊張の糸が切れると自分の置かれた状況を改めて思い知らされた。
顔の温度がみるみる急上昇する。冬ならきっと湯気がたっただろう。
さくらは口をくっと結んだ。
「間違い、だったみたいだから。帰ります」
自分が悪いわけではないのだろうが、場違いな場所で余計なことをしてしまったようなバツの悪さを感じた。
「お手間おかけして、すみませんでした」
久保田があわてて声をかけた。
「あの、すみません! 改めてご案内します」
「もういいです。確認しなかった私も、悪かったし」
そのまま監督やオネェみたいな人に頭を下げて、会議室を横断し近くのドアから廊下へと出ていく。ドアが開く音が後ろから聞こえた。気が付くと美咲がさくらの肩に手をのせていた。
「帰っちゃうの? 頑張って歌ったんだし、せっかくの機会なんだし……」
それは心からいってくれていることがわかる。だけど、志願したわけでもない自分がいてよい場所ではないのは明らかだった。
「飯島さん、頑張ってね」
まだこわばっているものの、作り笑いではない笑顔をさくらは美咲に見せた。
さくらが去り、面接が終わった会議室では久保田が「次はダンス審査をおこないます。係りのキャストに従ってトレーニングルームへ移動してください」と案内していた。ぞろぞろと候補者たちが流れてゆく。その中からは「なんだか、あの子かわいそうだったね」という声も聞こえていた。全員が出て行った会議室で久保田が監督に頭を下げていた。
「申し訳ございません! 私の手違いで……!」
まあまあ、と手を上げながらSVが小首を傾げていた。
「でも、なんで紛れたのかしら?」
「ダンス経験のない方がほかに一名いたそうなんですが、連絡がないまま欠席されたそうでして、人数計算がおかしなことに……」
わたわたする久保田とは対称に、監督はむしろおもしろそうだった。
「いや、なかなか面白かったよ。しかし、あの井川……くんか? もったいないな」
オネェのような人、つまりSVにニヤリと視線を向ける。
「そうですね。おもしろいコンビだと思いました」
ダンス審査を行うトレーニングルームはエンターテイメント棟にある大きなダンスルームの一つだった。待機場所に指定された大人数向けのBルームと、個別の審査を行う小さなAルームに分かれている。そのAルームの扉の前で、移動してきたSVに美咲が声をかけてきた。
「あの、井川さんはどうなるんですか?」
「ここで得られたすべての情報で総合的に検討します」
「じゃあ、やっぱダメってことですよね?」
「結果は後日にお知らせします」
美咲は納得したようには見えなかった。SVは周りに人がいないことを確認した上で、少し表情を緩めて美咲に顔を少しだけ近づけた。
「あの子のことが心配?」
「……はい。せっかくあんなに一生懸命歌ったのに」
「ここではみんな同じ条件よ?」
「わかってます。でも、あの子、歌うのすごく勇気が必要だったと思うんです」
「どうしてそう思うの?」
「そばで見てたから。面接だからじゃなくて、きっと、わたしのために歌ってくれたんだと思います。自分じゃなくて私が巻き添えで面接で落ちないように……」
SVはうなずいた。自分でもそう思えたからだ。
「そう思うなら、まずはあなたが全力でオーディションに臨むことね。たぶん、あの子もその方がいいと思うはずよ?」
「…はい」
納得が50%という笑顔で美咲は答えた。美咲がBルームに戻ると、SVはアゴに指を当てて考えた。
「コンビ組んだ相手のことで、心配してた子は初めてね」
組む相手がいなくなった美咲に、声をかけてきた女性がいた。
さくらが半音ずれて歌っていた時に、笑わずにいたメガネの大学生くらいの子だった。
「練習する相手帰っちゃったよね? 大丈夫?」
「でも、えーと、お姉さんも練習しなくていいんですか?」
「大丈夫よ。こう見えても私経験者なんだから!」
ほらほら、広いところで練習しよう? と美咲の手を引いて行った。
「お姉さん……えーと」
「広森でいいよ?」
年上の余裕なのか、優しそうな顔だった。
その様子をSVはAルームの中からパーテーションのガラス窓越しに見ていた。SVが書類の束から広森の顔写真がついた選考書類を取り出すと、ボールペンで何かを記入していた。
ダンス審査は2人または3人で決められた振り付けをダンスして見せるもので、順番上美咲と広森は別のグループになってしまった。
広森は無難に終わり、美咲に頑張ってね、と声をかけてくれた。
美咲の審査が始まる。最初の歌唱審査は特に問題なく終わった。
そして、続けてダンスを審査される。
案外アニメや漫画の表現は現実に即しているのかもしれない。
曲の途中に本来ありえない打楽器系の音が響いた。
とはいえ楽器の音ではなく美咲が自分の体で奏でていたのだが。
美咲は振り付けの途中、正確にはBパートの3エイト目で盛大にすっころんで、頭から床に突っ込んだのだ。そのころび方は見事で、それを見た監督が大笑いしていた。
「いや、いいよ。実に美しい転び方だ。作画資料に使いたいぐらいだ」
額に擦り傷を作った美咲は、頭をかいてごまかすしかなかった。
不採用決定かな? と美咲は心の中で自己採点していた。
オーディションが終わり、本社A館のホールには何人かが残っていた。額に絆創膏を貼ってもらった美咲はホールの中を見回した。その中に帰ろうとしている広森を見つけて美咲は急いで声をかけた。広森は大学生らしくリクルートスーツ姿だった。振り向いた広森はやさしそうな表情で、大人の女性の色っぽさがあるな、と一瞬美咲は思った。照れくさい感じがしたが、練習に付き合ってくれたお礼はいわないと……
「失敗しちゃった」
「そうみたいね。いい音が聞こえてきたし」
ふふ、と広森は笑っていた。その顔に安心した美咲はお礼を言うことにした。
「本当はなんだか心細くて。声かけてくれてうれしかったよ。ありがとう。でもなんで声かけてくれたの?」
「あの面接のとき。二人とも監督さんの無茶振りでも一生懸命歌ってたでしょ? だから、ね?」
「うん。いい経験になったよ。たぶん落ちちゃったけど。広森さんは受かってるといいね」
「ありがとう。でも、まだ結果は出てないんだからあきらめちゃだめだよ?」
あれだけ見事に失敗したんだから合格するとは思えないなぁ。
やっぱり経験者とはちがうよね。私もあの子もたぶん駄目だろうけど、広森さんはうかってるといいな。
美咲は手を振って帰ってゆく広森の背中に手を振りかえしながら、そう思っていた。
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