(6) 合格!?



 生徒が行き交う昼休みの廊下で、呼び止める声が聞こえた。

 さくらが振り返ると、美咲が笑顔で立っていた。だが……


 「いやー、まずったよー」


 美咲の顔を見たさくらが一瞬ぎょっとしたのは、美咲のおでこに少し大きめの絆創膏が貼られていたからだった。頭をかいて照れ隠しする美咲は、にゃははと変な声で笑った。

 

 「あそこ、ちゃんと看護師さんとかいるんだね、貼ってもらっちゃった」


 ダンスの審査で思いっきりすっころんだ経緯を聞いてさくらはハラハラせざるを得なかった。


 「顔、から!? だ、大丈夫?」

 「みんなに心配されちゃって」


 美咲はまた照れくさそうに、多少顔を赤くしながら笑っていた。大丈夫そう、と思ったさくらは、ふーっと息を吐きながら頬をゆるめた。そういえば、とさくらは思い出した。自分はともかく、美咲も未経験者でオーディションを受けていた。


 「どうして、オーディション、受けたの?」


 美咲はうーんと小さな声でうなった。そして、恥ずかしそうに右の人差し指で頬を小さくかきながら視線を右にそらした。


 「わたし、なんか昔からガサツだし、なんか女らしくない、ていわれるからダンスとかやってみよーとか思って」

 「飯島さん、ガサツなんかじゃ、ないよ」


 たはは、と小さく笑い「ありがとう」と美咲は答えた。


 「だけど、ダンスレッスンとか結構お金かかるみたいでさ。なんか、あそこのキャストになるとレッスン受けられるし時給出るって聞いたから」

 「そうだったんだ……」


 美咲がスマホを取り出して操作し、画面をさくらにみせてきた。


 「最初、ここ行ってみようかな? て思ってたんだけど」


 そこは地元のアイドルも所属するプロダクションのダンススタジオのサイトだった。レッスン料の金額に右の眉毛がぴくぴく引きつるような感じがした。


 「入会費、5万円も、するの?」

 「月謝が1万5千円だもん。さすがに、私立に入れてもらっておいてこれ以上要求すんのもさぁ」


 ということらしい。


 「でも、これだけへまったし、さすがに落ちたっしょー」


 コンビニでバイトでもしてみるよ、と美咲は情けなさそうな顔で笑っていた。

 その表情をみて、美咲の真意がわかった気がした。


 「やっぱり、昨日のこと、気にしてた?」


 と尋ねると、ちょっと戸惑いながら美咲が答えた。


 「私も、人の事笑えるほどダンスとかうまくないし、だから、おあいこっだっていっとこうと思ってさ」


 じゃあ、学食いくから、と美咲がくるりと向きを変えた。さくらはすっと美咲の右の二の腕をつかみ、「まって」と声をかけた。自分でも自覚できるぐらい、顔が赤くなっている。


 「昨日は、ありがとう……だから、おごるから、いっしょにいこ?」


 それはさくらにとってかなり勇気の必要な行為だった。

 一瞬だけ間をおいてさくらの言葉の意味を理解した美咲は、いたずらを思いついたような顔をさくらに向けた。


 「んじゃあ、S定食がいいなぁ、今日タンドリーチキンなんだよね」

 「え?」

 「ほら、行こうよ、席なくなっちゃう」


 今度は美咲がさくらの手を引いて学食にむかって廊下をズンズン歩いていった。



          **


 

 午後3時過ぎのオフィスは、夕方の陽が入り込み始め、すこし蒸し暑くなりはじめていた。少しだけ開けた窓からは、気持ちの良い風が流れてきてブラインドが小さくカタカタと音を鳴らしていた。


 オフィスの自分の机で面接の資料を並べていたSVは、久保田と胸のネームタグに「SHIRONO」と書かれていた20代後半の女性の2人と打ち合わせをしていた。昨日行われた面接の選考について、3人で顔を並べて検討していたのだった。城野は久保田とは違い、黒のスーツに細いパンツでシルバーの太いメガネという姿だ。その3人の中で神妙そうな顔をしていたのが、青いジャケットのコスチュームを着ている久保田だった。


 「井川さんには悪いことしてしまいました」

 「そうね、あれは上級のプレイだったわ」


 城野が「げっ」という顔をした。久保田とは違い城野は遠慮がない。


 「そういうのが好きなんですか?」

 「オネェと変態を一緒にしないでちょうだい」


 久保田が目を閉じて「はぁ~」とため息をついた。


 「ダメですね、私。そそっかしくて、迷惑かけて……」


 SVは手を軽く振りながら久保田の顔を見た。


 「いいのよ。おかげでいいものも見れたし」

 「いいもの……ですか?」

 「うん。トラブルに会ったときに性格ってわかるものみたいね。あの子たちがどういう態度でいるかわかったもの」


 それと、面接前に目の保養になったし、と付け加えると、久保田が「いや、それは……」と赤くなっていた。


 「それ、私も見たかったな」


 城野の言葉にSVのほうがなぜか呆れていた。


 「普通、そういうときは『セクハラですよ』とかいうもんじゃない?」

 「今さらですよ、そんなの」

 

 机の上には3枚だけ束から取り出してある選考書類が並べられていた。

 写真付きの選考書類を手に取ると、SVはふと昨日のことを思い出し、小さく笑った。 

 「面白い子たちだったわね」


 SVはその3枚を見ながら、2人の顔をみた。


 「じゃあ、この3人は合格という事で。いいわよね?」


 とSVが告げると2人もうなずいていた。

 


          **


 土曜日の午後は井川医院も早めに診療が終わる。

 午後6時半には残務も終えてさくらの母親も自宅スペースに戻っていた。母親が居間でダイニングチェアに座りながらまとめた後ろ髪をほどき、壁のホワイトボードを何気なく見たときだった。猫に夕食を与えていたさくらに気が付いたように声をかけた。


 「ああ、そうだった。この前のバイトの面接受けたでしょ?」

 「うん。でも、いろいろあって、途中で帰ったよ」

 「あら、そうなの? おかしいわね」


 猫の食事皿にドライフードを盛り終えたさくらが、不思議そうな表情を母親に向けた。


 「会社の人がこの前の面接のことで会いたいって電話があったの」

 「ええ! いつ!?」

 「さくらがスーパーに出かけている間に電話があってね」

 「間違い、だよ、それ?」

 「そうかしら? だってはっきり『さくらさんのことで』て言ってたわよ?」


 事情がいまいち呑み込めない。面接は途中で帰ったのに?

 まさか、また間違い? でも名前を言ってたっていうし……

 母親がさくらの方に向いて座り直して、話を続けた。


 「その会社の人が私にも話をさせていただきたい、ていってたのよ。それで……」


 この後家まで来ると連絡があった、と聞かされて「えー!!」と上ずった声をあげてしまった。


 「くる? 家まで?」

 「うん」

 「いつ?」

 「それは……」


 玄関でチャイムがなり、母親が「はーい」と声をあげリビングのインターホンの受話器を取った。なにか少し話した後、あっけにとられているさくらに視線を向けた。


 「……今、みたいね」




 家に来ていたのは例のオネェみたいな人、つまりSVだった。

 SVは玄関で母親にあいさつすると、突然の来訪を母親に詫び名刺を渡した。その動きもどことなく女性のような感じで、母親も自営業らしく自分の名刺をSVに渡していた。さくらは目の前で名刺交換が行われるのを緊張しながら見届けていた。やがて、リビングに通され母親にうながされて、テーブルを挟んださくらの向かい側のソファーに腰を下ろした。


 「大事なお嬢様のことで、本日はご相談に上がりました」


 SVはまず、この前のオーディションの経緯を母親に話した。

 さくらはその時のことを思いだして顔を真っ赤にしていたが、母親は面白そうにその話を聞いていた。娘が自分の知らないところで何をしていたのか、それが聞けたことが単純にうれしいらしい。

 

 そして、いよいよ本題に入る。


 「オーディションの際にさくらさんには大変失礼なことをしてしまいました」


 下手側の床に置いたカバンから書類の入った白い色の高級そうな封筒を取り出す。


 「今日は、お詫びの意味もありまして、これを直接お渡しするために参りました」

 

 さくらはテーブルの上に丁寧におかれた封筒を開ける。

 2枚の書類のうち、角印が押された「オーディション合格通知書」が1枚。


 そしてもう1枚はのタイトルは「井川さくらさんのキャスティングが決まりました」だった。その表題の下に配属先が印刷されていた。

 

 ロケーション:エンターテイメント部 アウローラユニット

 配    役:パークアンバサダー・キャスト


 ――――― え?

 

 人は予想外のこと起こると案外冷静になる、というのはここ数日何度か体験したが、これはさすがに例外だった。さくらは書類をつかんだ両手にさらに力をこめ、顔をSVに向けた。さくらの手元に鏡があれば自分の困惑した表情に驚いただろう。


 「でも! 私、間違いで、それに、途中で、帰っちゃったし……!」

 「オーディションを受けていただいたことに変わりはありません」


 確かに、オーディションを途中までは受けたのは事実だけれど……

 これで合格? 経験者とかばっかりだったのに? 


 「……なんで、合格なんですか?」


 しばらく黙った後、SVが口を開く。


 「私の前で、歌ってくれましたよね?」

 「はい」

 「その時のあなたの目が真剣だったから。それが理由です」


 ……今度はさくらが言葉に詰まった。本当にそれだけなんだろうか?


 「それだけ、ですか?」

 「はい」

 「理由、少なすぎませんか?」

 「今、私たちが一番求めていることです」


 合格書類の封筒の脇に置いたパンフレットを母娘に開いて見せた。


 「私たちが企画している、社運を賭けた計画です」


 ――パークアンバサダー・プロジェクト「アウローラ」


 さくらがそのパンフレットに目をくぎ付けにしている間、SVは母親に体ごと向きなおした。


 「ご説明申し上げてもよろしいでしょうか?」

 



 30分ほどたったのち、SVは玄関先で母親とさくらに頭を下げて帰って行った。なんだか気疲れしてソファにバフッと座り込んださくらは、リビングのテーブルに残されたパンフレットをもう一度読み込んだ。

 

"あなたの魅力でゲストにハピネスを……"


 見開きのページにはそう書かれていた。


 「返事は1週間以内に」というので、待ってほしいとつたえていた。

 それは決して積極的な理由ではなく、とっさに思いついた先延ばしだった。さくらは自分の優柔不断さに落ち込みながら、ぽつりとつぶやいた。


 「どうせ、やらないのに……ちゃんといえばよかった」


 母親は右手で頬杖をつきながら娘が悩んでいる姿を眺めている。

 その視線はとてもやわらかいものだった。


 穏やかな表情を浮かべながら娘の成長を喜んでいるように語りかけた。


 「1週間待ってもらったでしょ? すぐに決めるんじゃなくて、じっくり考えなさい」

 「わたし、人前で歌ったりとか、できない、と思う」

 「でも、あのオネェ…みたいな人の前では歌えたんでしょ?」

 「……うん」


 母親はさくらの読んでいたパンフレットを自分のところに引き寄せると、ペラペラとめくる。


 「パーク内外での活動、親善訪問……TV・ラジオ・雑誌媒体への出演等……へー」


 感心したような、現実感がないような、どちらともとれる口調で感想を口にした。


 「なんか、アイドルみたいねぇ」

 

 さくらは結局やるともやらないとも答えなかった。


 なにより、もし自分だけが合格して、美咲が落ちていたら、と思うとその場で即断はできなかった。少なくとも美咲の方が志望の動機もあるし、なにより自分より努力したはずだった。

 

 万が一、仮にも、もしかして、信じたくないけど、まさか飯島さんが落ちていたら……

 

 おそらくはなにかの「偶然」で選ばれただけの自分が受けていい話だとは思えない。かといって美咲に電話して確かめようという気にもなれなかった。正直にいえば、怖かった。そもそも、自分はゲストコントロールのバイトをしようと思っただけなのだ。

 テレビ番組でみたけれど、この世の中には「お姉ちゃんが履歴書を勝手に送った」とかいう理由でアイドルになった人もいるらしい。その時は無感情にごはんを口でモグモグしていたけれど、現実に似たような境遇に置かれると答えなど簡単に出ないらしいことがよくわかった。


 でも、そもそも、私、なんでバイトしようと思ったんだっけ?


 今の性格変えなくちゃ、なにか自分を変えるきっかけがほしい。


 そう思ったのではなかったの?


 だとすれば、この出来事こそ、そのチャンスなんじゃないの?

 

 考えれば考えるほど、頭の中がぐるぐる無駄なスピン運動を起こすようで、簡単に結論がまとまるようには思えなかった。結局、SVの来訪とさくらの困惑とで夕食が準備できず、母娘で近所のファミリーレストランで少し遅めの晩ごはんをたべることとなった。さくらは美咲に正直に話すべきかどうかその日の夜遅くまで悩むことになった。

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