(4) 出会い
今日は前日より少しだけ気温が高くなった。
太陽の白い光が校舎を照らし、少しだけ熱を帯びた風が教室のカーテンを揺らしている。昼休みも終わりに近づいて、窓際の壁にもたれてスマホで音楽を聴いている美咲と、頬杖をついて外を見ているさくらが壁1枚を隔てて過ごしていた。
秋田の空が夏を遠くに見ているのであれば、東京の空はすでに夏の色を帯びているといえる。関東地方はすでに夏直前で、アスファルトからはゆらゆらと陽炎がたち、屋外で仕事する人々をイラだたせる光景を演出していた。
地下鉄の駅から出てきたサラリーマンが何度も汗をぬぐい、恨めしそうに空を見上げていた。その視線の先にあるギラギラと白い光を反射するビルの一群に、出版を柱としてゲームや映像、映画製作から番組配信まで幅広く手掛けるINOUEグループの本社ビルが大きく空に伸びていた。
INOUE本社ビルの12階、大会議室では、グループの再編に絡むあるテーマパークに関しての経営戦略会議が開かれている。居並ぶ執行役員たちを前に企画を説明しているのは昨日面接会場にいた、あのSVと呼ばれる男だった。
やたらと肌がきれいで、指先までしっかり手入れされている彼の姿を見ても、ほとんどの役員たちがなんとも思わないのは、すでに見慣れた光景となったからに違いない。
そのSVはノートPCのプレゼンソフトを使い、役員や高い役職の社員に説明を続けていた。内容をまとめると、
――地方の弱小テーマパークが大手のテーマパークを研究するとき、アトラクションなどの施設面に目が行きがちとなる。だが、実際は大手のテーマパークではゲストとの人間同士のコミュニケーションを重視している。つまり、ライブエンターテイメント、劇場空間として機能している。
いっぽう、地方のテーマパークのほとんどはアミューズメント機能を機械に任せていることがほとんど。劇場としてではなく、ゲームセンターなどの延長になっている。
今のところ、地方にあるテーマパークでライブエンターテイメントを重視しているパークはそれほど多くない……
「そこに、このプロジェクトの意味がある、と考えています」
SVが最後にそう話をまとめると、賛同半分、否定半分というような微妙な空気が会議室を支配した。
その雰囲気を崩したのはINOUEホールディングスの代表取締役会長兼CEOの角上の声だった。 もともと外部の動画配信会社の社長から東証1部上場の大企業の会長と抜擢された人物で、異例の若さである40代だった。
「まあ、実際のところウチで投資する方向はすでに固まっているけどさ。うちはATMではないからね。何度も金を出してあげるわけにはいかない。そこんところを忘れないでもらいたいね。地方の活性化という大義名分はあるけど、慈善事業ではないんだから」
角上の言葉は、その見ただけで高価とわかるスーツに似合わない若い印象を与える話し方だった。パーク経営会社であるアーニメント側の役員もうなずいていた。
「あ、まだ、知らない人もいると思うけど、監督の甥っ子さんが、今回のプロジェクトの担当なので」
会長の言葉を聞きながら、「監督」と呼ばれた髭の伸びたいかにも芸術家という感じの初老の男性が、SVの方に視線を向けた。その言葉を受けてSVが頭を下げると、約半数の役員たちからざわめきが起こる。
「まあ、パークのエンターテイメント部門はいままで一番冷遇されてたポジションだったから、空気を入れ替えないとね」
手を向けて説明するよう会長が指示した。SVがプレゼンソフトをいじり画面を切り替えた。
アンバサダープロジェクト『アウローラ』
説明画面には大きな文字でこう書かれていた。
「それでは、改めてご説明申し上げます。お手元の資料をご覧ください」
パラパラと乾いた音が聞こえ、それが静まるころを見計らってSVは話を続ける。
「現在あるエンターテイメント部門に新たに広報からCM、パーク内のショーなども含め一貫して活動する専門のユニットを立ち上げます。現状では3人一組で3ステージユニット、計9名による活動を計画しています」
役員の一人がつぶやいた。
「まるでローカルアイドルみたいだな」
SVはうなずいた。
「はい、否定しません。ただ、彼女たちはあくまでも"キャスト"の一員として活動します。既存のテーマパークの例を挙げて言えば『歌って踊れるアンバサダー』のようなイメージとお考えください。名称も"パークアンバサダー"として募集をかけています」
角上会長が満足そうにうなずいた。
「いいんじゃないかな。面白と思うし。事前に聞かされていたのも大体これと同じような内容だったし」
周りを見渡すと、角上会長は軽く咳払いをした。
「計画は順調のようだし、ここで、正式な承認をいただきたい。よろしいかな?」
特に異議はなく、計画が承認された。会長はSVの方を見直す。
「これでまたひとつ再建計画が動き始めたな。12月末までに入園者数150万人。なんとか達成してもらいたいね。残りはあとどれくらいだい?」
「残り105万人です」
「えーと……ひと月17万5千人、1日5500人ぐらいがボーダーラインだな」
役員たちの表情には「達成できるのか?」という疑問を無言のまま張り付いていた。
赤羽を過ぎたあたりで完全に日は落ち、高架からは照明が暗闇を照らす街並みが流れて見えた。郊外へ戻るラッシュで混雑する埼京線の電車を窓の向こうに見ながら、秋田行きのこまち号の中で監督とSVが並んでいた。自分たちと同じように東京出張から戻るであろうスーツ姿の乗客が多く、列車の走行音に混じって、ビールやらワンカップやらを開ける音が時折聞こえる。
対向してくる東京行き新幹線の窓の明かりに顔を照らされたSVに、監督が缶酎ハイを片手に声をかけた。
「先代もそうだが、日本独自のテーマパークをとは考えていたんだがな。今から思えば、そのなんだ、お前の言う理念的なものこそ残すべきだったかもしれないと思うよ」
監督はニタリと人が悪そうな笑顔を見せた。
「なにせ、うちスタジオにはテーマパークの経験者が一人もいなかったからな」
「バイトの子とかにはいっぱいいたじゃない」
「バイトの子に経営させるわけにもいかないし、うちは基本アニメスタジオだからね」
「もう少し余裕がある内に再建を始めたら、私は家事手伝いでいられましたのに」
「どうせ、嫁にはいけんだろ? 体は男なんだから」
「問題発言ですわよ」
「で、どうなんだ? オーディション」
目を閉じてオーディションの様子を思い返したが、あまり好ましい結果はでなかった。
「ダンスが上手できれいな子はたくさんいましたよ」
「結構な話じゃないか」
「うーん、なんか違うんですよね。求めているのは『上手』とかじゃないんですよね」
「なんかしらんが……いいよ、まかせる」
監督は酎ハイを飲みきるとリクライニングを倒して寝てしまう。
「ついたら起こしてくれ」
SVは呆れたように苦笑した。
「まだ大宮にもついてませんよ」
**
さくらが制服に着替えてダイニングに行くと、母親がトーストと目玉焼きで朝食を用意していた。椅子に座ったさくらのマグカップにコーヒーを入れてやりながら、母親が「少し早いわね? 学校で何かあるの?」と尋ねてきた。さくらはトーストにバターを慣れた手つきで塗りながら、少しためらいがちに答えた。
「今日ね、アルバイトの面接に行く、から」
「アルバイト? おこずかいがほしいなら言ってくれれば」
「ちがう、の。 おこずかいとか、そんなんじゃなくて」
「なんのバイト?」
「テーマパークの……」
「へー、 ダンスか何かやるの?」
ガタッと椅子が音を立てた。
「ちがうし! なんか案内係、とか…… 高校生でも、できるって」
「ふーん……」
「だめ、かな?」
「そうねぇ……まあ、自立したいお年頃よね」
母親らしい柔らかい表情をさくらに見せた。
「いいんじゃないかしら? まあ、青春にはそういう要素も必要よね」
「あ、ありがと……」
トーストをかじりながら、照れくさそうにお礼をつぶやいた。
家を出るとき、ローファーかスニーカーかで迷った。学校から直行するし、テーマパークの面接だし、ひょっとしたら歩くかも。そう考えたが、校則はローファー指定なので、思い直してシューズ用の袋を下駄箱から取り出す。袋の紐を鞄の持ち手を結びつけ、いってきます、と家の奥にいる母親に声をかけて玄関の戸を開けた。
羽後いずみの駅のホームはすでに多くの乗客が列を作っていた。
小テスト対策に単語帳を片手で読んでいたさくらに誰かが声をかけてきて、驚きの声を気づかれないように口のなかで揉み消した。振りむくと、クラスメートの2人の女子が立っていた。二人が笑顔なのを見て、さくらも困ったような笑顔を作った。会話はたわいのないもので天気がどうしたとかテストがどうのとか、その程度のもの。だが、さくらは自分の頬にへんな力が入るのを自覚していた。一方のクラスメートはお構いなしで会話を続けている。
「さくらちゃん、なんかクールな感じだし、さすがお嬢様はちがうよねぇ」
「私、彼氏にさ、がさつだのうるさいだのいわれてさぁ」
「見習えよ」
こういう時にするべきうまい返し方が判らず、さくらは困ってしまう。
「私が、ちょっと、かわってるだけだから。元気なの、いいとおもうよ」
なんて答えたが、同年代の子に見えない壁を感じてしまうのが正直なところだ。
性格、直さないと……と思うさくらの薄い笑顔の後ろに列車がゆっくりと到着した。
**
午後になるとアーニメント社の本社ビルA館では面接の準備が進んでいた2つの部署の面接が行われる予定で、受付では参加者別の書類の仕分けが行われていた。
擬音で表せば「どんがらがっしゃーん!」だろうか。
書類を運んでいた久保田が、何もないはずの場所で派手に転んだ。
「あいたたた」とぺたんと座った久保田にSVは「大丈夫?」と声をかけ、しゃがんで書類を拾った。
ちらりと久保田を見ると周辺に男がいないことを確認してから、ため息まじりに「スカート」と指摘した。意味を理解した久保田はあわててスカートを太ももの間に抑え込む。
「見えましたか!?」
「もっと大人っぽいの履きなさいよ……」
普通の男なら喜びそうなシチュエーションを無気力にスルーして、起き上がる久保田に書類を渡した。「すみません……」と照れている久保田の足元にもう1枚の書類が落ちていた。SVが拾い上げると、それはさくらのものだった。久保田が説明会の事を思いだした。
「あ、これはあの時の子ですね。そっかー。面接受けるんですね」
「どっちかしら?」
「赤い付箋ついてませんか? なければうちの面接ですね」
「そうなの? あっそうか、青い付箋はダンスとかの経験者だっけ?」
「そうです。ついてないですか?」
裏返してみるが特になにもついてない。
「ついてないわね……青いのも。じゃあ、うちね」
「そうですか。エンタに興味があったみたいですからね」
SVからさくらの選考書類を受け取って、エンターテイメント部の方へまとめる。二人がもう少し注意深く探していれば、来客用のソファーの下に落ちた一枚の赤い付箋を見つけることができたかもしれない。
結局誰も気が付かないまま面接が近づいてきた。
面接の予定時間の直前になると、午後の日差しはすでにオレンジ色が混ざっていた。さくらは学校から直行し、制服姿のまま本社ゲートのセキュリティポストでキャストから臨時入構証を受け取り、指示に従ってゲートから見て左にある本社A館に向かう。受付を済ませると担当のキャストから更衣室を案内された。着替えるとは聞いてなかったので疑問には思った。
――そういえば、コスチュームのサイズを調べる、とかで服の大まかなサイズを書類に書いたっけ……
ここはテーマパークなんだから、そういうものなんだろうと一人で納得した。
渡されたトレーニングウェアは厚手のTシャツにジャージのパンツで、持ってきたスニーカーがこんなところで役立った。着替えるなら最初からいってくれればいいのに、と思ったが、周りを見るとみんなスニーカーやダンスシューズを履いている。
――なんでだろう? 聞き逃してたかな?
と考えていると更衣室の前の廊下にあるソファーに見たことのある顔が見えた。さくらは記憶をたどり、それが同じ学校の子だということを思い出した。その子の方でもそれに気が付いたらしい。
人好きのしそうな微笑みをみせて、さくらに声をかけてきた。
「A組の……えーと、井川…さんだっけ?」
自分が教えたことのない情報を他人が知っているという事実は、心臓に負担をかけるものだということをまたしても体感するさくらだった。
「うん……えーと……」
「何度か、顔合わせてるけど、そっか、ゆっぴんとか知ってるでしょ? 同じクラスだし。わたし、同じ中学でさ」
さくらとしては、知っているといえば知っているが知らないといえば知らない、というレベルなのでどう答えるべきか悩むところだ。あいまいな返事をしていると、相手の方が察してくれたようだ。
「同じ学校の子が面接来てるとかなんか安心するよ。えーと、井川……」
「さくら、だよ。井川さくら」
よく知らない相手だけれど、なんとなく気が許せる気がした。
理由は自分でもわからないけれど。
「さくら、かぁ。なんかかわいい名前だね」
その女の子の笑顔は、今朝見たクラスメートの笑顔とは少し違うように感じた。探りを入れてくるようなものでも、知ってる人だからとりあえず、というようなものでもない。それに気がついた時、さくらの顔がゆるんだ。それはさくら自体には自覚がないものだったが。
「私はねぇ、美咲。ああ、苗字は飯島ね」
さくらはうんうん、とうなずいて見せた。飯島美咲を名乗る少女は、さくらの反応を見るとほっとした反応を見せた。
「顔は覚えてたんだけど、名前しらなくてさ」
「話す機会、あんまり、なかったから」
「そうだねー。あ、そうだ」
美咲はカバンからスマホを取り出す。
「面接受かったらさ、同じ仲間だし、受かんなくてもクラス隣なんだし。メルアドとか交換しとこうよ」
さくらは、ええ! と小さく声を上げて驚いた。
「あ、嫌だった? ごめん、私デリカシーとかいうのなくてさ……」
「ち、ちがくて! あ、あのね。私、やり方、よくわからなくて」
「そうなんだ。じゃあ、教えてあげるから。ね?」
ソファーに並んで座り、一つのスマホを2人で操作するという、まるで仲良し2人組のような雰囲気だった。四苦八苦しながら、なんとか生まれて初めて母親以外と連絡先を交換するという大事業をさくらが成し遂げたころ、面接を開始することを伝えに久保田が現れた。並んで座ったまま美咲がさくらの肩に手をそっと置いた。
「オーディション、頑張ろうね」
「うん」
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