35 嫉妬
「こ、こいつが犯人だったのか?」
織斑が椅子から立ち上がり、鈴木から遠ざかる。
「安心してください。もう誰かを殺めるつもりはないですから」
そう言った通り、鈴木からは活力みたいなものを感じ取れない。そう思ったのだろう、鵜飼達は隣にいながらも動こうとはしなかった。
「鈴木さん、どうしてあなたが......」
「
「えっ?」
「母の敵です」
「お母さんの?」
「あの四人が?」
「いえ、それは水澤孝輔だけです。残りの三人は敵とは無縁です」
「鈴木さん、水澤とどういう関係なんですか?」
「水澤孝輔は......」
鈴木の口から驚きの言葉が出てきた。
「水澤孝輔は私の父です」
「水澤と母は大学時代、恋人だったんです。同じサークルのメンバーで、母の一目惚れだったそうです。猛アピールの末、付き合えることになりました。そして、大学の卒業間近、母が私を妊娠したんです。二人は喜び、水澤は関西の大手企業に就職が決まっていました。二人で関西に行き、結婚しようと言われたそうです。でも、そうはならなかった。水澤が母から逃げたんです」
鈴木の話に誰一人口を挟まず静かに聞いている。
「二人は同棲していたんですが、引っ越しの当日、水澤は寄るところがあると言って出掛けていったっきり戻りませんでした。母は最初何か事故にでも会ったのではないかと心配したそうです。水澤が戻ってくるかもしれない。そう思い母は引っ越しを取り止めました。二人のいたアパートで待つことにしたんです。その間に私が生まれ、働きながら私を育ててくれました。すごく大変だったと思いますが、母は必ず水澤が帰ってくると信じていました。でも、その母は二年前病気で亡くなりました」
一つ深呼吸してから鈴木はまた続けた。
「母からはずっと、お前のお父さんはすごい人だよ、と聞かされて育てられたので、私も興味はありました。私も会ってみたいと思っていたので探しました。そして見つけたのがあの水澤でした」
鈴木の握る手に力が入るのを見た。
「女に甘い、あっちこっちの女性に手を出す最低な男でした」
「他人の空似ということは?」
「ちゃんと調べましたよ。水澤の開くイベントには手当たり次第参加し、ファンを装い水澤に近付きました。女に甘い水澤は私をすんなり受け入れ、この館にも招待するほど気に入ったみたいです」
「えっ? この館に来たことがあるんですか?」
「はい。ここは水澤にとって女性との密会の場としていたみたいです。そうなったらやることは一つですよね。当然のように水澤は私の身体を求めました。実の娘の私に」
「最低ね」
黒峰が水澤を罵った。
「でもまだ父という確証がなかった。やんわり避けながら、さりげなく女性の話をしながら母のことを聞き出そうとしました。そしたら水澤は「君は大学時代の私のオモチャに似ているな」って言ったんです。母をオモチャ呼ばわりしたんですよ!?」
鈴木の怒りが爆発した。
「許せなかった! こんな男が私の父親で、あんなに信じて待ち続けた母が可哀想だった! ずっと、ずっと待っていたのに!」
鈴木の目には涙が溜まっていた。
「だから殺しました。母をあんなに辛い思いをさせ、ましてやバカにした。母が死んであんな男が生きていることが許せなかった」
「では火村さん達は?」
鵜飼の問いに鈴木がゆっくり答えていく。
「休憩室の水澤の頭を叩き割ってやろうと思ったんです。殺しても怒りが治まらず、潰してやりたいと思って一階に下りたら、火村さんと会ってしまったんです。まさかあんな遅くまで飲んでいるとは思わなかったんです。見つかってしまって、疑いをかけられないようにお酒に付き合うことにしたんです」
こんな華奢な鈴木が死してなお頭を潰そうとするなんて、どれだけの怒りが溜まっていたのだろう。
「そしたら、火村さんも私に寄り添ってきたんです。その喋り方や態度が水澤にとてもよく似ていて、火村さんが水澤とダブって見えました。私は衝動的に隠し持っていたトリカブトをお酒に入れ殺しました」
「では、長谷川さんや土井さんは?」
「特に意味はありません」
「えっ?」
「変わりに罪を被せる人が必要になった。でも、いきなり自殺しては変に思われ疑われる。だから最初に土井さんに差し入れといって毒入りの紅茶を持っていき飲ませて殺したあと、遺書とかを用意しました。長谷川さんのときは、ノックして助けてと声をかけたら簡単にドアを開けてくれました。中に入れてもらい、振り向いた瞬間に殺しました。長谷川さんを選んだのはこの中で一番殺しやすそうだった、それだけです」
「たったそれだけで?」
「酷い女ですよね私。やっぱり水澤の血が流れているんですかね」
そう言うと鈴木は立ち上がり、窓の方へと歩き出した。
「私少しおかしいんです。水澤のときは達成感がありましたが、火村さんと土井さん、長谷川さんを殺したとき私何も感じなかったんです。人を殺しといて悲しさも後悔も浮かんでこなかったんです。だから......」
一瞬日の光に照らされた鈴木は何か覚悟を決めたような顔をしていた。
「だから私はもう、人として生きてはいけません」
そう言うと鈴木はポケットから一つの風邪薬のような紙袋を取り出した。
「やめなさい!」
レイが叫んだ。
「あなた、死ぬ気ね?」
「はい。それが何か?」
紙袋の中身はトリカブトだろう。土井の部屋にあった瓶のが全部だと思っていたが、彼女はまだ隠し持っていた。
「駄目だ鈴木さん!」
「早まっちゃいけない!」
鵜飼達も止めるが、鈴木の手は袋をほどいていく。
「いいんですよ。私には生きる資格がない。何の罪もない土井さん達を殺してしまったんです。それに、私にはもう何も残っていません。私はもう、生きる希望がないんです」
そう言って鈴木は毒を飲もうとした。
「あなた、卑怯だわ」
しかし、レイが鈴木に文句を言った。
「卑怯?」
「ええ、卑怯よ。卑怯で我が儘だわ」
「我が儘?」
鈴木が眉を潜めた。
「意味がわかりません。私の何が我が儘なんですか?」
「自分から死のうとしていることよ」
「それの何が我が儘なんですか?」
「生きることから逃げて死に逃げるなんて我が儘のなにものでもないわ」
「......そうですね。私は我が儘なのかもしれません。でも、別に構いませんよね?私の命をどうしようが私の自由です」
「--としないの?」
「え?」
「何で生きようとしないの!?」
レイが鈴木に向かって叫んだ。
「何であなたはそんなに自分を大切に出来ないの!? ここであなたがしたことはたしかに許されないわ! 罪は償うべきよ! でも、まだやり直せるじゃない!」
「綺麗事言わないでください。人を殺しといてのうのうと生きるつもりはありません」
「綺麗事を言って何が悪いのよ! あなたはやろうと思えば何度でもやり直せる! それをあなたは捨てる気?」
「もう無理です。手遅れですよ」
「手遅れなんかじゃない! だって、あなたは生きているじゃない!」
レイの言葉に俺はハッとした。
「生きているあなたならまたやり直せる! 何にだってなれる! どんなことでもできる! でも、私はもうできない!」
レイは悲痛の叫びを言葉としてぶつけた。
「死んでいる私はもう食べることも、寝ることも、お洒落をして、結婚して子供を作ったり、夢だった先生になることもできない! どう頑張っても不可能なのよ!」
レイの叫びはまだ続いた。
「あなたにはいろんな可能性が存在しているのよ!? その可能性を捨てる気!? ふざけないで! そんな我が儘許さないわよ!」
レイはもはや鈴木を止めるために叫んでいるのではない。
嫉妬だった。
先生に夢を抱きながらその夢を果たせず、レイは誰かに殺された。彼女はもう夢を叶えることは出来ない。心理的にではない、物理的にもう無理なのだ。肉体のないレイは文字通り何も出来ない。
「そんなに自分の命が軽いなら私にその命を頂戴よ!」
レイの叫びが食堂に響き渡った。
鈴木はずっとレイの叫びに耳を傾け、今も呆然と見ていた。
レイはさらに何かを叫ぼうとした。しかし、身体に異変が起きた。
「えっ?」
ボールから空気が抜けるような、身体から何かが抜けるような感覚が訪れた。それが強まるごとに俺の意識が身体に戻る感覚が強くなっていった。
気が付くとレイが目の前にいて、俺は身体の主導権を取り戻していた。レイが俺の身体から抜け出たのだ。
「あ......」
しかし、次の瞬間身体から力が抜け、俺は糸が切れた人形のように床に倒れた。
「森繁さん!」
鵜飼や間宮が駆けつける。
「いや、風神さんでしたな。大丈夫ですか?」
「う、鵜飼さん。俺は、森繁です」
「え? 風神さんは?」
「俺の、身体から、抜けたみたい、です」
「大丈夫ですか、森繁さん?」
「ちょっと、大丈夫では、ないみたいです」
身体が鉛のように重く、自力で立ち上がれそうにない。さらにひどく眠い。
「森繁さん......」
鈴木がこっちを見て心配そうな顔をしている。
「鈴木、さん、レイの言う通りだよ」
「え?」
「死んだら何も残らない。それを、あいつは誰よりも知っている。なんせ、幽霊だから」
鈴木は静かに俺の話に耳を傾ける。
「あいつは、もし生き返るなら何でもすると思うよ。先生になるっていう夢があったから。でも、それはもう叶わない。鈴木さんはこれからまた夢を持てるよね? その可能性を捨てようとした君に、あいつは心底怒っていた。それはね--」
俺は力を入れて言葉を吐き出した。
「レイにとって、生きていることは贅沢なんだよ」
鈴木の目が大きく目を開いた。
「生きていることが何よりも贅沢なんだ。生きていれば夢をまた見つけられる。努力すれば叶えられる可能性がある。その贅沢を君は捨てようとした。だからレイは怒ったんだ。自分にはない裕福な生活をしている君に嫉妬したんだ。恵まれているんだよ、君は。だから、その贅沢を、満喫しな、く、ちゃ」
俺の意識は限界だった。みるみる遠のいていく。
「森繁さん! 森繁さん!」
「しっかりしてください!」
鵜飼達が何かを叫んでいるがもうほとんど聞こえない。レイも顔を覗き込み、泣きそうな顔をしていた。その顔を見たのを最後に、俺は完全に意識を失った。
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