27 森繁画伯

 夜九時に部屋へと向かう。決定したはいいが、それまではまだまだたっぷりの時間があった。現在十四時。行動を開始するのは六時間以上も先のことで、俺達は食堂で時間を持て余していた。

 かといって勝手な行動は出来ない。単独で行動すれば疑われるのは目に見えているので、誰一人食堂から出ていくことはない。もちろん、トイレには各人が何度も行っているが、それでも一人で行くことはなく、必ず三人以上で共に向かっていった。

 想像以上に疲れるぞ、これ......。

 椅子に座る者、窓辺に立つ者、壁に寄りかかる者。それぞれ別の体勢を取っているが、ちょっとでもそこから動き出せばみんなの視線を浴びてしまう。監視するという行為にここまで神経を使い、そして監視されるということがここまですり減らされるものとは思いもしなかった。一つ一つの動作に通常の何倍もの神経を費やしてしまう。あまりの苦しさに今にも大きな声をあげてしまいそうだ。

 ホンの数時間でこの有り様だ。一日中やるなんてことはとても無理だった。部屋で少しは休まないと、とてもじゃないが持たない。鵜飼さんの案は正解だったかもしれない。

 気付くと横でレイが姿を現し、心配そうに俺を見つめていた。

 大丈夫だ。今のところはまだ耐えられる。

 目でそう語りかけると、レイも安心したような顔を浮かべた。

 せめて何か気が紛れるものはないか。そう思い辺りを見回すと、俺の右斜め前の席に座っている土井がおかしな動きをしていることに気付いた。

 何か書いてる?

 よく見ると土井は左手でペンを走らせ、小さなメモ帳に何かを書き記していた。

「土井さん、何を書いているんですか?」

 声をかけると土井はビクッと身体を震わせた。

「あ、いや、これは」

 俺の一声に他のみんなも土井を見つめる。反射的にメモ帳を隠した土井だが、要らぬ疑いをかけられたくない彼は静かにメモ帳を差し出した。

「これは......絵?」

 差し出されたメモ帳を手に取り見てみると、そこには花の絵が描かれていた。メモ帳に興味を引かれた他のみんなも、俺の後ろに集まり眺めている。

「うわぁ、すごい上手ですね」

 鈴木が感想を述べた。彼女の言う通り巧みなタッチで描かれており、明暗も見事に表現されている。絵心のない俺には、ペン一つでここまで描けることに尊敬してしまう。

「ホント、画家の絵みたい」

「素晴らしいですね」

 それぞれ絵に対して高評価を出した。

「いや、すみません。こんなときに」

 頭を下げる土井に鵜飼が慌てて手を振った。

「いやいや、謝らなくていいですよ。見事な絵です。土井さんは絵描きもしているのですか?」

「いや、ホンの趣味です。小さい頃から絵を描くのが好きで、成長しても辞められなかったのです。そのせいか、絵を描くと気分が落ち着くもので、つい......」

 この緊迫した雰囲気に呑まれないよう、思わずしてしまったらしい。

「専門的に学んだのですか?」

「いや、大学等には行っていません。ただの趣味ですから」

「それにしてはなかなかの画力ではないですか。いや、本当に素晴らしい」

 鵜飼の称賛に頭を掻いて照れる土井。

「ねぇねぇ、他に何か描いてよ」

 長谷川がお願いし、自分の絵が誉められたことに喜んだ土井が快く承諾した。

「では、鳥を」

 俺はメモ帳を土井に返し、受け取った土井はペンを走らせた。小さいメモ帳なので瞬く間に描かれ、そこには飛び立つ瞬間の鳥の絵が現れた。

「うわぁ、すごい!」

 長谷川が手を叩いて喜んだ。

「何も見ずによく描けますね」

「昔から何十枚も描いているものですから」

「ねぇねぇ、次、次!」

 なおも土井に絵を描かせ、いつの間にか彼の絵描きにみんなで見入っしまっていた。

 それも無理はないだろう。監視の重圧にみんな既に精神的に相当参ってしまっていたに違いない。その重圧から逃れるために土井にすがるのは当然だったろう。そして功を期して彼の絵はみんなの心を癒してくれた。 

 気付くと動物や植物、建物の絵が描かれた紙が十枚ぐらいテーブルに並べられていた。

「本当にすごいですね。俺には絶対無理だ」

「いやいや、経験が長いだけです。回数さえこなせば誰でも描けるようになりますよ」

「そうですか?」

「じゃああなた描いてみなさいよ」

「え?」

「土井さんに教えて貰いなさいよ」

 長谷川の急な申し出に俺は戸惑ってしまう。

「いや、俺はいいですよ」

「いいじゃない。もしかしたら、あなたにも絵描きの才能があるかもしれないじゃない?」

 みんなが俺を見ており、もう拒否できないような雰囲気になっていた。

「わ、笑わないでくださいよ」

 そう前置きをしてから俺は土井からメモ帳とペンを借り、絵を描き始めた。

 しばらく経って出来上がった絵に、長谷川が聞いてきた。

「何これ?」

「犬です」

「犬?」

 数秒沈黙があり、それから長谷川の笑い声が響いた。

「あっはっはっはっは!」

「笑わないでって言ったじゃないですか!」

「これのどこが犬なのよ! この長いのは何?」

「尻尾です」

「じゃあこの四角いのは?」

「耳です」

「どんだけ角ばった耳よ! あっはっはっは!」

 腹を抱えて笑い狂う長谷川。よく見ると鈴木は顔を背け身体を震わせ、黒峰は無表情、鵜飼と間宮に至っては微妙な笑みを浮かべていた。

 くそ、だから嫌だったんだ!

 チラッと目に入ったレイも長谷川と同様に笑い狂い、テーブルに伏せ何度も手で叩いていた。

 お前も!? お前だけは味方だと思ったのに!

 その後長谷川は満足して笑い終えたが、レイはいまだに笑い狂っている。お前、覚えてろよ。

 俺は密かに仕返しを心に誓った。

「さすがにそれはないわよ」

 薄ら笑いを浮かべながら黒峰が俺にそう言ってきた。

「じゃあ黒峰さんも犬を描いてくださいよ」

「いいわよ」

 黒峰は俺からメモ帳とペンを受け取り、描き始めた。

「出来たわ」

「え? もう?」

 受け取ってホンの数秒で黒峰は描きあげた。

 あまりの速さに土井以上に絵描きの才能の持ち主ではないかと思いながらメモ帳を見た。

 

 『犬』

 

「これ絵じゃなくて字じゃないですか!」

「そうよ」

「そうよ、って......」

「あなたは『犬』を書いてと言ったわ。『犬の絵』を描いてとは言ってない。明確に言わなかったあなたが悪いわ」

「そんな屁理屈を......」

 たしかに言わなかったがそこは流れ的に絵を描くところだろう。今度はしっかり言ってもう一度黒峰に描かせようとした。

 ボーン、ボーン。

 振り子時計から十九時を告げる音が発せられた。

「もうこんな時間ですか。どうやら私達は時間を忘れて絵描きに集中していたようですね」

 鵜飼がそう言い、俺は黒峰に渡す機会を見失ってしまった。

「夕食にしましょうか。またどなたか手伝っていただけませんか?」

「あ、私手伝うわ。彼のおかげで思いっきり笑ったからお腹空いちゃった」

 俺はそんなつもりで描いたわけではないが、食欲が沸いたのは長谷川だけでなく、他のみんなも同様だったらしい。用意された夕食にみんな手が進み、昼に比べて食した量が多かったのは明らかだった。俺もがっつり食べることができたが、それは悔しさからによるものだった。

 ちくしょう! 食って食って食いまくってやる!

 食べている間にレイがまた俺の視界に入るところまで移動し、さっき描いた俺の犬の絵の真似をした。そしてまた一人で笑っている。

 マジでお前、いい性格してるな!?

 俺は怒りのまま夕食を口に放り込んだ。



 夕食を終え、時刻は二十時を示していた。

「どうですかみなさん。約束の時間まではあと一時間ありますが、もう部屋に戻るというのは?」

 鵜飼がみんなに提案した。

「そうね、何もピッタリにする必要はないわよね」

 長谷川が賛成の意を伝える。他のみんなも否定せず、同じ気持ちのようだ。

「じゃあ、移動しますか」

 俺達は揃って食堂を後にした。

 二階に上がり、別れる前に俺達は再確認した。

「いいですか。明日の朝六時、その時間にこの場所に集まりましょう。全員が無事なのを確認してから下に降りた方がいいと思います」

 鵜飼の言葉にみんな真剣な表情で頷いた。

「当然、それまでは誰も部屋に入れないこと。いいですね?」

「分かったわ」

「了解」

「は、はい」

「オッケーです」

 それぞれ声に出して答えた。

「でも、土井さんは大丈夫でしょうか?  一人離れて......」

 鈴木が心配の声をあげた。

 土井だけは一階の裏口のある通路の部屋に戻っていった。こちらに移動した方がいいのではないかと提案したが、このイベントや自分の荷物があり、館の管理もしなければならないと断られたのだ。

「そんなの置いてくればいいのに」

「重要なもので離れられないと言われたらこちらも強くは言えませんよ。仕方がありません」

 長谷川の愚痴に間宮がなだめる。どうやらこのイベントについての重要書類があり、厳重な金庫にしまっているそうだ。開けられることはないだろうが、不安なので離れられない、と。

 今さらイベントも何もない気がするが......。

 主催者の水澤が死んだ以上必要ないような気もするが、土井は形だけでも最後までこなしたいそうだ。率先して食事を作ったりしたのもその考えからのようだ。

「土井さんにも朝までは部屋から出ないように言ってありますから大丈夫でしょう。では、みなさん。私達も部屋に入って休みましょう」

 そう言われみんな散り散りになり、各自部屋へと消えていった。

 

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