26 疑心暗鬼

 

 その事実に俺は戸惑いを隠せないでいた。

 この中の誰かが水澤と火村を?

 自然と全員の顔を見てしまう。同様に他のみんなも周りの人の顔を見る。こいつが犯人? いや、あいつか? 誰が見てもそう考えているのは明白だった。

「い、いや、冗談ですよね?」

 間宮がひきつった顔で黒峰に聞いた。

「いや、そうと考えれば森繁さんの疑問すべてに説明がつきます」

 そう答えたのは黒峰ではなく鵜飼だった。

「そんな......」

「な、何よそれ......」

「この中の誰かが......」

 鈴木、長谷川、土井が驚愕よりも恐怖を抱いているようだ。ずっと一緒にいた人が犯人かもしれないという恐怖に。だが一番怯えたのはこの三人ではなく織斑だった。

「な、なんだよそれ。じゃあ僕はいつ殺されてもおかしくなかったじゃないか!」

「あんただけじゃない。他のみんなも同じよ」

「誰だ、犯人は!」

 そう言ったところで『はい』と手を上げる者がいるわけがない。

「お前か? お前じゃないのか?」

 そう言って織斑は土井を指を差した。

「わ、私? いや、ちがっ!」

 ブルブルと頭を横に振り否定する。

「あいつにこき遣われて腹が立って殺した! そうだろ!」

 何て短絡的な考えだろうか。そんな理由で土井を犯人と指摘するとはどういうつもりだ。

「違う! 私じゃない!」

「いや、あんたしか--」

「いいかげんにしてください、織斑さん!」

 我慢の限界を越えたように鵜飼が強く言い放った。

「勝手な思い込みで犯人と名指しするのはやめなさい。土井さんが可哀想です」

「可哀想? 犯人に同情するのかあんたは」

「そうじゃない。犯人と決定付ける確たる証拠がない限り疑うのはやめなさい。一度犯人と名指しされたら、その人はずっと疑われ続けるのですよ。それでは土井さんが辛いだけです」

「じゃあ、あんたが犯人か?」

「私じゃない」

「じゃあお前か?」

 次は間宮を疑う。

「い、いや、私でも」

「じゃあ、あんただな!」

 次々と尋ねるが当然全員が否定した。

「じゃあ誰だよ! 誰が犯人なんだよ!」

 髪をかきむしりながら泣き顔で織斑は叫んだ。

「織斑さん、落ち着いて」

 間宮がなだめようとする。

「--ていく」

「え?」

「ここを出ていく」

「それは無理です」

「無理なもんか! 僕はここを出ていく! お前らと、犯人と一緒になんかいられるか!」

 そう叫ぶと織斑は走って食堂を出ていった。

「あ!」

「織斑さん!」

「待ちなさい!」

 俺と土井、間宮が後を追う。

 織斑は玄関に向かい、ドアを開けて外に行こうとする。だが鍵がかかっているので開くことはない。

「あれ? 何で開かないんだよ」

 ガチャガチャと乱暴にドアノブを扱う織斑。

「織斑さん、そこは土井さんの持つ鍵を使わないと開かないということを忘れたのですか?」

「じゃあ開けろ! 僕は出ていく!」

「無茶です織斑さん。外を見てください。ここを出ていくことは死にに行くようなものです」

 土井の言う通り外は以前と嵐で、これでもかというように暴れていた。窓がガタガタと震え、強化ガラスでさえ不安になるような猛攻さだ。

「うるさい! 殺人者と一緒にいるよりはマシだ! 早くここを開けろ!」

 正常なら外は危険だと判断できたはずだろうが、軽いパニックに陥り聞く耳を持たない。

「いいかげんにしろよ......」

 俺はもう我慢の限界だった。

「さっきから自分勝手に、自分のことだけ考えやがって。怖いのはお前だけじゃないんだぞ!」

「うるさい、黙れ!」

「お前の言動がどれだけみんなに迷惑かけてるか分かんねぇのかよ!」

「黙れ!」

 そう叫ぶと織斑は急に反転し、俺達の方に突っ込んできた。勢いよくぶつかってきたので俺は床に吹き飛ばされた。

「いてっ!」

「大丈夫ですか?」

 ぶつかってきた織斑はその勢いのまま階段へ向かって行った。

「あの野郎!」

 完全にブチ切れた。一発殴らないと気が済まない。

「待て、こら!」

 俺はすぐに立ち上がり追いかけた。階段を上り、織斑は二階で左に折れた。あと数メートルまで追い詰めたが、彼が自分の部屋へと入る方が速かった。

「おい、こら出てこい!」

 ノブを回すがドアは開かず、どうやら鍵をかけたようだ。

「聞こえてるんだろ! 開けろ!」

 ダンダンとドアを強く叩くが返答はなかった。

「おい!」

「森繁さん」

 後ろを振り向くと間宮と土井がいた。

「間宮さん」

「もう彼はほっときましょう」

「でも......」

「彼は混乱している。少し頭を冷やした方がいいでしょうから、私達は下に戻りましょう」

「......分かりました」

 煮えくり返る気持ちを何とか静め、俺達は織斑の部屋の前から立ち去った。

 


 食堂に戻ると鵜飼、長谷川、鈴木、黒峰が不安そうに迎え、長谷川が聞いてきた。

「あいつはどうしたの?」

「部屋に鍵をかけて閉じ籠りました」

 俺は怒りながら答えた。

「ずいぶん機嫌が悪いじゃない」

「いけませんか?」

「いいえ、私も同じ気持ちだから。あいつにはほとほと呆れているわ」

 この場の全員が織斑に対して不満を抱いていた。誰一人彼を庇護する者はいなかった。

「あいつ、出てきたら殴ってやる」

「やっちゃいな。私は全力で応援するわ」

「応援するだけですか?」

「私よりあなたの方が腕力あるでしょ。あいつには痛い目に遭って欲しいわ」

 無責任なとも思ったが、織斑を殴る役を変わって欲しいとも思わなかった。

「あいつの話はもういいわ。気分が悪くなる。それよりもこれからどうする?」

 黒峰が今後のことを聞いてきた。

「あ、あの」

 鈴木が手を上げた。

「何?」

「あ、あれはどうするんですか?」

 顔は向けず、指だけを差した。その先には火村の遺体があった。

「そうですな。このままあそこに放置するわけにもいきません。休憩室に運びましょう」

「で、では私は飲み物を用意致します。どなたか手伝っていただけませんか?」

 鵜飼の提案に俺と間宮が協力して運ぶことになり、土井の提案には鈴木と黒峰、長谷川が参加することになった。

 振り子時計を見ると時刻は十時を差し、リズムが狂うことなく振り子が左右に揺れている。この状況下で平然と、唯一平常運転しているのはこの時計だけだった。


 

 それぞれ役割を終え、食堂では織斑を除く全員がコーヒーを飲んでいる。他にも女性陣が簡単なサンドイッチを作ってくれて、少しだがみんな口にしている。正直死体のあった場所で飲み食いはしたくなかったが、休憩室には火村の遺体に水澤の首が置かれている。全員が落ち着いて集まって食事が出来るのはここしかなかった。

「さて、これからどうしますか?」

 カチャ、とコーヒーを受け皿に置きながら鵜飼がみんなに尋ねた。

「小説なら犯人探しをしたりするわよね」

 長谷川が答えた。

「でもそれは非現実的」

「何でよ?」

 黒峰の答えに長谷川が聞く。

「小説は犯人探しがメインなんだからそれは当たり前。でもこれは現実。そんなことをする必要がない」

「でもそれじゃあこの中の誰が犯人か分からないままじゃない」

 長谷川の言葉に、場に緊張が走った。

 この中の誰かが犯人。そう思うだけで誰もが怪しく見えてしまう。

「だから、動かないことよ」

「何よそれ?」

「この中の誰かが犯人ということはもうみんな理解している。だったら全員で固まっていれば犯人は行動を起こせない」

「それぞれで見張るってことですか?」

 間宮が黒峰の考えを要約する。

「そう。そうすれば確実に誰も襲われない」

「でもあいつが犯人だったら?」

 長谷川の言うあいつとは織斑のことだ。

「それこそ何も出来ない。彼以外全員がここにいるんだから」

「ああ、そうね。ごめんなさい、バカなこと聞いちゃって」

 織斑の様子を見た限りでは犯人には見えそうになかったが、確証はない。

「でもそれって、ここにずっといるっていうことですか?」

 鈴木が聞いてきた。

「まあ、そういうことになるわね」

 黒峰の言うことは正しい。これだけの人数の目があれば犯人は行動を起こせない。誰ももう殺されることはないだろう。だが......。

「でも、いつまで?」

「この嵐が止むまでよ。そうすれば山を下りられる」

「この嵐はいつ止むの?」

「それは......分からない」

 そう。犯人がいると分かりながら俺達がこの館を出れないのはこの嵐のせいだ。だがこの嵐はいつ止むのか分からず、むしろ威力が増しているような気がしている。まるで俺達をここから出さないかのように。

「それじゃ、いつまで見張り合っているか分からないじゃない」

 そこが重大だった。人は監視され続けることに慣れていない。訓練した者なら定かではないだろうが、俺達は一般人だ。長時間お互いを見張ることに耐えられないだろう。すぐに精神的な疲労が溜まり、下手をすれば崩壊してしまう恐れもある。

 犯人は誰か--分からない。

 天気はいつ止むか--分からない。

 俺達は分からないだらけのままだった。

「たしかに、ずっとここにいては気が休まらないでしょう」

「わ、私もそう思います。こんなときにわがままかもしれませんが、私は部屋で一人で休みたいです。ここでは、その......」

 鵜飼と鈴木が長谷川に賛同する。鈴木に至っては殺人犯と共にいたくないという感じだ。

「じゃあどうするのよ?」

「そうですね......じゃあ、こういうのはどうですか?」

 少し思考してから鵜飼が提案した。

「夜は時間を決めて全員が部屋に戻るんです。そしてその後は誰も部屋に招き入れない。そしと朝、定時に集まるというのはどうですか?」

「なるほど、それなら休めるし襲われる危険もない気がしますね」

 間宮が同意するが黒峰は否定した。

「いや、それは危ないわ」

「どうしてですか?」

「いくら部屋に鍵をかけたとしても確実ではないわ。一人という状況が犯人にとってどれほど都合がいいと思う?」

「じゃあ二人一組に--」

「それこそバカよ。犯人とペアになった瞬間アウトじゃない」

 もっともだ。

「しつこいわね、あんた。だったら多数決で決めましょうよ」

 長谷川が提案した。

「多数決? 本気?」

「だって決まらないじゃない。こういうときは多数決って相場が決まっているのよ。先に言っとくけど、私は部屋で休みたい派よ」

「自分の命に関わることを多数決なんかで決められるの?」

「でも部屋に鍵をかければ問題ないじゃない。それとも何? 他に何か案があるんでしょうね?」

「......」

 長谷川の問いに黒峰は答えられなかった。

「それじゃあ鵜飼さんの、決まった時間に部屋で休む案に賛成の人?」

 長谷川の他に間宮、鈴木、鵜飼、土井が手を挙げていた。

「五人。過半数を越えたわ。決まりね」

 俺は手を挙げなかったが黒峰に賛成したわけでもない。ただ考えがまとまらなかっただけだった。

「じゃあ時間は夜九時から朝の六時までにしましょう」

 いつの間にか長谷川が進行をしていることに気付いたが、文句も、そして他に妙案も思い付かなかったので俺は黙ったまま決定に従うことにした。

 

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