12 探索ー2

 次は反対の展示室に向かう途中で、ドアから黒峰が出てきた。

「どうも」

「あなたも散策?」

「ええ、まあ」

 たったこれだけのやり取りしかしていないが、黒峰とは相容れないなと思った。自己紹介の時もそうだったが、彼女は無愛想だ。ほとんど相手の顔を見ないで話をする。

 自己紹介の際はたしか作家をしているって言っていた。作家という仕事をしている人間は気難しい性格を持っているという偏見が俺にはあった。だから彼女のこの態度にも納得というか違和感がなかった。

「中に入るの?」

 黒峰が自分の後ろ、展示室を指差して聞いてきた。

「ええ、そのつもりです」

「なら気を付けた方がいいわよ」

「はい?」

「危険だから」

「危険?」

「あなた、がさつそうだから」

 そう言って黒峰はさっさと階段を下りていった。

 今の忠告は何だろうか。またからかったのか? たぶんそうだろう。展示室に命に関わる物があるわけでもない。特に気にも留めず俺は展示室に入った。

 展示室の中は絵画、壺、像と美術館で見るような作品が壁から床まで所狭しと埋め尽くしていた。水澤には芸術品の収集趣味でもあったのだろう。金持ちの道楽だなと思った。

 ただそれにしては統一性がなく、バラバラだなとも思った。普通こういった芸術品を集める人は好みの作者の作品を集めると聞く。絵画なら絵画、焼き物なら焼き物とそれだけを集めるはずだが、ここにはその面影すらない。手当たり次第手に入れて、展示というよりは展示室を隙間をなくしたいがために集めたような感じだ。空きスペースはほとんどなく、無理矢理詰め込んだような印象を受けた。

 観賞用に作られたルートを辿って展示品を見る。このルートも必要最低限の幅しかなく、気を付けなければ反対側の展示品にぶつかりそうだった。

「展示室というよりは物置みたいだな」

 ぎゅうぎゅうに並べられた展示品を見ながら、実家の外にある物置を思い出した。扉を開けると中身が雪崩落ち、しまう際には押さえながら力ずくで詰め込み、次に開けたときはまた雪崩が--という繰り返し。ここもそうなる日が近いのではないかと思ってしまった。

 展示品を見ながら作品の下にはタイトルや製作者の名前が書かれていたが、日本語ではなく綴り文字がそこにはあった。英語だかフランス語だかの外国の文字を読めるわけもなく、ましてやふりがなが振られていない。俺にはただの子供のイタズラ書きのようにしか見えなかった。

「レイ、読めるか?」

 ある壺の前で立ち止まり、レイに聞いてみるが首を横に振る。これは漢字っぽいが全く読めない。

「だよな」

 綺麗な曲線美。引き込まれるような鮮やかな色彩。そして圧倒的や存在感。評論家ならこんな言葉を投げ掛けるんだろうが、俺にはただの丸い、カラフルな、そこそこでかい壺以外の何でもなかった。

「一体何て読むんだよ、これ」

「梅之頌栄ですよ」

 突然の返答にビックリし、声がした方に顔を向けると鵜飼が立っていた。

「すいません、驚かせてしまいましたか」

「いえ、大丈夫です。鵜飼さんも散策ですか?」

「ええ。そのついでに水澤さんのコレクションも見てみようかと」

「やっぱりこれ全部?」

「はい。水澤さんが集めたものです」

 鵜飼はここの展示品について何か知っていそうだ。

「今この壺の作者を言いましたよね。えっと梅野......」

「梅之頌栄。陶芸家ですよ」

「有名なのですか?」

「ええ。といっても最近名が広まったのですがね」

 鵜飼は梅之頌栄について語りだした。

「梅之頌栄は奈良で一人で製作をしていました。小さな工房で壺を専門として製作に打ち込み、近所でささやかな展示会を開いたりして生活していました。でも特に秀でているわけでもなく、平均的な腕の持ち主だったので生活はキツキツだったようです。ある時、同じように展示会を開いていたら一人の男性がえらく自分の作品を気に入り、売って欲しいと申し出たそうです」

「その男性ってもしかして」

 水澤孝輔しかいないと思った。

「はい。あの大手企業の飯田会長です」

 全く別人の名前が鵜飼の口から出てきた。

 誰だ飯田って。流れ的にそこは水澤だろう。

 閃いたと思っていたことが的はずれもいいとこに恥ずかしくなったが、何とか顔に出さないようにする。鵜飼は話を続けた。

「梅之頌栄は壺を売り、飯田会長は持ち帰ってすぐに家に飾ったんです。数日後パーティーを開いたのですが参加者達に大層自慢したそうです」

「もしかしてそれで?」

「そうです。飯田会長がえらく気に入った壺を周りの人達も興味を持ち、口コミで伝わり、梅之頌栄の元へ人が集まりだしました。それから梅之頌栄の名が社会に広まったんです」

 無名から一気に巨匠とまで言われるようになったらしい。金持ちや権力者の一言が影響を及ぼすとは聞いたことがあるが、悪いイメージの方が強かった。梅之頌栄の場合は良い方に働いたのだろう。

「凄いですね」

「私もそう思います。でも、梅之頌栄には可哀想だなという気持ちもあります」

「可哀想?」

 何が可哀想なのだろうか。自分の作品が世に認められて、自分の名が世に広まったんだ。嬉しい限りではないか。

 俺はその気持ちを鵜飼に伝えた。

「端から見ればたしかにそうかもしれませんが、陶芸家としての梅之頌栄はどうですかね」

「?」

 よく分からず首をかしげていると鵜飼は続けて説明した。

「例えば陶芸家の雑誌や展示会で評価を貰っていたならいいのですが、今回はそうではない。ただの口コミです」

「それが悪いんですか?」

「悪いわけではありませんよ。ただ芸術家は腕がものを言うのであって商人ではない」

「よく分からないんですけど......」

「う~ん、そうですね。では、梅之頌栄がなぜ今まで有名ではなかったと思いますか?」

「それは陶芸家として腕がなかったからですよね」

「全くその通りです。では逆に有名になった理由はなんだと思いますか?」

「それは自分の腕が認められて......」

「でも梅之頌栄の作品を認めたのは一般の方ですよ。同じ陶芸家ではない」

「そりゃそうですが、それが?」

「専門家の評価がないのになぜそれが素晴らしいものと判断できるのですか? 具体的に言えばプロの野球選手の上手い下手を聞くのにプロのサッカー選手に聞いて納得できますか?」

 あ~、何となく分かってきた。

「自分の作品にお客さんが喜んでもらうことが目的ですが、陶芸家、芸術家はそれよりも自分の腕を研くことを第一にしなくてはならないと私は思っています。お客の声はあくまで指標であってゴールにしてはいけない。そして、自分の腕を見てもらうなら同じ陶芸家に見てもらわなければ正当な評価はできないはずです」

「この人は違うと?」

「ええ。梅之頌栄は有名になってからも作品を制作していますが、全く変化がないんです。まるで成長が止まったみたいに」

 それは陶芸家にとって致命的だと鵜飼は言った。

「梅之頌栄の名が広まり巨匠とまで言われるようになったことで、今の自分の腕前を錯覚してしまったのではないかと思います。自分は腕のある陶芸家と。今はこうして一般の方に人気がありますが、陶芸家としての技術を問われれば......」

「大した腕ではないと?」

「私はそう思います」

 一般社会には有名であっても、陶芸世界の中でも上の存在とは限らない。現に他の陶芸家は梅之頌栄に対して批判しているようだ。あれでは陶芸の認識や質が落ちてしまうと。

 ひがみに聞こえなくもないが、口を揃えて同じことを言う陶芸家が多いらしい。

「だから私は、梅之頌栄が可哀想に思えてしまうんですよ。周りが騒ぎ立てたお陰で引き上げられたが、いつ落下してもおかしくない。梅之頌栄の作品が好きだからこそそう思います」

 そう言って鵜飼は締め括った。ずいぶん詳しいなと思っていたが好きな作者なら頷ける。他の作品についても尋ねたところ、同じように詳しく教えてくれた。

「鵜飼さんもこういったものを集めてるんですか?」

「いやいや、そんな余裕ないですよ。そんなことしたら一家破産です。私は見れるだけで満足ですから」

 とんでもないと手を振る鵜飼。ずっと気になっていたことがあるが、それを聞いてみた。

「鵜飼さん、この展示室にあるもの全部合わせるといくらぐらいになりますかね?」

「そうですね、私も専門ではないからなんとも言えませんが、ざっと十億は下らないかと」

「じゅ!」

 鵜飼の言った金額に頭を打たれる衝撃を受けた。この密集した展示品の一つでも触れたらドミノ倒しのごとく次々と倒れるだろう。俺は周りの展示品に触れないよう細心の注意を図る。黒峰が危険と言っていたのはこのことだった。命の危険ではなく人生の危険が目の前に広がっている。

 その時ボーン、ボーンと鐘の音が鳴り響いた。腕時計を見ると七時を示していた。

「おや、もうこんな時間ですか。夕食に与りに行きますか」

「あの、鵜飼さん」

「何でしょう?」

「この壺ももしかして、かなりの値打ちが?」

「そうですね、その大きさなら一千万はするんじゃないですかね」

 そう言うと鵜飼は先にドアへと向かった。

 一千万! 一万円札が千枚! この土の造形が俺の年収の何倍にもなる。

 話を聞いていたレイも驚いた表情をした後、壺の回りを見始めた。

 これがあれば俺の生活はウハウハに......。

 持って帰りたい衝動に駆られていると、レイも同じ考えを持っていたようで「持ってく?」みたいな動きをしている。

「無理だよ。バックに入らない」

 バックに入ったら持ち帰ろうとしたかのような発言に自分でもびっくりしたが、俺の一年の働きが土に劣ると考えたらショックの方が大きく、そんなことをする気力など一気に萎えてしまった。

 

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