9 約束

 『ⅩⅠ』の部屋の鍵を開け、中に入ると立派な内装をしていた。いや、もしかしたら館の部屋としては普通なのかもしれないが、古いアパートのワンルームに住んでいる俺には高級ルームと言ってもよかった。

 まずベットが見るからにふっくらしていて、触る前からフワフワしているのが分かる。白い色からまるで雲を触覚化したようだ。ベッドの傍らにあるスタンドライトも見た目数十万もするんじゃないかと思えた。ホテルのロビーにあるようなアームチェアとガラステーブルもあり、当然傷や染み一つない。床はふかふかの絨毯張りで靴で歩くのも申し訳なく感じてしまう。風呂トイレはないが、それでも俺のアパートの部屋より高い家賃を取れそうだ。

 ベッドに飛び込むと思った通りのふかふか感で、いい年して跳ねている。しばらく楽しんでいるとレイが姿を現した。

「見ろよレイ、めちゃくちゃ柔けぇ!」

 レイは呆れたような目を向けてくるが気にしない。今は楽しくて仕方ない。

 こんなベットがあれば最高だよな~、と自分の部屋でこのベットを使って眠ることを妄想していたら跳ねている位置がずれていることに気づかず、三、四回目辺りでドスンと床に落ちた。

「いって~!」

 ふかふかの床とはいえ腰からモロに落ちれば痛いことに身をもって知った。

 馬鹿らしい、というように頭を押さえるレイ。俺は腰を擦りながら立ち上がり、ベッド腰かける。

「あ~くそ。いい気分が吹き飛んじまったよ」

 自業自得という風に手を振るレイ。

「それよりレイ。さっきはどうしたんだよ。あの部屋が気になったんじゃないのか?」

 禁断の部屋でのレイの態度に疑問を感じていたので聞いてみた。しかし、レイ考えているだけで俺にその意図を伝えようとはしない。

「何だよ、何かあるんだろ?」

 首を捻るレイ。無視しているわけではない。ただうまく説明、身体で表現できないようだ。

「しょうがねぇな。あれ持ってきて正解だったな」

 俺はバックからあるものを出した。それは、あいうえおが記された『ひらがな表記』だ。

 レイの意図を動きや表情からだいぶ掴めてきたが、それでも限界があった。そして彼女もなんでもかんでも自分の考えを正確に伝えられるわけではない。俺も理解できないことがあるし彼女も表現できないときがある。

 そこで俺は出会って間もない頃、ひらがな表記を作りレイに文字を指差してもらい言葉を作ってもらっていた。最近は使うことが少なくなったが、こんなときのために外出するときはいつも忘れず持ち歩いていた。こっくりさんのようでもあるが、別に占うわけでもないし、霊を呼び出す所か既にいる霊に聞くのだから問題はないはずだ。これまで何十回と重ねてきたが身体に変化が訪れたことは一度もない。

 ベッドの上に紙を置き、俺とは対称にレイが位置に着く。レイとの『会話』のときの定位置だ。まだ考えていた彼女だが思い付いたのか順番に一文字づつ指を差していく。

 う ま く い え な い け と 〝

「うまく言えないけど......」

 あ の へ や は わ ら え な

 い よ う な

「あの部屋は笑えないような? なんじゃそりゃ?」

 部屋があはは、と笑うわけがないが、レイはこう続けた。

『あの部屋は冗談にならないような、後悔しそうな、そんな感じ』

「後悔?」

『あの部屋には私の知りたい情報がある、そんな確信みたいなものを感じたの。でも、それを知ったら後には戻れないっていう感じも受けたの』

「知りたい情報って当然......」

 頷くレイ。それは自分を殺した犯人の手掛かり。今の俺達には願ってもない情報だ。喜ぶべき所だが、逆に彼女は躊躇いを見せている。

「でも俺達は手掛かりを探しにここまで来たんだろう? いまさら何を迷ってるんだよ」

『私だって早く手掛かりを手に入れたいよ。でも、その瞬間自分が自分でなくなるような予感がして......』

「自分が自分でなくなる?」

 生きた人間で言うなら精神がおかしくなる、幽霊のレイなら悪霊になる、といった感じだろうか。想像するが、そこであることに俺は気付いた。

「ちょっと待て。あの部屋はこのイベントの主催者の水澤って人の部屋だぞ。それにあれはどうした、ほら、え~とたしか......そう! 織斑! あいつはどうしたんだよ?」

 元々このイベントに来ようとしたきっかけは、先輩の印刷した紙に銀色のネックレスを身に付けた織斑の写真があったからだ。その彼に会いに来たのがほぼ目的である。

『直接会ってみたら何か違った』

「違ったって何がだよ?」

『たぶん織斑は犯人じゃない。彼は犯罪をするようなタイプの人間じゃない』

「根拠は?」

『ない』

「つまり、感ってわけか」

『忘れたの? 私の感は当たるって』

「ああ、三割の確率でな」

 幽霊だから第六感的なものが飛び抜けているかと思っていたが、そうでもない。禁断の部屋みたいに肌で感じるようなことなら鋭いのだが、直感的なことになるとガクッと落ちる。三割、三回に一回しか当たらない正解率。微妙~。

『う、嘘だ! 四割はいってるよ!』

 抗議するレイだが、それでも一割上がっただけだった。

「まあ、織斑については置いとくとしよう。問題なのは次だ。一番の重要事項とも言える」

 俺の言葉にレイも真剣な表情になる。

「お前はあの部屋に手掛かりがあると言った。それはつまり、水澤がお前を殺した犯人かも知れないってことだ」

 神妙に頷くレイ。禁断の部屋は水澤が使っている部屋と土井がさっき言っていた。本当にあの部屋に手掛かりがあるなら、まだ断定できないが水澤は犯人である可能性が高い。もし犯人でなくても、レイの死と無関係とは言えないだろう。

「でも、それ変じゃないか?」

『何が?』

「いや、殺人犯だったらこんなのうのうとミステリーイベント開いてるかなって」

『捕まらないって思っているのかも』

「それもあるかもしれないけど......」

 何か腑に落ちない。殺人犯がわざわざ自分の館に人を呼ぶだろうか。リスクが高いというか間抜けな気がする。

『やっぱり行きましょ』

「どこに?」

『水澤の部屋。決まってるでしょ』

「いやいや、無理だよ」

『何で?』

「さっき土井さんに会ったばっかだろう。間一髪逃れたけど、次からは慎重にいかないと間違いなく誰かに見つかる」

『夜になったら見られない』

「たしかにリスクは少なくなるけど、それでもゼロじゃない。もしかしたら土井さんが見廻りに来るかもしれないし、そうなるとその時間も分からなきゃ意味がない」

 やっぱそうか~、というように上を向いて落ち込むレイ。

『悟史も姿を消せたらな~』

「無理に決まってるだろ」

 ベッドで駄々っ子のように音もなくジタバタするレイ。俺も特に考えも浮かばず呆然としていた。

 するとレイが表記に指を差し始めた。何か考えが浮かんだ

『ねえ、悟史』

「何だよ?」

『......ごめんね』

「どうした急に?」

 突然の謝罪に少し戸惑う。

『ほら、悟史に手伝ってもらってかなり経つじゃん。色んな所に行って探したよね。でも全く手掛かりが見つからなくて一歩も前進してないからさ』

 レイの言葉に口を挟まず静かに聞き続ける。

『こんだけ手伝ってもらってて進展なしじゃ悟史に申し訳ないなって』

 レイは悲しそうな顔をして文字を指差していく。

『だからさ、もし今回の調査で手掛かりが見つからなかったら、犯人探しは終わりに......』

「アホ抜かせ」

 俺はレイの言葉を遮った。

「進展なしだから諦める? 何言ってんだお前?」

 彼女は驚いた顔で俺を見ている。

「俺に悪いと思っているなら捜査を続けろ。ここで止めたらそれこそ迷惑だ。今までの苦労が無になっちまう。一体どれだけお前に付き合ってきたと思ってるんだよ。それとも、お前はもうどうでもいいと感じてんのか?」

 レイはブンブンと頭を振って否定する。

「だったらこれからも捜査を続ける。いいな?」

『怒ってないの?』

「怒ってるさ。でもそれは犯人が見つからない事にじゃなくて、お前が俺に気を使っている事にだ」

『でも......』

「いや、もちろん少しは気を使ってくれ。寝ているところを無理に起こさないようにとか、物を投げ飛ばさないようにとか」

 誤解のないように補足する。

「ただ、まるで見たいな気の使い方はやめてくれ。お前とはずっと一緒に過ごしてきたからな。もう他人とは言えないよ」

 レイが大きく目を開いた。

「俺が今まで付き合ってきたのはレイが真剣に頼んできたからだ。嘘偽りのない目をして、真っ直ぐ頼んできた。だから俺はそれに答えてきた。その真剣さに本気で力になりたいと思ったから今日まで一緒にやってきたんだ」

 レイは固まったまま動かず、俺を見つめている。

「ここまできてレイも諦めそうな気持ちも分からないでもない。でも俺に迷惑だからっていう理由では止めないでくれ。お前の気の済むまでやってくれ。別に犯人が見つかんなくてもいい。お前が納得したらそれまででいい。それに約束したろ」

 レイの目を見て俺はあの日と同じ台詞を言った。

って」

 そう、俺はレイと約束をした。あの雨の日に......。

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