5 誰得だよ
あれから何の問題もなく館に着いた俺は壁にあるインターホン押した。しばらくすると初老の男が出てきた。小柄な体格でほとんど白髪の頭に丸顔の男。童顔と言ったか、子供みたいな顔立ちをしていた。
その男は俺を見ると驚いた顔をした。無理もないだろう。ずぶ濡れの見知らぬ男が現れたのだ。
「どちら様ですか?」
怪しい俺に疑わしげな目を向けながら男は尋ねてきた。
「あっ、えっと俺今日からやるイベントに参加しに来たんですけど」
そう伝えると初老の男ははっとして姿勢を正した。
「それはそれは。大変失礼しました。お疲れ様です。すぐにタオルを用意しますので中にお入りください」
中に入れてもらい、少々お待ちをと声をかけてから男は一旦姿を消した。気付けば捻挫したと思った右足は痛みがほとんどなく、足首を回しても問題なかった。どうやら捻っただけだったようだ。安心したが濡れた身体で歩くことも出来ず、俺はその場で周りを見渡してみた。
館というので薄暗く、ジメジメしていて気味悪いイメージを持っていたのだが、そんなことはなかった。小さい子供ならかけっこするには丁度いいぐらいの広さのある玄関で、とにかく明るい。本当なら普通の明るさだろうが、暗く視界の悪い中を走ってきたので眩しいぐらいに明るく感じた。床にある模様の入った赤の絨毯が光を反射して余計に目がチカチカする。目が痛くなるので床から目を反らし、左を見てみる。
真横に一つと奥側に一つドアが見え、真横のドアの上にプレートが備え付けられ、食堂と書かれていた。だがよく見ると字ではなくプレートに直接掘っていた。材質は分からないが見た目は銅のように見え、もし本物のなら勿体ないと思った。遠すぎて見えないが、この部屋が食堂なら奥の部屋はたぶんキッチンか何かだろう。
正面には階段があり、階段部分と両サイドにある手すりが茶色で艶がかった様をしていて、滑りそうな階段だなという思いが第一に出てきた。あんな丸っこい手すりじゃなくて角ばったままにすれば楽なのに、作るのが面倒くさそうな階段だなと、ふと思う。
そんなことを考えながら視線を右へ移していく。
右手にはカウンターとドアが見え、カウンターには電話と呼び鈴、花を生けた花瓶が置かれ、奥には棚が並び所狭しと書類や物が詰まっていた。あの花瓶は形は悪くないが絵が気に入らない。
花瓶になぜアルマジロの絵を描くのだろう。もっとこう、鳥とか花があるだろう。よりにもよってアルマジロ? ここはアルゼンチンか! などとそれぞれ目に入ったものの感想を浮かべていたら初老の男がタオルを持って戻ってきた。
「こちらをどうぞ」
「あ、すいません。ありがとうございます」
タオルを受けとり、頭の水気を拭き取る。
「雨なんて予報では言ってなかったんだけどな~」
「ここらへんは天気が変わりやすいんです。天気予報通りにならないこともしばしばあります」
「山の天気は変わりやすいなんて聞きますけど、正直軽く考えてました。おかげでこの様です」
「たしかにそうですが、今日のこの天気みたいにここまで変わるのは珍しいです。災難でしたな」
話ながらある程度水気を拭き取れたので
次は着替えをしたいとお願いした。
「それでしたら奥の休憩室をお使いください。今なら誰もいませんので」
そう言って男は右手奥のドアを手で示した。
「ありがとうございます。え~と」
「あ、これは失礼しました。私ここでイベントに参加する皆さまの生活補助をします土井信助といいます」
土井は深々と頭を下げ、あまりの丁寧さに俺も頭を下げて自己紹介をした。
「森繁悟史です。お世話になります」
休憩室に入り、土井は用があるとすぐさま出ていってしまった。
休憩室も中々な広さを持っていた。椅子だけでも大小合わせて十個くらいあり、小さいテーブルも四つあった。ガラス製や木製があり、これまた凝った作りになっていた。奥には暖炉があり、暖炉なんて見るのは初めてで思わず近づき覗いてみる。赤レンガで四角く作られ、俺のイメージそのままの暖炉だった。火は消えているがまだ熱気があり、灰も新しく先程まで誰かが使っていたのだろう。もう少し消さないでいてくれたら暖炉の火を見ることができたし、服も乾かせたのに。
「おっと、こんなことしてる場合じゃない」
着替えをしにここに入ったのを思いだし、急いで着替え始める。入り口のすぐそばに置いたバッグを開け、中が濡れていないか確認する。濡れてたら洒落にならんと思っていたが、ビニール製のおかげでなんとか中まで水が染み込むことはなかった。一安心し、服を脱ぎ始める。
まずは上から脱いでいく。濡れた服が身体にピタッとくっついて気持ち悪かったのでやっと解放される。服を脱ぐとズシッと重みを感じる。絞れば大量の水が出てくるだろうが、室内でそんなことはできないのでそのまま椅子にかける。次は身体の水気をタオルで拭きながら傷はないかと見ていく。特に目立った傷もなく、唯一あった腕の傷もかすり傷程度で大したことなかった。
上が終わったので下を脱いでいく。どう考えてもパンツまで濡れているのは間違いない。二回に分けて脱ぐのも面倒くさいのでズボンとパンツを一緒に脱いだ。その時奇跡が起きた。
ガチャ。
脱いだと同時に休憩室のドアが開き、一人の女が入ってきた。
「え?」
「へ?」
俺と女は同時に固まった。女はびっくりして理解が追い付いていないみたいで微動だにしない。俺はその女を観察してみた。
ショートヘアーに赤い眼鏡をかけ、パッチリとした目をしていた。身長は俺より頭一個分小さく、おそらく一六〇センチぐらいで、歳も俺と大して変わらないだろう。
結構かわいいな。
軽く見惚れていると女の目が下を向き、次いで顔がみるみる赤くなった。なんだと思い下を見ると丸見えだった。俺のアレ。
Oh yeah! と漫画で言っているのを見たことあるが、現実ではとてもじゃないが言えない。
「き、きゃあああああああああ!」
女の悲鳴に思わず耳を塞ぐ。本当は下を隠したかったがとてつもないボリュームに耳を優先してしまった。
女は休憩室から出ていき、バタンと勢いよくドアが閉まった。今さらだがズボンとパンツを履き直す。
こんな漫画的な展開が起きるか普通!? 着替えの最中に覗かれるなんてハプニングが。しかも立場が逆って。
恥ずかしさよりも驚きの方が大きく、その次に残念さがあった。
「どうせならあの子の方を見たかったな」
そう呟くと突然頭に衝撃を受けた。
「痛っ!」
ゴトッと床に何かが落ちた音を聞いて振り向く。そこにはガラスの丸い灰皿が落ちていた。周りを見るが誰もいない。彼女を除いて......。
「何すんだよレイ」
レイが灰皿を俺にぶつけていた。顔を見ると怒っているようだ。
「ちょっと待てよ。あれはどう見ても事故だろ? 俺のせいじゃない」
レイは腕を組んで睨めつけている。
「それにどっちかって言うと俺の方が被害者だろ?」
そう説明するが、なおもレイは怒り心頭の様子だ。
「そんな怒るなよ。あの子にはあとで謝るからさ、な? あんなかわいい子に謝らないわけにはっはぁぁぁぁ!」
レイがまた灰皿を俺に向かって飛ばしてきた。
「あっ、あぶねえな、いきなり!」
レイがメチャクチャ怒ってる。気のせいか髪が逆立っているように見える。こんなに怒っているレイを見るのは初めてだ。
「何をそんなに怒ってるんだよ。あとで謝るって言ってるだろ?」
首を横に振るレイ。
「何だよ、謝るなってか?」
手でバッテンを作り、ドアを指差す。どうやら『謝るのは当たり前だ!』と言っているようだ。
「じゃあ何に怒ってるんだよ?」
そう聞くとレイはあたふたと手を動かし始めた。目も同様に動きっぱなしだ。
伝えたいがうまく表現できないって所か?
一体どんなことなのか。思い当たる所を聞いてみようと近づくと、レイはビクッとしてから後ろを振り向き姿を消した。
「あっ、待てこら」
消えると同時にノックが聞こえ、今度は俺がビクッとした。返事をすると失礼しますと土井が入ってきた。
「森繁さん、何かありましたか?」
「あ、いえ、ちょっと」
「どうした?」
「何があったの?」
「なになに?」
ぞろぞろと数人も一緒に入ってきた。どうやら他の参加者達みたいだ。
「さっき鈴木さんが走ってくるのを見たのですが」
「あ~えっと、実はですね」
「あら~やっちゃったのね」
「やっちゃった?」
三十くらいの派手な女が言ってきた。
「やっちゃったって何を?」
「とぼけちゃって」
「だから何が?」
「若いっていいわね」
「?」
全く意味がわからない。
とぼける? 若い? まあ俺は二十四だから若いとは思うがとぼけるってなんだ?
「あの、何を言って......」
「だって、襲っちゃったんでしょ? あの子を」
女の言うことが今一理解できないので脳内で繰り返してみる。
おそっちゃった、遅っちゃった、襲っちゃった、襲っちゃった......襲った!?
「いやいやいやいや、違いますよ! 誤解です!」
「信じられないわよ」
「信じてくださいよ。よく見てください。そんなことする人間に見えますか?」
「どこからどう見ても見えるわね」
あれ? と思い自分の身体を見てみる。上半身裸だった。しかも下はチャックとボタンをまだ閉めていなかった。
「あっ、こ、これは」
「確信犯ね」
「いや、だから」
「言い訳は聞かない」
「話を聞いて......」
「弁護士は自分で呼びなさい」
「は、な、し、を、きけ~~!」
俺が怒鳴ると静まったが、三秒ぐらいしたらドッと笑いが起きた。
「?」
不思議に思っていると女が涙を拭いながら言ってきた。
「あ~苦しい。ごめんなさい、少しからかっちゃった」
「いや~楽しかった」
「さいこ~!」
「ごめん、ごめん」
笑ったり謝ったり何がどうなってる。ますます混乱していると一人の男が言ってきた。
「すまない。君が襲ったなんて思っていないよ。僕らはもちろん、彼女もね」
そう言うと派手な女の後ろからさっきの眼鏡の女が顔を出した。
「あっ」
声を出すと眼鏡の女はまた後ろに隠れ、そっとこちらを見ている。
「さっき土井さんから参加者の一人がびしょ濡れで到着して、休憩室で着替えていると聞いてね」
男は続けて説明する。
「ただその時彼女はトイレに行っていてそのことを知らなかったんだよ。しかも時計をここに忘れたと言って止める前に向かってしまっていてね。気付いたときには悲鳴が聞こえたよ」
時計?
周りを見回すとガラスのテーブルの上に小さな女性用の時計があった。それを手に持ち眼鏡の女に渡そうとする。しかし、彼女は派手な女の後ろに隠れたまま受け取ろうとしない。
「渡す前にチャック閉めたら?」
「あっ」
慌てて閉めようと思ったが時計を持ちながらチャックに触るわけにもいかず、派手な女に渡した。
「あら、思ったより気が回るのね」
時計を受けとり、後ろの持ち主である眼鏡の女に返す。
「あ、ありがとうございます」
声が震えていたが、優しい声の持ち主だた。
「じゃあ私達は食堂に戻るわね」
揃って休憩室を出ていく。
「森繁さんも着替えましたら食堂に入らしてください。昼食をお出し致します。その後イベントの説明をさせていただきます」
土井がそう言って最後に出ていった。
しばらく呆然とし、ドアを見つめていた。しかし、いきなり初対面の人間をからかうか? と思うと無性に腹が立ち、おもいっきり『ちくしょ~!』と叫んで鬱憤を晴らそうとした。
「ちっくしっっしっ、ヘックショイ!」
しかし、口からでてきたのは叫びではなくくしゃみだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます