4 自分を見失わずに

 あまりの雨の強さに視界が悪く、五メートルより先が全く見えない。雨のカーテンと言うのか、周りに見えていた木々が降りしきる大粒の雨で遮られている。ポツポツではなくドドドド、と体に打ち付ける雨がその大きさと勢いを表していた。急いで館に向かった方がいいと判断して俺はさらに走るスピードを上げた。

 少しでも冷静になっていたならばこれが愚かな行動と気付いていただろう。走ろうが歩こうがずぶ濡れに変わりはないと判断でき、視界不良の中走るという愚行はせず、早く着くことより安全を優先させるべきだった。これまでに経験したことのない豪雨に軽いパニック状態に陥っていた。

 そのせいで道なりに全力疾走していると地面にあった石だか枝だかに足をとられ、おもいっきり転んでしまった。胸を強く打ち付け一瞬呼吸が止まり、激しく咳き込む。

「ゲホッ、ゲホッ、ゲホッ。くそ、なんだよ」

 顎や腕にも痛みを感じ、転んだ際に擦ったのかもしれない。この程度の痛みなら問題ないとすぐ立ち上がろうとしたが、右足に強烈な衝撃が走った。ズーンという重く広がる痛みに覚えがあり、俺は足を捻挫したと瞬時に分かった。

「くそ、マジかよ......」

 痛む足を押さえ、捻挫のおかげというか、少しパニックになっていたと気付き、今では冷静になることができた。横に大きな木がうっすらと見えたのでとりあえずそこまで右足を庇いながら歩く。

 あまり効果がないが障害物があることで身体に当たる雨がいくらかは減った。木に凭れながら座り込み上を見上げてみる。依然として雨は振り続き、黒い雲が空を覆っていた。山の天気は変わりやすいなんて言うが、ここまで変わるものなのかと思った。

「さて、どうすっかな」

 捻挫をしてまともに動けず、無理に動けば悪化してしまう恐れがある。動かないべきだろうか。しかし、全身が濡れているので留まっていてはみるみる体温を奪われ、風邪を引くどころか命に関わるかもしれない。八方塞がりだった。

「あ~、俺こんなとこで死ぬのか」

 深いため息をついて暗い空を見上げる。

 どうせなら彼女作ってから死にたかった。あっ、でもそれから死んだら彼女が悲しむか。泣いてくれるんだろうな。きっと優しい彼女だからそうにちがいない。あ~やっぱ彼女作りたかったな~。

 等々妄想に耽っていると目の前にレイが姿を見せた。

「なんだよレイ。最後くらい夢見たっていいだろう」

 レイは無反応。

「まさか俺の人生こんな終わり方するとは思いもしなかった」

 レイは無反応。

「あっ、まさかお前俺を連れていくために現れたのか。黄泉の国的な」

 レイは無反応。

「おい、何か反応しろよ。最後くらい......」

 言い終わる前にレイは腕を横に延ばして指を差していた。その方向に目を向けるが薄暗い空間しか見えない。レイは心なしか冷たい目をしている。

「何だよ。あそこが黄泉への入り口なのか?」

 尋ねるが何も答えず、レイはその空間を指差したままだ。もう一度よく見てみる。

 目を凝らすとボヤ~、と黄色い物体が見えた。左と右に一個づつ。まさか人魂?

 軽くビビったが一瞬雨足が弱まり、その物体が明かりであると分かった。その明かり周辺も徐々に見え始め、中心にあるものが見えた。

 扉だった。一軒家にありそうな変鉄もないどこにでもあるような黒い扉がそこにあった。見上げると窓が見え、屋根が見え、俺の目指していた館が目の前にあった。どうやら知らぬ間に目的地に着いていたらしい。それも十メートルない距離までに。

「......」

 えっと~、俺さっき何て言ってたっけ。死ぬとかなんとか。

 レイに振り向くと相変わらず冷たい目をしていた。姿を消すその瞬間まで。

 喋れないレイだが、これまで共に過ごしてきた俺にはあいつが何を言っていたのか分かった。あの目はこう言っていた。

「何アホなことしてんの? すぐ目の前に目的地があるのに死ぬとかバカじゃないの? 下らないことしてないでさっさと行けば?」

 はい、すいません。すぐ行きます。

 足の捻挫も空しく思いながら俺は扉へと向かった。


 

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