第9話

 学園祭当日。校内は一般開放されてはいないものの来賓客が数人招待されていた。学生服の生徒に混じって、時折スーツ姿の見慣れない人が所在無さそうにしてい

た。

 校舎内の各クラスでは模擬店が出店されていたし、各部室では展示物が披露されていた。

 サキは朝からソワソワしていた。部員一同、もっとも堂々としてそうなイメージだった部長が一番挙動不審なのには、みな驚きを隠せなかった。なので腫れ物に触

るようになるべくサキには近づかないようにしていた。

 体育館では午前の部に演劇部とダンス部の出し物が行われていた。そこの客席にはふたばの姿があった。彼女は演劇やダンスに見とれて、すでに自分が午後のライ

ブに出演することなど忘れつつあった。心ここにあらずといった感じで、とてもバンドの打ち合わせは無理のようだ。

 学園祭ステージ実行委員の茉莉と美登利他幽霊部員は、ステージ裏でバタバタとしていてバンドの打ち合わせどころではない様子だ。というのは建前で、準備をしている橋本のそばにいるだけである。

 瑠璃はひとり視聴覚室で黙々と作業をしている。練習をしているのかと思いきや、ネットでなにやら作業をしている。どうやら自分の作った音源をアップロードしているようだ。相変わらずのマイペースぶりにミキは呆れるしかなかった。そもそも、この旧校舎の視聴覚室は今はほとんど使われなくなっていて、ネット回線も切断されているはずなのに、なぜかインターネットに接続ができるのだ。どうも瑠璃が勝手に学校の回線を引っ張ってきて密かに使っているフシがある。

 ユキはというと朝から模擬店巡りで大忙しだった。どこのクラスのグルメがおいしいか食べ歩きである。口の周りにソースをつけながらクレープを食べる姿は食欲のかたまりだった。

「こんな調子でうまくいくのかよ…」

 ミキはなかばあきれながら校内を回って、部員のモチベーションの低さにげんなりした。そういえば、と陽子の姿が見えないことに気がついた。

 ミキが屋上でひとりたたずむ陽子を見つけたのは、昼も過ぎて午後の部の吹奏楽部の演奏が始まった頃だった。

「こんなところにいたのか」

「わたしはにぎやかなのが苦手でね。ひとりの方が気楽でいいんだ。でも客観的に学園祭の雰囲気を感じるのは悪くない」

 陽子の達観したかのような言葉に、ミキは理解に苦しんだ。

「サキってさ、変わってるよな」

 ミキはあやうく「陽子もな」と言いかけてやめた。

「自分を死んだギタリストの生まれ変わりとか言って、面白いな」

「ああ、なんて言ったっけ…」

「ニナ・ボルグ」

「そうそう。孤高のギタリストだっていつも言ってる」

「単にわがままな性格で、メンバーの方がついていけなくて離れていっちゃうタイプだな。確かにサキには似てるかもしれない」

「まあ、そうかも」

「どうしてあんたたち三人はケンカするのに仲がいいんだ?」

 ふと陽子はミキの顔をのぞきこんだ。 

「うーん、幼稚園からの幼なじみというのもあるけど、サキは危なっかしくて放っておけないから、結局わたしがサキを助けてしまうんだよね。ミキもサキのことが好きだし。なんでだろ、不思議だね」

 吹奏楽部の演奏が終わり、次いで合唱部の出番に変わった。その次はいよいよロック部の演奏である。

「そろそろ行こうか。みんなを集めなきゃ」

「ミキってさ、お母さんみたいだな。みんなをちゃんと見てまとめてさ」

「そうかな。弟がふたりいるせいかもね」

 体育館の客席で出し物を観覧していたふたばや、ステージ実行委員の茉莉や美登利たちはすぐに見つかった。瑠璃はずっと視聴覚室にいたし、ユキは食堂でまった

りとしていた。

 だが、肝心のサキが見つからない。みんなで手分けして校内を探す。新館、旧館、校庭、中庭…どこにも見つからない。もう合唱部の出番は終わり、ステージはロック部のステージ用にセッティングが始まっていた。

 もしやと思ってミキは体育館の周りを回ってみた。すると体育館の裏でギターの練習をするサキがいた。ミキは怒りを通り越して、あきれて声をかけた。

「そろそろ出番だよ。みんなサキの曲を聞きたがってるよ」

「ミキ。あたしのギターって大丈夫かな?」

「何言ってんの。あれだけ夏休みに路上でライブしたし、みんなで練習やってたんでしょ? その成果を出す時が来たんだよ」

「だけど、陽子のギターはうまいし、瑠璃のシンセもうまいし、ふたばや茉莉も歌うまいし」

 自分とユキの名前が出なかったことにはとりあえず目をつむったミキは、サキの手を引っ張った。

「ほら、二年生の演奏が始まったよ。準備準備」

 聞こえてくる二年生バンドの音は、さすが橋本がゴリ押しで出演させるだけあって、確かにうまい。アコースティックの弾き語り調だが、パワーが感じられ、むしろ彼らが大トリでもいいくらいのレベルだ。

 二年生によるアコースティックギターとカホンの音を聞いたサキは、不意にシャキッと背筋を伸ばした。

「年下なんかに負けてられるかよ」

「お、やる気になったかサキ。全員控え室にいるから急いで」

 二年生が曲を終え、今後のライブ等の告知をしている間、控え室では大問題が勃発していた。曲の練習に没頭するあまり、ステージ衣装のことを忘れていたのである。

「茉莉はかわいい衣装が着たい~」

「ふぅもダンスをするなら、フリフリの衣装がいいですぅ」

 ボーカルふたりは不満をもらしたが、サキが一喝した。「制服でやる。文句は言わせない」

「じゃあ、スカートの丈を短くするよ?」それでも見た目にこだわりたい茉莉は食い下がった。

「ふぅもニーハイはきたいですぅ」どこから取り出したのか、ふたばは黒のニーハイソックスを履きはじめた。

 急にバタバタしだした楽屋に美登利が駆け込んできた。「早く早く。もう出番だよ。今セッティング中だから、準備して」

 美登利に背中を押されるようにステージに押し上げられた音姫7の目に飛び込んできたのは、体育館に集まった大勢の生徒たちだった。先ほどの二年生バンドの盛

り上がりそのままに、音姫7の登場に会場は沸いた。すでに音姫7のうわさは校内に広まっており、一体どんなライブを見せてくれるのか期待が高まっていた。

 一部の男子などは、ボーカルふたりへの声援が集中している。校内随一の美人で元アイドルの波多野茉莉に、校内で最も妹にしたい女子No.1のふたばが絶対領域を見せているのだから、男子どもが黙っているはずがない。

 それに気づいた茉莉は「みんなノッてくれないと呪っちゃうぞ~」とアイドル時代の決まり文句を久しぶりに出した。これを聞いた当時からのファンはさらに沸いた。

 準備が整った音姫7は、一瞬間があった後、サキの鋭角なギターリフで幕を開けた。

      

      「ああ、こころはうらはら」

  

     (サキによるギターリフによるイントロ)

  

     一番 Aメロ

    いつだってそう あなたの前では言葉が出ないの

    ああ、あの子のようにもっとしゃべることができた 

    らいいのに

  

    今朝も通学路であなたを待ち伏せするの

    でもああ、あなたはわたしの前を素通りしてしま

    う

  

       Bメロ

    わたしとあなたの間には透明な壁がある

    決して壊せない硬くて丈夫な壁

  

       サビ

    こころはうらはら こんなに伝えたいことはたくさ

    んあるのに

    からだはうらはら 魔法にかけられたみたいに動

    かないの

    わたしのこころは堕ちてゆく

  

     二番 Aメロ

    ついに友達からあなたのメアドを聞けたわ

    だけどああ、メールができないの いくじなし

  

    真夜中携帯とにらめっこ 時間ばかりが過ぎてゆ

    く

    ああ、このまま時の彼方へと飛ばされそう

  

     Bメロ

    わたしとあなた 決して交わることのない線

    ずっと平行線を行くしかない悲しい線

  

     サビ

    こころはうらはら こんなに思いはつのるのに

    からだはうらはら 魔法使いのいじわるで石にさ

    れたみたい

    わたしのからだは朽ちてゆく

  

     (瑠璃によるシンセサイザーソロ)

      クラシカルで優雅なメロディ 一分半

  

     (陽子によるギターソロ)

      ブルージーな味わい深いメロディ 一分半

  

     (瑠璃と陽子のシンセとギターのハモリ)

      早弾きによるめくるめくメロディ 三十秒

  

     (間奏中、茉莉とふたばの華麗なダンス)

  

  

     三番 Aメロ

    宇宙はこんなに広いのに わたしはなんてちっぽけ

    だけどああ、わたしの思いはもっとちっぽけ

  

    大空を鳥のように飛べたなら 今すぐあなたの前

    まで行きたい

    そしたら思いは伝わるのかな わたしのちっぽけな

    思い

  

     Bメロ

    わたしとあなた なんて距離の遠い

    近くて遠い わたしとあなたの距離は縮まない

  

     サビ

    こころはうらはら こんなに伝えたいことはたくさ

    んあるのに

    からだはうらはら 魔法にかけられたみたいに動

    かないの

    わたしのこころは堕ちてゆく

    

 五分という約束の枠を大幅に超えて、八分という超大作の曲をやりきった。

 ステージ実行委員の誰も演奏を止めなかったし、観覧していた教師連中も何もしなかった。できなかったのだ。それだけこの八分間は濃密で緊張感あふれる時間だ

った。その場にいた誰もが、もっとずっと聞いていたいとさえ思える完成度だった。歌メロ、ソロパート、ギターリフ、リズム隊。全てがひとつに向かって突き進む姿は、月並みだが感動的だった。

 確かに演奏部分に甘さはあった。荒削りであっても、荒削りで青臭いからこそ心に響く音が込められていた。

 体育館の観衆は、音姫7に惜しみない拍手を送った。メンバーも深々と頭を下げた。ただひとりだけ、サキは舞台袖で見ていた橋本に向かってどうだと言わんばかりのピースサインを見せつけていた。

 しかし、音姫7がステージを後にして、真打である橋本のバンドが登場すると、更なる歓声と拍手で迎えられていた。聞こえてくる曲たちも、垢抜けたロックで、誰にでも分かりやすい王道のメロディだった。もちろん歓声も音姫7の比ではない。

 それでもサキはこれでいいと思えた。橋本には太刀打ちできなかったが、あの八分間は確かに一番燃焼した瞬間だった。悔いはない。音姫7のみんなは橋本のライブを観覧しているが、サキは体育館を後にした。

「ちょっと失礼。いいですか?」

 体育館を出たところで、不意にスーツ姿の男性に声をかけられた。三十代くらいの見知らぬ男性だ。とっさにサキは身構えた。

「わたし、こういうものです」と名刺を取り出した。そこには市民音楽祭実行委員の田中と書いてあった。

「実はわたし来週行われる駅前広場での駅前市民音楽祭、通称駅音の実行委員をしておりまして、橋本君のバンドにも出演してもらうことになってるんです。今日は

橋本君の見学という形で来賓として招かれたんです。ですが、偶然あなた方の演奏を見ていたく感激いたしました。ミュージシャンの参加はもう締め切っているのですが

、今の一曲を演奏するくらいなら時間は取れます。アマチュアバンドばかり出演する音楽祭なので、気負うことはありません。気軽に参加していただけたらと思います。

いかがでしょう?」

 あまりのことにサキは開いた口がふさがらなかった。

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