第4話

 津守つもりのご隠居と呼ばれている老人の住まいは、当然のことながら住吉大社の近くにある。津守氏は代々住吉社の神主を務めており、翁は先代の神主なのだ。綱らの主筋である源頼光とは、その父である満仲みつなかの頃から親しく、また地縁血縁など様々な意味でも渡辺党とも縁が深い。

 よく知られているように、住吉神すみよしのかみは第一にまず海の神、航海の神である。故に、そのやしろ摂津灘せっつなだにも直に接した位置にあり、清江すみのえという呼称に恥じぬ白砂青松はくさせいしょうの景勝地としても名高い。ちなみに伝説によると、住吉大神の正妻は猪名川の女神、妾が武庫川の女神とある。

「お待ちしておりました、渡辺の若さん」

「ご隠居の具合は?」

「今は落ち着いておられます。どうぞ、こちらへ」

 出迎えた家人に招き入れられ、綱と茨は庵に足を踏み入れる。これまでにも何度か訪れたことがあるので、いつもの部屋を通り過ぎて奥へと案内されたことに気がついた。

「大旦那さま、渡辺の若さんがお越しです」

 入室を許可する声があり、御簾みすくぐって部屋へ上がる。一方の茨は大人しく廊下で控えた。麦湯でも持ってまいりますと言い残し、案内してきた家人が退がっていった。

「見苦しい姿で申し訳ない、綱よ。いきなり呼び立ててすまなんだの」

「何の、お気になさらず。それよりも倒れたと聞きましたが」

 厳重に几帳きちょうで囲まれた重畳かさねだたみの上で半身を起こした老人が、己の孫よりも若い青年を見て苦笑する。

「なに大したことはない。こうしておるのも家の者が大人しゅう寝ていろ寝ていろとやかましいでな、致し方なくよ。心配いらぬというに、おかげでおちおち本も読んではおられん」

 膝に掛けていたふすまの上には、己で持ち込んだのだろう冊子が幾つか散らばっていた。神職にあった者らしく記紀もあれば萬葉集もあり、貴重な唐渡りの書物も混じっている。そもそも菅公の時代に廃止された遣唐使一行には、必ず津守の家の者が名を連ねていたし、代々の当主も収集を怠らなかったため、かの家は内外問わずかなりの数の書籍を所有しているのだ。

「万が一ということもあります」

「あほうめ、儂とて人の子よ。死ぬ時は死ぬ。第一、儂くらい年寄りならば、いつポックリ逝ってもおかしゅうないわ」

 容貌だけなら住吉の神の化身かとも思える古老なのだが、温和そうな見た目に反して剛毅な性格なのは、幼少の頃からの付き合いで綱もよく知っている。

「それよりもお主を呼んだのは他でもない。少しばかり頼みたいことがあっての」

「何なりと」

「娘を一人、京へ送り届けてやってほしいのだ」

「それは構いませぬが……」

 急いで呼びたてるほどのことなのかという疑問が表情に出ていたのか、じろりと綱を見やった津守翁は理由を話し始めた。

「その娘の祖父とは縁があってな。官には着かなんだが、かの御仁は大層な博識での。若い頃には様々な国を廻っておったが、いまは落ち着いて菟原うばらにある蘆屋あしやいおりで過ごしておったのよ」

「蘆屋の法師どののことですか」

「知っておるのか?」

「ご高名だけは」

 ならば話は早いとばかりに津守翁が声をひそめる。

「その法師どのがな、亡くなった」

 ヒヤリとした。

 死はけがれだと云う。しかし、綱のような武士にとって、死は身近なものであり、職能上、避けては通れぬものである。

 その彼にして託宣じみた津守翁の言葉には、心胆寒からしめるものを感じさせたのだ。

「法師どのはな、京の公達から頼まれて異邦の書の研究をしておったらしい。宋や天竺てんじくよりもまだ遠い、それこそ波斯はしあたりのな」

「それはまた……然れど、いったい何の関係が?」

「その書が見つからぬ」

 眉を寄せた老人の表情はいつになく険しい。

「盗まれたと?」

「おそらく。じゃが、それだけではない。法師どのはとにかく尋常ではない姿で発見されたのだ。十中八九、その書が関係しておる」

「まさか」

「異教の蕃神ばんしんについてのものだと法師どのは書いてよこした。何かあった時には孫娘を頼むとな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る