姫路涼の創生
時間が巻き戻った、そう気付いたのは起きてから十七分が経ってからだった。
午前四時四十三分、目覚まし時計を設定していた訳ではないけれど僕は高校生時代から十年以上に渡って続く習慣でその時間に目を覚ました。
目を覚ました僕は洗面所に向かい五時にタイマーが設定されているテレビが起動する前に十五分かけて歯磨きや髭剃りなど仕事はある都合によって休みだけれど社会人としてそれ相応の身支度を済ませた。トイレに行ってテレビが置かれているリビングへ向かうと丁度午前五時を迎えて、テレビの電源が付いた。
『三月二日、月曜日になりました。おはようございます』
僕が物心ついたころからアナウンサーであった人が朝一番から大きなミスをしていた。確かに今日は三月二日だけれど、月曜日ではなくて水曜日のはずだ。
僕はそう思いカレンダーを確認したが、アナウンサーは全く間違っていなかった。僕も間違ってはいなかった。どちらも間違ってはいないのにもかかわらず曜日に差異がある理由は年号にあった。
僕の中での三月二日は二〇一六年の三月二日。アナウンサーの言った三月二日は二〇一五年のものだった。なぜ今更になってアナウンサーは去年の日付を伝えたのか。
アナウンサーが去年の日付を伝えたのではなく僕が去年の三月二日に来てしまっていたのだ。だからと言ってこの時間の僕が何処かに居るという訳ではなくこの時間で来年の三月二日に目覚めるはずだった僕の精神が僕の時間で去年の三月二日に目覚めた僕の身体に乗り移っているらしい。
中学二年生並みの想像を正確なものとして結論付けた僕はまず、寝間着から着替えて高校時代にやっていたように軽く焼いたトーストを一枚咥えて大急ぎで家を飛び出した。
僕が大急ぎで家を飛び出した理由はこの状況を特に気を留めることなく出社する事ではなく元の時間に戻る手掛かりを探す事でもなかった。
僕が家を急いで飛び出した理由というのは丁度一年前のこの日にとある事故で命を落とした幼馴染を救うためだった。
幼馴染に電話をして今日一日は身の回りに気を付けるように伝えるという考えも頭をよぎったのだが、僕の心の中でそれでは幼馴染を助けることが出来ないとその考えを改めさせられた。
だからこそ、僕は今住んでいる東京から実家があり幼馴染が住んでいる北海道に向かうため空港まで車を走らせた。
まだ五時半前なだけあり道路は車通りが少なく、思っていたよりも三十分ほど早く空港に着くことが出来た。
空港に着いた僕は北海道に出来るだけ早く行くことの出来る旅客機の航空券を購入した。当日の購入な上に有名な航空会社の旅客機という事で値が張ったが、幼馴染を事故で失う悲しみに比べれば安いものだった。
旅客機の離陸は七時十三分発で二時間以上は掛かってしまうため北海道に到着するのはどう足掻いても九時は過ぎてしまうのだけれど流石に僕にはどうすることも出来ないため焦る気持ちを必死で抑えながら搭乗までの一時間弱と離陸から着陸までの二時間と数十分を過ごした。
北海道に着くと僕はすっかり忘れていた職場への休みの報告をした。九時三十五分と始業の時間はとうに過ぎていた上に頭痛に高熱の為に休むと小学生並みの休みの理由を述べたが、社長は快く休みを与えてくれた。そんな心優しい社長に嘘を吐いたと思うと例え幼馴染を事故から救うためとはいえ心が痛んだ。
突発的にほとんど雪が積もっていない東京から五月初めまでは雪が残っている年もある北海道へ来たため道民的には薄着の部類に含まれる服装をしていた僕は大きなくしゃみをした。
流石にまだ道路に雪が残る北海道を薄着で歩き回るなんて馬鹿な事は出来ないため、空港の地下にある駅から二駅先にある地元の駅で降りるとすぐに服屋に飛び込んで特にデザインは気にせずに暖かそうな上着を購入した。
「もしもし、姫路だけど」
防寒を済ませた僕は携帯電話を取り出して電話を掛けた。電話の相手は、今日の午後三時頃に事故に遭って命を落としてしまう幼馴染だった。
『姫路? もしかして、涼? 涼なの?』
「あぁ。今、地元に来ているのだが会えないか?」
『いきなりだね。でもせっかく来てくれたなら会いたい。夜はどう?』
「ダメだ!」
そこまで声を張る必要はないのに僕はとても大きな声でそう叫んでいた。
「ごめん。あまりに久しぶり過ぎてちょっと興奮した。昼とか会えないか?」
『本当にびっくりしたよ。お昼頃? 用事も無いし、良いよ。あっ、でもごめん。また後で待ち合わせ場所メールしておくから』
幼馴染は仕事中だったようで忙しそうにそう言うと電話を切った。
「取り敢えずはこれでいいな」
まだ僕のやるべきことはやり終えていないけれど、元気そうな声を聞くことが出来たので一応一安心することが出来た。
幼馴染からメールが届いたのはそれから一時間が経った十一時十九分だった。メールには『十二時にお昼休みに入るから駅で待ち合わせしてランチ食べに行こうか』とあった。それに対して僕は『了解。十二時に駅で』と返信を送った後、約束の十二時十五分前まで時間を潰して駅へ向かった。
「お待たせ」
十二時五分前になると駅に幼馴染の少女……いや、見た目の幼さとは異なり年齢は二十五歳だから女性と言った方が適切なのだろう。その幼馴染の女性である真矢咲が挙動不審気味に辺りを見渡しながらやって来た。
「久しぶり」
久しぶりとは言っても正月に地元に帰って来た時に会っているから二ヶ月ぶり程度なのだけれど、二人で会うという意味では久しぶりになる。
「ふふっ」
「はははっ」
笑顔だけは止まらないものの、僕たちの会話は途絶えてしまった。
「あ、そうだ。ランチ行こうか」
「そう、だな」
東京のような都会でこの時間からランチに行こうと思い移動を開始すると大抵十分や二十分、酷い時には一時間は待たされることが多いが、僕の地元ではそのような事は無いようだった。
「ここで、良いかな?」
咲に案内でやって来たのはこの地で暮らしていたころに時々両親に連れられて来た覚えのある駅から徒歩五分の中華料理屋だった。
この店に深い思い入れというのは全くないけれど、僕の記憶にうっすらと残っているこの店の過去の姿と現在の姿はほとんど変化していなかった。
「急にどうしたの?」
それぞれ注文を終えると咲の方から話を聞き出してくれた。
「僕は一年後の未来から今日の夜に事故に遭ってこの世を去ってしまう咲を救いにやって来た」
まだこうして僕の前で生きている咲にそのような事を言えるはずが無く、僕は
「急に帰って来たくなっただけ」
と真実の様な嘘を吐いた。
「会ったら聞こうと思っていたことがあるのだけど、夜に何かあるの?」
僕が口を閉ざしていると咲は話を続けた。
「聞き流す程度に聞いてもらえればいいのだけど、涼から『今夜は、いや、今日は一日身の回りに気を付けろ』って怒鳴り声で電話が来た夢を見たの」
聞き流す程度と言われたが僕は一字一句聞き逃さないようにしっかりと聞いていた。
「その言葉が頭から離れないまま身の回りに気を付けて生活していたら涼から電話が来て。涼、今夜わたしに何かが起こるの?」
咲は僕が自分に関する出来事に関して何か知っていると勘付いたようでテーブルから身を乗り出し、向かいの席に座る僕に顔を近づけて来た。
「涼が怒る時は大抵、悪い事が起きる前だから」
今日を除くと僕が咲に対して怒鳴り声をあげたのは中学二年生の時が最後だというのに、よくもまぁそんな昔の事を覚えているものだ。
今日のような未来から過去に戻ってやり直すという事は無かったが、僕は昔から無意識に少し先の未来で怒る最悪の事態を見通すことが出来た。無意識に最悪の事態を見通してしまった僕はそうならない未来を新たに作り出すためにこの世界の時間で来年の今日まで奮闘してきた。ただ、この力は意識的に発動できる訳ではないようで、僕にとって人生史上最悪の事態である咲の死を見通すことは出来なかった。この世界の時間での今日の夜から来年の今日までそれを強く悔んでいる。
「何が見えたの?」
教えるべきなのだろうか? 仮に教えたとしても今まで僕が新たに作り出した未来がそうであったように今夜、誰かが亡くなるという事態は変わらない。それを咲は仕方のない事だと容認してくれるのだろうか?
「何が起きるの?」
言わなかったら僕が未来を変えるだけだから咲が亡くなることは無いけれど、言ったとしても咲は自分が事故に遭うという事実を知ってしまうのだから無意識に自分の身を防衛してしまう。その結果、別の誰かが事故に遭い亡くなってしまう。咲はその後、自分を強く恨むはずだ。自分があの時、事故に遭っていれば。と。
「ねぇ」
「聞いてしまったらどう足掻こうと未来は変わってしまうけれど、本当に聞きたい?」
「うん」
その言葉を聞いてもまだ迷い続ける僕とは違い、咲に迷いは無かった。
「未来が変わったらきっと咲は自分を恨み続けると思うけれど」
「聞かせて」
咲が自分の事を恨み続ける未来は僕の知るこの後の未来の次に避けたい未来だったけれど僕は当事者である咲の気持ちを尊重した。
「今夜、咲は帰宅途中に事故に遭う。そして、この世を去ってしまう。それを知ってしまった僕はその未来を変える為に急いでここにやって来た」
これで史上最悪の事態は避けられた。
「未来、変わっちゃったみたいだね」
咲の瞳から光が失われていくのが僕の瞳には焼き付くようにしっかりと映り込んだ。
「あぁ、聞かなきゃよかった。それでも、涼はわたしが死なないように未来を変えるよね?」
「うん、それだけは間違いない」
「でも、死んでいたらもっと後悔したかもしれないな。涼に初めて会ったあの日から感じていた気持ちを二度と伝えられないから。時間を狂わせるほど後悔したと思うな」
咲の瞳から失われていた光は涙に変わり頬を伝って零れ落ちた。しかし、僕はその涙の理由が分からなかった。
午前四時四十三分、いつもよりとても長く寝ていたような気がするけれど僕は高校生時代から十年以上に渡って続く習慣でその時間に目を覚ました。
目を覚ました僕は洗面所に向かい五時にタイマーが設定されているテレビが起動する前に十五分かけて歯磨きや髭剃りなど仕事はある都合によって休みだけれど社会人としてそれ相応の身支度を済ませた。トイレに行ってテレビが置かれているリビングへ向かうと丁度午前五時を迎えて、テレビの電源が付いた。いや、付いていた。
『三月二日、水曜日になりました。おはようございます』
僕が物心ついたころからアナウンサーであった人が朝も早いというのに元気よく挨拶をしていた。その挨拶に対してテレビの外から、
「おはよう」
と、女性の声がした。僕が物心ついたころから知っている声だったけれど、アナウンサーの声ではなかった。
「朝ごはん、準備してあるよ」
咲、だった。にわかには信じ難いが、確かに四方八方何処から見ても正真正銘僕の幼馴染である真矢咲本人だった。
「どうしたの? そんな幽霊でも見ているかのような顔をして」
一年前の今日に故人になってしまったのだから幽霊で間違っていないはずなのだが……いや、咲はあの日、事故に遭うことは無かった。
何が起こっているのか僕にもよく分からないけれど、僕の知っている過去の記憶に新しく作り出された過去の記憶が上書きされていた。
一年前の記憶であるそれは薄ぼんやりとしていたけれど突発的に北海道に向かった事、咲とランチをしてその時に僕にとっての正史で咲に起こる出来事を伝えた事、咲に告白された事ははっきりと覚えていた。
「涼、今日は婚姻届けを朝一番で出しに行くからね」
そんな予定は今初めて聞いたけれど、何度も言い聞かされているような感じがした。
「今日で一年か」
同じ一年を二度も体験した僕としてはとても長かったように感じられる。この一年は一何前と日数も曜日も同じ一年だけれど全く別の一年だったはずだ。
隣にはいつも失ったはずの初恋の人が居てくれたのだから。
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