姫路涼の推理
僕は今、一定のリズムを保ちながら自転車のペダルを回している。
現在時刻は二十時から二十四時の間と言った所だろう。腕時計を見ようにも自転車のライト程度の光では四つ表示される数字のうち左側の『2』しか確認することが出来なかった。
今日は新月のようで街灯が少ないこの道は薄暗くなっていた。しかし、不在の月に代わり星々が僅かながら光を放ち僕の額に流れる汗に映り込んでいた。
「ふぅ」
腕時計を確認して確認にもならないと気付いてから数分、僕はペダルを回すリズムをゆっくりと緩め夏場から秋にかけて夏祭りの会場にでもなりそうな大きな広場に入った。
蒸し暑い風が吹いているせいか、広場に設置されているブランコが呻き声に似た不気味な音を鳴らした。
自転車を降りてブランコの前を横切り、僕は古いとも新しいとも言い難いベンチの脚に自転車を固定した。
「電灯も少ないし、住居も少ない。出るには十分だな」
しばらく見ていないと言っても、あれは昔からボーイッシュだと言われてきた僕でも恐怖を感じる。
出ないことを祈りながら僕は背負っていた鞄から取り出した寝袋をベンチの上に広げ寝袋の中に背負っていた鞄を詰め込み、僕もその中に入った。
外が蒸し暑いせいで寝袋の中は不愉快なほど蒸れていたが、一日中自転車を乗り回していた疲労から気付いた時には僕は夢の世界へと誘われていた。
次の日、僕は迷惑なほど大音量のアラームで目を覚ました。
「君、大丈夫かい?」
「うわぁっ」
目を開けると見覚えのある制服を着た中年男性がベンチで眠る僕の顔を覗き込んでいた。
「まずは、ここで眠っていた訳を聞きたいのでけど」
『まずは』という事は僕がここで眠っていたこと以外にも警察が来るような事態が起きているのだろう。それよりも、
「少し、席をはずしてくれませんか? 僕、汗掻いていて着替えたいので」
そう言っても中年の警官は目を背けようとはしなかった。大方、事情を聴きたいから目を背けている間に逃げられたら困るとかの理由だろう。
「あの、下着とか見えた時に困るのは自分ですよ」
疑問符を浮かべる中年警官に僕は寝袋の奥に入っている鞄から少なくとも二年間は本来の用途で使われていない普通車の免許証を取り出して見せつけた。
「姫路涼、二十三歳、女性。二十三歳のじょ、女性でしたか。これは大変失礼いたしました」
何故年齢でも驚いたのか分からなかったが、中年警官は僕の性別を正しく理解してくれたようで頬を赤く染めて身体を百八十度回転させた。
その間に僕は寝袋の中で着替えを済ませて寝袋から出た。
「申し訳ありませんでした。もうこちらを向いても構いません」
「こちらこそ、突然失礼いたしました」
中年警官は帽子を脱いで頭を下げた。その頭頂部は日頃蒸れているからか髪が薄くなっていた」
「ところで、姫路さんは何故このベンチで眠っていたのでしょうか?」
野宿をしていると頻繁に尋ねられる質問に対して僕は旅をした経緯を交えながら昨晩宿泊する予定であったホテルが満室であった事を伝えた。
「それは、お気の毒でした」
「まぁ、旅をしているとよくあることなので。それよりも」
僕は、昨日横切ったブランコを指差した。そこにはブルーシートが張られていて大勢の警察官がブルーシートの中を出入りしていた。
「実は昨夜から今朝にかけて事件がありまして」
やっぱり。僕が野宿をすると絶対ではないが、高確率でこのような事件に遭遇する。
「事件と言うのは?」
「今朝、そこのブランコの椅子にうつ伏せで死亡している男性が発見されました」
「ほう」
僕は不謹慎にも食い気味に事件の概要に興味を示した。
「以上が事件の内容です」
中年警官によると、ブランコの椅子にうつ伏せになって亡くなっていた被害者は貯金は少ないながらも並の生活レベルで過ごしていた二十代後半の男性で死因は鉄パイプとも野球で使うようなバットとも言える長い棒状の金属で後頭部を殴られたことによる撲殺らしい。
ここまでならこの数年で僕も何度か遭遇した事件と何ら変わらないが、この事件は僕が今まで遭遇した事件とは少し違っていた。
「自称犯人が三人」
今朝になり、この広場付近にある交番や警察署に被害者を撲殺したと言う『自称犯人』が出頭してきたらしい。
一人目の容疑者は頭部に怪我をしたのか包帯を巻いていたという被害者と昨晩、酒を飲み交わしたという被害者の同級生。本人曰く、付近のコンビニエンスストアで酒を買い足し付近にあると言う容疑者宅に帰宅中、些細な事で喧嘩になり幸運と言って良いのだろうか偶然にも腐敗し地面に落ちていたブランコの鉄柵で後頭部を殴ったらしい。酔いが回りながらも感覚的に罪を犯した事実を隠そうと思ったようで凶器の鉄柵は自宅に持ち帰ったらしい。
二人目の容疑者である三十代前半の女性は不運にも数ヶ月前に喧嘩別れしたという元彼氏と被害者を間違え元彼氏を殺害するために持って来ていた金属バットで広場を歩いていた被害者の後頭部を殴ったらしい。その後、殴った相手が元彼氏ではなかったことに気が付くと気が動転し、持っていた金属バットをその場に残しその場を去ったらしい。
そして、最後の容疑者は被害者より十数歳年上の男性で過去に被害者に好意としての告白をし、振られたという過去を持つらしい。昨晩はたまたま広場を歩いている所、被害者を見つけ被害者を自分だけのものにしたいという欲望が湧いた彼は欲望の赴くままに花壇のレンガで被害者の頭部を殴打し付近にある自宅から倒れた被害者を運ぶための台車を取りに戻ろうとする最中自転車とすれ違ったらしい。そして、台車を持って戻ってくると地面に倒れていたはずの被害者はブランコの椅子の上にうつ伏せで倒れて還らぬ人になっていた為、自分の欲望を忘れて恐怖し、その場を逃げたのだと言う。
「この順序で考えると被害者に恋をしていたという三番目の容疑者が容疑者を殺害したようにも思えますが、一番目と二番目の容疑者にも殺害は可能だと思いませんか?」
僕がそう問うと中年警官は傷害罪の疑いはあるにしても真犯人とは考えにくいようにも思える一番目の容疑者と二番目の容疑者の犯人説に驚いたのだろうか、黒目を右往左往させていた。
「ちなみに、三人目の被害者は自転車とすれ違ったそうですが」
中年警官はそう言うと僕の自転車を見た。話を聞いていて思い出したが、確かに広場に入る少し前に小走りの男性とすれ違ったような気がする。
「いつ戻って来たとか覚えていませんか?」
「残念ですが、僕は広場に入ってすぐに眠りに就いたので。それにほとんど暗闇だったので戻って来ていたとしても気付かなかったと思います」
「そうですか」
「ただ」
僕は少し声のトーンを落として真実へと続く言葉を繋げた。
「真犯人は分かりました」
「本当ですか」
中年警官は心なしか暗かった表情を分かりやすく緩めた。
「犯人は一人目でも、二人目でも、ましてや三人目でもありません」
「待ってください」
「どうしました? 犯人はこの三人だけだとは限りませんよね?」
「確かに、そうですが」
「犯人が誰だとあなたは言っていませんが、あなたは犯人が被害者を殺害するに至る動機を話していました」
昨晩に比べれば熱くはないと言うのに中年警官は額から汗を掻いていた。
「犯人が被害者を殺害した動機は、被害者が自分よりも低所得であるにもかかわらず自分よりも充実していた生活を送っていたから。と言っても、半分は僕の推理ですが」
「何ですかそれ、その推理だと私が犯人だと言われているみたいなのですが」
引っかかった。
「僕が犯人の動機として挙げたのは被害者の生活レベルから僕が思い付きで考えたフィクションだったのですが、あなたはどうしてそれが自分の事だと思ったのですか?」
中年警官は僕から自身の中心線を背けた。
「動機は僕の推理通りで合っています?」
「えぇ、姫路さんの推理通りですよ。昨晩、あなたの存在に気付いておくべきだった」
「先ほど僕の顔を覗き込んでいたのは僕を心配して見ていた訳ではなく誰にも気づかれないように犯人である自分の顔を見ていたかもしれない僕を殺害するためですね?」
「そこまでわかっていましたか」
「はい。ただ、あの時にあなたが警察手帳を見せていたらあなたを犯人だと疑う事は無かったでしょう」
「警察手帳?」
中年警官は気付いていないようだった。彼は僕が起きてから今に至るまで僕の名前は知っているものの自分の名前は明かしていなかった。それは明かさなかったのではなく、元々僕を殺害するつもりだった為に明かす必要が無いからだ。そして今も僕をどのタイミングで殺害すべきかと考えるのが精一杯で僕が言うまで忘れていたのだろう。それに気づいた中年警官の表情はだらしなく口が開き、魂が抜けているようだった。
「僕を殺すのなら今が絶好のチャンスですが」
「目撃者ではないと姫路さん自身の証言で知っている。私が姫路さんを殺害する理由は無い。それに今は被害者である彼を自分の勝手な都合で殺害したことをひどく反省している」
「残念ですが、反省をしていても殺害した罪が無くなりはしない」
それは、結果的に傷害罪で済んでいる自称犯人三人にも言えることだ。
「流石は、『放浪探偵』ですね。捜査協力ありがとうございました」
中年警官は最初から僕の正体に気付いていたのだろう。最後に僕に敬礼をすると事件現場に向かって行った。彼はこれから自分の罪を告げ消えることのない罪を償い続けることだろう。
事件のせいで僕が広場を後にしたのは翌日の昼だった。
寝袋を鞄に詰め直し、ベンチに固定した自転車の鍵を外した僕は再び次の街に向かってペダルを回した。
四人の犯人がいた事件が起きた広場から数時間ほど走り続けていると僕の自転車に並走して一台のキャンピングカーが走っていた。
そのキャンピングカーには『放浪探偵移動事務所』という水色の文字が書かれていて、その下にはご丁寧にその探偵事務所の所長に直通で繋がる電話番号が書かれていた。
「涼ちゃん、やっと見つけた」
キャンピングカーの助手席側に座り、走っているキャンピングカーの窓から身体を乗り出して大声でそう言っているのは放浪探偵移動事務所の所長であり僕の上司である川野流さんだ。
ちなみにキャンピングカーを運転しているのは真矢咲さん僕の後輩で彼女も放浪探偵移動事務所の探偵の一人である。
「何です?」
「聞いたよ。また事件に巻き込まれてその事件を解決したみたいだね」
「今回は巻き込まれてないですから」
しばらく進むと信号が赤色に変わり僕の自転車もキャンピングカーも止まると僕は捜査協力の報酬として受け取った『僕の給料の素』を所長に手渡した。
信号が青に変わると、僕は微かに次の事件を求めてキャンピングカーと別の方向に走り出した。
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