姫路涼の如月
『今年はチョコ作るの?』
起きたばかりの僕がカーテンを開けるよりも先に携帯電話を確認すると、深夜一時位にクラスメイトからそのような内容のメールが届いていた。メールを受信した時間が時間なだけにすぐ返信されるとは思っていないだろうけれど、流石に返信しないのは気が引けるので『まぁ、作るかな』とだけ返しておいた。
作ると宣言したけれど、一体どのようなチョコを作ろうか。市販のチョコレートを溶かして作るのが一番楽な手作りチョコレートだけれどバレンタインで男性に送るチョコレートとしては不適切というか適当な気がする。だからと言ってマカロンやガトーショコラの様な凝ったものを作りたいのかと言われるとそんなことは全く無いし面倒くさい。
結局、どのようなチョコレートを作るのか決まらないまま僕はいつも通り制服に着替えて、いつも通り母親の可もなく不可もない一般的な朝食を食べて学校に向かった。
今日から二月に入ったという事で、女子は誰にどのようなチョコレートを作るかとかなんとかというチョコレートのレシピを教えて欲しいとかいう話題で盛り上がっていた。一方男子は、誰からなら辛うじてチョコレートを貰えるか、話題の男子は今年何十単位でチョコレートを貰えるのかと言う話題に花を咲かせていた。
それではここで、僕がこっそりと話されているはずの両性の話題を把握しているのかという疑問に対する答え合わせをするとしよう。答えと言ってもそんな大層なものではないが、僕はクラスの女子の中で最も男子よりの性格をしているため、ほとんどの男子が僕の事を男子だと思っているのではないかと思ってしまうほど積極的に話しかけてきてくれる。それが、男子の話題を知っている答えだ。女子の話題を知っているのは言うまでも無く僕が女子だからなのだけど、最近は男子との懸け橋として良いように使われているだけなのではないかと微かに感じている。これに関しては男子にも同じことが言えるけれど。
「姫路だったら友チョコくらいはくれそうだよな」
誰かが僕に期待に満ちた声でそう言うと、他の男子もこんな時だけ僕を女子扱いして同調していた。変な期待をされても困るから僕はそれに対してこう告げた。
「言っておくけど、僕が上げるチョコレートは女子から貰ったチョコレートのカウントに入れるのは禁止だからな」
いつも僕の事を男子扱いしているのだから当たり前だと思うけれど、女子からあまり人気が無いと思っている大半の男子はあからさまにがっかりしていた。その男子に紛れて僅かにいる人気者の男子はさわやかな顔をして「もちろんわかっているよ」とちょっと腹の立つ物言いをして来たので彼らにはチョコレートは渡さないでおくことにしよう。
「それで、お前たちはどんなチョコレートが欲しい?」
僕が参考程度に訊いてみると、人気者の男子とそうでもない男子が声を揃えて「チョコが貰えるなら何でも良い」と答えた。
言葉だけなら人気者の男子の言った方が格好いいけれど、その言葉を鵜呑みにして市販のチョコレートを包装もしないで渡したら惹かれるのではなくて引かれてしまうのが目に浮かぶように思い浮かぶ。
その点、人気がある訳ではない男子は気が楽だ。市販のチョコレートを包装無しで渡しても、コンビニエンスストアの袋に入れてあたかも思い出して登校前に買って来たとしても引かれることは無くむしろ惹かれて喜びの舞を踊るに違いない。例外として自分が人気者だと思っている人気者ではない男子は惹かれず引くと思うけれど。
結局参考になる意見を得ることは出来ないまま、その日はいつも通りの変わらぬ一日が過ぎ去って行った。
放課後、僕は一人の男子に呼び出された。男子の名は川野流、僕の生まれた時からの幼馴染で保育園、小学校、中学校、高校と一度も別れることなく今日まで同じクラスで過ごしてきた。男のくせにピアノを弾くのがとても上手で僕は何度か流の出場するコンクールに招待されたことがある。恐らく違うけれど、僕がピアノを弾けないから見せびらかしているのだろう。とにかく、僕は流に呼び出されたので流の前に立った。
「俺にもくれるだろ?」
突然の事だったので何を言っているのだろうと思ったが、恐らくバレンタインのチョコレートについてだろう。小学生の時に泣き虫だったなんて思わせないほど格好良い顔立ちをしているのに僕にチョコレートを懇願するほどモテないのはなぜだろうか? 僕が流と仲良くしすぎているのが問題だと女子によく言われているし自覚しているけれど。
「言われなくてもわかっている。甘くないのにしてくれ。だろ?」
流は甘いものがあまり得意ではない。それは昔からよく知っているから言われるまでも無く今年も流のチョコレートだけはビターチョコレートを使う予定でいた。
「憶えていたなら良かった。じゃあ、俺はこれから部活だから行くな」
「おう、また明日な」
僕は手を振って音楽室へ急ぐ流を見送った。ピアノだけではなくてトランペットやホルン、ティンパニとか言う楽器まで出来るというのだから僕は流を格好良いと思う。あくまで尊敬の意味であり好意ではないはずだ。
流と別れるとタイミングを見計らったように隣のもう一つ隣のクラスに在籍する流の従妹で僕の親友である真矢咲がやって来た。咲は何の躊躇も無く僕の教室に無断で入って来ると、ノート程のサイズがあるタブレットを僕に見せて来た。咲の持つタブレットは『面倒くさがりでも出来る簡単お菓子作り』というタイトルのサイトにある『バレンタイン編』というページが開かれていた。面倒くさがり気味な僕から意見させてもらうと、本物の面倒くさがりはわざわざこのサイトを開かないと思う。それ以前の問題としてお菓子作りをしようとすら思いたたないだろう。
はっきり言って僕だってクラスメイトに作ると言ってしまった手前作らなくてはいけないと思っているけれど、昨年までは手作りが面倒くさくて二個か三個の十円だか二十円の小さなチョコレートを百円ショップで買った十枚ワンセットの小袋に詰めて配っていた。
「一緒に作ろうよ」
面倒くさい事この上ないが、参考になるものを探していた所だから丁度良い。僕は「わかった。一緒に作ろうか」と優しく咲に返答し、早速ではあるが材料を調達しに学校近くにあるスーパーに向かった。
一ヶ月ほど前までは正月に向けて紅白の垂れ幕やら新春セールで賑わっていた店内は二週間後に迫っているバレンタインデーに向けて店内の一ヶ所にバレンタイン用の特設コーナーを設けて色々な種類のチョコレートを販売していた。
チョコレート目的の僕たちは取りあえず、その特設コーナーに置いてあるチョコレートをそれぞれ眺めて回ることにした。僕は今までバレンタイン用のチョコレートはコンビニエンスストアで済ませて来たけれど、スーパーに置かれているチョコレートは高価なだけあって見た目から美味しそうなチョコレートが多く置かれていた。中でも僕が目を惹かれたのはとてもチョコレートには見えない寿司の形をしたチョコレートだった。値段はと言うと同じ位の寿司を出前する位の価格だった。
特設コーナーにはチョコレートだけではなく、クッキーやキャンディ『綺麗』と言うよりは『禍々しい』の方が適切に感じるほど様々な着色がなされたグミの詰め合わせなども置かれていた。
どれも魅力的ではあったが僕は『誰でも簡単に手作りチョコレートが作れる』と銘打ったキットの近くに置かれていた板チョコのミルクチョコレートを七枚、流用のビターチョコレートを少し多めに三枚購入した。咲は特に誰に渡す予定がある訳ではないらしく、従兄の流に情けとして渡す用のビターチョコレート一枚とミルクチョコレートを三枚だけ購入していた。
帰宅後、購入したチョコレートは冷蔵庫に保管されてバレンタインデー前日の土曜日まで誰の手にも触れられることなく保管された。
バレンタイン当日までは残り二十四時間を既に十時間以上過ぎているけれど、チョコレートは原型から一かけらも変化してはいなかった。明日はバレンタインではあるが日曜日でもあるので月曜日に学校で渡せば一日遅れてしまうけれど、もう二十四時間だけ時間が追加されるのだから何の問題も無い。
「で、チョコレートは準備したけど何を作ろう?」
咲は毎年手作りのチョコレートを作っているらしいが、僕は手作りチョコレートどころかお菓子作り自体が初めてなので咲のタブレットを借りて例の『面倒くさがりでも出来る簡単お菓子作り』というタイトルのサイトから僕の様なお菓子作り初心者でもできる簡単な手作りチョコレートのレシピを探した。
基本的な材料は咲が用意してくれていたので僕はサイトから初心者以下の初めて作る人向けのレシピから生チョコを選んでそのページを開いた。
「生チョコにしたの?」
「初めて向けには良いらしいから」
開いたページにも『生チョコは初めてでも簡単に作ることが出来ます』と書かれていた。
「それなら、道具はこれと、あとこれ、それからこれも必要だね」
咲はそう言うと僕の準備したチョコレートの他に生クリームとココアパウダー、そして、バットと呼ばれるらしいそこの深いトレイや計量カップ、オーブンシートなどをわざわざ準備してくれた。
「それじゃあ、何かあったら手伝うから頑張って」
咲は僕にとても優しくそう言うと、僕には到底作れそうにないチョコレートとキャラメルを使ったケーキを作り始めていた。
ずっと眺めていると時間が無くなってしまうので、僕は早速レシピ通りに五枚のミルクチョコレートを細かく刻んでボウルに入れた。次に鍋で温めた生クリームでチョコレートを溶かさなくてはいけないのだが、我が家に一つしかない鍋は咲が既に使っていた。
「鍋はまだ使う?」
「使うけど、生クリーム温めるの?」
頷いて肯定すると、咲は生クリームを大さじ五杯ほどボウルの中に入れて軽く乗せるくらいにラップをかけた。
「じゃあ、これは耐熱性のはずだから電子レンジで五十秒くらい温めて。五百ワットか六百ワットで大丈夫だから」
レシピ通りではないけれど、知らない人が書いたレシピよりお菓子作りが出来る親友の言葉を信頼して僕はボウルを電子レンジに入れて五百ワットで一分温めた。一分が経ち、ボウルを取り出すとチョコレートはまだ溶け切ってはいなかったので再びレンジに戻した。
「また温めなくていいよ。余熱で勝手に溶けるからゴムベラでそれを混ぜて」
咲の言葉はレシピにも同じように書かれていたので僕はその通りにゴムベラでチョコレートと生クリームをかき混ぜて溶け切っていなかったチョコレートを溶かした。
「ちょっと見せて。うん、上出来。それじゃあこれに入れて冷蔵庫で冷やして」
咲は事前に用意していたバットにオーブンシートを敷いて僕に渡してきた。僕はそのシートの上に平らになるようにしながら溶けたチョコレートを流し込んで冷蔵庫に仕舞った。レシピによるとここからおよそ一時間冷やしておくそうなので僕はミルクチョコレートを使う事を推奨されている生チョコにビターチョコレートを使用していいのかという疑問を抱きながらも構わずにビターチョコレートを刻んだ。さっきの生チョコは十三人いるクラスメイトのうち流とクラスメイトから本命チョコを貰えると思われる四名を除いた八人用だが、今回は流専用の生チョコという事でレシピ通りに作ると少し多くなってしまうので咲に細かな分量調整をお願いした。
「流のなら、生クリームじゃなくてバターの方が良いかな」
従妹と言うだけあって流の事を言わずとも分かっている咲は生クリームの代わりにバターを耐熱性のボウルに入れてラップを軽く乗せた。分量が違うので電子レンジの時間も咲は細かく調整してくれた。
「後はさっきと同じだから」
咲は優しくそして格好良くそう言いチョコレートとキャラメルを使ったケーキの仕上げ作業に入った。
電子レンジが鳴ると、僕はボウルを取り出して先ほどと同じようにゴムベラを使ってボウルの中のチョコレートとバターを溶かしながら混ぜ合わせ、出来上がったものを先ほどよりも少し小さめのバットに流し込んだ。出来上がったものを僕は先ほど作ったものの隣に入れて一時間ほどゆっくりと冷やした。その間に咲のケーキも完成して試食を頼まれたので食べてみた。流が好む味ではないだろうけれどチョコレートとキャラメルが程よく甘く、頬が落ちてしまいそうなほど美味しいケーキだった。
そうしている間に一時間が経過したので、僕は冷やしていた生チョコをバットからはずして盾に三回、横に六回切った。意図せずにそう切ると二十八個に分けられた。それにココアパウダーをまぶすと生チョコが完成した。流の生チョコを切る前に出来上がった生チョコを三個ずつ九個の小袋に詰めて八個を冷蔵庫に仕舞った。残った一個は僕が美味しく頂き、余分に作った一袋は手伝ってくれた咲にお礼として渡した。
「本命?」
違うとわかった上でそう聞いてくる咲に全力で否定して僕は流の生チョコを完成させた。他の人たちよりも少し量が多くなってしまったけれど流の事だから気付かないはずだ。
バレンタインの翌日、日付で言うと二月十五日月曜日。僕たちの学校はチョコレートの甘い香りが至る所から漂っていた。
昼休みになると至る所で人気者の男子に列を作りチョコレートのお渡し会が開催されていた。僕の教室も例外ではなく僕のクラスの女子や隣のクラスや咲のクラスの女子、一学年下の一年生の姿まであった。そんなお渡し会を羨ましそうに見ている八人の男子と流に僕はお手製の生チョコを渡した。
「流の生チョコはビターチョコで作ったから安心して」
「今年は手作りか」
流はクールを装いながらも嬉しそうに小袋を開けて生チョコを一つ口に運んだ。
「まぁ、美味いな。咲にでも手伝ってもらったのか?」
ほとんど一人で作ったと言いたいところだけれど、流の生チョコだけは半分以上咲に手伝ってもらったから口笛を吹いて誤魔化した。
「あっ、そうだ。余ったからこれもあげるよ」
僕は流に一つのクッキーを渡した。そのクッキーはクラスの女子用に作ったフォーチュンクッキーと呼ばれる中に紙が挟まったクッキーだ。流石にこれは僕一人の力で作れるものではないので咲と一緒に作った。
「これも美味いな。でも何だよ。この紙」
流は少し笑い、照れながらそう言った。さっき僕は余ったと言ったけれどこれは僕と咲が流用にクラスの女子のものとは別で用意したものだ。流のフォーチュンクッキーに挟まっている紙は咲が書いたものだったはずだ。
「見せて」
一人で笑いながら照れている流の紙を覗いてみるとそこには咲の字で『ずっと前から好きでした。付き合ってください』と書かれていた。まだ、送り主の名前が真矢咲と書かれていたなら流も冗談だと思ってくれただろう。しかし、その紙に書かれていた名前は『姫路涼』間違い無く僕の本名だった。
「いや、まぁ。お前も女だし。そんな気持ちもあるよな。まさか、俺が」
筆跡を見たらわかるだろうに明らかに流は勘違いをしていた。いや、勘違いではなくても良いけれど。
「いや、流これは」
「俺も前からお前が」
待て、待て、待て。俺『も』って何だよ?
「好きだ」
その三文字を言うと流は物凄い勢いで僕から顔を逸らした。驚きのあまり腰が抜けてしまった僕は床にぺたんと座り込んでしまった。嬉しさと恥ずかしさのあまり、僕は学校中のチョコレートを溶かしてしまうのではないかと思うほど身体中が熱くなった。
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