姫路涼の仮面


『仮面クール氏 またしても敗北』


 その文字と『視聴者提供』とテロップが出ている映像が夕方の情報バラエティ番組に速報として街中の電気店のテレビに映し出されたのを見た僕は、がっくりと肩を落として落ち込んだ。


 僕の他にもテレビに映るその文字と映像を見て落胆している人は多かったが、僕以上に落胆している人はいないはずだ。だって何を隠そうこの僕がその『仮面クール氏』なのだから。


 テレビでは専門家気取りの大人が僕の事を僕の戦いぶりを「ここがダメだ」「この場面ではこのような攻撃が適切だ」だのと指摘しているが、余計なお世話だ。もっと言うなら、守られている分際で口を出すな。


 そんな僕の心の叫びが届く訳も無く専門家はとうとう僕の服装にまで口を出してきた。


『そもそも、仮面クール氏の服装が敗北の原因と思われます。ご覧頂けばお分かりになると思いますが、仮面クール氏は常日頃から制服での戦いが多く見受けられます。それが彼女または彼の象徴の一つであることは私も重々承知していますが、制服では動きに制限が掛かってしまいます。そのような服装で戦うのは不利益であると私は常々思っておりました』


「クソジジイが」


 僕の気持ちも知らずに勝手な事ばかり言う専門家に対してとても世界の平和を守っていると他称されている戦士として不適切な言葉をついうっかり吐いてしまった。


「ママ、仮面のお姉ちゃんまた負けちゃったの?」


 僕の後ろを通りすがった子供が、僕の心にずきりとした痛みを与える言葉を純粋な疑問として母親に尋ねた。


「そうみたいね」


 母親はテレビの前で足を止め、テレビを見ながらそう呟いた。


「少し前までは負けたことがなかったのに」


 その母親が言う通り、僕はほんの少し前まで警察の手に負えない力を持った破壊組織『アラクネ』に負けたことは無かった。全戦全勝。最強無敵。そんな風に呼ばれていた。


 ただそれも中学を卒業するまでの話。高校生になってからというもの、僕はアラクネに敗北してしまう事が多々あった。アラクネも馬鹿ではないから、破壊活動の傍らで僕を倒すための計画を練っているらしく戦闘に行くたびに卑しい作戦で僕を追い詰めることがあったのだが、それが直接的な敗因ではない。


 僕がアラクネに負けるようになった理由。全戦全勝、最強無敵の中学生が高校生になった途端に弱体化した理由。それは『制服』だった。


 仮面クールとしての僕は顔を仮面で隠し首から下は専門家の言っていたように動くには制限が掛かる制服だった。中学の時からそれは全く変わっていないから動きが不自由になるのは僕にとって問題ではない。問題なのはスカートの部分。


 僕のスカートは中学から高校の間で大きく変化した。その変化した部分と言うのがスカート丈だ。学校によりスカート丈には様々な指定があると思う。僕の学校も例外ではなく、中学ではひざ下十センチから十五センチの間と長く、高校に上がるとひざ上五センチからひざの間までと少なくとも十センチの差があった。近くに定規があれば見てもらいたいが、十センチと言うのは思いのほか大きな差であり、そのわずかな差によってスカートが捲れやすくなったりする。ちなみにこの場合の捲りやすいと言うのは風や動きによって生じるものではなくアラクネの卑しい作戦で生じる人工的なものを指す。


 僕と戦うアラクネの戦闘員やそれをたまたま目撃してしまった通行人にパンツを少し見られたくらいでは僕だって別に布きれを見られただけだと我慢することが出来る。だが、テレビ番組は別だ。テレビ局を信頼していない訳ではないが、万が一にも編集を忘れて僕のパンツが不特定多数の人々の目に映ることになるとしたらどうだろう? 僕はもう生きていけない。いや、大げさに言い過ぎた。少なくとも一週間は学校を休むぐらいだ。あまり大きな声で言いたくはないが、インテ―ネットで『仮面クール パンチラ』で検索するとどこの誰が撮ったのか分からないけれど戦闘中の僕のパンチラ画像がまとめられてサイトに上げられている。それを見た時は流石に学校を二日休んだ。


 という訳で、僕が弱体化したのにはそんな経緯がある。もう少し付け足して話すなら、中学の時はスカートの下に短パンの着用が認められていたから思う存分戦う事が出来たけれど、高校では認められていない為、僕は仕方なくたまにパンツを見られながら戦っている。


 ただ、これだけは勘違いしないでほしい。僕は決して痴女という訳ではないし、負けているのだって出来る限りスカートの中を見られないように気を使いながら戦った結果なのだ。


「はぁ」


 長々と何を力説していたのだろう僕は。


「涼、ちゃん」


 ニュースが僕、もとい仮面クールの話題からどこだかの国のお偉いさんと日本の何とかというお偉いさんが会談を始めたというニュースに切り替わると、気持ち良いくらい弾んだ声でクラスメイトの真矢咲ちゃんが僕に飛びついて来た。


「仮面クールのニュース見ていたの?」


「そ、そう。また負けたのかって思ったら落ち込んじゃったよ」


 僕が仮面クールであることは僕と仮面クールの仮面を開発してくれた川野流博士以外には誰も知らないし、僕も教えていない。たとえ幼稚園の時からの友人である咲ちゃんでも。


「涼ちゃんと仮面クールって似ているよね?」


「ふぇっ!」


 咲ちゃんの突然の言葉に僕は今まで発した音の中で最も面白い音を出してしまった。もしかして、咲ちゃんは僕の正体を?


「だって、涼ちゃんの涼は涼しいって意味で、仮面クールのクールも涼しいだよね?」


 良かった。どうやら僕の正体は咲ちゃんにばれていないらしい。仮面クールの由来も気付かれていないが、おおよそ咲ちゃんの言ったとおりだったりする。


「そう言えば、仮面クールはうちの高校の制服着ているけどうちの生徒の中に居るのかな?」


「どうだろう」


 目の前に居るよ。言えないけど。


「前は私たちと同じ中学校の制服だったよね? もしかして、同じ学年の中に居るのかな?」


「もしかしたら、僕たちの先輩かもね」


 咲ちゃんがいつから制服が変わったのか覚えていなくて良かった。これでしばらくは、先輩の中に居ると言う体で話を進めることが出来る。


「でも、仮面クールの制服が変わったのって今年の四月からだよね? じゃあ、私たちの同級生かもしれないよ」


 誤魔化せなかったか。


「誰だろうね?」


「うん、僕たちの高校って同じ中学からの人が多いからね」


 だからこそ身元バレしないようにこの高校を選んだのだけどね。


「あっ、そうだった。涼ちゃん、いきなりどこに行っていたの? いきなり私にクレープ渡して何処か行っちゃうから探したよ」


「ゴメン、ちょっと知り合いを見かけたから」


 知り合いじゃなくてまさに作戦実行中のアラクネ戦闘員を見かけたから戦ってきただけなのだけれど。


「ところで僕のクレープは?」


「食べて良いって言うから食べちゃったよ」


 咄嗟の事だったから本当にそう言ったのか覚えてはいないけれど、咲ちゃんがそう言うのだったらきっと嘘ではないはずだ。


「それで、仮面クールの話だけど」


 咲ちゃんが仮面クールの話に戻そうとすると、突然大きな地響きと共に緊急地震速報が流れてもいないのに地面が大きく上下に揺れた。


『只今、地震が発生いたしました。館内にいらっしゃいますお客様は従業員の指示に従って安全な場所へ避難してください。繰り返します。只今、地震が……』


『皆さま、ご機嫌いかがかな? 私だ』


 地震の避難放送は突然途絶え、僕だけが聞き覚えのある声が聞こえた。


『私だ』


 僕たちの周りは避難している人たちばかりで放送に誰も突っ込みを入れていなかったが、放送している側も突っ込みを入れた者はいなかったらしく、声の主はもう一度そう言った。


 しかし、やはり誰も反応しない。


「涼、ちゃん」


「咲ちゃん」


 避難しようとする人の波に飲まれて手を繋いでいた僕たちの手は離れそうになった。


「ごめんね」


 僕は咲ちゃんには聞こえないほど小さな声でそう言って、咲ちゃんと繋いでいた右手を故意に放した。


 人の波は咲ちゃんを流し進めて行ったようで、つい二秒前の事なのに咲ちゃんは遠く離れた場所から僕の名前を叫んでいた。


 しばらくして、人の波は無くなり静かな時間が訪れた。


「全く」


 つい先程、僕を倒してニュースに速報で報道されたばかりだと言うのに懲りない奴らだ。しかも、現れた敵はさっき僕を倒した奴だし。


「これから咲ちゃんとディナーの約束をしているのに」


 僕はそんなことを誰もいない中で愚痴りながらスマートフォン程度の大きさと重さがある金属の塊を取り出した。ちなみにディナーと言ってもイタリアンやらフレンチのお店に高校生と言う身分の僕たちが行ける訳が無いので、近くにあるドリンクバー付きのファミリーレストランに行く予定だ。


「チェンジ」


 そう呟くだけで、金属の塊は僕の手の中で分解と膨張を同時に行う。五秒もしないうちに金属の塊は僕の顔を守り、身元を隠すヘルメット状の仮面へと変わった。そして、不便な事に僕はこれを手動で頭から被らなければいけない。


 不便なのは被るところまでで、その後は川野流博士曰くどのような仕組みなのか到底理解できない仕組みで宙に浮かび、駆けるように空を飛んでアラクネのもとに急いだ。


「何故我々は気が付かなかったのか、仮面クールを倒した後に破壊活動を再開すれば良かったことに」


「それはアラクネに負け癖がついているからだよ」


 宙を駆けるように飛んできた僕は左足の平をピンと伸ばした右脚の太ももに付け、オオカミのような姿をしたアラクネに不意打ち気味の飛び蹴りを食らわせた。ちなみに右手でパンツが見えないようにスカートの前側を押さえた。たとえ相手がアラクネ一人だとしても恥じらいが無いわけじゃない。


「貴様、さっき負けて逃げ出したはずじゃ?」


 特に力を加えなかった標準的な女子高生の飛び蹴りなので大きなダメージにはならず、オオカミのような姿をしたオオカミアラクネは何事もなかったかのように立ち上がり僕の顔をじっと見つめてそう言った。


「僕には負け癖が無いから、負けたら尻尾を巻いて逃げ出すなんてことは無い」


 負けて落ち込むことは最近よくあるけれど。


「くそっ、最強無敵だっただけはある。野郎ども、やっちまえ」


 僕を貶すと言うよりは褒めるような言い方をしたオオカミアラクネはどんな戦闘で会っても無駄にいっぱい居るクズアラクネを呼び出した。このクズアラクネと言う呼び方は決して彼らを貶しているのではなくて、前に現れたクモのような姿をしたスパイダアラクネやコウモリのような姿をしたバットアラクネらがそう呼んでいたからその呼び名で呼んでいるだけだ。


 ここからはほんの少しだけ悪口になってしまうけれど、クズアラクネはその名に見合った強さで、力を加えない通称JKパンチ(少し前まではJCパンチだった)やJKキック(少し前まではJCキック以下略)で簡単に倒せてしまえた。


 今回も例に漏れず、クズアラクネたちはJKパンチ(少し前まで以下略)やJKキック(以下略)で軽々と倒すことが出来た。はっきり言ってクズアラクネの無駄遣いだと思う。倒している僕が言えた義理ではないがクズアラクネは大切に。


「さっきとは違ってパンツを見せずによくも軽々と」


「ま、待て。僕はさっきそんなにパンツが見えていたのか?」


「あぁ、それはもう。可愛らしい水色のパンツがチラチラと」


「クールフラッシュ」


 別に技名とかけた訳ではないけれど冷たく冷めきった口調で僕はオオカミアラクネの目を突発的に眩ませて物陰で今日のパンツの色を確認した。うん、水色じゃない。


「騙したね?」


 オオカミアラクネはまだ目が眩んで周りが見えていないようだったけれど、僕の怒りは頂点に達していたので容赦なく必殺技を繰り出した。


「クールエスペシャリーエモーション」


 それっぽい言葉を連ねただけで文字自体に意味のない必殺技の溜め蹴りを僕はオオカミアラクネの目が眩んでいることを良い事にスカートが捲れることなど気にせず思い切り放った。


「水色は、ネットで見た貴様の昨日のパンツの色だったぁ」


 体内に火薬でも詰め込んでいたのかと思わせるほど大きな爆発と共に消滅したオオカミアラクネに苛立ちを覚えていると、カメラで撮られているような気を感じた。


 天井を見渡してみたが監視カメラの類は見当たらなかった。その代わり、前後にスマートフォンを構えた人間と『STAFF』の腕章を着けたクズアラクネを見つけた。


 人間の方は後で話を聞くとして、まずはクズアラクネが優先だろう。


「ねぇ、クズアラクネくん」


 僕が背後から音も無く詰め寄って肩に手をかけ耳元で囁くと、クズアラクネはビクンと身体を震わせて、僕から溢れる怒りのオーラでも感じたのかがくがくと怯えだした。


「その動画、どうするの?」


「各局に提供します」


 クズアラクネは喋ることは出来ないようなので僕の動画を撮影していたスマートフォンのメモ帳アプリを使ってそう伝えてくれた。


「そっか、だから戦いから報道まですぐだったんだ」


 仮面で僕の表情は見えないけれど、僕は『とても優しい』表情で対応しているはずなのにクズアラクネはまだがくがくと怯えていた。


「いつから?」


「初めて現れた時からです」


 敵同士だからわざわざ丁寧に答える必要などないのにクズアラクネはしっかりと丁寧に返答してくれた。


「じゃあ、最後に。これ、ネットに上げたりしてないよね?」


「し、していません」


 冷や汗を垂らして何か怪しい雰囲気がしたので僕は申し訳ないとは思いながらも彼のスマートフォンを強奪して、画像フォルダを開かせてもらった。画像フォルダの中には『フォルダ1』『フォルダ2』『フォルダ3』とあるのに『フォルダ9』の所だけが『仕事用』と名前が変更されていて、九百枚近くの画像が入れられていた。


「あれ? パスワードが付いているみたい。おかしいね、他のフォルダは普通に閲覧可能なのに。もし良かったら開いてくれる?」


 クズアラクネは全身を横に振るわせながらも首だけは縦に何度も振って仕事用らしいフォルダにかけられていたパスワードを解除した。


「ふーん」


 仮面で僕の顔は全く見えていないけれど、このクズアラクネには僕の目だけが笑っていない表情を感じ取ることが出来ただろう。


「消しても良いよね?」


 クズアラクネは無理だとわかっていながらも首を横に振った。クズアラクネの目と思しき部分からは大粒の涙が流れだしていた。


「良いよね?」


 クズアラクネは首を横に振り続けながら首を縦に振った。クズアラクネが喋ることは出来ないのは既に知っているが、クズアラクネの何処かから嗚咽の様な音が聞こえた。


 とはいえ、本人の承諾を得たので僕はデータを端末ごと破壊した。もちろん、跡形も残さないように『クールエスペシャリーエモーション』で。


 少なくとも今回の戦いでの僕のパンチラ写真と動画はこの世から完全に抹消された。


「もう、帰っても良いよ」


 流石に可哀想になったのでクズアラクネの肩を優しく叩いて帰還を勧めると、クズアラクネは土に帰還してしまった。


 さて、もう一人話を聞かなくてはいけない人がいるが、それは戻ってからゆっくりと聞くことにしよう。








「涼ちゃん」


「ごめんね、咲ちゃん。途中ではぐれちゃって……何するの?」


 咲ちゃんは僕と再会するなり僕のスカートを捲り上げた。そして、僕のパンツを目に焼き付けると今度は僕の目を見た。


「隠し事してない?」


「か、隠し事? そんなことをした覚えはないけど。それに僕たちは親友だし、お互いに知らないことは何もないでしょ?」


 僕の言葉に咲ちゃんは頷いたけれど、まだ納得した様子ではなかった。


「そうだね。知らないことは何もないよ。涼ちゃんの今日のパンツの色も昨日のパンツの色も知っているよ」


「いや、それは別に知らなくても良いと思うけど」


「知っているよ」


 何か嫌な予感がする上に今の咲ちゃんは少し怖く感じる。


「昨日の涼ちゃんのパンツの色は水色だよね?」


「え、覚えていないけど多分」


 オオカミアラクネはネットで見たと言っていたから多分履いていたはずだ。アラクネを信じたくはないけど、洗濯機の中に入っていた気がする。


「今日は、コレだよね?」


 咲ちゃんはそう言うと僕のではなくて仮面クールのパンチラ写真を見せて来た。クズアラクネの居た位置からのアングルではないという事は自分で撮影したのだろう。というか、僕は咲ちゃんが僕を撮影していたのをこの目で確認していた。


「涼ちゃんは仮面クールでしょ?」


「はい」


 いずればれるときが来ると言うのは分かってはいたけれど、まさかこんなことでばれるとは思わなかった。いや、普通に考える訳が無い。最悪だ。


「やっぱり? そうじゃないかなって思っていたよ」


「ん? 咲ちゃんそれはどういう事?」


 まさか、カマをかけられた?


「元々仮面クールの事は気になっていて、調べたら『仮面クールの今日のパンツ』ってサイトがあったから見てみたら前に涼ちゃんと買いに行ったパンツがあったから、もしかしてって思って昨日の仮面クールのパンツが水色だったから聞いてみたの」


 よくもまぁ、公衆の面前で何度もパンツと言う単語を発することが出来るな。僕も大概だとは思うけれど。


「もう隠し事は無い?」


「無いよ」


「本当?」


「本当」


「じゃあ、許す」


 僕は一体何を許されたのだろう?


「あぁ、もう六時になるよ。夜ご飯食べに行こう」


「僕の事はもういいの?」


「それよりご飯」




 これは、密かに悪と戦う一人の女子高生の物語。戦いの日々はもう少しだけ続く。

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