姫路涼の鬼火


 曰く、これは今から遠い昔の事らしい。


 ほぼ毎日のように暗雲が陽の光を遮る小さな島。名を鬼ヶ島と言い、その島には名の通り鬼と呼ばれる存在が社会を作りとても平和に暮らしていた。


 鬼ヶ島では二つの種族が共存することで安定した社会を形成していた。


 一つの種族は体色が赤く、一本角が生えた赤鬼。この種族は軽々と樹齢二百年の大樹をへし折ることが出来るほどの力があるため、鬼ヶ島の社会では大工や消防士の様な力を必要とする仕事で活躍していた。


 もう一つの種族は体色が青く、二本角の生えた青鬼。この種族は知識に優れているため、鬼ヶ島の社会では政治家やアナウンサーなど知識量が必要となる職で活躍していた。


 これはあくまで一例であり、赤鬼でありながら青鬼並みの知識量を誇る者が政治家やアナウンサーを務めるなんてケースも多々あった。


 そんな平和が保たれた鬼ヶ島に鬼ヶ島全体を大きく揺るがす事件が起きた。


 その序章が、ある少年の誕生だった。




 涼しい風が吹くある夏の夜の事、姫路と言う名字の青鬼の女性は鬼ヶ島一綺麗な水の流れる川として有名な鬼守川に何かが打ち上げられているのを見つけ、河原へと降りた。


 満月の僅かな輝きでは打ち上げられていたものが何であるか正確に知ることは出来なかったが、彼女の知識から導き出すとそれは通常の何倍もの大きさはある物の桃と呼ばれる果実であると予想した。


 打ち上げられていたとはいえ落し物である以上、持ち逃げすることは彼女の心情が許さないので、彼女は桃らしいその果実を抱え近場の交番まで向かった。


 彼女もおおよその予想はしていたが、交番にその果実を届けると警官の一人である赤鬼は渋い顔をしてその果実を彼女から預かった。


 彼女から巨大な桃を受け取った警官は期限がある上に大きすぎるが故に交番に置かれている小さな冷蔵庫には収まらないその果実の保管方法に悩み一度、彼女のもとを離れて派出所の所長に連絡を入れてその果実をどうするべきか意見を聞いた。


 所長の出した答えは、拾い主である彼女に引き渡し、不必要であるのなら処分するというものだった。警官は上司である所長の言った事を彼女に伝えた。


「そうですか、処分すると言うのは勿体ないですね。では、貰っても良いですか?」


 彼女はそう言い、拾った果実を自宅へ持ち帰った。


 彼女の家には夫がいた。しかしながら彼女は夫との子供には恵まれることなく、3LDKの一軒家に二人きりで暮らしていた。


「ただいま」


 彼女は両手に果実を抱えながら、玄関の扉を開けて先に帰宅しているらしい夫にそう告げた。


それに対して彼女が荷物を持っているなんて知る由もない夫はと緩み切った声で「おかえりなさい」と返した。


リビングに入ると彼女の目には体力仕事で疲れ切ったのか、ソファの上で横になりテレビを見ている赤鬼の夫の姿が映った。


「アナタ、実は見てもらいたいものがあるの」


 彼女はそう言うとテレビの前に置かれた黒いテーブルの上に桃に似た大きな果実を何の躊躇いも無く置いて、鬼ヶ島で超人気のアイドルグループが映るテレビの画面を遮った。


 短気な所がある夫はいつもなら激怒したところだが、今回に関しては怒りよりも驚きの感情が勝ったようでソファから飛び跳ねるように起き上がると、目を丸くしてその巨大な果実を見つめた。


「これ、どうしたんだ?」


「河原に流れ着いていたのを拾って警察に届けたら交番では保管できないから引き取って欲しいって」


「それなら仕方ないが、これは食べても大丈夫なのか?」


 夫は不振がりながら桃のような果実をまじまじと見て、その果実にそっと触れた。その瞬間、果実は突然二つに割れた。


 突然の出来事に彼女とその夫は互いに抱き合って驚いた。しかし、果実側からのサプライズはそれだけではなかった。


 二つに割れた桃の中からはとても可愛らしい赤ん坊が出てきた。その赤ん坊の体色は赤色だったが、角は二本生えていた。


「ど、どうすれば良い? 泣いているぞ」


「そ、そうね。取りあえず、ご飯をあげれば良いのかしら?」


 夫婦は四苦八苦しながらも涼しい風が吹く日に生まれたその子供を『姫路涼』と名付けて自分たちの子供のようにとても大切に育てた。




 涼が七歳になる年、鬼ヶ島史上最大の事件は突然幕を開けた。


『番組の途中ですが、ここで臨時ニュースをお伝えします』


 突然流れ出したそのニュースに誰もが耳を疑った。


『本日未明、鬼ヶ島から十キロメートル離れた海で漁をしていた鬼ヶ島漁業組合の『鬼中健二さん』三十二歳、『鬼田泰敏さん』四十五歳そのほか乗組員六名が何者かに船を奪われ海に投げ出されるという事件が発生しました。鬼ヶ島周辺で鬼中さんらの乗っていた鬼王丸が見つからないことから海上保安庁は我々鬼が到達していない未知の大陸が鬼中さんらを襲撃したものとして捜査を続けています。このニュースに関しましては続報が入り次第お送りいたします』


 未知の大陸からの突然の襲撃、鬼ヶ島に住む鬼にとってそのニュースはあまり関係のない事ではあったが、誰もがそのニュースに恐怖していた。


 そして、その続報は翌日の朝の各局の情報番組で放送されてまたしても鬼ヶ島の住民を恐怖の渦に飲み込んだ。


『昨夜未明、海上保安庁の調査船が未知の大陸から来たと思われる生物と三匹の獣によって襲撃されました。未知の大陸から来たと思われる生物はそのまま鬼ヶ島に向けて進行している模様です。政府は現在警視庁と協力し、対策本部を立ち上げ現在対策会議を行っているとのことです』


 政府と警察は、それは、それは頑張って未知の生物の対処について熱く、熱く議論した。しかし、その結論は出ることなく終わってしまった。終わる前に、政府と警察が守ろうと努力していた鬼ヶ島が終わってしまった。




 鬼ヶ島が終わってしまう一時間前の話で会議が始まってから二時間が経った鬼ヶ島南部の港に未知の生物はやって来た。


「ここが、鬼ヶ島? 随分と辺鄙なあの村とは違って近未来的な土地だな」


 鬼ヶ島に三匹の獣を連れて上陸した未知の生物は人間と呼ばれている種族の八つに満たない少年だった。少年は腰に一本の刀と腰巾着、背には土地の名前だろうか『日本一』と刺繍されたのぼりを背負っていた。


「綺麗な土地だが空気が臭いな。お前もそう思うだろ?」


 少年は三匹の中で最も鼻の利く白い体毛の獣に同意を求めた。すると驚くことにその獣は言葉を発して応えた。


「桃の兄さんの言う通り、この土地の空気は卵の腐ったような臭いが漂っていて敵いません。さっさと用を済ませてさっさと帰りましょう」


「そうだな」


 一人と三匹は早速、鬼ヶ島を自由気ままに徘徊しながら何年もの月日を掛けて鬼たちが作り上げて来た街を壊して回った。


 未知の生物たちの襲撃に見た目は大きく迫力がある鬼たちも恐れをなして立ち向かうことは出来なかったが、未知の生物たちの破壊活動が続くにつれて鬼たちも我慢の限界となって未知の生物の前に立ちふさがった。


「ようやく出て来たか。悪しき鬼ども」


「桃の兄さん、相手は大人だ。油断はしちゃダメですぜ」


「分かっている」


 少年が面倒くさそうにそう言うと、宙に浮かんでいた獣が白い体毛の獣の背に乗った。そして、とても低く重圧感のある声で言った。


「悪しき鬼ども貴様らを倒す男の名、よく聞くが良い」


「俺は桃から生まれし侍、川野流。またの名を桃太郎」


 少年がその名を言うと、鬼たちの間には一人の鬼の少年の姿が浮かんだ。それは、鬼ヶ島で唯一赤い体色でありながら二本の角を持った桃から生まれた鬼の子、姫路涼だった。


「誰か、あいつを連れて来い」


「違う、違います。あの子は、あの子はうちの子です。あんな恐ろしい生物とは関係ありません」


 誰かが叫び、涼の育ての母が涼を守ろうとして叫んだ。しかし、その声は聞き届けられることは無かった。


「そんな、そんな」


「茶番は終わったか?」


 流と名乗った少年は苛ついているような声でそう言うと、鞘から刀を引き抜いて戦闘と言うものとは無関係の平和な生活を送って来た鬼に襲い掛かった。


「涼、可愛い涼」


 この日、鬼たちは最後に知ることとなった。赤鬼は赤いものが、青鬼は青いものが全身に流れていることを。


「鬼ヶ島で一番偉いのは誰だ? 村を襲った鬼は何処だ?」


 そんな鬼は島にも世界にも存在してはいなかったが、流は現れる鬼を赤子の手をひねる化のように軽々と捻り倒して回った。


 流と三匹の鬼にとっては不愉快な仲間たちが政府と警察の偉い鬼たちが集まる会議室に現れたのは上陸して三十分が経つ前だった。


「何だね? 君は。まさか、未知の生物と言うのは」


 流は政府の中でも五本の指に入る偉い鬼の言葉を無視すると、クリーニングだけで結構な値段が掛かる絨毯に唾を吐きかけた。


「で、この中で一番偉い鬼は?」


「私だ」


 長老とも呼ばれている鬼ヶ島の中で一番偉いとされているその鬼が名乗りを上げると、流は容赦なく刀を振るった。


「ちょ、長老。貴様」


 政府の二番目、警察署のスリートップが束になり流たちに襲い掛かった。一般の鬼に比べると戦闘経験のある三人が一気に動いた事でその場に居た鬼全員が勝利を確信した。しかし、


「あっけねぇな。これでも鬼か?」


「桃の兄さん、俺たちもいるって事を忘れて無いだろうな?」


「悪いな、村を襲った鬼を倒せるって思うとうずうずしてな」


 恐ろしい事を悪気も無く言う流の表情はとても八つに満たない少年が他人の見よう見まねで覚える表情ではなく、とても自然な悪意に満ちた表情だった。


「さて、この調子で鬼ヶ島の鬼を殲滅するとしよう」




 おおよそ同じ時刻、鬼ヶ島小学校一年一組の教室にて


「姫路の息子は、姫路涼は、このクラスか?」


 最初の地獄から涼を連れに向かわされた鬼はとても急いで来たようで、すぐには息が整わないほどの息切れをしていた。


「僕、ですか?」


「訳は後で話す。今は何も訊かずについて来るんだ」


 何も知らない涼は見ず知らずの鬼に学校から連れ出されてしまった。流たちが小学校を襲ったのはそれから五分後の事だった。


「オジサン、どこに行くの?」


 涼の純粋な言葉は涼にとって見ず知らずの鬼の心にぐさりと刺さったが、今はその言葉でへこたれている場合ではなかった。


「君はここに居るべきではない。だから」


 何かを言いかけた時、見ず知らずの鬼の胸から紫色に染まった刃が生えてきた。胸から刃の生えた男は涼の背中を強く押すと、何年か前に自分で舗装した道路の上に倒れた。


「オジサン? どうしたの? オジサン?」


「それ、死んだよ」


 倒れた鬼のもとに近寄る穢れを知らない涼に刀を投げて男の胸から刃を生やした心の穢れた流と三匹の獣はゆっくりと近づいた。


「この島に残されたのはお前だけだ」


 流たちがこの島に上陸してから丁度一時間が経った。


「鬼退治の時間だ」


「僕は、何も悪い事してないよ」


「知った事か」


 一人と三匹の獣は一斉に涼に襲い掛かった。


 白い獣は涼の腕に噛みついた。空を飛ぶ獣は涼の全身を突きまわした。茶色い体毛の獣は涼の顔を鋭い爪で思い切り引っ掻いた。獣を従える主人の流は三匹の獣を踏み台に涼を斬った。


 しかし、涼は倒れなかった。一人と三匹は斬り、噛み、突き、掻いた。それはもう、何度も何度も。それでも涼は一向に倒れずその場に立ち続けた。


 やがて、涼は目に涙を浮かべて大きな声で泣き叫んだ。


「僕も皆も何も悪いことしていないのになんでそんなことをするのさ」


 涼の純粋な怒りに答えるように鬼ヶ島全体にいくつもの亀裂が入り、鬼ヶ島の地下に溜め込まれていた硫黄ガスが漏れだした。そしてその硫黄ガスは涼の怒りの炎に引火して各所で大きな爆発を起こした。


 不思議な事にその爆発は大きな音と青く盛る炎を上げているものの、誰かを気付付けることは無かった。それは涼の純粋な優しさを表しているようだった。


 その優しさは純粋に平和な社会を生きてきた鬼たちの傷を癒やし、薬の様な役割を果たした。ただそれは純粋さを失った一人と三匹には毒となり襲い掛かった。


「熱い、熱い、熱い」


「桃の兄さん、もう俺たちはダメだ」


「鬼に罪を擦り付けた報いと言うやつか?」


「僕、今年の干支なのに」


 涼が無意識に呼び出した鬼火は流たちの邪心を隅々まで焼き尽くした。あとに残ったのは、邪心から解放され天使の様な寝顔で眠る流ともう二度と喋ることは無いが気持ちよさそうに眠る三匹の動物たちだった。








「長老、良いのですか?」


「鬼ヶ島の生み出した我らの祖、涼が良いと言っているのだ。文句はなかろう?」


 涼は人間が成長する上で生まれる邪心に操られていた流を今回は見逃して欲しいと長老に告げた。それに対し長老は鬼ヶ島絵の今後一切の不可侵を条件に涼の提案を受けると流に伝え、手土産として僅かな財宝を手渡した。


「じゃあね」


「涼くん、ごめんね。鬼ヶ島の皆さんもごめんなさい」


 流は怪我を負わせた鬼ヶ島の住人全員にしっかりと謝罪した。流のしたことは断じて許されるようなことではないと流自身がよく分かっていたが、鬼ヶ島に暮らす人々は純真な優しさで流の事を許した。


 何千もの鬼に見送られながら、流と三匹の動物は未知の大陸へと帰って行った。




 鬼ヶ島最大にして最後の事件から五年の月日が経ち、涼が小学校を卒業する年に鬼ヶ島は最盛期の様な街の姿と社会経済を取り戻したのだった。

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