姫路涼の歌姫


 歌姫、僭越ながら僕はそう呼ばれている。




 遡ること一ヶ月前。その日はまだ、桜の花が咲き誇っていた。


 二日前に桜が咲き乱れる桜歌高等学校に入学した僕は通常授業が開始されるこの日の朝、多くの部活動の勧誘に巻き込まれていた。


「キミ、野球部に入って甲子園を目指さないか?」


 申し訳ありません。僕、野球には興味なくて。


「もしかして君、サッカーやっていなかった? サッカー部に入らないか?」


 確かにサッカーはやっていましたけど、試合中に怪我して以来サッカーが怖くなってしまって。


「野球部もサッカー部も断ったそこの君、男ならやっぱり柔道部だよな」


 ごめんなさい。僕、男じゃないので。


「うちの部活丁度男役が足りなかったの。演劇部に入ってくれない?」


 男に見られるのは嫌なのでお断りさせて頂きます。


「合唱部に入って合唱コンクール優勝を目指しませんか?」


 僕、壊滅的に歌が下手なのでごめんなさい。


「キミ、料理部興味ない?」


 目玉焼きを作ろうとして火事を起こして以来、料理は全くできなくて。


「茶道部、入りませんか?」


「文芸部」


「吹奏楽部です」


「テニス部」


「ゲーム部でゲーム作りませんか?」


「陸上部で汗を流しましょう」


 玄関に辿り着くまでに僕は二十もの部活に勧誘され、その全てにそれなりの理由を付けて断って来た。


「はぁ」


「お疲れみたいだね」


「流、おはよう」


 この人は僕の一つ上の先輩で僕の家の隣に住んでいる幼馴染の川野流。部活には所属していないらしいけれど放送委員の委員長を一年生の時から務めていて、放課後に『川野流の校内放送』という三十分のラジオ番組をやっている名物生徒らしい。僕のタイプではないけれどイケメンの部類に入る方の顔だと思う。


「その様子だと部活に勧誘は断ってきたみたいだね」


「得意な事は無いし、僕って何やっても上手くいかないから」


「そうだね。目玉焼き作るくらいは上手くなってもらいたいけど」


「その話は忘れてよ」


 流とそんな話をしていると流曰く放送委員会の担当をしているという佐藤先生がやって来て流を連れて行った。僅かに聞こえて来た声は今日から新年度第一回目のラジオ放送があり、その打ち合わせだとか何とか言っていた。


 流が打ち合わせに行ってしまい廊下で一人ぼっちになってしまった僕は覚えたての記憶を頼りに僕のクラスである一年C組のクラスに向かった。


 そんな時、僕はすれ違いざまに他クラスの女子生徒が少し気になるものを落としていった事に気が付いた。


「これって、楽譜?」


 吹奏楽部に入部予定の人だろうか、それとも合唱部に入部予定の人なのか、もしかしたら軽音部かもしれないけれど、そんなことを考えている落とし主の姿を見失ってしまった。


「凄く書き込まれている」


 言葉だけでは誤解を招きかねないけれど、断じていじめられているような書き込まれ方ではなかった。とても練習して、何度も何度も間違いを改善しようと努力している人の書き込み方だった。


 そんな努力をしている人が楽譜を持ち歩いているという事は、その人にとってこの楽譜はとても大切なものであることは明確だった。それに気づいてしまった以上、僕がすべきことは一つしかなかった。


 僕は、楽譜を持った女子生徒を探してまだ正確に道を覚えていない校内を巡った。そして、迷子になった。


「ここ、何処?」


 桜歌高校の校舎は想像より広かったようで、僕はいつの間にか生徒が誰もいない場所に迷い込んでいた。


 極度の方向音痴という訳ではないけれど校内で迷子になってしまっている自分がとても情けなくて涙が出てきてしまいそうだった。


 そんな時、何処からともなく美しい声が聞こえて来た。


「私を一人にしないで、貴方と離れたくはないの、だから私を、この鳥籠から解放して」


 美しい声は音を紡いで歌を歌っていた。しかし、その歌は未完成のようで歌詞と歌詞の間に不自然な間が開いていた。


 どこかで歌っている歌声の主はもう一度「私を一人にしないで」から「この鳥籠から解放して」までの歌詞を五回ほど異なる歌い方で歌うと、最後に大きなため息を吐いて歌うのを止めた。


「ずっと聴いていたの?」


 僕の目の前にずらりと並ぶ教室の一つから先ほどの歌声と似た声色の女子生徒が出てきて、出てくるなり僕にそう訊いてきた。


「ずっと、ではないと思います。けど、六回前の「私を一人にしないで」の部分から聞いていました」


「最初からじゃん」


 女子生徒は呆れたように小さな声で呟くと腰まで伸びた黒く綺麗な髪をくしゃくしゃと雑に掻き乱した。


「あの、私がここで歌の練習していたのは誰にも言わないで。言わないで、くれませんか?」


「勿論です。あと、この楽譜落としませんでしたか?」


「楽譜? ちょっと見せて。見せてもらっても良いですか?」


 女子生徒は僕と同じ一年生のようだけれど、僕を先輩だと思っているようで時折口調を警護に直しながら話をしていた。他人事みたいに言っている僕もこの時はまだ彼女の事を先輩だと思い込んでいた。


「これ、私の。私のでした。拾ってくれて本当に、本当にありがとうございます」


「あの、もしかして一年生ですか?」


「はい、私は一年A組の真矢咲と言います」


 同い年だと言うのに妙に硬い挨拶をする咲に僕は失礼とは思いながらもつい笑ってしまった。


「僕は一年C組の姫路涼。同じ学年だったみたいだね」


「なんだ、見た目通りタメなら敬語なんか使わなきゃよかった。でも、楽譜を拾ってくれた涼には私が出来る精一杯のお礼をしないとね」


「お、お礼なんていらないよ。僕はただ楽譜を拾って咲の歌を盗み聞きしただけだし」


 両手を振ってお礼を断る僕を見て咲はニヤリと笑った。僕はその意味がよく分かっていなかった。


「盗み聞きだけじゃなくて勝手に歌い始めていたけど?」


 咲はそう言うとクスクスと思い出し笑いをして僕を煽った。綺麗な声や歌声とは違って、こっちが咲の本当の姿なのだと僕は心の端の方で思った。って、そうじゃない。


「僕が歌っていたの?」


「それはもう見事なまでに音を外していた。おかげで私も音外しまくりで全然歌に集中できなかった」


「そ、それなら余計お礼なんて貰えないよ」


 そんな僕を見てまた笑うのだろうと思っていたけれど咲は笑ったりはせずに真剣な目で僕を見て真剣な口調で言った。


「それと楽譜を拾ってもらった事は別。この楽譜は私にとって命の次に、命よりも大切なものだから。そのお礼はきっちりさせてもらうから」


 真剣な表情の咲は格好良くて素敵なのにその表情はすぐにニヒヒと笑う悪戯染みた子供っぽい表情に戻った。


「お礼に咲の直りようのない音痴を直してあげるよ」


「む、無理です。と言うかお断りです」


「何で? 別に音痴が直って困ることでもある?」


「無いですけど」


 僕がそう言うと咲は僕の肩を掴みやっぱり悪戯染みた子供っぽい表情で笑いながら言った。


「じゃあ、決まり。放課後に迎えに行くから。楽譜、拾ってくれてありがと」


 咲にとって本当に楽譜は大切なものなのだろう。咲は僕が見えなくなるまで「ありがとう」と言い続けていた。って、迷子なの忘れていた。


「咲、待って。僕、教室までの帰り道分からない」








 ホームルームが終わった直後、「どこの部活に見学に行く? 私、イケメン多いらしいからサッカー部見に行きたい」だとか「お前もそのゲームやるの? 通信しようぜ」だとか言って教室に残るクラスメイト達の間をすり抜けて随分とご機嫌な咲がやって来た。


 余談だけれど、やはり咲は可愛いと言うか美人だと思われているようで、咲が僕に話しかけるとクラスメイトは話を中断して揃いも揃って「あんな美人、うちのクラスに居た?」なんて会話を始めていた。


「涼、青春の時間は限られている。だから、走り出すよ。ほら」


 とても日常会話で使うとしては不自然過ぎる歌詞の様な言葉を告げて咲は荷物もまだちゃんとまとめ終わっていない僕の手を引いて第一印象も第二印象も迷路としか思えないだだっ広い校内の奥地まで連れて行かれた。


「第四音楽室」


 校舎の一番奥にある教室にはそう名付けられていた。流石は学校名に『歌』が付くだけあって校内に音楽室はこの教室も含めて五つあるのだと言う。


「それにしても咲、朝と比べると随分ご機嫌だね」


「そう見える?」


 教室で美人と噂されていた咲はニヒヒと残念すぎる笑みを浮かべ、ご機嫌である理由を僕に教えてくれた。


「実は、六時間目がオリエンテーションだけで残りの時間が自由になったから朝考えていた歌詞を完成させた。ほら、こんな感じ」


 拾っただけで心から感謝するほど大切にしている物を今日会ったばかりの僕にこんなにも簡単に見せても良いのかと思い咲の顔を見ると、咲はとても嬉しそうな表情で「ほら見ろよ」と言うのでお言葉に甘えてじっくり見せてもらった。


 感想から言うと、今まで歌に全く興味が無い上に楽譜も読めない僕には咲が作り上げたものの素晴らしさがはっきり言ってよく分からなかった。


 よく分からなかったけれど、とても素晴らしいものが出来上がったのだろうという事は僅かながら感じ取ることは出来た。本当に僅かだけれど。


「それじゃあ、この歌で涼の壊滅的な音痴を改善しよう」


 咲は僕から感想を聞くつもりは無かったようで、僕の手から楽譜を回収するとグランドピアノの代わりに申し訳程度に置かれていたキーボードの譜面台に楽譜を置いて演奏を始めた。


「まずは一回聴いてみて」


 咲は真剣になる時の美人モードを発動して、キーボードを弾き始めた。十数秒の前奏が終わると、咲はゆっくりと息を吸って出来上がったばかりの歌詞を歌いだした。


「鳥籠の中の私、外の世界眺めている、どうすれば、外の世界、自由に飛べるの?


扉は閉ざされている、この羽ではカギなんて、開けられる訳無い、誰か助けて。


私は一人、鳥籠の中、飛び回る玩具の鳥で、外の世界を、飛び回る本物を、夢見る。


離れたい、離れたい、もうこんな場所には居たくない。


痛い、もう居たくない、私の夢は、叶わない。




鳥籠の中の私、夢の世界眺めている、どうすれば、籠の世界、壊して飛べるの?


扉は錆びついている、この籠にはカギなんて、存在していない、助けは来ない。


私は一人、鳥籠の中、飛び回る一羽の鳥で、夢の世界を、飛び回る幻想を、抱いた。


離れたい、離れたい、もうこんな場所には居たくない。


痛い、もう居たくない、私の夢は、叶わない。




夢に落ちる私、落下していく私、鳥なのに、それも飛べずに、ただ落下していく。


痛い、もう居たくない、私は扉、出て行く。」


 最後の歌詞が五つある音楽室の中で最も小さい第四音楽室の中に響き渡り、最後の切ない伴奏が弾き流された。


「どう?」


 キーボードを弾いていた時の真剣で美人な顔はどこに行ったのか、咲はドヤ顔でそう言った。残念美人とはまさしく今の咲のような人を言うのだと僕は一つ学習した。


「こんな切ない歌で音痴が直る訳無いじゃないですか」


 これは僕個人が抱いた僕だけの感想だから正解だと思わないでほしいのだけど、鳥籠から出たくても出してもらえない玩具にされていた鳥はきっと最後の最後で自由になったのだと思う。それを思うと勝手に涙が溢れてきて音痴を直すどころか歌えそうにない。


「歌えないなら別に良いよ」


 もう涙が瞳から決壊しそうな僕を見た咲は優しくそう言った。のだと、純粋な心の持ち主である僕は思っていた。でも、そんなことは無かった。


 咲はどうしようもないほどに悪戯染みた子供っぽい笑顔で胸ポケットから名前は分からないけれど記者会見とかで記者の人が持っている声を録音するアレを取り出した。いつからか録音していたらしいそれの録音ボタンを切った咲は、今の今まで録音していたそれを枕元に置いてあったクリスマスプレゼントを開ける子供の様に無邪気な顔で再生した。


『まずは一回聴いてみて』


 どうやら録音は伴奏の直前から始まっているようだった。そして、伴奏が始まると咲は少し早送りして一番のサビ直前で再生した。


『離れたい、離れたい、もうこんな場所には居たくない。


痛い、もう居たくない、私の夢は、叶わない。』


 つい口ずさんでしまうほど、僕の中にその歌詞は染みついているようだった。そんな僕を見て咲は珍しく美人モードで笑いながら「二番の部分よく聞いて」と第一印象でしか感じ取ることの出来なかったお淑やかな口調で言った。


『鳥籠の中の私、夢の世界眺めている、どうすれば、籠の世界、壊して飛べるの?


扉は錆びついている、この籠にはカギなんて、存在していない、助けは来ない。


私は一人、鳥籠の中、飛び回る一羽の鳥で、夢の世界を、飛び回る幻想を、抱いた。


離れたい、離れたい、もうこんな場所には居たくない。


痛い、もう居たくない、私の夢は、叶わない。




夢に落ちる私、落下していく私、鳥なのに、それも飛べずに、ただ落下していく。


痛い、もう居たくない、私は扉、出て行く。』


 恐らく「歌えないなら別に良いよ」という言葉まで録音されていたはずだが、咲はそこで停止ボタンを押した。そしてやはりお淑やかさの欠片も感じ取れない子供の笑顔で、


「音痴、直ったでしょ?」


 そう言った。


 咲を信頼していない訳ではないけれど、何かの間違いではないかと思った僕は咲にわがままを言ってもう一度同じ部分を再生してもらった。そして、何度も何度も同じところを聞いた僕は確信した。


「直った」


 咲の作った曲の二番だけだったけれど、何度聞いてもその部分から歌唱に参加した僕の歌声は間違いなく音程にあった歌声だった。その歌声に不快になるような低音や高音は一度も含まれていなかった。


 喜んでいると、お淑やかな顔で僕を見る咲が映った。さっきから何度もコロコロと表情を変化させて忙しい人だ。


「涼に楽譜を拾ってもらったのは奇跡だったと思う」


「何? いきなりどうしたの?」


「実はこれ、午前中に完成させるつもりが全然音が取れなくてむしゃくしゃして涼の声に合わせて音入れたら出来上がった。だから、涼の音痴のおかげ?」


 曲作りの難しさについて僕はよく分からないけれど、咲が僕の事をバカにしているのははっきりと受け取れた。


「それでさ、涼にお願いしたいことがあって」


「何? またお礼させてほしいとか?」


「そうじゃなくて、曲作りの手伝いをして欲しい。もちろん、涼の音痴が完璧に直るまでで良いから」


 美人モードでそうお願いしてくる咲だったが、


「別に僕、音痴直そうと思っている訳じゃないし」


「じゃあ、友達として」


 それはズルい。しかも美人モードで。


「ダメ?」


「仕方ないな」


 所詮学校の中だけだと思って僕はとても気軽にそう承諾した。でも、全然違った。




 咲との出会いから一ヶ月経った今、僕はステージに立っている。学校のではない。と言うか、学校のならどんなに良かったことだろう。僕が今立っているのは日本で割と有名な某アリーナのステージだ。こんな所に立たされることになったのも全て音楽界で有名な作曲家であることを僕に隠して、僕の声に合わせた曲を何曲も作り出した咲の仕業だった。


 あぁ、音楽が流れて来た。もう、こうなったらやけくそだ。盛大に音が外れても咲のせいにしてやる。




「鳥籠の中の私、外の世界眺めている、どうすれば、外の世界、自由に飛べるの?」

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