姫路涼の沈黙



「気持ち悪い」


 僕がそう言われるようになったのは小学校三年生の時だった。


「何故?」


 最初に「気持ち悪い」と言われた時に僕はそう感じたし、そう言って来た彼に尋ねた。だって、昨日までは腹を抱えて笑ってくれていたじゃないか。


「似すぎなんだよ。お前の物真似」


 それが面白かったんだろ?


「最初は面白かったよ。でも、俺が絶対に言わないことを俺の声、俺の口調で言われ続けたら気持ち悪いんだよ。皆もそう言っている」


 皆? 二人や三人だろ?


「いいや、皆だ。お前に物真似された奴ら全員がそう言っているよ」


 親友だと思っていた彼が真剣な眼差しでそう言うのだから僕はそれが真実だと信じるしかなかった。


「もう、やめてくれ」


 僕は無言で肯定した。でも、やめることは出来なかった。癖になってしまっていたのだ。


「なぁ、やめろって言ったよな?」


 僕と彼は何度も喧嘩をした仲だけど、この時の彼は今までしてきた喧嘩の中で一番感情をむき出しにして怒っていた。


 彼からしたら無意識に思ってもいない言葉が口に出ているようで恐ろしかったのかもしれない。


「次にやったら絶交だからな」


 彼のその言葉で僕はとても深く反省したつもりだった。そう、だったのだ。


「ごめん」


 あろうことか僕は彼の声、彼の口調で謝罪してしまっていた。


 それによって彼の理性と言う名の糸はプツンと音を立てて切れてしまった。


「いい加減にしろ。……まれ。黙れ、黙れ、ひふぁりゃいあはえいかじぇよびゃ」


 彼は僕の喉を両手で握りながら声が掠れるまで言葉にならない罵詈雑言を浴びせて来た。首を握られているのにいつまで経っても僕の意識が途絶えなかったのは神が僕に与えた罰だったのだろう。


 そして、僕と彼はその日から小学校を卒業するまで顔こそ合わせるものの挨拶を含めたすべての会話を交わすことなくそれぞれ異なる中学校へと進学した。


 あの日から中学校へ入学するまでの三年間で僕の癖は悪癖へと進化し、僕が物真似をした、していないに関わらず僕の癖を知るすべての人類に嫌われた。その中には父、母、そして妹も含まれていた。


「気持ち悪い」


 その言葉はやはり中学生になってからも言われ続けた。


 半分とはいえ小学生時代の僕を知る人が居るのだから噂が流れてしまうのは仕方のない事だった。


「あの」


 僕が何かを質問しようとしても皆が僕を避けた。この悪癖の所為で相手の声、口調を無意識に真似して喋ってしまうのだから仕方のない事だけど。


 一人ぼっちというのは悲しく、辛いものだったがそれを乗り越える機会など訪れることがないまま月日は刻々と過ぎて行き中学生という肩書を卒業する時がやって来ていた。


 そして僕は同じ日に家族と離れ、1人暮らしをして僕の事を誰も知らない土地で生活していくことになった。


 父も母も妹も、誰も僕を止めなかった。僕が恐ろしいから、僕との関係を出来る限り断ち切りたいから。いつから溜めていたのかもわからない多額の現金を僕に渡して僕の家族は僕を遠くの土地へ追いやった。




 さて、前置きが随分と長くなってしまった。ここから前置きよりも短い本題でエピローグだ。


 三月十二日に中学校を卒業した僕はその日のうちに僕のことを知るものが誰一人として存在しない新たな土地、新たな新居へと移った。高校の入学式がある四月九日まではまだ随分と日があった。それまでに悪癖をどうにかしなくてはいけなかった。


「黙れ、黙れ、黙れ、黙れ」


 あの時に彼が僕に言って以来ことあるごとに言われ続けたその言葉が彼の声、口調で僕の口から発せられていた。


「あぁ、黙れば良いのか」


 もう何年振りに発したのかもわからない自分のものだと思われる声でそう言った僕は声が出ない声を真似した。


「……」


 よし。


「……」


 うん。


「……」


 もうこれで僕は悪癖で誰かを怖がらせることは無いだろう。


 僕は悪癖で誰かに恐れられるのを恐れて沈黙した。




 最後の言葉が僕自身の物真似で良かった。



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