第93話

 それからどれくらいの時間がたっただろう。


 鼻のしたで乾いた唾液は初め悪臭を放っていたが、それももう臭わなくなった。慣れてしまったのか、嗅覚が麻痺してしまったのかは定かじゃないが気にならない。


 唾液が臭っているあいだ、私は抵抗する試みはしかなった。手首はいまだにひとつにまとめあげられ、背後のフェンスにくくりつけられている。


 立ちあがることもできない。寝転がるわけにもいかない。ただ座った状態をキープするだけしかできない。私にゆるされた自由はせいぜい足を曲げるかまっすぐ伸ばすか、それだけだった。


 もしかしたら、あるいは本気でなんとかする気になれば、このバンドだけはなんとかなったかもしれない。


 くくりつけられているといっても、しょせんは梱包用のプラスチックバンドだ。


 引きちぎるなんてことは不可能でも、根気よくフェンスにこすりつけていれば、もしかしたらバンドが切れるかもしれない。そんな可能性はあった。


 しかし、私はそれをする気はなかった。


 もちろん気力もなかったけれど、たとえそんなことをしても寝転がれるようになるだけで、この屋上からは抜けられないだろうという予想があったからだ。


 おそらく矢野たちは屋上の扉をうち側からロックして帰っただろう。そうなると開閉用の鍵がなければ、そとから屋上の扉をあけることは不可能だ。


 あとは警備員か清掃のパートさんがくることを願うばかりだが、さっき矢野たちが帰ってから確実に一時間以上はたっている。


 おそらくもう、とっくの昔に本日最後の見まわりは終わっている。


 ようするに矢野がいったように、明日の朝までは誰もここにやってこない。

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