第80話

「なんの用事かっていうと……」


「ああ」


 すでに階段を次の踊り場のところまでおりている丹波は、ターンの勢いで私のほうに顔をむけた。


「教科書のことだろ。そういえば、そんなことをいわれていた」


 そしてそのまま足をとめずに踊り場を抜けていく。階段の手すりの陰に丹波の姿が隠れて見えなくなった。


「はあ」


 私は白人の所作になんだかもやもやした。


 好きでもない相手に対して、そんなことをしないでほしい。


 その場にしばし立ちつくす。もしかしたら、ほんのちょっぴりほっぺたもふくらんでいたかもしれない。


「バカ」


 なんともいえないへんてこな気持ちを鉛のように胸にかかえて、一歩いっぽゆっくり階段をおりていった。


 だから私たちが屋上をあとにしたときにちらと見えた矢野の目がおそろしいほど鋭かったことを、そのときの私はたいして気にしていなかった。


 なんとものんきな話である。

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