第81話

 だからその日の事件は本当にとつぜんだった。私としては、まったく予想なんてしていなかった。


 その日も私は学校帰りにアルバイトの予定がはいっていた。だから授業が終わると、いつもどおり矢野たちを警戒して一番最後に教室をでた。


 アイボリーのつるつるした廊下をひとりでおり、げた箱にむかう。


 もうすでにどのクラスの生徒も下校したあとなのだろう。私が自分のクラスのげた箱につくころに、ちょうど最後の生徒がでていったところだった。


 男女のカップル。


 理子と天野くんだ。ふたりは手をつないで仲むつまじく帰っていく。もちろん私はまえを歩くカップルに声をかけなかったし、ふたりも私にちらと目をやったきり足をとめず昇降口をでていった。


 そんなものだ。


 おとなしくひとりぼっちで鍵のかかったスチール扉をあける。上履きから学校指定のローファーに履きかえる。


 その瞬間だった。


 私のまわりに数人の人影があらわれた。


 とつぜんすぎて、なにがなんだかわからなかった。状況が理解できない。


 だが、その場のぴりぴりムードと緊張感はいくらにぶい私にもわかった。


 まずい――


 本能が瞬時に警告をだした。


 だが、遅かった。


 私が叫ぼうとするのとほとんど同時に、うしろからひと組の手が伸びてきた。口を押さえられる。


「んーっ」


 声がだせない。せめての抵抗でうめいた。


 その瞬間。


 おなかに激痛が走った。


 視界がぼやけた。


 ひざの力が抜ける。


 私はふにゃりとひざが曲がったのを感じた。


 やばい。


 倒れる。


 床に落ちる。


 そう思ったのは一瞬だった。


 私が床にひざをつくまえに、誰かに身体をささえられた。正面にいる誰か。


 あ……


 そこで気づいた。


 おなかに拳が太い腕ごとめりこんでいた。


 そうか。私、殴られんたんだ。


 そんな状況を理解するのとほぼ同時に、意識がすっと遠のいた。そしてすぐに、ぷつりと途切れた。


 現(うつつ)の最後か夢の最初かわからないけど「つれていけ」という声がきこえた気がした。

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