第22話 再起

 

 目が重い、とヴェルトは感じた。

 開け続けるのも辛くなり始めてきたくせに、体は何故か徐々に軽くなっていく感じがした。

 ミリアが泣いている。ああ、俺もう俺すぐ死ぬんだなと、どこか他人事のようにヴェルトは考えた。

 お前だけ残して俺は死んじまうんだ……。でも、このまま死ぬ訳にはいかない。最後にもう一つ。

 最後の力を振り絞ってヴェルトは声を出した。


 「ごめんな……。あとは、頼む、ミリア……」


 言葉は残した。俺のするべきことは終わったんだ。

 そうして目を閉じていく。

 その時だった。

 一瞬の内に思い出した。これから病気に感染して死に行くであろう人物の顔をはっきり認識出来た。

 ――何で、今更なんだよ。何で今頃思い出すんだよ。言わなきゃ。ミリアに伝えなきゃ。そう思うのにヴェルトは口をもう開くことは出来ない。

 更に後悔の念は連鎖するように引き出されていく。

 ウイルスなんかにやられっちまった。俺がウイルスを消し去ってやりたかった。もっとお前の傍にいてやりたかった。

 しかし、そこでいやっと自然と否定の言葉が浮かんだ。そして次の言葉もすぐに出た。

 ……違うな。俺がお前といたかったんだ。

 正直に言えば生きたい。俺は生きたい。悔しい。ふざけんじゃねえ。

 でも悔いる気持ち。それとは裏腹に、内心穏やかな自分がいることにも気付いていた。

 ミリア、お前ならきっと気付いてくれる。俺はお前を信じてる。お前なら俺達の願いを叶えてくれると。

 そう思ったから、悔いる気持ちを押し殺して最後にもう一度、今度は想いで飛ばす。


 ――お前なら大丈夫だ。だから、あとは頼んだぜ、ミリア


 そこで視界は閉ざされた。


   ☆★☆★☆★☆★☆★☆


 目を開く。

 黒に染まっていた視界に、光が差し込んだ。 徐々に視界が色を取り戻すと、最初に目に入ったのは床の上に若干のスペースは飛び飛びに有しながらも、相変わらず不要物が散在している部屋の様相。部屋は横に見えているから、自分は横になっている。

 そこで自分は寝ていて、今目覚めたんだと頭がいつもより早く理解した。

 この部屋は元はヴェルトが使わせてもらっていた一室。私は自然と部屋を見渡して、その存在を探してしまっていた。そしてすぐに現実に戻される。

 その姿はどこにもない。もうヴェルトはいないんだ……。

 とてつもない消失感に苛まれた。心までもが重力を受けたように重く、真ん中辺りが陥没して切り取られた錯覚に陥る。胸に大きい穴が開いてしまったようだ。

 ヴェルトが死んでからもう三日経った。

 その間、何度も涙は溢れて、もう枯れ果てた。それでも悲しみは和らぐことなく、私の心を支配する。

 なんで私ばっかり大切な人達を失っていくんだ。皆、私の傍から離れていった……。

 やらなきゃいけないことは分かってる。時間がないのも分かってる。でも、体が動かない。その状態で今まで通りの調子を維持して歩くことが出来なかった。

 ヴェルトが死んでから今日まで必要な時以外のほとんどを部屋の中に籠もって過ごしていた。


「……顔を洗おう」


 このままでは、悲しみに押し潰されてしまう。私は決意を固めようとそう呟いて、立ち上がり部屋を出た。

 重い足取りで階段を降りて、洗面所を目指す。その途中、床を踏み締める足の感触を私ははっきり認識することは出来なかった。

 歩いていると、キッチンから音がした。ここに来て間もないというのに聞き慣れた、シャリシャリと野菜の皮を剥ぐ音。ハンナさんが料理を作っているようだ。

 もしかしたら、また作ってくれているのだろうか……。

 ヴェルトが死んでから家を出て行くと私が言った際に、ハンナさんはまだいなさいと強く言ってくれた。

 未だに探している患者を見つけることは出来ていない。だからそれが達成されるまでここにいなさいと。

 ありがたい。本当にありがたかった。

 なのに私は働くことも出来ず、ハンナさんに気を遣ってもらって仕事も休ませてもらっている。

 申し訳なくて、顔を合わせづらかった。

 挨拶は後にしよう。今は会って話を出来るような気分ではない。

 ハンナさんに気付かれないように洗面所に行って、顔を洗う。

 鏡で見た顔は、心なしかやつれているように見えた。

 そんな自分の顔を見るのが嫌になって、私は急いで部屋に戻った。

 扉を閉めて、扉の前に立ち尽くすと、なんの音もない。あるのはただの静寂だった。

 

「ヴェルト……」


 結局ダメだった。静かになると、また思い出してしまった。

 あなたのことを、あなたと一緒にいた時間を思い出してしまった。

 私は扉に背を預け、そのままずるずると足元から崩れ落ちた。そのまま悲しみの感情の波が押し寄せてくる。

 ヴェルト……。あなたなしで私はどうやって生きていけば良いの……? 

 やらなければいけないことは分かっている。私はあなたに託された。

 だというのに、私はその重みを耐えることが出来ずに未だに立ち止まっている。そのことに罪悪感を感じる。焦りもある。なのに、どうすれば良いのか分からない。

 生きているという実感を失いかけていた。


 それから何分経ったのだろうか。


 ぼーとしていると、コンコンとノックの音がした。私は反射的に立ち上がってベッドに座ってから、どうぞと言うと、ガチャリとドアノブが回る音がし、ドアが開いた。


「おはよう、ミリアちゃん」


「……おはようございます」


 お盆を持ったハンナさんが笑顔で部屋に入ってきた。

 私から挨拶するつもりだったのに、ハンナさんから挨拶されてしまった以上、さっきのが私がただ挨拶せずに無視した形になってしまったようで申し訳なく感じた。


「どう、お腹空いた?」


「……いえ、すいません。まだ食欲が湧かないです」


「大丈夫?」


「……はい、大丈夫です」


 ハンナさんが心配げな表情で言ってくれたが、私はそう答えるしかなかった。

 この三日間、私は碌に食べ物を口に入れてなかった。それでも食べたいという気が起こってこなかった。今も食べたいという欲求が湧いてこない。

 そんな私を見て、ハンナさんは相変わらず憂う表情を見せるが、しかし仕方なしと納得したように、頷いた。


「分かった。でも、これ置いていくから。お腹空いたら食べてね」


「……ありがとうございます」


 ハンナさんが、お盆に乗せたミルクとパン数種類と野菜のスープを置いてくれた。

 そしてそのまま背を向けて、扉のドアノブに手を掛けた時、立ち止まった。

 そのままじーっと動かない。数秒経っても反応がないので気になり私が声を掛けようとした所で、ハンナさんはまた振り返ってきた。


「……ミリアちゃん」


 振り返ったハンナさんの表情はさっきまでと違い、真剣な表情でこちらを見つめている。


「これを受け取って欲しいの」


「えっ……?」


 そう言って、ハンナさんは近付いて来た。


「手、出して」


 言われるままに私は手を差し出すと、被せるように手を置いて、それと共に何かが手に置かれる感触があった。

 そしてハンナさんが手を離すと見えた物に、私は驚いた。


「これは……」


 私の手の上にあったものは、見慣れた黒い機械。今はただ時間を確認することしか意義がないその時計は、随分久しぶりに見た気がする。

 あれ、でもと私はテーブルの方に目をやった。あった、私のタイムリングはそのままだ。ここ最近は触ってなく、置きっぱなしになっていた。

 ということは――


「それ、ヴェルト君から預かってたの」


 これはヴェルトの形見……。ヴェルトが残していった薬ともう一つの形あるもの。

 それをハンナさんが持っていた?


「日付の他には変な文字や数字ばっかりの時計で私にはよく分からないけど、これは大切なものなんだよね? ――ヴェルト君が四十度を越えた辺りの時に、自分が死んだらミリアに渡してくれって言われて、受け取ってたの。聞いた時はなに言ってんのって、熱出た所為でかなりネガティブになった所為だと一瞬思ったけど、表情見たら冗談なんかじゃなく真剣だったから。言う通りに預かってたけど、まさか本当にこうなるとはね……。本当はこれ、ミリアちゃんが気持ちの整理がついた辺りで渡そうと思ってたんだけど、今渡すね」


 そういえばと、思い出す。

 一週間程前、ベッドで苦しげに眠るヴェルトはタイムリングをしていなかった。そんなこと余裕があって考えられなかったから気付かなかった。

 あの時には既にハンナさんに渡していたんだ。

 ……でも、だとしたらなんで私に直接渡してくれなかったんだろう。なんでわざわざハンナさんに?


「あと、もう一つ言われたことがあるの」


 私の疑問に答えようとしたかのように、そうハンナさんは言葉を続けた。


「……言われたこと?」


「もし俺が死んでミリアが塞ぎ込みでもしたら、一緒に伝えてくれって。――『お前は一人じゃない』って」


「一人じゃない……」


 一人じゃない? なに言ってるの。私はもう一人だよ……。

 そんな言葉、慰めでしかない。ヴェルトが残してくれた言葉にそう思っている自分もいるのが酷く腹立たしいが、でも反面確かにその言葉に心を打たれた私もいた。

 私はふとタイムリングの液晶画面を見た。そこで私は、目を見開いた。

 エラーの文字が消えている。代わりに数字と文字の羅列の中に横棒が混じった並びになっていた。

 ……どうしたんだろう。何故急に見失った筈の目標が、まだ捉えはしていないもの、中途半端に表示されたのだろう。これも、単にエラーの影響なのだろうか?

 いや、違う。何の確証もない、ただの希望かもしれないけど、それは違うと思った。

 分からないけど、何かが変わり始めた。まだ今のままだとタイムリープは出来ないだろう。でも、確かに何かが変わった。

 失っていた未来との繋がりを取り戻しかけている。

 ――もしかして、世界は変わり始めている?

 暗く闇ばかりだった世界に一筋の光が差した気がした。

 と共に、自然と目から雫が溢れてきた。涙は意外と温かいと、そんな当たり前のことを改めて感じた。

 ヴェルトが言う今までは私とヴェルトは死んできたらしい。でも私は今生きている。

 もしかしてその違いによって変わり始めている? 私が生きたことによって何かが変わる。いや、変わろうとしているのかもしれないと直感した。

 それならそれは、今後の私次第ということになる。

 でも、だとしたら。可能性が残されたのだとしたら、それは他の誰でもない。私に託してくれた、ヴェルトのお陰だ。

 ヴェルト。あなたは死にかけていた私の命を救ってくれた。また私はあなたに救われた。でもそれだけじゃなかったんだね。

 あなたは私を信じて願いを託してくれた。本当はヴェルトが自分で成し遂げたかった筈なのに。当然のように私を助ける道を選んで、私に委ねてくれた。

 それと一緒に。希望も残してくれたんだ。

 傍にいなくても、まだあなたは私を照らしてくれる。

 ……本当にありがとう。

 それが無駄になるのかどうかは私次第だ。だから私は必ず救ってみせる。

 その時、パーッと脳内にある光景が浮かんで広がった。

 皆、笑っている。ザムエルさん、アリーナさん、ルドルフさん、お父さん、ヴェルト。

 そして、私。

 そうだ。私は一人じゃない。昔から、今だってずっと誰かに支えられている。

 目の前のハンナさんを見る。ここでだって、ずっとこの人にお世話になってきた。

 だから、今度は私が返す番だ。


「ありがとうございます、ハンナさん」


 本当に、本当に。


「――それと、それ貰います」


「ミリアちゃん……!」


 途端にお腹が空いてきた。三日分溜め込んだとんでもない空腹だ。

 お盆を取ろうと立ち上がると、ハンナさんは強張っていた顔を緩めた。更に笑顔になったかと思うと、今度は目を潤ませていた。

 料理を口に運ぶ。ああ、やっぱりおいしい。


「おいしい……」


 時間はない。それでも、三日間食べなかった分を取り戻すように私は料理を消費していく。 

 味わいながら、そしてただひたすら急ぎながら。

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