陣容・妖大将百鬼夜行
あやかし大辞典。
俺と空、たまに晴天が付き合って書かれたそれは、俺たちの研究成果そのものだ。その内容は、今まで見聞きしてきたあやかしの情報を羅列したもの。ただそれだけの代物だが、だからといって侮ってもらっては困る。
この辞典には、俺たち三人の知っている限りのあやかしに対する知識が詰まっているのだ。若くして都市一の式神稼業として名の通る空、極東一の術師として依頼に引っ張りだこな晴天、そしてあやかし捕縛の任に就くことが多く式の専門家たる俺。
その三人が自分で見てきたものだけでなく、書籍や古文書からも情報を総ざらいして書いているのだから、遠野でもこれより詳しいあやかしに対する辞典など存在しないだろう。
それがなぜこんなところにあるかといえば、これは三人の努力の結晶であり、これを世間に公開することを空が猛烈に拒絶したからだ。
これの中身が退魔局のやつら一人一人に周知されるだけで、どれだけの被害が減り作業能率が上がるのか考えたくもない。絶対に公開すべきだし、晴天は今でも強くそう主張している。だが、空はそうは思わないらしい。
三人で作り上げた集大成だからか、空はこれを手元から手放したがらない。式神稼業としての業務に必要だというのもあるのだろうが、それ以上にこれそのものに執着しているように見受けられる。
理由については、聞いても答えてすらくれないので推し量ることはできないのだが。
「さて、道臣。玉藻前の初出は古代中華王朝殷にまで遡る。これは紀元前十一世紀頃の話だね。殷最後の王の妃であった妲己が彼女であったと言われている」
「ああ、それについては本人に確認をとってある。玉藻前がある程度力をつけて人前に現れたのは、それが最初だそうだ。ちなみにその時点で齢千の化け狐であったと逸話にはあるが、当時はまだ尻尾も九本生え揃っていない若い狐だったそうだぞ」
「ふむ、さすがに古文書だけでは正確な情報は得られないということだね。ならば、ここに書かれている情報もある程度は疑ってかからねばならない。まずは玉藻前と同程度の歴史を持つ鬼について、だよね?」
「ああ、そうだ。というより俺はもう大体予想がついているんだがな」
「奇遇だね。ぼくもおそらくこいつだろうというあやかしに心当たりがある」
気絶した久咲を横に置いてあったふかふかの椅子に座らせながら、二人で密談を続ける。
本音を言ってしまえば久咲がいた方が圧倒的に効率がいいのだが、無理を言うわけにもいくまいし、久咲としての彼女に頼りすぎるのもいかがだろうかと思ってしまうところがある。久咲に言わせれば、道臣も男の子ですね、とのことらしいが。
「こいつの初出はおそらくこれが最古だろう。紀元8世紀頃に比叡山の稚児としてのまだ人間だった頃の話だ」
あやかし大辞典をめくっていた空の手が止まる。お目当てのあやかしの頁だ。もちろん俺と空の想像は一致している。今回の事件の原因はこいつだろう。
「ああ、やっぱり空もそいつだと思うよな。まだ少年であったにも関わらず、余りにも美少年過ぎたがために女性たちの恋心を集め、しかしそのどれにも応えなかった。その結果、その女性たちの想いを遂げられなかったことに対する怨念で鬼にされてしまったという……」
「それも諸説あるけど、道臣はその説を推すわけだ。逸話の鬼にすら嫉妬するってどれだけなんだい」
「うるせぇ。男日照りのお前に言われたくはねぇよ」
「よし、道臣。君は今ぼくに喧嘩を売った。ぼくにはそれを買う権利がある。別に男日照りだとかそういう問題じゃないんだ。どうせ君はそんなこと気づかないんだろうがね。そんなんだから久咲君にも呆れられるんだ」
「なんだ俺に思いやりの心がないっていういつもの説教か? その割にはお前の方から煽ってきた気がするんだけどな」
いつもどおりのやり取り。結局俺も空もこうやって丁々発止にどつきあうのが一番似合っているのだ。そうやって接しているからこそ、男と女の違いをわきまえろだの、君は人の心を踏みにじりすぎるだの言われるんだが。
いや、いつも俺じゃなくて空から突っかかる気がするんだけどな。晴天には突っかからないくせに、俺ばかりからかってきやがる。そんなに女にもてない俺をからかうのは楽しいのだろうか。
「まぁいいよ。この件で君と話し合っても、結論が出ないことはわかってるし」
「俺からすると、勝手に煽られて勝手に流されたんだけどなぁ。まぁいい。それよりこいつの話だ。逸話には特に弱点らしい弱点はない。強いて言うなら退治された時に使われたという酒。神便鬼毒酒くらいなもんだな」
「鬼っていうのはその存在そのものが強大だからね。弱点もなければ特殊な力もないだろうよ。ただの力だけで彼らには十分なのさ。ところで、今回の仮想敵がこいつならば、また違った推論ができるんじゃないか?」
空が得意気にこちらを見やる。そのにたついた頬を横に引っ張ってやりたくなるが、今のところは勘弁してやる。しかし二度あることは三度ある。次その表情を浮かべやがったら、覚悟するがいい。
「で、違う推論ってのは?」
「こいつの配下には五匹の鬼がいたと語られている。そいつらも一緒にいるとしたら、都市中に影響が出ていることにもう少し現実的な理由にならないかい?」
「ふむ、一理ある。だけど、その可能性は低いと俺は思うな。それほど昔の鬼が、配下まで揃えて現存しているとは考えにくい。おそらく、今回の出現も誰かが何かしらの目的のために蘇らせた、というのが妥当なところだろう」
「でも何のために? これほど強力な鬼だ。式で縛ることもできやしないだろう」
空と二人頭を捻る。うーんうーんと唸りながら二人合わせて首をかしげる様は滑稽だ。実際これらは推測でしかなく、情報が足りていないことには何の変わりもないのだから。
「とりあえず目撃情報を探すか? それほどの存在が鬼気を撒き散らしてんなら、局長あたりが気づきそうなもんだけど……誰にも見つかってないってのは妙だ。噂にすらならないでその影響だけが出ているなんて、本当に誰かが何か手引きしているとしか思えない」
「今流通している式の中にはそこまで強力な鬼はいなかったはずだよ。だから、いるとしたら誰かが隠しているとしか思えない」
「それができる人間は限られてる。局のやつらは俺が調べよう。空、お前はもぐりのやつらの情報を集めてくれないか。怪しい動きをしているやつ全部だ」
「了解した。さすがに今回はぼくとしても全面協力をせざるをえなさそうだ。例えぼくたちの想定が外れていたとしても、それで式の緩みが直るわけじゃないからね。都市一の式神稼業として、そして裏稼業の情報屋として全力を尽くさせてもらおう」
にたり、と笑む空の顔は凄絶で、こいつがいればもぐりの術師どもはびびってどうにもできなくなるだろう。そもそもが退魔師くずれの連中だ。腕としては二流三流が多いのは当然といえる。
中には一流の使い手もいるが、そういうやつらは基本的に指名手配されているから、なかなか尻尾を掴ませるようなことはしない。今回みたいに帝から任が下るような案件には関わらないのが、業界で生き残り続けるこつだと前にある術師に言われたことがある。
やつとは色々と因縁があるのだが、最近は外国にでも行っているのか、極東でやつが出たという噂をとんと聞かない。だが、やつとはそのうち決着をつける必要があることも理解している。きっといつか巡り合うのだろう。そういう星だ。
「さて、そんなわけなら今のところの情報だけでこんなところか」
「二日だ。都市内の術師たちを調べるのに二日欲しい。だから、それまでに道臣の方でも新しい情報を仕入れておいてくれよ。さすがにここまで情報が少ないと推測ばかりになっていけない」
「あいよ、了解。空の方も頼んだぞ。こういう怪しいことは大概もぐりのやつらがやらかした結果だったりするんだ。その尻拭いをするこっちの身にもなってもらいたいもんだぜ」
「それが君の仕事だろう? 道臣はよくよく運が悪いとは思うけどね」
確かにそうだ。いつも局のやつが失敗しては尻拭いをし、もぐりのやつらがやらかせば俺が自体を収拾し、厄介な案件があれば俺が行って片付ける。俺は便利屋か何かと思われているのだろうか。
そして、だ。
「空、お前は俺を毎度毎度からかわないと気がすまないのかよ」
「いや、道臣とじゃれているのが一番安心するのさ。昔からこればかりは譲れない」
「そうか、なら、次に俺が何するかもわかってその表情浮かべてんだよなぁ?」
「ああ、みひおみ、ひらいひらい。ほっへはのひてひはうひょー」
「嬉しそうな顔しやがって。結局こうしてかまってもらいたいなら、口でそう言えっての。いつまで天邪鬼やってんのやら」
いつもどおりに頬を引っ張ってやれば、そのにやけ顔を隠しきれない空。結局俺をからかうのだってかまってもらいたいだけなのだ、この二五歳児は。普段着の作業着といい、この緩みきった顔といい、どこにも色気のかけらもありゃしねぇ。
そんなんだからいつまでも幼馴染なんだろうけどさ。
……こいつもいつまでも変わらないな。変わらないでいてくれる。それはとても、とてもありがたいことだ。俺にとってはな。
「らはら、ひみはいつかいあっらりらいっれーいへるやらいはーはらへー」
……全然締まらないけれど。
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