混在・聴取噂式神稼業

 もう昼時を過ぎて、最後の客も先ほど会計を済ませた蕎麦屋にて二人蕎麦を啜る。

 久咲に何が食いたいと聞けば、きつね蕎麦が食いたいと言ったから、行きつけの家の傍の蕎麦屋にやってきたのだ。ついでに家の近くまで来たので、飯の前に家に寄ってきた。


「もう……今日は疲れました。しかも仕事と何も関係のないところで」

「まぁまぁ、久咲も別にいやじゃあないだろうに。あんだけ啼いてくれりゃあ男冥利に尽きるってもんよ」

「その言い方は語弊を招きます……はぁ」


 ぐったりとしながらも手元のきつね蕎麦をたぐる手は止めないのだから、狐の性というのも案外業深いものである。


 結局あのあといくらかの資料を見繕っては来たものの、検証してみたところで新情報が出てくるわけでもなし、まさに骨折り損の草臥れ儲けといったところだった。

 今の今まで集中していた反動か、一気に気の抜けた久咲はいつになく態度が柔らかい。久咲の方もなんだかんだでさっきのやりとりに思うところがあったのだろう。いやむしろ、あのやりとりは久咲もいくらか今まで以上に歩み寄ってくれる、ということの意思表明なのだろうか。

 真実は闇の中、久咲のみが知る。


「さて、それにしても何の進展もないとは思わなかった。なんかしらの共通点がほかにもあると思ったんだがぁ」

「わかったことといえば、鬼を起源とするあやかしが式を打ち破る事案が発生している。それらの事案にほかの関連性は特にないということです。完全に手詰まりですね」

「全くだ。これであいつからも情報がなかったら本格的に行き詰まる」


 俺もししとうの天ぷらを食いながら蕎麦を啜る。この辛味ともえぐみとも言えぬ独特の風味は蕎麦によく合う。久咲はこれを毛嫌いするが、この味がわからないようでは蕎麦屋を真に味わい尽くすことはできない。


「ま、なんにせよだ。あいつのところに行ってみなきゃなにもわからないってことだ。もしかしたら、あいつのことだからなんかしらの情報握ってるかもしれんしな」

「で、その対価に今度はなにを持っていかれるのでしょうね。お土産とやらだけで済むとよろしいのですが」

「あいつがそんなに甘いわけないんだよなぁ。あの守銭奴のことだから、どうせけつの毛まで毟り取っていくぞ」

「道臣、食事中です」

「すまん……」


 名残惜しそうに最後の油揚げを口に放り込んだ久咲がこちらをじと目で見るが、今のは純粋に俺が悪い。こちらも蕎麦をかっこみ、三段のせいろを重ねる。


「とりあえず腹も膨れたし、あいつのところに行くか……今日は何を持ってかれるんだろうな。憂鬱だ」

「ほかに情報源を持たない道臣が悪いんです。そういうところは晴天さんを見習えばいいのに」

「そうはできないのが俺のつらいところよ。仕方なかろうに」


  蕎麦湯でつゆを薄め、一気にぐいっと流し込む。薬味の爽やかな風味と出汁のきいたつゆが喉を通る。久咲もどんぶりを呷って出汁を飲む。

 これは有名な話だが、かつ丼というのは蕎麦屋ではその出汁を味わい、それ以外ではその衣の分厚さを堪能するものらしい。それくらい蕎麦屋にとって出汁というのは重要なものである。


「よーし、大将おあいそ」

「あいよ。こいつは久咲ちゃんのかわいさに免じておまけな」

「うわぁ、ありがとうございます。ここの揚げ大好きなんですよ。大事に味あわせてもらいますね?」


 ここの大将は強面のおっさんだが、蕎麦はうまいし愛想もある。いい加減に嫁さんを取ってもよさそうなもんだが、蕎麦が恋人だとその気も見せない。

 ちなみに久咲には甘いから、よくよく懐かれている。今だって満面の笑みで尻尾振りやがって。俺にだってあんまり笑わないじゃねえかよお前。

 大将にがんつけながらも支払いを済ませ、店を後にする。後ろで機嫌よく手を振っている久咲に、手を振り返す大将。お前は齢考えろや。


「ったく、あそこは蕎麦は一級なんだがな。店主がよくない」

「ふふ、道臣が嫉妬するのはあそこの大将くらいですからね。晴天さんにすら嫉妬しないのに大将には嫉妬するってのもどうなんでしょう」

「別に嫉妬してるわけじゃない。ただ、久咲が笑うのも珍しいなと思ってるだけだ」

「ふふふ、そういうことにしておきましょうか」

「……行くぞ」


 にやにやと俺をおちょくる久咲に見切りをつけて目的地へ。目指すは都市外れの廃棄場傍。

 かつての文明の墓場、奇機械怪なる鋼鉄の居城だ。




「で、今日は何を持ってきてくれたんだい?」


 彼女は今弄っている機械から目を離さずにこちらに問いかける。一体全体、人が声をかける前からよくこっちを察知できるもんだ。ここほど騒音に塗れたところを俺は都市内で知らない。

 あとちゃっかりお土産を期待しているあたりがもう守銭奴。こいつには敵わない。実際何も持ってこなかった日には、そのまま追い返されたことすらあるのだから筋金入りだ。


「まず最初くらい挨拶から入ったらどうだ、空」

「いやー、今更君に挨拶なんていらないだろう。親しき仲に礼儀ありとか言いたいなら、礼儀としておもたせくらいあるよね?」


 そう、二言目にはこれである。どれだけ現金なのかこの幼馴染は。古い童話の猫のようににたにたと笑うその様は、まさに悪魔そのものである。


「はぁ、お前のことだからそう言うのはわかってた。おら、今日の用事は割と大事なやつなんだ。これ受け取っておけ」


 そう言って懐から取り出した、紫に薄光る札をようやく振り返った空に手渡す。それを興味深そうに眺めた彼女は、今まで弄っていた機械もそのままに札を横の作業机の上に置いた。


 彼女の工房であるところのここは、旧文明の名残である機械廃材の宝庫の傍に位置する。都市の学者方垂涎のここは、機械いじりにかぶれちまった幼馴染にとっては文字通りの宝の山らしい。

 俺からすると、こんな鉄の塊が色々な現象を巻き起こすのが不思議で不思議でならないが、術を使うより百倍簡単なことらしい。実際に術も使える彼女が言うのだから本当のことなのだろう。


「ふむ、これはまたいいものをくれるねぇ。こんな珍しいあやかしどこで捕まえてきたのさ。劉大成でもその辺にいたのかい?」

「お前もお前でよくそんなこと知ってんな……それ、民俗学の教授様でも知ってるか怪しいぞ」

「酒虫なんてまだまだ有名な方さ。そして、そんなことなんて言われるようなものを理解して持ってきた道臣のお目は高い。さぁ話を聴こうじゃないか。今日はどんな厄介事を持ってきたんだい?」


 机の上でしばらく札を弄っていた空は、札に封じられた中身を理解するとともに俺に用向きを聞いてくる。せっかく俺の秘中の秘たる酒虫を渡した甲斐あって、今日は機嫌よく素直に聞いてくれるようだ。

 これが機嫌が悪かったり、何かに集中している時だったりすると目も当てられない。お土産とかそういう次元じゃなく数日は待たされることになる。ここまで気分屋なやつをこいつ以外に俺は知らない。


「鬼を起源とするあやかしの式が最近緩んでいるらしい。その調査だ」

「ふむ、式が緩む? それはどの程度なんだい? 最近都市で出回ってる式は半分はぼくが関わってるはずだから、そんなこと起こるはずがないんだけど」


 仕事の話に入った途端、空の顔は急に真面目になる。ふざけたやつではあるものの、都市一の式神稼業であることに変わりはない。機械も弄れて式も弄れて、俺をいじって、こいつにいじれないものはないのではないだろうか。


「今朝俺も出くわしたが、あやかしが式を打ち破る寸前までいった。さっき、局にあった最近の同種の事件の記録もあたってみたが、一番軽いものでも飼い主に逆らって本気の口論。一番やばいやつに至っては、完全に式を打ち破って街中であやかしが暴れやがった。幸いあまり力の強くないやつだったから被害は軽微だったが、あれがもう少し力のあるやつだったら……ぞっとしない話だ」

「うーむ、程度に差がある……しかも、そんな顔でぼくのところに来たってことはなんの手がかりもないのかな? さすがにそれだけの情報から原因を特定しろ、なんてぼくにも不可能だよ?」

「安心しろ。なんの参考にもならなさそうな情報ならある。すべての案件に関して担当式神稼業はばらばら、今朝遭遇したやつなんて俺が捕縛して空が担当したやつだ。ついでに式としての稼働年数まで統一性がない。一番若い式は二年だったし、一番古いのは一八年だった」

「ふむふむ、で、その程度の情報しか道臣も掴めていないからぼくのところに藁にも縋る思いでやってきた、と。残念ながら最近見た式たちにそんな兆候はなかったよ。最後の依頼が一週間前のことだったから今週のことはわからないが、その感じだと大分前から事件は起きているんだろう?」

「ん、それが一ヶ月ほど前から一斉に起きているんだよなこの事件群」

「一ヶ月……か。思っていたよりは最近だな。ほかに考える材料になりそうな情報はないのかい?」


 これ以上の情報は、本当になんの関係性も見えない飼い主たちの素性だとかそんなものばかりだ。

 そう空に言おうと思ったその時、頭をよぎるものがあった。玉藻前になにか言われたはずだ。そう、それは、


「勘違いかもしれないが懐かしい気配を感じる……と、玉藻前が」

「なに? それは本当かい? どうしてそんな大事な情報があるのにそこから辿ろうとしないんだ……そんなんだからいつもぼくに対する支払いが増えていくんだよ?」

「いや、それとこれとは関係ないだろ」

「関係ある。実に関係ある。まぁいい。ふむ、玉藻前が懐かしいと言うほどの存在が陰で暗躍しているということか? それとも、今回の件とは何も関係のないただいるだけの存在なのか、はたまたその気配も勘違いか」


そういえば玉藻前がそう言っていたのだった。晴天んとこの仔犬のいざこざですっかり頭から抜けていた。ならば、その線を追っていけばたどりつくだろうか。


「ん? 暗躍……勘違い……存在?」

「どうした道臣。なにか気がついたのかい?」

「なぁ、あやかしってのは強ければ強いほど周りのあやかしにも影響を及ぼすよな」

「そうだね。基本的に群れの頭が群れを強化していたりするね。それがどうかしたのかい?」

「もしかして、もしかしてなんだけどさ。ただ存在するだけで都市中のあやかしたちを活性化させているやつがいたとしたら……どうだろう?」

「それは、馬鹿げた話だよ? 一つの群れの頭ですらその影響範囲は極狭いんだ。それを都市中のあやかしに影響を及ぼすなんて……そんなの古の大妖怪じゃな、きゃ……」


 そこまで口にしてから俺と顔を合わせ、血の気を引かせていく空。多分、俺の顔も今とても人に見せられたもんじゃなくなっているはずだ。


「玉藻前が、懐かしい気配がある、と」

「そして都市中の鬼を起源とするあやかしが活性化している。つまり」

「都市中に影響を及ぼせるほど強力な鬼がおそらく顕現している。そして」

「そいつは今回の件を意図して起こしていない可能性がある。それは」

「今ですら一大事になりかねないこの案件よりも、危険な事態に繋がりかねない」


 …………。


「前回の百目百足の方が楽だったかなぁ」

「あ、道臣。死ぬ前に君に言っておきたいことがあったんだ」

「お願いだからその先を言うんじゃないぞ! 絶対にだ!」

「ふふふ、一体どうしろって言うんですか……」

「見ろ! 久咲が今の話を聞いて立ったまま気絶してるぞ! どんだけ百目百足が虎馬になってるんだよ!?」

「みちおみぃ、君だけが頼りだ……どうかこの都市に安寧を齎してくれ……」

「いや、俺を救世主かなんかみたいに見てるが、正直玉藻前と並ぶような鬼なんて俺の手に負えないぞ!? 局長と晴天いても怪しいからな!?」


 途端に慌てふためき茶番のごとく振舞わざるをえない俺ら。だって、こんなのあんまりだよ。

 玉藻前、あんなにお淑やかで美人だけど、本気出したらやばいんだよ? あんな大妖怪って形容すら生ぬるい存在と対等の歴史を持った鬼って……どれだけぶっ壊れた力を持っているのか、想像もしたくない。


 そして、そんなのが都市のどこかにいるという想定が一番しっくりきてしまうこの状況が一番納得がいかない。だが、専門家二人が額突き合わせてほかの有力な原因に思い当たれないのだから、十中八九これが原因なのだ。

 どんなに信じたくなくって、絵空事だったとしても、それが起こるのがこの現代。

 あやかし全盛の時代においてありえないはありえない。


「……どうすればいいんだろうなぁ」


 がしょんがしょんと後ろで元気に働き続ける機械君たちには悪いが、俺も空も途方に暮れるほかにできることはなかったのであった。




「いっそ、何も気付かなかったことにしようか」

「それ、何も解決してないからな。本当に駄目になるやつだからな。さっさと今の推論細かいところ詰めるぞ! あやかし大辞典もってこい!!」

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