第2話

   ▽


「私、メモに名前、書いてないのに」


 時は戻って放課後。俺の目の前で不思議そうに首をかしげる女子こそ、俺の当たりをつけた人物、永峰瑞希ながみねみずきであった。メモには名前が書かれていなかった。その事実を忘れていた俺は、当たり前のように、この時間の教室には永峰がいるものだと思って来てしまっていたのだ。


 俺は朝の時点で、永峰がこのメモを書いているのだと考えた。だが、永峰瑞希という人物について考えたとき、なおさらこのメモを俺の下駄箱に残した理由が分からなくなってしまったのだ。


 最初に考えた理由、罰ゲーム説だが、永峰がそういうことをするとは考えにくかった。いや、ただの思い込みかもしれない。勝手にイメージを押し付けているだけなのかもしれない。だが、永峰はそういうこととは一線を画しているように思えたのだ。今年になって、初めてクラスが同じになった子に対してそんなことを思うこと自体、俺にとっては珍しいことなのだが、本能的に違う、と感じてしまった。


 だけど、俺たちの間に何か共通項のようなものはない。事務連絡だとかはあまり考えにくいのだ。

 だったら可能性としては、何かのお願いごと、というのが考えられる。


 永峰瑞希は、いわゆる伊勢谷と同じ人種だ。よく整っている顔立ちや、き通るような肌は一言で表すならば和風美人。だけど、ぱちっとした目元や、時折見せる悪戯いたずらっぽい笑みからは年齢よりも幼い印象を受ける。セミロングの髪を一つ括りにした髪型は、余計にその印象を強くする。一言では言いがたい魅力を持っている女子であった。ただ単純に可愛いだとか、綺麗だとか言うことはできるが、そんな陳腐ちんぷで使い古された言葉で表現するのが勿体もったいないような、そんな印象すら覚えてしまう。


 もちろん、人気は抜群だ。友達も多く、好意を持った男は数知れず、と聞く。去年からその噂は聞いていたので、自分と関わることはまず無いだろうと思っていたのだった。

 そんな女子が、俺に頼みごとをする。その内容まで推し量ることができず、こうして結局、のこのこと指定された時間にやって来たのだった。


「おーい、一人で納得しないで、何で私だって分かったのか理由を教えておくれ」


 その言葉に我に返った俺は、目の前まで永峰が接近してきているのに気づく。思わず少しってしまうが、後ろには机があるため身体が当たってしまい、ガタ、という音が教室に響く。


「……ああ、そうだったな。それは、アレだ。あのメモ書きから判断したんだ」俺は体勢を戻しながら、あくまで平静をよそおって言う。

「あのメモ書き?」


 あのメモ書きには、ある程度それを書いた人物を特定できる証拠が隠されていた。


「メモ書きにはこのように書かれている。『放課後十六時ごろ、教室にてお話があります』と」


 俺はメモ用紙を取り出し、永峰に突き付けるように見せた。


「うん、そうだね。改めて見ると、すごく素っ気ないよね、これ」

「素っ気ないとは思ってたのかよ……。まあともかく、だ。ポイントはこの素っ気なさにあるとも言える」

「ほほう?」


 いつの間にか、永峰は机にもたれかかり、俺の推理を興味深そうに聞いていた。おかしいな、俺、呼び出されたはずだったのに。


「まず、場所の指定について。このメモには『教室』としか書かれていない。どこの教室か書いていない以上、この『教室』という二文字だけでは、場所の特定はできない。だが、どこの教室か書かれていなければ、このメモ書きを見たとき、このように判断するだろう。自分のホームルーム教室、すなわち、俺にとっては二年九組の教室で待ち合わせだ、と」


 そしてこの言い回しから推測できることが一つある。


「このことから、俺はこれを書いたのは二年九組のクラスの人間だと判断した。もちろん、どこの教室かを書き忘れたという可能性もある。そうだったとしたら、お手上げだ。でも、そうじゃないとしたら。あえて、『教室』とだけ書いているとしたら。それは、わざわざどこの教室かを書く必要がなかったからだろう。俺にとっても、この書き手にとっても、『教室』の二文字が意味するところが同じであったからだ」


 俺とこの書き手に共通する事項があるのなら、同じクラスということ以外には考えにくい。それだけ俺の付き合いが狭いのだが。

 俺の推理に納得したように、そして少し満足そうに、永峰はうんうんと頷く。


「なるほど、そこまで意識して書いてなかったよ。だけど、それだけじゃクラスの人間の誰かまでは分からないんじゃないの?」

「そう。だけどこのメモ書きにはもう一つ、気になる点があったんだ。『放課後十六時』ってところだ」

「? 別におかしな点はないけど?」

「じゃあ何でまだこの教室の鍵が開いてるんだ」


 俺の一言に永峰は、しばし沈黙してから、ああ、と合点がてんがいったように呟く。


「日直だね?」

「そういうこと。放課後の十六時っていったら掃除とかも終わって教室から人がいなくなる時間帯だ。そして、日直が鍵を閉めて、教室は閉まってしまうかもしれない。その鍵閉めをコントロールできるのは日直だけ。そして、今日の日直は君と伊勢谷だ。伊勢谷がこんなメモを残してたらあいつをぶっ飛ばしてたところだったが、一応その可能性を排除すると、君がこれを書いた可能性が高いと判断したんだ」


 もちろんそれでも捨てきれない可能性はあった。考えれば考えるほど色々な可能性が出てきた。だけど、それを排除することも採用することもできずに、結局ここまで来てしまったわけだ。

 だが、結果としては俺の推理は正しかったというわけだ。


「……ふーん。このメモだけでそこまで分かっちゃうんだ」


 逆だ。このメモだったからこそ、ここまで分かったんだ。事細かに色々と書かれてしまっていては、逆に書いた人物を特定するのが難しかったかもしれない。


「分かったわけじゃない。分かったつもりになっていただけだ。そしてそれが今回はたまたま当たっていた、それだけだよ」

「それでもここまで分かっちゃうのは素直にすごいと思うよ。それでだよ。キミのそんな推理力を買って、お願いがあります」


 推理力を買う……? その文言もんごんに俺は、嫌な予感を覚える。


「私には今、どうしても分からないことが二つあります。その二つについて、篠原しのはらくん、キミにも考えてほしいんです」


 しかもよりにもよって二つ、だと?


「待て。その内容を聞く前に、だ。こっちからも聞かせてほしんだが、なんで俺なの?」


 永峰くらいなら、もっと身近に頼れる人物がいるはずだ。それなのに、どうして自分に頼むのか、全く分からなかった。

 そこにどのような意図があるのか。それを聞かなければ、その依頼を受けることはできない。……いや、どっちにしても、謎解きなんてやらないとは思うが。


「それは、うん。とりあえず内容を聞いてもらえば分かると思うんだ。キミじゃないといけない理由がさ」


 俺じゃないといけない。そんなことがあるのだろうか。本当に在りえるのだろうか。

 この世界には悪意や偽りの言葉がいくらでも潜んでいる。そのことを前提にしないと、後で裏切られることばかりだ。この言葉にも裏があるはずなのだ。きっと、どこかに。


 それでも俺は、最初の直感に、本能的に考えてしまったことに対して、心のどこかで拘っている。永峰は、そういうことをする人間ではない、と。決めつけもいいとこだ。なのに、拘っている。少なくとも、永峰の今までの言葉に嘘はないと思ってしまう。

 だから渋々ではあるが、口を開く。


「……まあ、そこまで言うなら聞いてやるよ」言ってから思う。やっぱり俺、ぶっきらぼうだな。

「ありがと。じゃあ、一つ目だけど……、文化祭にまつわることなんだ」

「文化祭?」


 俺たちの高校、新和戸高校の文化祭は毎年六月の上旬に開催される。通称新高祭あらこうさい。まあ、どこにでもありそうなネーミングだが、新高生あらこうせいはそれを唯一無二の存在だと思い込んでいる。


「そう、文化祭。今年の文化祭、結構危ないことになりそうなんだ」


 俺には永峰の言っている意味が、少々どころか全く分からなかった。


「……もう少し詳しく説明してくれよ」言葉に少々面倒臭さがにじみ出始めていたのに気づく。

「それがね、これから先に文化祭が誰かに狙われることになって、このままじゃ失敗に終わってしまうことになるんだ。だから、文化祭を狙ってる人が誰なのか、篠原くんにも考えてほしいんだ」


 まだ俺の頭の中では?マークが回り回っている。


「どういうことだ? そういう予告文か何かが学校に来たのか?」

「そうそれ! 予告文が来るんだよ! 多分そのうち!」


 多分、そのうち……。俺はそれを聞いて段々馬鹿らしくなってくる。


「あのな……、お前、自分の言ってること分かってるのか?」


 口調が先ほどよりももっと乱雑になっているような気がするが、もう気にしない。コイツも俺のことを馬鹿にしてるのだから。

 未来視でもできるわけじゃあるまいし……、と思いつつ永峰を見ると、割と真剣に悩んでいるように見受けられる。何に悩むんだ。


「うーん、そうだな、言っても信じてもらえるか分からないけどさ……、私、うっすらとだけど、未来のことが分かるんだ」


 お、おう……。本当に未来視ができるなどと言いだすとは思わなかった……。俺は、自分の思ってた永峰瑞希像が、俺の中で音もなく崩れていくのを感じた。やっぱり人を見かけとか直感で判断してはいけない、と自分に言い聞かせながら、俺はきびすを返して言う。


「帰る」


 そう言ってかばんを持ち直し、ゆっくりと教室の扉へと向かっていく俺の背中に幾分慌てた様子の声が聞こえる……。

 と思っていたのだが、意外にも俺の背中にかけられた言葉は落ち着き払っていた。


「じゃあさ、もう一つの方を聞いてくれないかな」


 チラ、と永峰の様子をうかがうと、全く動じずに先ほどの位置から動いていない。どうしてこいつ、こんなにも落ち着いているんだ。頼みごとをしようとした相手が呆れかえって帰ろうとしているというのに。もう少し動揺して、追いかけてきてもいいのに。


「分かったよ、言ってみろよ」


 その態度が妙に気になったということもあり、俺は手近な席にかばんを置いて、再び永峰に向き直る。


「ありがと。もう一つの分からないことなんだけどさ」


 そう言いながら、永峰はゆっくりと俺のほうへと近づいてくる。


「これは、キミじゃないと……、いや、キミとじゃないと分からないことなんだ」


 俺とじゃないといけない? 


「さっきのこととは全く無関係なんだけどさ」


 そう言いながら、永峰は俺の目の前に立つ。


「私、実は――」


 永峰はゆっくりと右腕を上げ、その人差し指で俺のことを指す。迷いのない、美しい所作しょさだ。


「――篠原悠人しのはらはるとくん、キミのことが大嫌いなんだ」


 だが、そんな美しい所作からつむがれた一言は、とんでもなく想定外で、


「でも、その理由が分からない」


 とんでもなく非論理的で、


「だから、どうしてキミのことを嫌いになってしまったのか、一緒に考えてほしいんだ。シノハルくん」


 とんでもなく利己的りこてきで、汚れに満ちた言葉だった。


 俺はしばし、声も出すこともできずに永峰の目を見ていた。同時に、自分の直感は間違っていなかったことを自覚する。

 永峰の目は本気だ。冗談とか軽い気持ちで、俺をからかっているのではない。本気で俺のことが嫌いで、それでいて、その理由が分からない。そして、それを俺と一緒に明らかにしたいと、本気で思っている。


「……俺はシノハルじゃない、篠原だ。篠原悠人」


 かろうじて出た言葉がそれだった。何とも情けないが、そこだけは訂正しておきたいと意地が働いてしまう。


「あ、ゴメン。言い間違えたよ、シノハルくん」

「だから――」


 言おうとして、永峰の顔を見ると、とても満足気に笑っている。先ほどまでの本気の目はどこにいったのか、今はそのような雰囲気を全く感じさせない。不気味な笑いでもなく、本当に屈託のない笑顔だ。

 分からない。コイツのことが。コイツの言っていることが。


 そして俺は、何となく嫌な予感を覚えていた。

 思えば永峰は、俺のことを試していたのだ。あのメモ書きがおざなりになったのはたまたまなんかではない。あの少ない情報量から俺がどこまで読み取ることができるのかをはかっていたのだ。そして俺は、その計略にまんまとはまってしまった。


 だから俺は感じる。俺と永峰の間で何かが始まってしまうという予感を。そしてそれは全くもって嫌な予感でしかなかった。

 いや、違う。もう始まってしまっていたのかもしれない。俺がこの教室に入った時点で、この物語は、始まりの鐘を鳴らしていたのかもしれない。

 これは、俺と彼女の間でつむがれる一つの戯曲だ。そしてそれは同時に、偽りに満ちた「偽」曲でもある。


 もう、幕は上がってしまったのだろうか。理不尽かつ荒唐無稽こうとうむけい、そして謎に満ちた青春「偽」曲せいしゅんぎきょくの幕が――。

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