第11話

 瑠花は思わずといった様子で俺の顔を見る。何となく結論を言ってしまうと気恥ずかしい。

 だが、今重要なのは板尾の反応だ。見ると、うつむいて肩をふるわせている。初めは泣いているのかと思って焦るものの、やがて小さく吹き出す。


「……ぷっ、あははははは。いやあ、篠原君、面白すぎるよ」


 面白い、とは何事か。まさか違うのか。まったくもって違いすぎて、笑われてしまったのか。


「違うのか」


少し不安げに聞く俺に対し、板尾はいやいや、と首を振った。


「全部、篠原君の言った通りだよ。いやあ、あまりにも見事すぎて笑うしかなかったというか。この部誌を読んでくれる人の中で一人でも気づいてくれる人がいたら奇跡だな、くらいのつもりで作ったペンネームなのに、まさか一晩で気付かれるなんて」


 確かに、かなり遠回しな作り方をしているとは思った。作品のタイトルを仕掛けにしてしまうとは流石さすがに思ってもみなかったのだ。


「まあ、普通は気付かれないと思うぞ。俺が言うのもなんだけど」

「本当に、悠くんが言うのもなんだけどね……」瑠花が半眼で俺を見るが、気にしない。

「……ここまで分かっているのなら、僕がどうしてこんな回りくどいことをしたのかも大体想像がつくんだよね?」


 板尾が言うが、事実を認めたらならそれ以降は話してほしいものだ。


「一応は分かってるけど、当たっているかは分からないぞ」俺は言う。

「構わない。面白そうだし、話してほしい」


 頼まれたのでは仕方ない。俺は思いついたことを話してみる。


「……今回重要だったのは、二つの作品の作者が板尾であり、文芸部が何か『良からぬたくらみ』をしているという事実を明らかにすることだ。だから、それ以上のことはあまり考えてないし、何なら今考えながら話している段階だ。それを承知で聞いて欲しい。まず、こんな回りくどいことをしたのは、自分の作品を世に出すため。そして自身の関与を否定するため。募金活動で得たお金を自分たちのお金にするなんてことはいわば詐欺行為で犯罪になる。自分は関係ない、ということを証明したかった。それでも、自分が書いた作品が評価される機会が無くなってしまうのは耐えられない。もしもこの悪事が露見ろけんしてしまったら、部誌の販売停止は間違いないだろう。それは避けたいと思ったお前は、作品だけを先輩たちに託し、裏の意味を持つペンネームを授けて、部を去った。幸い先輩たちは、手法はどうあれ、多くの部数をけるように努力をしてくれていたから、自分の作品が広く世に出回るかもしれない。そのことを期待したんだろう」


 言いながら、板尾が満足気に頷いているのを確認する。おそらく正しいのだろう。


「もう一つ、俺は『Kの消失』を読みながら気になっていたことがあった。文芸部の三人は、三人とも苗字のイニシャルがKだ。つまり、あの作品の中での『私』を板尾に、『K』をあの三人に当てはめてみることができる。そうすると、あの作品の中に違うメッセージが隠されていたことが見えてくるんだ」

「どういうこと?」瑠花がパラパラとメモ帳をめくりながら言う。「Kの消失」の内容を確認しているのかもしれない。


「つまり、板尾は先輩たちに対して、警告をしていたんじゃないか。度々たびたびやっているような悪事を自分がバラしたらどうなるか。自分たちの立場が無くなって、『消失』するしかないんだぞ、っていう警告を」


 もちろんこれは推測だ。板尾がこれを書いたのは去年なのだし、今回の計画はまだ思いつきもされていなかったはずだ。その当時に、彼らが悪事を働いてたかどうかは分からないし、今回の件にはおそらく関係はないと思って無視していた。


「さらに、『終わりの始まり』の方も気になるんだ。結末は聞いてないけど、タイトルのことを考えるとただのハッピーエンドで終わるとは考えにくい……。そうじゃないのか?」


 板尾は黙ってうなずく。


「そうだね、『終わりの始まり』にもメッセージは込めたつもりだったよ」

「だけど、文芸部の三人はそのことには気付かなかった。そして、今回もりずに悪事を働いた……というのが俺の推理だ。……どうだ?」


 最後の方は証拠もなく、推測でしかないためにあまり自信は無かったが、それでも板尾は満足そうにしていた。


おおむね合ってるよ。流石さすがだ」


 流石さすが、と言われてもなぁ……。おおむね、ということは間違っている部分もあるということだ。


「少しだけ、補足が必要だけどね。これは、僕じゃないと分からないことだから、僕が話すよ。今篠原君の言ったことは全て正しいよ。僕は先輩たちが募金活動で得たお金を着服しようとしていたことを偶然聞いてしまった。先輩たちは卒業旅行か何かの資金にしたかったらしいんだ。その話を聞いていることが先輩たちにバレて、必死に口止めされた。僕はもちろん反対したよ、犯罪だってね。だけど、彼らはやめようとしなかった。昔からずっとそうだった。裏でコソコソとやってたみたいだけど、僕はあまり知らなかった。その警告として『Kの消失』を去年書いたのに、全くそれにも気付く気配がなかったんだ。……でも、僕には結局、あの作品の中の『私』のようにそれを告発する勇気はなかった。だから、部活を辞めることにした。僕は、僕が先輩たちの悪事を黙っておく代わりに、僕の関与を否定してほしいと頼んだ。そして、ペンネームとして『神田鴻基かみたこうき』はどうですか、と打診した」


 おそらくその時に、物事をありのままに云々うんぬんの話をしたのだろう。


「そこまでが篠原君が話してくれたこと。ここからが補足なんだけど、少しだけ『Kの消失』の解釈が足りてないんだ。篠原君、どうして僕が『消失』ってワードを使ったか、分かる?」


 言われて、俺は言葉に詰まる。確かに、内容的には「失踪」の方がしっくりくる。


「分からないな」俺はうめくように言う。

「『K』を消失させたかったんだよ、『私』の中で」板尾は少し伏し目がちに言う。

「中途半端な正義感で、『K』を失踪にまで追い込んだ自分を責めていた『私』の中には、いつまでも『K』のことが残ってしまっているはずだった。それを忘れようとして生きてきた『私』に、手紙が届いた。それは『K』のことを忘れて生きようとしている『私』にとって、とんでもなく辛い内容だ」


 確か手紙の中で「K」は、「私」に対して気にするなと言いつつも、心はそばにいると言っていたのだ。「K」のことを忘れようとして生きていた「私」にとっては、痛烈に響いただろう。


「だから、『私』の中で、『K』は消失しなかったんだ。いつまでも、必ず後悔し続ける。友を追い込んだことを。そして、その友が自分のことを恨んでいることを分かってしまったから」


 「K」は確実な手段で、「私」の心の中に影を住まわせることに成功した。考えてみれば、「K」にとっては手紙を送るというのは非常にリスキーな行為なのだ。それが警察に届けられたら場所が特定されてしまうかもしれない。だが、「K」は、「私」がそれをしないのを知っていた。だから、手紙を送ったのだ。


「僕は先輩たちのことを恨んではいなかった。何だかんだで僕のことを可愛がってくれたし、初めて書いた作品のことも『面白い』と言ってくれた。僕はその評価が嬉しかった。『Kの消失』も『終わりの始まり』もただ面白い、と。そしてちゃんと部誌の目玉として使ってくれた。彼らにどんな意図があったとしても、その評価が僕にとっては最初の読者の評価だったんだ」


「……だから、こんな回りくどいことを」

「……うん。もちろん篠原君の言ったこともあるけど、先輩たちのことを考えたってのもあるかな。それが正しいことなのかは分からないけど、僕は絶対に後悔すると思った。そしていつまでも後悔し続けるし、恨まれるのが怖かった。要するに僕は」そこで言葉を切り、くちびるをギュッと引き結ぶ。


「……臆病者なんだ」


 そう言っておそらくもう冷めているだろう、手つかずの珈琲こーひーを一気に飲んでしまう。カップを置くカタッ、という音が客の少ない店内にやけに響き渡る。


「ごめん、変なこと言って。このこと、報告するならしてもらって構わない。僕が黙っていたことも。他の人にバレるのなら、仕方がないって思ってたから」


 板尾は自虐的じぎゃくてきな笑みを浮かべていた。だがそれは、一種の覚悟とも投げやりな態度とも見ることができる。


「……言わないさ。そのために生徒会に手を回したんだ。大体、文芸部の人たちは結局悪事を働いていない。とがめることは別にないんだ。なあ、瑠花?」


 言うと、ギクリとした様子で瑠花が手を止める。あはは、そうだねぇと言ってメモ帳を置いていたが、本当にここに来る前の約束を覚えているのだろうか。


「……ありがとう」

「文芸部に戻るのか?」


 俺が尋ねると、板尾はゆっくりと首を振る。


「いや、僕の居場所はもうあそこにはないよ。先輩たちがいなくなれば、たぶん、潰れる。それも、僕の臆病さが生んだことだから」

「……そうか」


 俺はそれ以上何も言わなかった。言う必要もなかっただろう。


 俺たちは会計を済まし、外に出る。もう日は暮れかけている。駅までは近いが、瑠花のことはちゃんと送ってやらないといけなさそうだ。


「それじゃあ僕はここで、……ありがとう、篠原君、大類さん」


 先に去って行った板尾を見送ってから、俺たちも歩き出す。


「向かう方向は同じなんだから、一緒に行けばいいのに」

「もしかしたら、変な誤解をされているのかもしれないな……」だとしたら嫌な誤解だ。

「私はそれでもいいんだよ、おにーちゃん?」


 瑠花が俺の腕をつかもうとするので、振り払う。


「やめろ、そういう態度は良くないんだぞ」

「変な所で真面目だよねぇ……」


 そう言ったきり、瑠花は黙ってしまう。こいつが黙り込むのも珍しいと思って横を向くと、口を開く。


「ねえ悠くん」

「なんだよ」

「悠くんはさ、板尾さんのこと、臆病者だと思う?」


 ……なかなか答え辛いことを。


「どうかな」

「そうやってはぐらかすんだから。じゃあ質問を変えるよ」


 瑠花は俺の横から前へと位置を変えて止まる。逃げることは許さないといった態度だ。


「悠くんにとっての『K』は、消失したの?」


 あまり聞かれたくない質問だった。過去のことは過去のことだ。俺は割り切っている。そういう意味なら、


「……消失したさ」


 昔にはこだわらない。きっと、もう俺にとっての「K」は、俺の中にはいない。

 そう思ったのに、瑠花は不満そうだった。


嘘吐き」


 そう言うと、クルリと振り返って俺の前を歩いて行ってしまう。


「おい、瑠花」俺は慌てて追いかける。


 瑠花はこちらも見ないままに言った。


「悠くん、私がんばるよ。マスコミ部、立派にやり遂げるから」

「……が、がんばれよ。俺は陰ながら応援してる」


 だが、最後の言葉を待たずして瑠花は顔だけ振り返って言う。


「だから、手伝ってよね、おにーちゃん」


 それだけ言うと、ツインテールを揺らしながらまた前を向いて歩き出す。


「……俺はお前の兄貴じゃない」


 最近、俺を正しく扱ってくれる人間が減っている気がする。お兄ちゃんだの、シノハルくんだの、ちょっと馬鹿にしているみたいなのでやめてほしい。

 ……だけどまあ、今くらいは許してやるか。

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