第10話


   ▽


 俺たちが向かったのはいつもの「東雲しののめ」だった。教室は閉められてしまうし、かといって図書室やその辺の道端でできるような話でもない。あまり他の新和戸あらわど生には聞かれたくなかったのと、「東雲しののめ」の存在が広まってしまうことの二つの間で葛藤した結果、後者を断念した次第である。


珈琲こーひーの値段は張るが、味はいい」


 そう言って通ぶってみるが、実際の所、味の違いなんて分かりはしない。チェーン店の倍近くもするブレンドの味なんて何がどう違うのやら。


「何強がってるの。結局チェーン店に入るのが嫌なだけの癖に」


 瑠花に核心を突かれる。正論なので何も言えない。


「後、女子と二人きりになって密会する用」ぼそりと付け加えるが、残念ながら聞こえている。

「うるさい」


 そう言って俺が瑠花を小突くのを、板尾はどうしたものか、といった様子で見ていたが、やがて合点がてんがいったという風にうんうん、と頷いて言う。


「二人って……、そういうことなんですね」

「違います、従兄妹いとこです」「違う、従兄妹いとこだ」二人の声が重なった。


 俺は小さくせき払いして、丁度届いた珈琲に口を付ける。今日も俺はブレンドだ。瑠花はウィンナ、板尾は俺に合わせてブレンドを頼んでいる。


「それじゃあ、まあ話そうか」


 何かこうやって改めて言うと少し気恥ずかしいのだが、いよいよといった様子で俺を見る瑠花と、少し表情を変えた板尾を見ると、余計に緊張してしまう。


「まず、俺と瑠花は基本的にお前が二つの作品、『Kの消失』と『終わりの始まり』の作者だという前提で話を進めていた。だけど、問題は二つある。一つは、どうしてお前はそのことを俺たち、いや、誰にも話さなかったのか。そしてもう一つは、どうして文芸部を辞めたのに、この作品自体は残していったのか」


 瑠花がうんうんと相槌を打つ。気付けば手にはメモ帳とペンが握られている。


「瑠花はこの二つに関して、いじめの線を疑った。もちろんその可能性も捨てきれなかったのだけど、俺はもう一つの可能性をまずは考えたんだ。文芸部が『良からぬくわだて』を画策している、という」

「良からぬ企て?」瑠花が首を傾げた。

「そう。要するに、板尾の考えとしてはこうだ。自分自身はそのくわだてに参加していない、何故かというと作品には関与していないし、自分はそもそも文芸部を辞めてしまっているからだ。だけど、実際の所、作者は板尾であるし、その事実は不変だ。作品についてめられることがあれば、板尾は内心で喜ぶことができる」


 人の気持ちを勝手にペラペラと喋るのは気分の良いものではない。そもそも間違っている可能性すらあるのだ。俺は極力板尾の反応を見ないようにしながら続ける。


「この可能性に関してもう少し詰めると、文芸部の『良からぬ企み』の実態が見えてくるんだ。まず、文芸部はとにかく部数を多く売りだしたかった、それは明らかだよな?」


 瑠花は大きくうなずいた。マスコミ部への取材依頼、ビンゴカードの添付などの工作を見てもそこは容易に想像がつく。


「板尾がその工作自体を嫌った可能性もある。だが俺は、それが文芸部を辞めて、作品の関与までを否定するまでの理由にはならないと考えた。でも、不思議な話だよな? あまり部の活動に積極的でなさそうなあの三人が、そこまでの部数を売ろうとするなんて。しかも文化祭の売上は自分たちに何の影響も及ぼさない。唯一その恩恵おんけいを受けることのできる後輩は辞めてしまっている。それでもこの工作を続けるということは、狙いは違う所にある」


 そこで俺は、一枚のチラシをかばんから取り出す。俺が見たポスターの縮小版だ。


「それがこの募金活動だ。この募金活動は、有志団体が参加し、売上とは別に集金箱を作ってその箱を生徒会に提出するという形をとっているんだ。その参加団体に早々に名乗りを上げたのが、文芸部だ」


 これは昨日生徒会室に行って確認を取っている。秋山(後で聞いた所、文化委員長か何かで、実行委員会と連携しているらしい)が調べてくれたのだ。


「瑠花。自分たちへの直接的な利益のあまり見込めない金券システムでの文化祭という舞台で、真剣に自分たちへの利益を求めるなら、どうする?」


 瑠花は少し考え、何かに気付いたようにハッとする。


「もしかして……、直接お金をやり取りする機会を作るってこと?」


 そこまで気付けば話が早い。


「その通り。そして今回の文化祭で、唯一直接のお金のやり取りがある機会が、この募金活動なんだ。文芸部の狙いはこうだ。部誌の宣伝活動を行い、多くの客を集める。客が多く集まれば当然、一緒に置かれた募金箱に募金をしてくれる人も増えるだろう。金額ももちろん膨れ上がる。生徒会は募金箱を作るとは言っていたが、それも多分簡単に似たようなものを作ることができるだろう。つまり、偽の募金箱を作って、実際に募金された額の一部をせしめようという訳だ。募金された額が少なくても言い訳なんていくらでもできる。偽の募金箱からせしめた額以外を本当の募金箱に入れて、生徒会に提出さえしてしまえば誰も何も言わない」


 そこまで言うと、驚いていた顔をしていた瑠花が怪訝けげんそうな表情に変わる。


「確かにその可能性はありそうだけど……、そうだっていう証拠はあるの?」

「証拠なら文芸部の三人が勝手に作ってくれた」


 それも、まさに今日、だ。え? と瑠花がつぶやく。


「文芸部がお前に取材内容を取り下げるように言ってきただろう? それが何よりの証拠だ。俺は昨日、生徒会に助言をした。募金箱のシステムをやめて、金券での売上の一部を募金するシステムにした方がいい、と。たぶんそれが採用されて、昨日のうちに有志団体に伝わったのだろう。このチラシの拡大版であるポスターも今日見たら全部剥がされていた。要するに、今回の文化祭では、実際のお金が動くのは金券売場だけになった。文芸部が宣伝活動に積極的でなくなったのは、これが原因なんだ。だからお前の取材も断ったし、ビンゴカードのことも無かったことにしたんだ」


 もちろん生徒会が俺の言ったことを採用するかどうかという疑念はあったが、伊勢谷のことだ、おそらく採用してくれるだろうと信じていた。普段から貸しを作っておいてよかったと思う。

 瑠花はぽかんと口を開けて俺のことを見ていた。今日、瑠花が俺の所に来た時点で、俺は今回の件についてはもう終わりだ、と思っていたのだ。


 だが肝心なのは、板尾の反応だ。ここで俺は板尾の様子を見る。珈琲こーひーにも手を付けず、驚いたように俺のことを見ていたが、俺の視線を感じたのか、表情を引き締めて言う。


「……でもそれだけじゃあ、決定的な証拠にはなりませんよ。募金箱の集金システムに関係なく、先輩たちの気が変わっただけかもしれません。それに、君は僕があの作品を書いたという前提で話をしていましたが、何度も言うようにあれは僕の作品じゃないんです。先輩たちにとって、自分の作品を広く世に知ってもらいたいというのは当然でしょう。お金の問題じゃない」


 そう言い切る板尾に対して、そうだよ、と便乗びんじょうする瑠花。


「肝心な所が抜けてるよ、悠くん。板尾さんがあの作品の作者っていう証拠はあるの?」


 この推理を決定付けるためのもう一つの必要要素だったことだ。俺は昨日、気になっていたことを洗い出して、やっと結論を導いた。

 俺は珈琲こーひーをすすり、気持ちを入れ直す。ここからが第二の推理だ。


「まず、前の文芸部へのインタビューだ。あの時、俺は神沢の発言に違和感を覚えた」


 俺が言うと、瑠花は興味深そうに目を見開く。


「違和感?」

「あの時だ。風情ふぜいの価値観が違うとかどうとか、っていう話の時、あの人は『物事をありのままに捉えることしかできない人間は俗物でしかない』って言ってただろう」


 俺の言葉に、瑠花はメモ帳をパラパラと捲りながら、ああー、と呟く。


「そういえばそんなことも言ってたね。確かにおかしかった。しゃくだけど、微妙に納得しそうになったもん」


 そう。だからおかしいのだ。話し方こそ聡明そうめいぶっているものの、言っていることは俗物そのものである神沢からこのような発言が出てきたのだ。だがあの時の仕草にこそ、俺は違和感を覚えたのだ。


「あの人はそれを何かを思い出しながら話していた」


 神沢はそれを話すときだけ、少し宙を見つめていた。俺が違和感を覚えたのはそこだ。人は物を思い出しながら話すとき、少し目線が上を向く傾向がある。それに、一言ずつ噛みしめて話しているような雰囲気もあった。それまで雄弁ゆうべんに物を語っていた神沢の変化に、ある一種の奇妙さを感じたのだ。


「だから、あれはあの人自身の言葉じゃない。誰か、別の人間の言葉なんだと俺は判断した」

「別の、人間……」瑠花は、チラと横を見る。

「そしてもう一つ。彼らの苗字から取ったというペンネーム。あれも考えてみれば、おかしいだろう? 『神田鴻基』は『かみたこうき』と発音する。それぞれの苗字から取ったのなら、それに、普通の読み方をするなら『かんだこうき』と発音するべきだ。『物事をありのままに捉えるな』とか言っているのは分かるが、流石さすがに何の意味もなく読み方を変えるとは思えない。だから、俺は物事をありのままに捉えないことにした」


 そう言うと、俺は瑠花の持つメモ帳を指差す。


「それちょっと貸してくれ」言うと、瑠花はそれを差し出した。

神田鴻基かみたこうきは、アルファベットにすると『KAMITA KOUKI』、読み方によっては『KAMITA KOKI』とも書ける」俺はメモ帳に書き記しながら話す。


「そしてここからはその神田鴻基が作ったと思われる二つの作品をなぞっていけばいい。まずは、『Kの消失』だ。このタイトル通りに、このアルファベットの文字列からKを消失させる」俺はKの部分に上から棒線を書き、その上で新たにKを抜いた文字列を作る。


「そうするとこうなる」書いた文字列を二人に向かって見せる。「AMITA OI」という文字列ができあがっていた。

「……あみ、たおい?」瑠花は訳が分からないといった様子で文字列を眺めていた。


「そこで、もう一つだ。『終わりの始まり』に照らし合わせてこの文字列を動かす。可能性としては二つある。終わりの文字を始まりにして、逆から読むというパターンと、終わりの文字を始めにくっつけて読むというパターンだ。そこは作品の内容から照らし合わせて、後者を採用する」


 卒業を間近に控えた高校三年生がタイムスリップをして、高校生活をやり直すという話だ。終わりの文字が始めにくっつくのが妥当だとうだろう。


「そうすると」俺は文字列を新たに書く。「IAMITA O」となって、

「こうすると分かりやすい」アルファベットを単語ごとにして、間隔を作る。

 そこに浮かび上がっていたのは「I AM ITAO」という文字列。

「アイアムイタオ……、私は、板尾だ」

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