第8話

 放課後、俺は二日連続で従妹いとこと会うことになっていた。

 愛らしい容貌ようぼうであり、自分のことを慕ってくれるすばらしい従妹いとこではあるが、会うのは全く楽しみでないという矛盾むじゅん。大体向こうのせいだろう。

 だが、その面倒事も今日で終わらせたいものだ。そう思いつつ、俺は二年三組の教室へと向かった。


「お、悠くん」


 その途中で、階段から上がってきた瑠花が声を掛けてくる。早くもやる気満々といった様子で俺の元に駆け寄ってくる。


「よく名前が分かったね」


 俺は伊勢谷に聞くとは言っていなかったので、朝から早々に名前が分かったと連絡した俺にさぞかし驚いたことだろう。


「俺もやればできるってことだ」

「昨日の伊勢谷さんに聞いたんだよね」


 ばれてた……。いや、そりゃそうか。大体すぐに察しがつく話だ。


「そうだけど……、他の奴には言うなよ?」

「分かってるよ。伊勢谷さんの体裁ていさいもあるもんね」


 その事情まで察しがついているとは、流石さすがは俺の従妹いとこ。変な所が似てしまったようだ。その分春絵は純粋な子に育ってくれているようで何より。


「そこまで分かってるのなら話は早い。ともかくさっさと終わらせるぞ」


 俺たちは、二年三組の教室へと向かう。心配なのは、この間に帰ってしまっていないかだ。なにせアポは取っていないのだから、帰られてしまっても文句は言えまい。


 だが、結果として、その文芸部員――板尾知彦いたおともひこは幸いまだ教室を、いや、正確には学校を去っていなかった。掃除当番だったらしいのだが、クラスメイトに尋ねると「ん? 板尾くん……、ああ、あの子ね! あの子は……何班だっけ。もしかしたら掃除当番かもしれないよ」などと軽くあしらわれ、たらい回しにされ続けた結果、ようやくのことで情報を得ることができたのだ。


「何だろう、私ちょっと安心したよ」


 掃除場所から戻ってくるのを待っている間、瑠花が呟く。板尾の机の上にはかばんが残っているので、そのまま帰るということもなかろうと判断し、俺たちは教室の外で待つことにしたのだ。


「板尾が帰ってなかったことか?」


俺が尋ねると、瑠花はゆっくりと首を振った。


「違う違う。この学校に、悠くんより影の薄い人が存在したことだよ」


 聞いて、俺は「帰る」と一言だけ残して本気で帰ってやろうかと思ったが、思いとどまる。こんなことでいちいち気分を害していたらいけない。


「余計なお世話だ」

「冗談だよ。そんな仏頂面ぶっちょうづらしないの」


 そんなになっていたのか。仏頂面ぶっちょうづらと聞いて、昨日の神沢を思い出すが、流石さすがにあれよりは表情豊かのはずだ。そう信じたい。


「……あっ、あれそうじゃない?」


 瑠花が言うのにつられて、教室へと目を向ける。教室へと入ってきた男子生徒が、俺たちのマークしていた席へと近づき、その机の上にあったかばんを持ち上げていた。


「多分そうだ。丁度教室に人も少ないし、行くか」


 普段注目の浴びない人間が他クラス、そして他学年の人間に急に取り囲まれるというのは、それだけで「何かあったのだろうか」と好奇のまとになり得る。そして普段注目の浴びない人間というのは、それをあまり好まない。それも考えて、人は少ない方がいい。

 ちなみに、俺も瑠花も当然のことながら板尾の顔は知らなかったので、その生徒が板尾だとは確信を持てなかったが、まあかばんを持って帰ろうとしているあたり、板尾で間違いないだろう。


「こんにちは、失礼ですが板尾さんでしょうか?」


 瑠花が先陣を切って板尾に挨拶あいさつする。いきなり他学年の女子に声を掛けられたその男子生徒は、「え?」と言いながらオロオロしている。挙動不審だが、まあそうなるだろう。


「そ、そうですけど……」


 男子生徒――板尾は、なんとか言葉をしぼり出す。それを聞いた瑠花は、自己紹介を手短に済ませ、俺の紹介はすっ飛ばす。もう少し丁重ていちょうに扱って頂けないものだろうか。

 だが――、


「僕はもう文芸部とは関わり合うつもりはありません。だから、話すこともないですよ」


 瑠花が文芸部のことについてインタビューさせてほしいとお願いすると、板尾はきっぱりと断りの意思を示した。物腰が柔らかそうで、物言いも丁寧な気弱な男子といった第一印象であったが、そのことに関して意思は固いようで、毅然きぜんとした態度であった。


「それよりどうして僕が元文芸部員だってことが分かったんですか? 僕自身は、自分が文芸部員だと言ったことはほとんどありませんでしたけど」


 聞かれるとは思っていたが、それに対しての明確な答えを用意していたわけではない。俺が返答に詰まると、瑠花があっけらかんとした口調で言う。


「すいませんが、そこは機密情報なんで教えられませんね。もっとも、所属している部活なんてすぐに調べがつくものですけど」


 よく言うよ……、それが分からないから生徒会副会長である伊勢谷にまで話が及んだというのに。そうやって微妙な嘘を重ねていくのもマスコミの仕事なのかもしれないが。


「はあ、そうですか……。どちらにしても、話すことはありませんよ。すいませんが、帰りたいので失礼します」


 それだけ言って、俺たちの間をすり抜けていこうとする。瑠花はその前に立ちはだかるかと思いきや、悠々ゆうゆうとした態度で、去りゆく板尾の背中に語りかける。


「面白かったですよ、『Kの消失』。『終わりの始まり』も、すごく面白くなりそうでした。私、楽しみにしてるんで」


 瑠花の言葉に、板尾は思わずといった様子で足を止める。そして振り向いて言った。


「……あれは僕の作品じゃないですよ。文芸部の先輩たちが書いた作品なんです。その証拠に、『終わりの始まり』のペンネームには僕の名前が入っていないはずです。先輩たちの苗字しか入っていないでしょう? 『Kの消失』も僕は関わっていないんです。あの部活に、僕は必要じゃない。それだけです」


 そう言って、今度こそ教室を出て行ってしまった。教室に残っていた数名のクラスメイトは何事かといった様子でこちらを見ていたようだが、当の本人が帰ってしまうと、そそくさと帰り支度したくを始める。

 瑠花を見ると、明らかに口をとがらせていた。


「もー、何で意地を張るかなー。あの態度、自分の作品だって認めてるようなもんなのに」


 まあ確かに、動揺というか、そういった類の色は見られた。それがすなわち、作品の作者が板尾であるということになるわけではないが、何かがあるという気配は感じ取れる。


「この分だとなかなか口を開いてはくれなさそうだな」


 俺が言うと、瑠花がこちらを振り向く。その目は俺をジロリとにらんでいた。


「こうなったら強行手段だよ、悠くん。私、板尾さんのこと追っかけまわすことにするから」


 それってただのパパラッチか何かじゃないのかな……と思いつつも口には出さないでおく。

 そんなことよりも、俺はその追っかけとやらに参加しなければならないのだろうか。そればかりが気になって仕様がない。

 だが、こっちから言いださなければ何事も起きずに済むかもしれないと思って、俺はとりあえず黙っておくことにした。息巻いていた瑠花は、特に何事も話さずに俺と別れたので、まあひとまずは解放されたのかな、と思っておくことにする。


 昨晩、俺は「Kの消失」という作品を読んだ。瑠花が、夏目漱石の「こころ」をリスペクトしていると言い、そのテーマは「断罪」だという作品。

 「こころ」のテーマも、もしかすると「断罪」に近いところがあるのかもしれない。有名な「先生と遺書」の記述でも、Kや先生による「断罪」だとか自責の念といったものがテーマになっているような気がする。この見解は人によって異なるのだろうが。

 ともかく、テーマやその背景にあるものが似ている、と瑠花は言いたかったのかもしれない。そして、めまぐるしく変化する瑠花の気持ちにも妙に共感してしまった。


 「Kの消失」は、「私」の、その親友である「K」に対する断罪の物語である、というのが瑠花の見解だろう。「私」と「K」が親友であるという構図は夏目漱石の「こころ」に通ずるものがある。だが、「こころ」の中で親友に対する罪をおかしたと自覚しているのは先生の方だ。


 「私」は、昔からの級友である「K」と久方ぶりに再開する。色々な話に花が咲き、別れるのだが、ひょんなことから「私」は、「K」が犯罪に加担していることを知ってしまうことになる。昔からの級友の犯罪の告発をすべきかどうか、「私」は悩むものの、「K」に対して直接自白を促すこともできず、結局、匿名とくめいという形でそれを告発してしまう。

 犯罪が露呈ろていした「K」の仲間たちは逃げ惑い、多くが捕まってしまう。しかし、「K」自身は逃げおおせ、自身がいたという痕跡こんせきを完全に消してしまい、「消失」してしまうのである。


 「私」は、「K」が逃げおおせたことにどこか安堵あんどしてしまった自分自身を許せず、また、そのような思いを抱いているにも関わらず、半端な正義心から告発を行ってしまったことを悔やむ。

 しかしそれでも月日が経ち、「私」も「K」のことを忘れてしまっていた。そんな時、「私」の元に手紙が届く。それは、どこかに潜伏せんぷくしている「K」からの物であった。

 そこには「K」がどのようにして逃げおおせたのか、そして現状について書かれてあった。「K」は、「私」の告発に気付いていたのだ。それでいて、「私」を詰ることはせず、これから先、会うことはないだろうが、今までのことに対して感謝の念を述べている。


 はたから見れば素晴らしい友情だ。手紙の最後はこのように締めくくられている。

『会うことはなくとも、いつまでも心は君のそばに』

 だが、「私」はそれに対し、

『私は、この手紙を恐ろしい気持ちをもって見ることしかできなかった。当然、この手紙を警察に持っていくようなことはできなかったのである』

 と述べ、この小説を締めくくっている。


 「K」は、「私」に対して友情は不変だと言っているのだ。それを「私」は、「恐ろしい」と述べている。何とも不可思議なことだ。この作者は、何を考えてこのような小説を生み出したのだろうか。確かにめまぐるしく気分が変化する。残るのはもやもやとした気持ちだ。


 この小説には何か、裏の事情があるような気がしてならないのだ。そしてそれを、文芸部の三人が生み出したようにも思えない。もちろん根拠もない主観で物を語るつもりはないのだが。

 俺は歩きながら考えを整理する。仮に板尾を「Kの消失」、そして「終わりの始まり」の作者だと仮定すると、板尾はどうして文芸部を辞めて、自身の作品を先輩たちに託してしまったのだろうか。そして更には、どうして自分が二つの作品に関わっていないと言い張るのだろうか。


 考えられるのは二つ。まず一つは、瑠花の言った通り、板尾があの先輩たちにいじめを受けていて、そのことを言うに言えないという可能性である。自分がいじめられていると証言してその問題が解決するケースなんてまれだ。普通、問題はエスカレートする。まあそれならそれで、そのいじめの証拠を見つけるしかないのだろう。そしてたぶんそれは、その可能性を信じている瑠花の仕事だ。


 俺が考えるべきはもう一つの可能性。板尾が、自分は文芸部に関与していないということを明らかにするために、作品への関与を否定しているのだと言う可能性だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る