第8話
放課後、俺は二日連続で
愛らしい
だが、その面倒事も今日で終わらせたいものだ。そう思いつつ、俺は二年三組の教室へと向かった。
「お、悠くん」
その途中で、階段から上がってきた瑠花が声を掛けてくる。早くもやる気満々といった様子で俺の元に駆け寄ってくる。
「よく名前が分かったね」
俺は伊勢谷に聞くとは言っていなかったので、朝から早々に名前が分かったと連絡した俺にさぞかし驚いたことだろう。
「俺もやればできるってことだ」
「昨日の伊勢谷さんに聞いたんだよね」
ばれてた……。いや、そりゃそうか。大体すぐに察しがつく話だ。
「そうだけど……、他の奴には言うなよ?」
「分かってるよ。伊勢谷さんの
その事情まで察しがついているとは、
「そこまで分かってるのなら話は早い。ともかくさっさと終わらせるぞ」
俺たちは、二年三組の教室へと向かう。心配なのは、この間に帰ってしまっていないかだ。なにせアポは取っていないのだから、帰られてしまっても文句は言えまい。
だが、結果として、その文芸部員――
「何だろう、私ちょっと安心したよ」
掃除場所から戻ってくるのを待っている間、瑠花が呟く。板尾の机の上には
「板尾が帰ってなかったことか?」
俺が尋ねると、瑠花はゆっくりと首を振った。
「違う違う。この学校に、悠くんより影の薄い人が存在したことだよ」
聞いて、俺は「帰る」と一言だけ残して本気で帰ってやろうかと思ったが、思い
「余計なお世話だ」
「冗談だよ。そんな
そんなになっていたのか。
「……あっ、あれそうじゃない?」
瑠花が言うのにつられて、教室へと目を向ける。教室へと入ってきた男子生徒が、俺たちのマークしていた席へと近づき、その机の上にあった
「多分そうだ。丁度教室に人も少ないし、行くか」
普段注目の浴びない人間が他クラス、そして他学年の人間に急に取り囲まれるというのは、それだけで「何かあったのだろうか」と好奇の
ちなみに、俺も瑠花も当然のことながら板尾の顔は知らなかったので、その生徒が板尾だとは確信を持てなかったが、まあ
「こんにちは、失礼ですが板尾さんでしょうか?」
瑠花が先陣を切って板尾に
「そ、そうですけど……」
男子生徒――板尾は、なんとか言葉を
だが――、
「僕はもう文芸部とは関わり合うつもりはありません。だから、話すこともないですよ」
瑠花が文芸部のことについてインタビューさせてほしいとお願いすると、板尾はきっぱりと断りの意思を示した。物腰が柔らかそうで、物言いも丁寧な気弱な男子といった第一印象であったが、そのことに関して意思は固いようで、
「それよりどうして僕が元文芸部員だってことが分かったんですか? 僕自身は、自分が文芸部員だと言ったことはほとんどありませんでしたけど」
聞かれるとは思っていたが、それに対しての明確な答えを用意していたわけではない。俺が返答に詰まると、瑠花があっけらかんとした口調で言う。
「すいませんが、そこは機密情報なんで教えられませんね。もっとも、所属している部活なんてすぐに調べがつくものですけど」
よく言うよ……、それが分からないから生徒会副会長である伊勢谷にまで話が及んだというのに。そうやって微妙な嘘を重ねていくのもマスコミの仕事なのかもしれないが。
「はあ、そうですか……。どちらにしても、話すことはありませんよ。すいませんが、帰りたいので失礼します」
それだけ言って、俺たちの間をすり抜けていこうとする。瑠花はその前に立ちはだかるかと思いきや、
「面白かったですよ、『Kの消失』。『終わりの始まり』も、すごく面白くなりそうでした。私、楽しみにしてるんで」
瑠花の言葉に、板尾は思わずといった様子で足を止める。そして振り向いて言った。
「……あれは僕の作品じゃないですよ。文芸部の先輩たちが書いた作品なんです。その証拠に、『終わりの始まり』のペンネームには僕の名前が入っていないはずです。先輩たちの苗字しか入っていないでしょう? 『Kの消失』も僕は関わっていないんです。あの部活に、僕は必要じゃない。それだけです」
そう言って、今度こそ教室を出て行ってしまった。教室に残っていた数名のクラスメイトは何事かといった様子でこちらを見ていたようだが、当の本人が帰ってしまうと、そそくさと帰り
瑠花を見ると、明らかに口を
「もー、何で意地を張るかなー。あの態度、自分の作品だって認めてるようなもんなのに」
まあ確かに、動揺というか、そういった類の色は見られた。それがすなわち、作品の作者が板尾であるということになるわけではないが、何かがあるという気配は感じ取れる。
「この分だとなかなか口を開いてはくれなさそうだな」
俺が言うと、瑠花がこちらを振り向く。その目は俺をジロリと
「こうなったら強行手段だよ、悠くん。私、板尾さんのこと追っかけまわすことにするから」
それってただのパパラッチか何かじゃないのかな……と思いつつも口には出さないでおく。
そんなことよりも、俺はその追っかけとやらに参加しなければならないのだろうか。そればかりが気になって仕様がない。
だが、こっちから言いださなければ何事も起きずに済むかもしれないと思って、俺はとりあえず黙っておくことにした。息巻いていた瑠花は、特に何事も話さずに俺と別れたので、まあひとまずは解放されたのかな、と思っておくことにする。
昨晩、俺は「Kの消失」という作品を読んだ。瑠花が、夏目漱石の「こころ」をリスペクトしていると言い、そのテーマは「断罪」だという作品。
「こころ」のテーマも、もしかすると「断罪」に近いところがあるのかもしれない。有名な「先生と遺書」の記述でも、Kや先生による「断罪」だとか自責の念といったものがテーマになっているような気がする。この見解は人によって異なるのだろうが。
ともかく、テーマやその背景にあるものが似ている、と瑠花は言いたかったのかもしれない。そして、めまぐるしく変化する瑠花の気持ちにも妙に共感してしまった。
「Kの消失」は、「私」の、その親友である「K」に対する断罪の物語である、というのが瑠花の見解だろう。「私」と「K」が親友であるという構図は夏目漱石の「こころ」に通ずるものがある。だが、「こころ」の中で親友に対する罪を
「私」は、昔からの級友である「K」と久方ぶりに再開する。色々な話に花が咲き、別れるのだが、ひょんなことから「私」は、「K」が犯罪に加担していることを知ってしまうことになる。昔からの級友の犯罪の告発をすべきかどうか、「私」は悩むものの、「K」に対して直接自白を促すこともできず、結局、
犯罪が
「私」は、「K」が逃げ
しかしそれでも月日が経ち、「私」も「K」のことを忘れてしまっていた。そんな時、「私」の元に手紙が届く。それは、どこかに
そこには「K」がどのようにして逃げ
『会うことはなくとも、いつまでも心は君の
だが、「私」はそれに対し、
『私は、この手紙を恐ろしい気持ちをもって見ることしかできなかった。当然、この手紙を警察に持っていくようなことはできなかったのである』
と述べ、この小説を締めくくっている。
「K」は、「私」に対して友情は不変だと言っているのだ。それを「私」は、「恐ろしい」と述べている。何とも不可思議なことだ。この作者は、何を考えてこのような小説を生み出したのだろうか。確かにめまぐるしく気分が変化する。残るのはもやもやとした気持ちだ。
この小説には何か、裏の事情があるような気がしてならないのだ。そしてそれを、文芸部の三人が生み出したようにも思えない。もちろん根拠もない主観で物を語るつもりはないのだが。
俺は歩きながら考えを整理する。仮に板尾を「Kの消失」、そして「終わりの始まり」の作者だと仮定すると、板尾はどうして文芸部を辞めて、自身の作品を先輩たちに託してしまったのだろうか。そして更には、どうして自分が二つの作品に関わっていないと言い張るのだろうか。
考えられるのは二つ。まず一つは、瑠花の言った通り、板尾があの先輩たちにいじめを受けていて、そのことを言うに言えないという可能性である。自分がいじめられていると証言してその問題が解決するケースなんて
俺が考えるべきはもう一つの可能性。板尾が、自分は文芸部に関与していないということを明らかにするために、作品への関与を否定しているのだと言う可能性だ。
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