第7話

「作風?」

「そう。『Kの消失』は、もっと重いというか、文学作品って感じが強いんだよ。一言で感想を言うのなら、すごい、に尽きるかな」


 それほどまでなのか。俺は、神沢からもらった部誌をかばんの中から取り出してみる。


「K、か……。夏目漱石の『こころ』を思い出すな」


 おそらく中学校の多くの国語の教科書に載っているであろう、超有名作である「こころ」。あれに出てくる登場人物もまた、「K」であった。


「流石だね、悠くん。鋭いよ。この作品、どこか『こころ』をリスペクトしているような気がするんだ」

「リスペクト?」

「実際のところは見てもらった方がいいと思う。テーマを一言で言うなら、『断罪』とかそんな感じなのかな。最初は重い話だな、と思ってたんだけど、だんだんといい話かも、って思い始めて、でも最後はなんとなくもやもやした気持ちが残ったって感じ」


 なんだかめまぐるしい変化だな、と思う。


「ただ私は、作者は同じだと思う。ペンネームはその時に存在してなかったから、誰が書いたかまでは見当がつかないのだけれど」


 聞いていて話の着地点が見えなくなってきたので、俺は問う。


「瑠花。お前、何が言いたい?」

「あのね、文芸部って少し前まで四人だったらしんだ」

「四人?」

「そう。今の三年生三人に加えて、もう一人。今は二年生らしいよ」


 瑠花は、知ってる? という風に俺の目を見るが、俺が知っているわけもない。


「そうか。じゃあ、そいつがこれを書いた可能性もあるのか」

「そう。でも、もう辞めてしまっている。その辞めた理由、ちょっと気にならない?」


 あまり気にはならないのだが。むしろ俺は、お前がどこからそこまでの情報を得ているのかが気になるよ。


「……推測でいい。お前はどう思うんだ」

「もちろんアレだよ。いじめとかそんな類のやつ。去年も今年も、辞めた部員が小説を書いたのに、その手柄は他の三年生のものになり、結局辞めることにした、とか」


 そういう発想になるよなぁ……。だけどそうだとしたら、問題がある。


「でも、そうだとしたら辞めたのはその部員の勝手だろう。別に記事にできることがあるわけじゃない」


 俺が言うと、チッチッチと瑠花が指を振る。


「甘いね、悠くん。そういう問題じゃないんだよ」


 そういう問題じゃないのか……。俺は思わず眉をしかめる。


「要するに、今回売り出す部誌に掲載されているのは元部員の作品。それを今の三年生三人の作品にしてしまうっていうのは少し問題があるのじゃないかな? あの三人にとっても肩身が狭いでしょ、実は全く関与してませんなんてばれたら、さ」


 つまりその部分を記事にしてやろうと目論もくろんでいるのか、こいつは。本当に外道だ。だが、瑠花は言葉を続ける。


「それに、もしかするとこのネタで、もっと大きなネタが釣れるかもしれない」

「大きなネタ?」

「さっきのやつだよ。あの三年生が小説を書いていないっていうネタを使って、ビンゴカードの入手先を吐かせることもできるかもしれない。そっちの方が面白い記事になるかもしれないしね」


 ヤバいよ。俺の従兄妹いとこが本当にただの悪女になっている。ネタの使い方が最早もはや恐ろしい。本当にいつか後ろから刺されるんじゃないのか。

 俺は嘆息たんそくをこぼしながら、言う。


「まあ分かったよ……。その二年生に話を聞くんだろ」


 瑠花は、嬉しそうに微笑んだ。


「そうそう、分かってるじゃん、悠くん」


 そしてどうせ瑠花のことだ。その二年生が誰なのかを既に突き止めていて、取材のアポを取っているくらいはしているのだろう。


「ってことで、その文芸部の人が誰なのか教えてくれない?」


 …………ん?


「は?」

「へ?」


 俺も瑠花も素っ頓狂とんきょうな声を上げる。どうやら俺と瑠花の間で何かが食い違っていたような気がする。


「ええと、悠くん、もしかして……、いや、もしかしなくてもその文芸部の人が誰かなんて知らないということなんだね?」

「……まあそうなる。俺はてっきりお前が知っているもんだと」


 一年生に学校についての情報量で負けてしまう二年生とは一体。だが、今さらそんなことを言っても仕方ない。


「もちろん調べはしたんだよ。でも、そこだけは私の情報網に引っかからなかった。というか、私が話を聞いた三年生の人が知らなかっただけなんだけどね」


 なるほど。そりゃ、三年生なら他学年のことまで知ることはほぼないだろう。そこで同学年である俺に話を聞いてみた。だが、その二年生は他学年の人間以上に、同学年の人間のことを知らなかった。残念無念。


「ま、そういうことなら調べといてやる。明日でいいか?」


 普通に言ったつもりだったのに、瑠花は意外そうに目をパチクリさせていた。


「なんだかいつになく積極的だね」


 人が折角せっかくやってやると言っているのにその言い方は何だ。


「どうせ何を言ったって調べるつもりなんだろう。だったらさっさとやってしまった方がいいだろ」


 俺が言うと、瑠花は「ま、そうだね」と言って小さく笑った。

 どちらにしても、この件に関しては俺の方が早く調べられるだろう。こういう時に便利な人間が周りにいるからである。


   ▽


 翌日の朝、俺は教室に入るなり「便利な人間」の机の前へと直行した。


「……というわけで、現在二年生の、元文芸部員の名前を教えてほしい」


 事情はもちろん全ては伝えないものの、ある程度の事実をその男、伊勢谷に話した。俺の狭いコミュニティの中で最も顔が広く、貸しが山ほど溜まっている人物だ。このくらいのことは教えてくれても構わないだろう。

 だが、伊勢谷は少し困ったように苦笑いする。


「うーん、まあ別に教えても構わないんだけど、俺に聞いたって言わないでくれよ?」

「どうしてだ?」


 生徒一人の名前を教えてくれるくらいのことなら、誰が情報源だとしても後々困

るようなことにはならないはずだ。

 伊勢谷は少し考え込むように腕を組んで言う。


「いや、俺がそいつの名前を知ってるのは、この前文芸部の部員名簿を閲覧したからなんだ。その時に見た同級生の名前は、正直初めて見た名前だった。要するに、俺がそいつのことを知ってるのは、今の俺の権限があったからこそってわけだ」


 つまり、伊勢谷が言いたいのは、自身の地位を利用してその名前を知ったのだから、それが本人やその周辺に知られるのはまずいだろうということである。生徒会役員が職権乱用した、というのはいささか聞こえが悪い。

 それに伊勢谷が文芸部のことを調べたのは、この前の事件のことがあったからだ。あまり伊勢谷としては大っぴらにしたくないことだろう。


「分かった。そこに関しては約束する。だけど顔の広いお前が知らないってのも珍しいな」


 生徒会の副会長をしている伊勢谷が知らない同級生などいないだろうと高を括って聞いたのだが。言い方は悪いが、それほどまでに印象の薄い人間なのだろうか。


「確かに、自分で言うのも何だけど、俺が知らない同級生はもうほとんどいないと言ってもいい。部活動に所属しているのならなおさらだ。まあだけど、悠人だってしつこいくらいに同じクラスにならなきゃあ、知ることはなかったのだから、同じようなもんだろ」

「うるさい」


 俺は伊勢谷の頭に手刀しゅとうでコツンと叩く。部活動に所属していない俺が、伊勢谷の目にまらないのは確かに仕方がないことかもしれないが、それを事実として伝えられるまでもない。

 それにしても、伊勢谷ですら印象にあまり残っておらず、瑠花の情報網にも引っかからない人物がいたとは。俺が言うのも何だが、相当影の薄い人物なのだろうな。


 事実、その後に伊勢谷から聞いた名前に、俺は覚えがなかった。予想はしていたが、全く聞き覚えもない。


「だから、正直な所そいつにインタビューを持ちかけても、あまり良い記事にはならないとは思うんだけどなぁ」


 伊勢谷がつぶやく。確かに、伊勢谷には詳細を伝えていないのだからそのように思われても仕方がない。


「それに、マスコミ部はまだ承認されていないぞ?」


 続けて伊勢谷が言う。俺がインタビューすると言っても信じてもらえないだろうと思って、瑠花の話はしておいたのだ。


「その辺の事情は俺もよく分からないさ。というか、お前の方がよく知ってるだろう?」


 俺が言うと、伊勢谷は少しまゆをひそめる。


「……従妹いとこのためとはいえ、悠人がそこまで付き合うのも珍しいよな」


 まあ、こいつになら本当のことを言っても大丈夫なのだが、そもそもの原因がこいつでもあるので、少しだけ苛立いらだつ。


「……色々あるんだよ」とりあえずそのように答えておくことにして、言葉を続ける。

「マスコミ部は創設されそうなのか?」

「今、俺が先生たちに書類とかを渡したところだ。まだどうなるかは分からない」


 ふーん、と言いつつも何かそこに俺は違和感を覚える。しかし、その違和感の正体に気付かぬうちに、伊勢谷が続けて言う。


「……というかさ、文芸部のインタビューって本当だったんだな」

「まあ、そういうことになるな」


 色々あって頭の片隅に追いやられていたが、例の密室予告状事件(命名、伊勢谷)の際に、文芸部が言っていたことの辻褄つじつまが合っていたことが分かったのだ。


「だからと言って、文芸部の犯行が完全に否定されたわけじゃないさ。俺も注意深く見ておくよ」


 俺はそう言うものの、心のどこかで思っていた。根拠も何もない。それでも思ってしまうのだ。

 文芸部が犯人ではない、むしろ、のだと。

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