第二幕 「K」は消失し、されど永存す

第1話

 俺は、まさに今、売れっ子芸能人の気分を味わっていた。それも、残念ながらいい意味でなく。

 俺の目の前には一枚の写真を掲げる下級生の女子。そしてその女子の前でひざまずいて、ヘコヘコと頭を下げる俺。何という構図だ。そして俺は目の前の女子に向かって嘆願たんがんする。


「お願いします……、何でもしますから!」


 ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべている下級生の女子は「えー、どうしよっかなー」とか言って写真をヒラヒラとさせている。


 その時俺は気付くのである。永峰ながみねが言っていた言葉の意味に。

 ……下級生には、気をつけるべきだった。


   ▽


 伊勢谷いせたに、永峰との三人での談合らしき何かから数日が経った。

 あれから当然、伊勢谷は文芸部に対してなぜ十五分という短い時間で鍵を借りたのかを聞き取りに行ったらしい。それに対しての文芸部の回答は「他の部活の取材があって」だったらしい。

 そのことを俺に報告した伊勢谷は、続いて言う。


「これは間違いなくクロだ。取材ってことは新聞部か何かなんだろうが、新聞部は部員不足で昨年度をもって廃部になった。他に他の部活動に対して取材を行うような部活はない」


 だが、文芸部はそれでもしらを切ったと言う。部活ではなく、個人的な取材だ、と。


「これもおかしい話だろ。言っちゃあ悪いが、大した活動実績があるわけでもない文芸部に対して、個人的な取材なんてもんが舞い込むなんて考えられない。かなり怪しいだろ。というかほぼ間違いないだろ」


 というのが伊勢谷の弁。だが、文芸部が犯人だという証拠はなかったので、そこで引き下がったらしい。

 しかし実際、あれから生徒会室には何事もなく、万事平穏な日々が続いているらしいということを考慮すると、抑止効果はあったのかもしれない。

 そうやって、俺たちの間に平穏な日々が戻ってきたのである。


 もちろん永峰がこの前の去り際に言っていた「下級生に気をつけろ」などという意味深な発言も、特には俺に何か特別なことを及ぼすわけでなく、むしろ忘れかけてもいた。だが、教室で永峰の顔を見るたびに、そのことが思い出されて不快な気持ちになってしまう。


 それでも、やっと俺に平穏な日々が戻ってきたのだ。高校二年生になってから、かなりバタバタゴタゴタしていた数日なんてまるで無かったかのように。

 今日も一日平常運転で、昼飯は残念ながら自分で作った弁当だが、晩飯担当は春絵はるえのはずだ。それだけを楽しみに、一日を過ごすことができるというもんだ。


 次の授業は英表えいひょうの時間で、CALLコール教室での授業だ。昼前ラストの時間に移動教室とは難儀なんぎなものだ。ちなみに、英表といのは英語表現の略であり、CALL教室というのは、コンピュータを使って英会話などの能力を習得するための教室である……らしい。俺、そもそも将来海外に出るつもりないし、外国人との会話はボディランゲージで済ませるつもりなんだけどなぁ……。


 それに、移動教室というのはいかにも面倒なものだと常日頃から思っている。折角せっかくの休み時間も五分前になれば動かねばならず、教科書を持って動かなければならないし、場所によっては教室が遠いし、とにかく面倒だ。面倒以外の何物でもない。

 そうだな、教室の方が移動してきてくれたりしないかな……。そしたら俺たちは動く必要もないし。今のハイテクな世の中だったらそんなことも可能になったりしないだろうか、しないか。


 まあ要するに、CALL教室まで移動するのが億劫おっくうだということが言いたかった。三階にある俺たちの教室から、二階にあるCALL教室までは非常に遠い。しかも俺のホームルーム教室である二年九組は階段からほど遠い。要するに、遠い。

 しかし、俺が何を言おうとも、五分前になればクラスメイトは教室移動への準備を始める。そんなに急がなくてもいいだろ、と思いつつも俺一人が教室に残ってしまっていると、鍵を閉める日直が困るので、渋々しぶしぶ動くことにした。

 伊勢谷はさっさと移動してしまっていたので、俺は一人でCALL教室まで歩くことにする。まあ、俺はのんびりと行きたいと思ってるし、一人で行くのが丁度いい。


 そんなことをぼんやりと考えながら、階段を下っていく。一つ下の階層は、かつて俺たちが使っていた教室たちが広がっていた。去年俺たちが使っていた教室、すなわち一年生の教室は全て二階にある。二年生の教室は三階、というのは説明済みで、三年生は一階なのだ。学年が上がると階層が下がるというシステムではなく、二年生に厳しいシステムだ。ただでさえ、坂だの階段だのを登って学校まで来ているというのに、その上学校ですら登らせるのかと心の中で憤慨ふんがいしている。早く三年生になりたい。……受験は嫌だけど。


 そういうわけで、今俺の目の前では、うら若き一年生たちが休み時間を謳歌おうかしているというわけである。非常によろしいことである。うむ。

 だがしかし、俺が目指しているのはCALL教室だ。ここは関係ないとばかりに、教室をスルーして、反対側の特別教室が集まっている方へと歩を進める。もちろん一年生たちも、俺のことはスルーしていく。

……はずだったのだが。


「……あれ、あれれ?」


 俺が通り過ぎたとほぼ同時に、俺の後ろで声がする。ふむ、これはあれか。俺のことを呼んでいるのかと思いきや、別にそんなわけでもなく、振り返ってしまったら最後、「お前のことじゃねえよ」と冷気のこもった目で見られてしまうという誰もが経験したことがあるであろう悲しい現実にぶち当たってしまっているのだろうか。


 とは言ったものの、明らかに俺に向けて声がかけられているようにも思えたので、教室へと歩みを進めながらも、チラと声の主の顔をうかがおうと顔を向ける。こうすることによって、相手に気取きどられずに相手の言葉の対象が分かるのだ。これはなかなか高レベルなスキル。

 しかし、俺が顔を向けたときには、声の主は俺の視界からは姿を消していた。チラホラと見えるのは一年生たちの姿。先ほどの声の主、おそらく女子だが、その声が聞こえた場所に人はいない。

 見間違えか。そう思い直して再び前へと顔を戻す――、


「久しぶりだね」

「ぬはぁ!」


 顔を戻すと、そこには女子の姿があった。声からして先ほどの女子だろう。というか、俺が後ろを向いている間に俺の前に回り込むとは……。くノ一だろうか。


「ちょっとビックリしすぎだよー。それともあれかな? 久しぶりの再会に感動して言葉も出ないとかかな? ん?」

「…………」

「あれあれぇ? どうしちゃったのかなぁ? おにーちゃん」


 俺のことを兄だと言う目の前の女子に対し、俺は肩をすくめてみせる。少し大げさとも取れるリアクションで呆れていることを示しながら、口を開いた。


「とりあえず、お前の言っていることには三つ、間違えがある」


 俺は三本の指を立てて続ける。


「第一に、久しぶりの再会でもなんでもない。この前春休みに会ったばかりだろう。そして第二に、俺は感動などしていない。むしろ少し陰鬱いんうつな気分になった。極め付けの三つ目だが、俺はお前の兄じゃない。従兄妹いとこだろ、従兄妹」


 という説明を目の前の女子、――俺の従兄妹である大類瑠花おおるいるかに向かってする。

 瑠花は、ふふーんと少し鼻を鳴らすと、俺の顔をじろじろと見ながら言った。


「なーんだ、元気そうじゃん、はるくん。それにしても何でここに? あ、あれか。私に会いに来たんだね!」

「んなわけあるか。今から授業なんだよ。ほら、CALL教室」


 俺がそう言いながら教科書を見せると、瑠花ははて? という風に首を傾げる。


「そんなのあったっけ?」


 うーん、まあ入学して二週間も経たないってのならこの学校の教室の位置関係が分からなくとも、仕方は無かろう。


「ま、そうなんだよ。お前もそのうち使うことになるから覚えときな」


 それにしても、瑠花がこの学校に入学してたとは。いや、まあそんなことを言っていたような気がしないでもないような。

 瑠花は、俺の一つ下の従兄妹で、俺の母親の弟の娘である。まあ、従兄妹と言っても住んでいる地域がそれほど離れていないため、この学校に入学してくることも考えられないことはないのだ。何よりウチは、そこそこの進学校だ。色々な地域の中学生が入学してくる。


「ほへー。……っていうかさ、入学してからずっと、ずーっと私の方は悠くんのこと、探してたって言うのに、今までどこに隠れてたのさ?」

「いや、隠れてたとかそういうわけじゃないから……」


 ただ単に俺が新入生の前にいちいち出るきっかけが無かっただけなのだが。新入生の歓迎会みたいな行事はあるものの、ああいうのは部活動紹介とかのためについやされるものであって、俺のような帰宅部には、全く関係のないイベントなのだ。


「むー、それでも私が入学してるって知ってるなら、会いに来てもいいのに」


 何で俺の方からわざわざ従兄妹に会いに行かなきゃならんのだ。ていうかそんなことしたら、俺は他の一年生たちにどういう目で見られるんだ。

 それに……、瑠花はこのような性格だ。人のふところに入ってくるのが非常にうまい。どこか、永峰瑞希ながみねみずきと通ずるところがあるような気がする。あいつと比べると、さすがに何を考えてるかは瑠花の方が分かりやすいのだが。


 そしてさらに容姿の方も、細身で幼さの残る、まさに妹キャラ。ツインテールにした髪型は、やはりどこか幼さを表しているように思える。

 これらのことから、瑠花は人気があるといってもいいと思う。身内贔屓びいきと言われるかもしれないし、一年生の間でどのように言われているかなど、俺の知る余地ではないが、あんまりこの子と俺が親しい間柄だと知られると、後々ややこしいことになるかもしれない。まあ、従兄妹だと分かれば、そんな関係ではないと説明する手間もはぶけるのだが。


 しかし、俺の視界の向こう側から現れた人物は、俺の想定しうる最悪の人物のうちの一人であった。

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